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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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四十七、罪と罰と祈り

 なあ、聞いたかい。また死体があがったってよ。


 街道筋の宿場だろ。聞いてるよ。今度は二つだってな。


 朝になって様子を見に行くまで、旅籠の親父も気づかなかったそうじゃねえか。屈強な男が二人、部屋の中で真っ二つにされたってのに。おっかねえ話だよ、まったく。


 行商風情の男たちが円匙で椀をかき混ぜながら囁き合う声は、聞いていて心地の良い内容ではなかった。半分も手をつけられなかった麦餅と鳥の煮込みの代金を卓上に置いてすぐに席を立つと、急ぐ足で通りを抜け路地へ入る。


 人気のない路地裏を行く間も靴は忙しなく石畳を蹴った。焦燥と期待で視野は狭い。つま先は何でもない石畳の出っ張りにつまづいた。


 弾みで肩に背負っていた長持ちの蓋が開く。中から飛び出、わずかに傾斜のついた路面を転がっていく干し肉や乾酪、袋の口からこぼれた銅貨。


 舌打ちして追いかけ、一つ一つを拾い上げる。砂埃を払って長持ちへ。整理する暇も惜しい。


 その時、不意に銅貨を載せた掌が差し出された。托鉢の導師が親切にも拾い集めてくれたらしい。


「どうも」


 礼を言って受け取ると、頭巾付の黒い僧衣を羽織った老齢の導師は尋ねた。


「旅のお方、随分お急ぎのようですが、どちらへ?」


 話しかけられた事も、その内容も、思いがけないものだった。


「ええ、その」咄嗟に言葉が見つからず、言いよどんだ末、「少し、西の方へ」と曖昧に答える。


「西と言うとエピヌイユか、ルシヨンの辺りですか」


「まあ、そんなところです」


「ならば道を間違えておいででは? 大通りの駅から乗合馬車が出ていますよ。よろしければ拙僧が案内いたしましょう。さあ」


 大きな手で肘の辺りを掴んだ坊主は、返事を待たない強引さで早くも辻を折れようとしている。


「いや」振り解こうと強張る体に、伴う声も自然と大きくなる。「案内はいりません、結構ですから」


 怒声に近い拒絶は人気のない界隈に存外大きく響いた。あんなに強い力で取っていた腕をあっさり解放して、立ち尽くしたままこちらを見つめる老人の沈黙が気まずい。


「街道沿いは物騒な噂が絶えないので、間道を行こうかと。なので」


「ああ、流れ者を狙った、強盗の話ですか」


 苦く重い何かが、唾液と一緒に喉奥へ落ちる。


「強盗と言う割りに物を取られた形跡もなく、被害に遭ったのはいずれも他所から来た流れ者で皆武器を携行していた。これは奇妙だとしきりに囁かれているようですな。見れば貴方もお一人で旅のご様子。なるほど、賢明なご判断かも知れません」


 うまく飲み込めない違和感を胸につかえさせたまま、口は別の疑問を吐き出した。本能は危険を察知しているらしい。鼓動は早鐘を打ち、発する声は震えている。


「何故、そんなにお詳しいのです?」


「さて」


 微かな笑みを浮かべて答えた老僧は、敵意がない事を示すように両手を広げて続けた。


「拙僧の顔をよく見れば、何か分かるやも知れませんぞ。ほら、もっと近くに寄ってよく御覧なさい」


 近づいてはいけない。今すぐ逃げるべきだ。それなのに体は言うことを聞かなかった。すぐそこに、この胸につかえた何かをとる答えがあるのだ。思えばこそ体は自然と前にのめる。


 しかしどれだけ凝視したところで、そこにあるのは今日初めて目にする老人の顔だった。今まで会ったことはない。絶対にないはずだ。ただ、何故かその全身から漂う雰囲気には恐れや敬意を抱かせられる何かがあった。


「まだ分かりませんか? ならばこれでどうです?」


 皺一つ見受けられない手が頭巾に掛かる。天日の下、露わになったその相貌を目にして、ディノ・ディアスは堪らず石畳にへたり込んだ。


「あ……ヴァ、ヴァルター……隊長、殿」


 大儀そうに腰を叩いて背筋を伸ばす偉丈夫はどう見ても先ほどまで相対していた老人とは思われなかった。


「いい反応だな、ディノ。張り切って芝居した甲斐があるってもんだ」


 ヴァルターは悪戯っぽく口角を上げて僧衣に付いている頭巾を仰いだ。


「種はこいつだよ」


 再び頭巾を被ると、ヴァルターの顔は一瞬で先ほどの老人のものに変わった。そして再度頭巾を脱げば、また整った顔立ちに戻る。


「『変面』って『魔法』が掛けられた特製の外套だ。かなり高級品らしいぜ、ヤン先生曰く。まあ、変えられんのは顔だけだから声やら仕草やらは全部自分で頑張んなきゃならねえわけだが、我ながら中々役者だっただろ、なあ?」


 ディノは何も答えられず、ただ黙って相手を見上げた。違和感も疑問もすでにない。目の前にいるのは、いかなる戦場においても必ず勝利を約束してくれた、肩を並べて戦うならばこれ以上頼もしい存在も他にないはずの傭兵隊長、白狼ヴァルターその人なのに、今の彼はその姿を見て安堵できる立場にないのだった。


「無駄話はこんくらいにして本題に入るか」ヴァルターは相手を見下ろしたまま続けた。「聞かせろよディノ。軍馬兵糧と宿所の配置、うちの陣容を敵に流したのはお前ら輜重の将校だろ?」


 ディノが息を飲む。反論でも否定でもないそれは肯定を意味するも同じ反応だった。ヴァルターはなおも続けた。


「何で仲間を売った? お前に言う義務はなくても、俺には聞く権利があるはずだぜ」


 尋ねる口元にいつも見慣れた笑みはなかった。その冷たい表情はディノに喋り方を、息の仕方すらも忘れさせた。返事を待たれるディノの口から短く早い呼気だけが漏れる。


 ディノの呼吸が整うまでヴァルターは辛抱強く待ったが、落ち着きを取り戻してからも問いかけに対する返事はない。怯え竦みながらも逸らさない目が答えの代わりなのだとヴァルターは理解した。


「言いたくないならそれでもいい。どんな理由が聞けたところで、別に結果は変わらねえからな。しかし互いに忙しい身だ。とっとと終わらせちまおうぜ」背面に隠していた長剣を取り出して鞘を払う。「得物を出しな。まさか丸腰でエスパラムまで帰れるつもりでもなかったんだろ?」


 ディノは立ち上がり、ヴァルターに言われるまま長持ちから派手な拵えの長剣を取り出した。恐怖で視界が滲み、震える歯がかちかちと音を立ててもなお、彼は鞘から剣身を抜いた。


 両者二間の間合いで相対し、そしてディノが、破れかぶれの咆哮と共に大上段から斬り掛かる。


 ヴァルターは苦もなく剣を払ってそれを捌くと、返した刃をがら空きになったディノの腹部へ深々と突き刺した。


 ディノの手から落ちた煌びやかな長剣が音を立てて石畳を転がる。臓腑から溢れ出す血が、勢いよく彼の口から飛び出た。


 片手でディノを串刺しにしたまま、ヴァルターは冷めた目でその苦しむ様を眺めた。柄を捻って息の根を止めてやるのでもなく、剣を抜いて束の間苦しみから解放してやるのでもなく、止めどなく流れる血が石畳の上で血溜りになっていく様子をただ黙って見つめ続けた。


 緩やかな路地の傾斜が猛禽を模したその長剣を目も眩むほどの赤で染めていく。ディノは半ばほど足を宙に浮かせながら必死に体を貫く異物から逃れようともがいた。しかしやがてもがく体力すらなくして脱力すると、ようやく剣は下ろされた。


 自らの身から生じた赤い水溜りの中にうずくまるディノは、切れ切れになる呼吸に最後の怨嗟を乗せて漏らした。


「あいつは……エイジは……ギョーム様の……仇だ。……だか、ら」


「知ってるよ。思い返せばけしかけたのは俺だしな」ヴァルターは長剣にこびりついた血を布切れで拭いながら続けた。「けど、だからって隊を巻き込んでいい理由にはならねえだろ。テメェとエイジの因縁なら、テメェらだけでけりをつけりゃあよかったんだ。決闘でもなんでもして、堂々と。とばっちりで死んだやつらにしてみりゃあいい迷惑だぜ」


 ディノは大きく咳き込んだ。苦しみ方の割りに吐血の量は多くない。ヴァルターは剣を納めてそれを見下ろした。


「あんただって……負けた……そんな、やつに……俺一人……勝てる、わけが……!」


「やってみなきゃ分かんねえだろうが、そんなことは」


 慰めのつもりで言っているのではなかった。エイジの扱う武術がかなり危うい力であることを彼は知っていた。


 『闘技』の習熟者は特別意識することなく相手のマナの動きに注意を払う。自身の繰り出す攻撃、技の数々がマナの存在に依拠するものだからである。


 故にこそマナに頼らず身体の操作のみで行使し得るエイジの武術とは相性が悪い。『闘技』に長けた戦士ほど武術の為せる不可思議な動きに対処するのは困難なはずだった。実際に戦ってみれば強者を自負するそこらの騎士よりディノのような相手の方がかえってエイジを苦戦させるかも知れない。


 もちろん、それでもエイジは負けないだろうとヴァルターは読んだが、その予測とて絶対ではないのだ。


 浅い呼吸も、ついに止まろうとしていた。意識などすでにないかも知れないが、ヴァルターは告げた。


「祈れよ、主神エデンにでも。テメェのために俺は祈らねえからな」


 か細い声が聞こえた。懺悔だろうか、罪を悔いているのか、あるいは最後の最後まで恨み言を吐き出しているのか。いずれにしてもヴァルターには分からなかったし興味もなかった。彼にとって、もう全ては終わったことなのだった。


 やがてその声も微かな呼吸も完全に聞こえなくなると、ヴァルターはそ知らぬ顔で陰惨な現場となった路地裏を後にした。ぼんやりと晴れ渡る空など眺めながら当て所なくしばらく町並みを歩き、ふと視界に入った建物を見やる。高い屋根に六芒星を掲げる聖教会の聖堂だ。


 ヴァルターは周囲に目を配らせ、人気がないことを確認すると庇に手を掛けて軽々と屋根の上に上がった。


 見晴らしのいい高所から、ディノが希望を求めて目指した西方を振り返る。一面の枯れ草色の中に街道の石畳が数本の線を引く。その道に沿ってさらに西へと視線を追っていけば、点々と目に付く暗い色合いはオートゥリーヴの焼け野原か。ならば視認は出来ずともラ・フルト侯領の主都ルシヨンまではほど近い距離のはずだ。


 またずいぶん遠くまで来ちまったもんだな、とヴァルターは思った。そろそろ戻らなければならない。裏切った者たち全てに報復出来たわけではないが、いよいよ隠密に動くのも厳しい状況となってきたし、あまり国境から離れ過ぎるのも良くないだろう。敵中深く入り込めばそれだけ捕捉される危険も増すのだ。ここらでひとまず区切りにしなければ、また軽くはない痛手を負わされかねない。それと、帰りにヴィントの墓だって見舞ってやりたかった。


 仕留め切れなかった者たちに幸せな未来を享受させるつもりはない。いずれ戦場で、そうでなくともどこかで再び見えることがあったなら、必ず報いを受けさせる。汚いまねをしたラ・フルトの連中も同様に、その身で代償を払わせてやる。


 ――だから今はこれまでだ。皆、少しの間、待っててくれ。


 ヴァルターは散っていった仲間たちの顔を一人一人脳裏に思い描いて、彼らのために祈りを奉げた。


 祈る時間が長くなるだけ、払った犠牲の大きさを痛感する。返す返すも多くのものを失ったものだ。なかんずく大きな喪失感は初陣を共にした幼馴染を失った為だった。友としても部下としても彼以上に信頼出来る相手はいなかった。彼の存在は白狼隊にとって脚の一本に相当した。それをなくしてなお進まねばならないこれから先の日々を思うと、楽観主義のヴァルターでも暗い気持ちに苛まれた。


 ヴァルターは再び西の彼方を見やった。ほんの一月ほど前に、すぐ目前まで迫っていたルシヨンの城壁をオートゥリーヴ平野の向こうに思い浮かべながら、心の中で天の国へ語りかける。


 ――お前を失うことになったんだ、ライナー。代わりにラ・フルトの一つでももらわなきゃ割に合わねえ。そうだろ?


 ヴァルターは一人微笑んだ。天の国のライナーが、「足りねぇよ、それでも」と答えたような気がした。


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