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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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四十四、あるいは朗報

 執政次官の執務室へと急ぐ西都警備総監ヴィンチェンツォ・ガルビンの足取りは軽かった。無愛想が基本の彼にしては珍しく、その表情には――彼を良く知るものにしか分からない程度のものではあるが――僅かながら生き生きとしたものが見受けられる。


 訪いを告げる間も惜しんで木戸を開けると、開口一番にやや弾んだ声で彼は切り出した。


「お耳に入れたい話があります。宜しいですか?」


 問われた執政次官アマデオ・ルッフォは対照的な表情で答えた。


「良い話なら、ぜひともお聞かせ願いたいね」


 疲労と心労が重なっているらしい。こちらはこちらで普段ならあまり見せない物憂げな面持ちで椅子に深く身を預けている。


 ヴィンチェンツォはそんな上役の様子を気にも留めずに続けた。


「白狼隊がラ・フルト侯領内で奇襲に遭い潰走したそうです。隊長以下主だった幹部も消息不明。ラ・フルト侯軍は国境まで数万規模の軍を展開し、何としても白狼を逃すまいと捜索に熱を入れているようですな」


 アマデオは頭を抱えて俯いた。


「ちっとも良い話じゃねえじゃねえか」沈んでいきそうになる上体を、机についた両肘が何とか支える。「勘弁してくれよ次から次へと」


 困り果てている上役の姿を見ても、ヴィンチェンツォは表情を変えずに言葉を継いだ。


「考え方によるでしょう。私はこの件を朗報と捉えましたよ」

「何だよ? 何がどうめでたいってんだ?」


 アマデオは机に身を乗り出したまま上目遣いに相手を見上げた。ヴィンチェンツォはわずかに口角を上げて答えた。


「白狼がいなくなれば我々の手で軍権を掌握できます。稲妻隊と、将来的にはこの街の支配権をあなたの手に取り戻す絶好の機会がめぐって来たと、そう思いませんか?」


 思いもよらなかったらしい問いかけに対するアマデオの反応は遅かった。言葉の意味を理解して、相手の顔を今一度見上げて、背筋を正す。たっぷりと間を空けた後アマデオは尋ねた。


「正気かよ、ヴィンチ?」


 ヴィンチェンツォは何も言葉を返さなかった。ただ口元に小さな笑みを残したままほんのわずかに首肯した。


「軍監殿がいるだろ。稲妻隊を取り戻すったって、そう上手くいくのかよ?」

「問題ありません。彼は軍政の手腕を買われて出世した政治畑の人間です。白狼亡き後の西都防衛にあたってはむしろ彼の方から我々を頼らざるを得ない状況になるでしょう。もし対立することになったとしても実力での排除が可能な点を考えれば、白狼に比べて遥かに与しやすい相手といえます」


「ラ・フルト侯軍はどうする? 俺たちだけでやつらと戦っていけるのか?」

「戦う必要などありませんよ。この戦はエスパラム公とラ・フルト侯との間で起こった諍いです。ルオマ公家から領地を預かっている我々に介入する義務はない」


「どういう意味だ? 俺たちこそ当事者のエスパラム公に属する立場じゃねえか。現に白狼隊はエスパラム公家の旗だって掲げて」


 眉根を寄せるアマデオの脳裏に閃く場面があった。ほんの数日前のことだ。こんな情勢下で軍監カリストの下を訪ねるラ・フルト侯からの使者がいた。訝る様子もなく相手を自室へ通した軍監が、二刻あまりの会談でその使者と一体何を話し合ったかはアマデオの知るところではなかったが、それから程なくして白狼隊がラ・フルト侯領内で奇襲を受けたとあれば二つの事柄には偶然以外の関わりがあると見ても不自然な推理ではないはずだった。


 軍監はエスパラム公からの独立を図っている? そのために邪魔な存在のヴァルターをラ・フルトに売ったのか?


 たどり着いた結論を、アマデオは口に出せなかった。切れ者の元副隊長に尋ねて、もし肯定されてしまえば、それが事実と認めざるを得なくなる。


 ここ最近の嫌な胸騒ぎの理由がようやく判明したと言うのに、アマデオの心は少しも晴れなかった。彼は不愉快な現実を確認せずに話を進めた。


「今の俺たちはラ・フルトにとって格好の獲物だ。こっちにその気がなくてもやつらの方が放っといてくれるとは思えねえが」

「その時は素直に頭を下げれば宜しい。エスパラムからラ・フルトへ、仰ぐ旗が変わるだけです。このご時世なら珍しくもない」


 淡々と答えるヴィンチェンツォに、アマデオは尚も反論を捜した。


「ルオマ公家は、エスパラムにこの街を預けてるって建前だろ。そんな勝手なまねして黙っててくれるのかね」

「結婚もしていない十四、五の小娘の一体何を恐れる必要が? 後ろ盾となるラ・ピュセル侯にしても同じことですよ。断言したっていい。ブリアソーレが平穏に治められている限り、こちらから進んで刃を向けるのでもなければ徒に事を荒立てようとはしないでしょう」


 アマデオはついに返す言葉をなくした。神妙に口をつぐみ、それでも思考は別の答えを求めてさ迷う。


 ――何か、何かないのか? ヴィンチがまくし立てる整然ととした理屈を跳ね返せるようなネタは……。


 いくら考えても妙案は浮かんでこない。それもそのはずだった。長年稲妻隊の頭脳となって自身を支えてきた元副隊長に、自分ごときの弁で太刀打ちできるなどとはアマデオは到底思っていないのだ。


 しかし、それでもアマデオはヴィンチェンツォの提案に肯こうとしなかった。成算があろうが利があろうが、こんな話に乗りたくはない。乗るわけにはいかないのだった。


 ――どうしてかって? 決まってるだろ。


 アマデオは組んだ両手で無精髭を弄びながら口を開いた。


「なあヴィンチよ、冷静に、客観的な意見ってやつが聞きてえんだが」


 ヴィンチェンツォはわずかに目を見開いて元隊長を見た。アマデオはそのままの姿勢で続けた。


「俺とヴァルター、戦が上手いのはどっちだ?」


 今度はヴィンチェンツォにとって思いがけない問いだった。若干の間の後、ヴィンチェンツォは微かに眉根を寄せて答える。


「……白狼ですな」

「戦の上手いやつと下手なやつなら、ブリアソーレの皆はどっちが上に立つのを望んでると思う?」

「それは、一概には答えられません」

「何故だ?」

「判断材料に不足があるからです。状況や、立場によって統治者に何を望むかは変わるでしょう。戦の巧拙ももちろん重要な判断材料になりますが、それも指標の一つに過ぎません。例え無敗を誇っていても市井を省みない戦争屋なら、市民はきっと歓迎しないはずです」


 言ってヴィンチェンツォは目を閉じた。自身の発言には何らの効果もないと理解しているためだった。少なくとも彼の知る限りブリアソーレ城代は市井を省みない戦争屋でも、市民から疎まれる厄介者でもないのだ。


 ヴィンチェンツォの読み通り、アマデオは表情を変えずに元副隊長の口から彼の望む答えを出させるための質問を続けた。


「なら一つ条件を加えてやる。この乱世ってご時世に、市民が望むのは強い総督か弱い総督か、どっちだ?」


 沈黙がたっぷりと室内を満たした。アマデオは指先でとんとんと執務机を叩きながら相手の答えを待った。やがてヴィンチェンツォは答えた。


「……前者、でしょうか」

「そうだろうな。俺もそう思う」


 元副隊長の答えを聞いたアマデオはすぐさま羽根筆と羊皮紙を取り出すと、すばやく何事か書き付けて紙を丸め、封を施した。椅子を倒すような勢いで立ち上がり、丸めた封書をヴィンチェンツォに手渡す。


「こいつをレノーヴァに届けて欲しい。急ぎで、だが軍監殿には知られたくない。できるよな、ヴィンチ?」

「……可能ですが」


 受け取ったヴィンチェンツォはなお何か言いたげにアマデオを見る。アマデオは迷いのない清々しい表情で彼の肩を叩いた。


「お前に言われて俺も考え方を変えたよ。悪いことばかりじゃない、こいつは確かに良い報せなのかも知れねえってな」

「どういった意味でしょうか?」


 ヴィンチェンツォに問われてアマデオは続けた。


「大動員して捜索してるって事は、ラ・フルトのやつらはまだヴァルターを捕まえちゃいねえってことだ。消息不明でも生きてる可能性は高いぜ。それならまだ、手はある」


 視線は窓の外だが、彼の瞳は街並みを見ていない。その窓は西向きだった。


「そう嫌ってやるなって、ヴィンチ。実際ヴァルターは大したやつだよ。命を預ける相手にするなら、俺なんかよりずっと頼りになる。こんなご時世ならなおのことだ」


 ヴィンチェンツォは答えなかった。少なくとも、否定するような内容ではないと思っていた。アマデオは苦く笑ってそんな彼の肩を叩いた。


「まあ、手を尽くしたって駄目かも知れねえし、そん時はお前の勧めてくれたとおりにするよ。ただ、可能性があるなら俺はあいつを助けたい。あいつが生きて帰ってこられる方に賭けたいと思ってる。だから、ひとつ頼むぜ」


 ヴィンチェンツォは溜め息を吐いた。胸に残るのが諦観や憤懣だけではないことは、彼にとって心外だった。


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