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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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三十七、予期せぬ争い

 枯れ木の爆ぜる音でエイジは我に返った。空はまだ暗いが、炎はほとんど消えかかっている。ぼんやりと座り込んでいるうちに無用心にも少しの間眠ってしまっていたようだ。


 混濁する意識が現状を把握すると、自然口から漏れるのは深い溜め息だった。俄かに拵えた勇気と覚悟は、いざ彼女を目の前にしてみるとまるで役になど立たなかった。勇んで彼女の元へ戻ったエイジは、結局「好きだ」の「好」の字も言えずに、どころか別れの挨拶すらもちゃんと伝えることが出来ずに、何となく気まずい空気を残したまま急ぎライナー達を追いかけるためサラサン人の集落を出ることになった。


 泊まっていけばいいと引き止めるラフィークの気遣いを丁重に断るエイジには一応の大義名分があった。脈がない以上いつまでも単独で行動するべきではない。自分のことを待ってくれているかも知れない仲間たちと、彼はなるべく早く合流しなければならないのである。


 しかし、そんなものは全て目の前の問題から目を背けるための口実に過ぎなかった。エイジは結局逃げたのだ。当てにしていた恋文作戦が急遽中止となり、準備不足は明白だった。それにどうやら彼女は今男性との交際を望んでいないらしい。成否はともかく良し悪しの問題として、今彼女に思いを伝えるべきなのだろうか。いくつもの理由、言い訳を見つけては、結論を先送りにする意気地のなさが、逃げた後になっても彼自身を責め立てた。気持ちよく眠りにつけない夜、口を出る深い溜め息は、要するに自己嫌悪の表れだった。


 何度目かの溜め息の後で、エイジは星々の輝く夜空を見上げた。日の出までまだ二、三刻はあるだろうか。寝ていられなくなるほど気温が上がるまでなら四刻くらいだろう。


 ――寝よう、もう。


 過ぎた事にいつまでも思い悩んでないで、先のことを考えなければ。徹夜が祟って合流前に倒れでもしたら尚のこと馬鹿らしい。しっかり睡眠を取りながら、さしあたって考えるべきはライナーへの言い訳だ。手紙を渡すと約束して別行動を許してもらった手前、ありのままの事実を報告するのはとても気が重かった。と言って、勘の良いライナーに嘘をついてばれずにやり過ごす自信などない。


 どうしたものかと考えながら、エイジは燻ぶっている火を消すために腰を上げた。


 と、その時、傍らで寝息を立てていた一頭と一匹の頭も同時に上がった。


「ごめんごめん、まだ寝てていいから」


 エイジはハナの腿をぺしぺしと叩き、“母”の灰色の頭を撫でようと手を伸ばした。が、その指先が触れる前にエイジの手は止まった。鼻に皺を寄せ牙を剥き、微かに聞こえる唸り声は明らかな警戒の仕草だ。


 「どうした?」と尋ねる間にハナの雰囲気も一変していた。立ち上がり、今はない尾を上げる姿勢のまま半開きの口から小さく威嚇の音が漏れる。


 エイジは腰に剣を差して立ち上がった。彼女らが揃って睨みつける闇の中に、黒い装束が一つ、二つ、少なくとも三人はいるようだった。


 見覚えのあるいでたちだとエイジは思った。二年ほど前ルオマのどこかの街で同じように焚き火を囲んでいた時、やはり突然現れて襲い掛かってきた三人組と、彼らは全く同じ特徴を有していた。


 エイジは努めて左手を鞘から離し、(つたな)いサラサン人の言葉で語りかけた。


「君よ平らかなれ、寛大派、マフディ・アル・ディーンの友、我は」


 エイジの言葉はそこで途切れた。争う意思がないことを伝えようとした刹那、温厚な“母”が相手の一人に飛びついていた為だった。


 制止しようと身を乗り出したエイジは、直後に彼女の行動と判断が正しかったことを理解した。なんとなれば、荒ぶる“母”が牙を立てる黒装束の手には、長い袖布に隠されて見えなかった白刃が星明りを受けて確かに煌めいているのだ。


 エイジは咄嗟(とっさ)に足元の残り火を蹴り飛ばした。灰と火の粉が舞い上がると、同時に剣は鯉口を切る。話の通じる相手ではない。もし違うと言うなら、武器を隠したまま音もなく近寄ってきたりなどしないはずだ。“母”とハナが気づかなければ、彼はきっと声を上げることすら許されずに命を落としていたはずだ。


 エイジの予測を肯定するように、噛み付かれた一人と、一瞬だけひるんだ二人は即座に動き出していた。鼻面を短剣で切り裂かれ、“母”は悲鳴を上げて砂の上を転がった。残りの二人は隠す必要のなくなった両手の短剣で風を斬るや、無言のままに息を合わせてエイジに迫る。


 首元を狙った一閃はエイジの喉に届かなかった。膝の力を抜いて素早く間合いを外したエイジは、それと同時に下段から(すく)い上げるような斬撃を繰り出して伸展し切っていた相手の右腕を斬りつけた。


 肉を裂く鈍い感触がエイジの手に伝わる。快い感触では当然ないが、しかし、流石に二年も傭兵をやっていれば躊躇う隙など生じなかった。エイジは瞬時に体を入れ替え、上段からの一刀で呻きくずおれる黒装束を斬り伏せた。


 苦悶の動きと呻き声を止めて不意に脱力した男は、今しがた切断されたばかりの自身の右腕の傍に寄り添うようにして倒れ込んだ。倒れた拍子に胴から離れた頭が、同じく一刀の下に黒外套から切り離された頭巾を巻き込んで砂上を転がる。


 露わになった相手の面相を気にしている余裕はエイジにはなかった。その間も左と、やや遅れて右側から二名の刺客が間合いを詰めていた。


 先に迫る左側の敵をエイジは一切無視した。それを好機と捉えて飛び込んだ相手の顔面に、ハナの繰り出す強烈な頭突きがめり込む。黒装束はその場でぐるりと一回転して砂と灰の混じった地面に(したた)か全身を打ちつけた。


 最後の一人となった相手は“母”に噛まれた左手をかばうようにしながらも果敢にエイジに向かっていった。大胆な踏み込みと左右の順手から展開される絶え間ない連続攻撃。


 しかし、正面から対峙するエイジの目には、それは拙い連係に見えた。一つ一つの動作が大振りで動きの予測が容易に立てられる。大胆な間合いの詰め方も、実際には追い詰められて自棄になっているだけなのだろう。


 エイジは負傷のため強く握れていないであろう相手の左手を内藤流独特の構え、後ろに寝かせた八双から不意に払い上げた。


 案の定、短剣は宙を舞った。だが、相手は尚も攻めを続けるようだった。先ほどよりもさらに大きくなった振りで甲高い叫びを上げながら、いよいよ捨て身の猛攻に出る。


 が、振り上げた短剣は到底エイジに届かぬ位置で止まった。踏み出そうとするその足に背後から忍び寄った“母”が仕返しとばかりに噛み付いたのだ。


 苦痛に喘ぐその隙に、エイジはもう一方の短剣も弾き飛ばした。そのまま腕を取って組み伏せると、まだ抵抗しようともがく相手の背中に体重をかけてはたと動きを止める。可能なようだったから捕虜に取ったが、しかし、そうしたところでどうしようと言うのか。エイジは一応拙いサラサン人の言葉で相手に伝えた。


「我は寛大派、マフディ・アル・ディーンの友。聖典を読む。唯一の神の名を知る。武器は持たない」


 しばしの沈黙の後、酷い罵倒と思われる喚き声が響いた。それに煽られた“母”とハナの吠え声による大合唱が始まる中、エイジは急な頭痛に頭を抱えたくなる思いだった。


 やはり相手はサラサン人だ。言葉の端々から「聖典」や「神」と言った単語が聞き取れる。


 が、尋問しようにも彼の言語能力ではまともな会話が成り立ちそうにない。何に対してかは分からないが問答無用で命を奪おうとするほど腹を立てているようだし、解放すればまた襲われるかも知れない。と言って無力化した人間の命を奪うなんてことはエイジには出来なかった。武器を取り上げ、抵抗出来ないように縛って放置すると言うのは、人里ならともかくこの砂漠では直接手を下すのとさして変わらないだろう。


 やはり、迷惑覚悟でラフィークのところに突き出すべきか。正当防衛を主張する気持ちに嘘も抵抗感もないが、一人殺めてしまったのは事実である。しっかりと釈明し、事情を把握しておかないでいたら、また同じような目に遭わないとも限らないのだ。


 考え込んでいたエイジはふとした違和感に視線を下ろした。締め上げている腕が妙に細い。肩幅は狭く、先ほどから止まらない喚き声も、きんきんと耳に響く高音である。


 まだ年若い少年なのか。だとしたら大人気ない真似をしてしまった。エイジは目深に被ったままの頭巾を剥いでその面相を検めた。


 横顔に瞬いているのは薄い金色の星だった。砂にまみれた褐色の肌とうなじまで隠す茶色がかった黒髪の中に、敵意の込められた明るい瞳がエイジのことを絶えず網膜に焼き付けようとするかのように睨んでいた。苦々しげに唇を噛み、尚口は罵倒の言葉を止めようとしない。きりと整った太い眉は、そのまま意思の強さを表している。屈しはしないぞと固く決意する女の横顔は、思わず見とれてしまうほど美しかった。


「女、なのか……」


 エイジは確かに理解したはずの事実をはっきりと口にせざるを得なかった。彼にとって女性とは、か弱い存在であり暴力の犠牲者であり、つまりは庇護の対象に他ならなかった。戦いの場に、命のやり取りをする所に、敵として女が現れるなど、これまでの経験にはない。それ故、彼は知らぬこととは言え女性を相手に暴力を振るってしまった事実に戸惑っているのだった。


 それなりの場数を踏んでいても尚、予期せぬことが起きれば人は居着いてしまう。


「あ!」


 完全な油断だった。動揺のあまりエイジは締め上げる手の力を無意識に緩めてしまっていたのだ。例え関節を極められていても、マナを集める集中力さえ保てればエイジ程度の拘束を振りほどくことなど造作もない。


 女の振りぬいた裏拳がエイジの鼻を強打した。直後、首元で生じた鋭い痛みにエイジが仰け反る間に、女は彼の下から逃れて今にも飛び掛りそうな“母”とハナに睨みを利かせる。


 鼻と、首筋から熱い血潮が垂れ落ちて、砂と衣服に染みを作った。痛みの元をまさぐる指は左耳のやや下辺りで皮膚に突き刺さっている何かに触れた。硬い針、いや釘の様な物だ。


 いつの間にやられたのか、それが何なのかは今のエイジにとってあまり重要ではなかった。危険な位置だ。動脈を、傷つけているかも知れない。出血の為ではない寒気が、エイジの感覚を集中させる。


 エイジから二間の間合いで、女は彼と正対していた。武器を探しているのか、視線をエイジと左右の犬と馬竜との間でさ迷わせながら、両手がしきりに砂の上を滑っていた。


 分は依然としてエイジにある。が、エイジは腰を低く落としたまま、中々仕掛けようとしなかった。


 躊躇いの気持ちがないわけではない。しかし、今彼の行動を縛っているのはほんの些細な違和感だった。ハナと“母”、彼に比べればずっと短気で誰が相手だろうと容赦などしない獣たちが、この緊張状態の中、敵を目の前にしながら、妙におとなしい。圧倒的有利な状況に戦意をなくしているわけではなかった。“母”はしきりに吠え声を上げ、ハナは忙しなく足で砂をかいているのだ。彼女たちも未だ臨戦態勢を解いていないが、その注意はまるで目の前の女を向いていないようだった。


 動悸が収まらなかった。不安に曇るエイジとは反対に、相対する女は見る間に平静を取り戻していく。得物を探し当てた様子もないのに手の動きは止まり、犬と馬竜を見ていた目はエイジ一点に据えられたまま動かない。


 と、女は不意に口角を上げ、何も持っていない右手を自らの額の前へ動かした。三本の指を束ねた手は、胸の前、左肩、右肩へと位置を変え、その軌跡に淡い光を残した。


 続く女の呟きを、やはりエイジは理解することが出来なかった。ただ、この状況で行われる神への祈りが、彼にとって喜ばしい意味など持ちようがないことだけは理解出来た。


 その時“母”の吠え声の質が変わった。より速く、より低い、それはなるべく強い自分を見せることで相手を威圧する類の声だ。


 相手とは無論丸腰で負傷も明らかな目の前の女の事ではない。夜風にはためくいくつもの黒装束に、気づけばエイジ達は周囲を囲まれていたのだった。


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