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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第一章「エスパラム」
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八、後悔

 ディノ・ディアスはジョエルの情婦の息子である。領主兄弟とは何の血統的つながりも無い平民の少年だが、ジョエルの推薦でギョームの小姓に取り立てられて以来は従騎士隊の末席に名を連ね、ささやかだが扶持も賜っていた。


 子の無い(厳密には旧領に置いてきた元妻との間に二人いるが)ギョームはディノをいたく気に入った。ジョエルも自らの弟分として大いに可愛がった。ディノ自身もしがない小作農家生まれの自分を過分に取り立ててくれた領主兄弟に対して深い恩義を感じていた。つまりは全く良好な主従関係であった。


 故にだろう、ディノは主の死の全貌を把握した際、まず隠蔽(いんぺい)を図った。


 奴隷が三人、見張りを殺害して逃亡したことはもちろん知っている。その見張りから奪った剣が主の胸を突き破りその命を奪ったことも。


 しかしながら、正騎士たるギョーム・デ・ベルガが、事もあろうに奴隷に討たれて命を落としたと知れたのでは亡き主の名誉を著しく傷つけることになる。


 故に、である。ディノは魔人の仕業と偽って主の死を届けた。救援のためかギョームの死後一日の内に急遽やって来た傭兵隊付きの導師は、疑いも無くディノの届けを鵜呑みにし主を送った。


 ひとまずの仕事を終え安堵していたディノは、葬送の儀が終わると不意に呼び止められた。


 その男は腕を、彼の主の遺体の一部をもてあそびながらいたずらな笑みを浮かべていた。


 ディノは唇を震わせながら、結局は全てを話した。





「ほんの少し、だったんだ」


 うつむき、膝の上で握り締めた拳に涙を落とすディノの頭を、傭兵隊長ヴァルターは優しく撫でてやった。


「ほんの少し目を離した隙に、俺が酒なんか取りに行っている間に、ギョーム様は」


 聖堂に少年の嗚咽(おえつ)が木霊した。酒など入っていなければ主が後れを取ることもなかった。俺がしっかりと止めていればと、ディノは悔やまずにはいられなかった。


「まあ、お前の気持ちは分かるよ。俺だって一応人に仕える身だからな」


 ヴァルターはディノを責めなかった。主の名誉を守るため、分からないでもないと本気で思っていた。


「けどな、ベルガ卿のことを思うのなら、隠すよりもまずやるべきことがあるんじゃねえのか」


 ディノは泣き腫らした目を向けた。


 終始笑みを絶やさない傭兵隊長は眼差しからのみ笑いを取り去り、立ち上がってディノを見下ろした。


「その腰の剣は飾りかよ、ディノ」


 不意にディノの体を衝き動かすものがあった。ヴァルターの言葉に、剣の重みがいや増した気がした。


 飾りではない。断じてない。この長剣は、正騎士の小姓が恥をかかぬようにと亡き主ギョーム自ら特別に作らせた一級品なのだ。


 当年とって十五歳のディノは未だ戦場に出たことはない。どころか人前で剣を抜いたことすらない。それでも、主を丁重に弔った暁には必ず成し遂げると心に誓ったことがあった。


 (はな)をすすり、涙をぬぐえば、もうディノ・ディアスの心に迷いは無かった。





 男たちが何かを話している。俺たちは止めた。本当だ。でもあいつらは聞かなかったんだ。武器を持ってた。奪ったやつだ。脅されたんだ。


 口々に訴えているのはどうやら言い訳のようだった。


 そうかそうか。大柄の男はしきりに肯いていた。それで、その逃げたやつらってのはどういったやつなんだ。あーまず何人だ。男か、女か、それに見た目、年恰好背格好、名前はあるのか。何でそんなことしたのか聞いてるやつは。その男は矢継ぎ早に質問した。


 必死に言い訳を探していた彼らは被せるように次々と回答していった。


 男が三人だ。皆若い。一人はペペ。大男だ。それからボリス。こいつは痩せてる。髪が金色だ。それともう一人、黒髪で、小柄の、


 最後の一人の名前が告げられようというその時、チキータは突然叫び出したくなった。


 やめて。やめてあげて。あいつは、あたしを助けてくれたのに。


 大きな手がチキータの口を塞いでいた。振りほどこうともがくチキータに、黒髪の青年はささやいた。


 頼むから、余計なことを言わないでくれ。


 クチナシ、そう、クチナシだ。青年の背後で誰かが言った。口が無いみたいにしゃべらないからクチナシ。あいつが一番最初に暴れだしたんだ。


 違う。そんなの。そうじゃないのに。


 なおも抵抗を続けるチキータの体が今度は背後から抱きしめられた。


「仕方ないんだ。仕方ないんだよ、チキータ」


 母の言葉に、少女は抵抗をやめた。仕方ないと母が言うなら、それは本当にどうしようもないことなのだから。





 十年も前の話だ。


 チキータには弟がいた。生まれたばかりの弟と幼いチキータを抱え、チャロは奴隷商人の荷馬車に揺られていた。買い手がつかず南へと流れていく途上、ろくに食事も出されない劣悪な環境だった。


 悲劇はより弱いものを好む。死に魅入られたのは乳離れもしていない赤子だった。


 母親からして食うに困っていたのである。乳の飲めない弟は日に日に衰弱していった。


 チャロは商人に懇願した。食べるものが欲しい、このままでは子供が死んでしまう。


 商人たちは得意の頭で勘定した。食料はぎりぎりだった。それはもちろん彼ら自身の分量のみを計算した結果だ。戦乱の続くこの界隈では食い物は常に不足していた。しかし幸い次の村までならせいぜい一日。耐えられないこともないだろう。チャロの願いは決して無理難題というわけではない。


 しかし彼らは聞き入れなかった。ここは南西公領エスパラム。奴隷一人の命より一貫の麦餅の方が価値を持つ土地だ。自分たちの飯を切り詰めてまで守る価値がこの商品にあれば話は別だが、相手は赤ん坊。さして値が張るわけでもないのだ。


 にべもない商人に、なお母親は懇願した。お願いです。どうか。一生懸命働いて必ず返しますから。地に額をこすりつけ、何度も何度も繰り返した。


 子を持つ母として当然の行いも、商人にしてみればしつこいだけだった。わずらわしそうに振るった鞭がチャロの眼球を叩いた。


 苦痛に(あえ)ぐ母の隣で、チキータは程なく異変に気づいた。


 おかーさん。母を呼ぶ。赤ちゃんが。


 赤子は呼吸を止めていた。幼い姉の腕に抱かれ、弟はすでに息を引き取っていた。


 予感していたのかもしれない。チャロは取り乱したりはしなかった。ただ二人の子供を抱いて、血の涙を流しながら、仕方ないね、と声を震わせた。


 仕方ない。せめてちゃんとお祈りをしてあげなきゃね。この子が天の国へと行かれるように。きっと幸せになれるように。


 幼いチキータにはどうすれば良いのか分からなかった。ただ何となく、弟の死は逃れられない運命だったのだと納得していた。





 わかったわかった、皆の衆。もう十分だ。


 我も我もと止まることのない奴隷たちの声を押し止めて、その男は周囲を忙しなく行き来する部下を呼んだ。


 おい誰か、こいつらにも飯を食わせてやれよ。猫の手も借りてえ状況だろ。


 すぐに温い汁物が運ばれてきた。村の備蓄と思われる黍餅に干し肉まで振舞われ、奴隷たちは飛び上がらんばかりに喜んだ。


 それを見届けると男は(きびす)を返した。部下に手渡された袖のない外套を羽織り、待たせてあった馬に騎乗する。馬首を南に向け緩やかに歩を進めれば、すぐ後を二十余りの騎兵が続いた。手に持つ得物が狙うのは、村から逃げた三人の奴隷たちだろう。

 チキータにはそれを見ていることしかできなかった。


「これで俺たちは助かる。悪いがあいつらには犠牲になってもらおう」


 チキータの口を塞いだまま、フェデリコは言った。


 遠ざかる騎兵の後姿を見つめながら、チキータは泣きじゃくる少年の顔を思い出していた。皆の前から消え去る直前、剣を握り怯えた様子の少年は何かを求めて必死に視線をさ迷わせていた。チキータは彼を呼んだ。それでも、彼は気づかなかった。彼が求めていたのはきっとその名ではなかった。


 もしも、とチキータは思った。


 もしも、彼の望む名を読んでいたら、少年はどこかへ消えたりしなかったのだろうか。死んでしまった導師の代わりに、自分が拠り所となれたのだろうか。


 ――エイジ。


 チキータは呼んだ。ずっと、死に別れた弟のように思い、いつしか照れくさくて顔も見れなくなっていた相手のその名を、初めて口にした。


 あまりにも遅すぎた。聞こえるはずがなかった。


 チキータは大切なものを失った。


 二度と取り戻せないからこそ、彼女の涙は止めどないのだった。


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