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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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三十四、兄弟

 空位二十三年中秋の二日の夜が更けていく間にも、ライナー率いる別働隊が本隊の見舞われた不意の急襲を知ることはなかった。同日の夕刻前に砂漠を抜けた彼らは、アレイラック伯領最南端の都市アンマリテルにて除隊希望者への給金の支払い等隊の再編作業を行い、この日はそのままここに滞在して除隊者の送別会を兼ねた戦勝の宴を催していた。


 街中の娼館に陽気な荒くれ者たちが押しかけ、あぶれた酔っ払いどもが飲めや歌えやの大騒ぎで通りを狭しと練り歩く。市民の平穏を犠牲にして行われる酒盛りは、一向に治まる気配を見せぬまま夜も忘れよと繰り広げられた。


 弩第一大隊所属、通称「大食いペペ」ことペペ・ナイトーも、本来ならその輪の中に加わり特技の域に達した大食で場を盛り上げているところであったが、どう言うわけか大通りのそこかしこで(たむろ)する男たちの集団の中に彼の姿はなかった。


 何を食べても美味くない。そんな経験はペペの人生にとって初めてのことだった。食事中も彼の心を苛むのは、行方をくらませた兄貴分とそれを探すために別れた弟分の安否である。兄貴は大丈夫だろうか。エイジは兄貴を見つけられただろうか。考えていると汁物を(すく)う匙の動きも止まり、頬張った肉の味さえ分からなくなった。


 出されたものだけを事務的に平らげたペペは、勧められた酒を辞してあてどもなく街をさ迷い歩いた。祝宴の雰囲気は今のペペにとって心地良いものではなかった。自然と人気を避け、無意識の彼がたどり着いたのは今宵の宿となる旅籠の裏口だった。一階の食堂より漏れる酒宴の賑わいから目を背けながら、勝手口の把手に手を掛ける。と、背けた視線は厩の(ひさし)で止まった。


 ペペは生来から短慮にして単純な男である。愛馬イフサンの顔を見るやふと思い立ち、そのまま手綱を引いて彼を馬房から出した。砂漠を抜けたのだからもう案内役も必要ないじゃないか。すぐに戻って、エイジと一緒に兄貴を探そう。思うが早いか鞍に跨り、ペペは誰にも告げずに街の南門を目指して駆け出した。


 軽快に石畳を蹴るイフサンの足が徐々に速度を落としたのは、ちょうど市門を視界に捉えたあたりのことである。


「どうしたんだよ、おい」


 ペペが踵で腹を小突くと、彼の愛馬は人気のない通りに顔を向けて低く鳴いた。


 眉根を寄せるペペは、闇の中からイフサンの声に応える鳴き声に気づいて目を見開いた。


「兄貴……?」


 雲間から漏れる月明かりが、通りに落ちる闇を払う。そこに立っていたのは一頭の馬竜とそれに跨る黒の頭巾外套。見慣れた背格好に帯びている派手な拵えの逸品は、行方知れずとなっている兄貴分の愛剣と瓜二つだ。


「兄貴! やっぱり、兄貴だろ!? 良かった、無事だったんだな! 本当に」


 主人の意を受けてイフサンが小走りする。二頭の馬竜が鼻面を合わせると、ボリスは目深に被っていた頭巾を脱いで口端を上げた。


「お前も、元気そうじゃねえか、え、ペペ?」

「元気だよ、俺は」答えるぺぺは嬉しさのあまり涙ぐみながら当然の疑問を口にした。「兄貴こそ、どこに行ってたんだよ? みんな心配したんだぜ。エイジなんて今もきっと兄貴のこと探して」

「それだ、それ」


 ペペの言葉を遮る声は妙に明るかった。待ってましたと言わんばかりに(くつわ)を並べ、弾んだ声音でボリスはペペの耳にささやいた。


「喜べよ、ペペ。城が手に入るぜ。俺たちの城だ」

「? 何の話だい?」


 突然突拍子もないことを言われて、ペペは首を傾げる。ボリスは構わずに話を続けた。


「聞いて驚けよ。なんと俺の親父はラ・フルト侯領に城を持つ貴族の家柄だったらしいぜ。何の証拠もねえ話だから、俺もすっかりお袋がガキ相手に適当ふかしてるもんだと思ってたわけだが、運の良いことに俺の生まれを証明できるやつがその貴族の領地にはまだいくらか残ってるらしくてな、今ならたまたま跡継ぎがいなくてお取り潰しになったその家を、俺が継げるって話になったんだよ。それもラ・フルト侯のお墨付きで、だぜ?」


 興奮したボリスはペペの大きな背中を乱暴に叩いた。心底愉快で堪らないらしい。こみ上げる笑いを抑えながら、潜めたいはずの声は自然と高くなっていた。


「身一つで出てきたエスパラムの奴隷が、いきなり城持ちの領主。そんで領主さまが一声掛ければお前は明日にでもお城勤めの筆頭騎士だ。こんないい話もねえだろ、なあ?」

「すげえや、そいつは……城持ちか……騎士か……」


 ペペは素直な感動を口に出した。話の筋はいまひとつ理解出来なかったが、理解出来た単語を繰り返すだけでも事の重大さ、兄貴分の喜びが確かに実感出来た。


「そうなったらきっと、皆驚くだろうな。それに、喜んでくれるだろうな。なあ、兄貴」

「皆? 何いってんだよ。俺とお前の出世の話を、他の誰が喜ぶってんだ」

「誰って、白狼隊の皆だよ。それにエイジも」


 ボリスは少し首を傾げると、すぐペペの勘違いに気づいて大笑いした。


「間抜けたこと抜かしやがって。ラ・フルトに城を持つってことは、エスパラム公とも白狼隊とも手を切って独立するってことだ。要するに鞍替えだよ、鞍替え。この前まで自分と同じだったやつが急に他所で貴族だ騎士だってなったら、喜ぶよりもやっかむやつの方が多いんじゃねえか? 少なくとも俺は面白くないね」

「鞍替え」


 ペペは小さく繰り返した。足りない理解力で必死に兄貴分の話を考える。喜ばしいはずの出世話が、不意にやってきた不安に塗りつぶされて、ちっとも喜べなくなってしまった。


 ボリスは曇る弟分の表情を気にも留めずに溜め息を吐いた。視線の先では今なお明るい市街の中心が、彼らとは対照的な喧騒を夜風に乗せて周囲へ飛ばしていた。


「まあ、今となっちゃどうでもいいことだけどな。妬まれようが恨まれようが、俺たちにはもう関係なくなるんだ」


 突き放すような冷たい言い方に、ペペはとうとう口を開いた。


「兄貴、それは、いいのかな? そんな、勝手に鞍替えなんかして、さ」


 声は小さく、歯切れも悪い。口に出した当人すら、何が問題なのかはっきりとは理解していない問いかけ。だが、それは兄貴分のやり方に明確な異を唱える言葉だった。


 ボリスは微かに眉を上げ、すぐに顰めると噛んで含めるようにゆっくり弟分を諭した。


「ぺぺ、ペペ、ペペよ、良い悪いじゃなく損得についてよく考えてみろや。一介の傭兵と城持ちの領主、どっちの方が得かって分からねえか? お前はどっちの方がなりたいと思う? ん?」


 どっちが得かと問えばそれはやはり領主なのだろう。ペペにもそれくらいは理解出来る。そんな問題は考えるまでもないはずだ。しかし、ペペはその簡単で当たり前な答えをどうしても口に出せなかった。


「でも、兄貴、そうしたら皆は」

「だから関係ねえんだって、この際そのみんなってのはよお。足を洗うんだぜ、俺たちは。俺たちだけは。馬鹿の癖にくだらねえことに頭を回すんじゃねえよ。傭兵なんか一生続けてたって二度とありつけるはずもねえ上手い話なんだ。これを逃したらこんな好機はまたとやって来ねえんだって、いちいちいわなくても分かんだろ、お前でも?」


 それはそうかも知れない。一介の傭兵がいきなり城と領地をもらえるなんて、夢かおとぎ話かと疑いたくなるほどおいしい話だ。兄貴分がこの話に大層乗り気で、近い将来城を持てるかも知れないことをとても喜んでいるらしいことはペペにだって理解出来る。だが、兄貴分が領主になることを喜べないのはそんな理由ではないのだ。


 ボリスはいつものように二つ返事で肯かない、やけに頑固で察しの悪い弟分にいい加減苛立ちを覚えていた。栄光を目前に見る彼にはペペの心情が理解出来なかった。


「白狼隊のことなんてもう気にすんなよ。ラ・フルト侯の策が上手く運んでんなら、今頃本隊のやつらは天の国さ。誰も俺たちのやることを咎めたりはしねえし、仮に咎められたって、へ、この世にいないんじゃ恨み言も聞こえやしねえ」


「それ、どういう」

「いいから、お前は黙って俺のいうとおりにしてりゃいいんだよ。今までだってそうだったろ」


 ペペはとうとう返す言葉をなくして口を閉じた。彼の頭で兄貴分を説き伏せることは不可能だった。答えに窮した彼が口に出したのはそれを可能としてくれそうな弟分の名前だった。


「え、エイジは、何ていってるんだ」


 その名を聞いて、次に黙るのはボリスの方だった。爛々と輝いていた表情は一転曇る。ぺぺから顔を背けたまま、ボリスは答えた。


「どうでもいいだろ、あいつのことだって、もう」

「何で、兄貴」


「なんせ剣術指南役で、弓兵頭、つまりは白狼隊の幹部様だ。仮にこの話をしても、あいつは肯かねえし喜びもしねえだろう。どころか賢しらに説教なんか垂れてくる様が目に浮かぶぜ」ボリスは苦い顔で唾を吐いて金色の髪を梳かした。「だからあいつとも縁を切る。勝ち続きのおかげで白狼隊の連中は漏れなく恨みを買ってるからな、手土産に差し出すにはちょうどいい手柄だ」


「兄貴!」


 ペペの怒声が夜の路地に反響した。


 二頭の馬竜は俄かに身を起こし、落ち着かない様子で石畳を掻く。ボリスも彼らと全く同じ気持ちで目を瞬き、弟分を見た。


「い、いきなりでかい声出すなよ馬鹿。びびるじゃねえか」


 ぺぺは激しく頭を振った。


「そんなのって、そんなのってねえだろ」震える声は先ほどの怒声より小さかったが、それは決してボリスの言うことを聞いているためではなかった。「俺たち、ずっと一緒に頑張ってきた仲間じゃねえか。そんな簡単に、手を切るとか差し出すとか、ひでぇよ、そんなの」


「今はそういう時代なんだよ。これからは兄弟二人で生きていかなきゃならねえんだ。割り切れって、ペペ」ボリスは弟分の肩を叩き、周囲に視線を走らせた。「とにかく、こんなところでいつまでも話し込んで誰かに見られたらまずい。場所変えるぞ」


 馬腹を蹴るとボリスの愛馬は駆け出した。しかし、ほんの数間を飛ばしたところでアマニはすぐに足を止める。しきりに後ろを気にしているその様子で、初めてボリスはペペと彼の愛馬が一歩も動いていないことに気づいた。


「おい、ペペ」

「……行けねえ」

「あ?」

「俺、やっぱり行けねえよ、兄貴」


 小さく、だがはっきりと、ペペは告げた。群雲が不意に月光を隠した。高鳴る鼓動に耳を圧され、ボリスはいやに小さく感じる声で無理やり笑って見せた。


「何、馬鹿いってやがんだ、お前」

「馬鹿いってんのは兄貴の方だ!」


 再び発せられたペペの怒号が、人気のない家並に響き渡った。ペペは感情の昂ぶるままに任せて続けた。


「兄貴のいうとおり、俺馬鹿だから、城を持つとか騎士になるってことが、どんなにすごいことなのかよく分かんねえ。けど、このまま兄貴について行ったら、隊の皆とはもう一緒に飯食ったり騒いだりできなくなるって、それくらい分かるよ」


 ボリスは何も答えなかった。弟分の言葉に彼が否定すべき点など何一つないからだった。対してペペの興奮は収まる気配を見せなかった。


「それに、兄弟二人ってなんだよ。兄貴と俺とエイジと、俺たちは三人一緒の兄弟だろ? それなのに、何でもういなくなったみたいにいうんだよ」


 声はいつしか怒り以外の感情を帯びていた。目は滲み、鼻水が出て、ペペは動悸のために胸を押さえなければならなかった。それでも、今までずっと憧れであり指針であった、彼をここまで導いてくれていた兄貴分に、物申さずにはいられなかった。


「村を出て、傭兵になって、大変なこともたくさんあったけど、でもあの時よりずっとたくさん飯が食えてるし、毎日自由で楽しかったじゃねえか。兄貴、どうして城なんか持つ必要があるんだ? 俺、騎士になんかなれなくていいから、皆一緒に、傭兵でいてえよ」


「いつも人一倍食い意地張ってやがる癖に、どうしたんだよ、お前」ボリスはぎこちない笑顔で答えた。「飯なんてなんだ。騎士になりゃあ毎日嫌ってほどのご馳走にありつけるんだぜ? 新鮮な肉と野菜に上等な酒、何だって手に入るさ。そうだ、腕のいい料理人を雇おう。それと使用人付きの屋敷に、自前の屋形馬車、へへ、女だって選び放題だ。特注の服で派手な長剣引っ提げて色町を流せば、向こうの方から寄って来る。娼婦だけじゃねえ、貴族の女だってほっとかないぜ、きっとな」


 彼が早口で語るのは彼自身が求めて止まない、そして彼がどれだけ手を伸ばしてもきっと届かなかったはずの夢の数々だった。彼はこの夢に魅せられて白狼隊を抜ける決断をしたのだ。これを聞けば、きっと弟分の気持ちも動くはずだ。ボリスは半ば懇願する思いで手持ちの札の全てを切った。


 ところが、彼の弟分は怒りと悲しみの入り混じった表情で彼を見つめるだけだった。その巨躯を背に乗せる馬竜は、たったの一歩たりとも動こうとしていなかった。


「分かんねえやつだな! 言ったろ、白狼隊はもう終わりなんだよ!」最早誰かに聞かれるのを気にする余裕もなくして、今度はボリスがペペに怒鳴る。「頼みの白狼は今頃天の国だ! 別働隊にだってすぐ追手が掛かる! 残ったって死ぬだけだぞ!」


 「分かったよ、兄貴」と、いつもだったらとうの昔に答えているはずだったが、今宵のペペはどこまでも分からないやつだった。いや、実際のところ弟分は理解しているのだった。理解して、その上で、兄貴分に従わないのだった。


 周囲を取り巻く家々に人の気配が感じられた。ボリスはいくらか冷静さを取り戻してなお続けた。


「お前はエイジとは違うんだ。あいつみたいに命を狙われてるわけでも恨みを買ってるわけでもねえ。俺がちゃんとラ・フルトに居場所を用意してやる。だから黙って俺について来い、な?」


 ペペは頭を振り、手綱を引いた。そして馬首を反転させ、イフサンにもと来た道を再び戻らせた。初めはゆっくり、でもすぐに速く、二本の足は音を立てて石畳を蹴りだした。


「ペペ!」ボリスは叫んだ。「馬鹿野郎! 戻って来い!」


 界隈は静かだった。ボリスの声が、彼の弟分の耳に届いていないはずはなかった。それでもイフサンは足を止めなかった。程なく夜の闇が彼らの姿をボリスの視界に映らなくさせた。


 アマニは彼らを追わなかった。彼女の主が、ついにそれを命じなかったから。


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