表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
104/131

三十三、油断

 耳障りな大音響。同時に騎士の視界は突然明瞭さを取り戻した。


 騎士と、そしてヴァルターは、驚いて目を見開いた。


 騎士の後方数十間の彼方に大きなへこみをつけた兜だけが飛んでいく。ヴァルターが反撃に放った殴打、相手を生け捕りにしてやろうと加減した攻撃は、騎士が危険を察知して咄嗟に首を竦めるのよりほんのわずかだけ遅かったのだ。まともにくらえば失神は免れ得なかったであろう強烈な打撃は、騎士の兜が一身で請け負った。


 どちらにとっても想定外の出来事が、至近の間合いで双方を同時に居着かせる。


 しかし勝利を確信していたヴァルターより、最後の瞬間まで勝利を模索しようと足掻いていた騎士の方が気持ちを切り替えるのが早かった。あまりに近過ぎ、剣を振る一瞬すら遅れとなるこの間合い。騎士は全体重を乗せた体当たりでヴァルターに突撃した。


 弾き飛ばされたヴァルターの体は民家の薄い漆喰壁を突き破った。家財道具をあらかた巻き込んで、屋内に転がるヴァルターは束の間意識を手放した。


 舞い落ちる(ほこり)に激しく咳き込み、覚醒と同時に襲われる鈍痛と嘔吐感。旅籠を出る時にあらかじめ吐いておかなければ間違いなく今戻していただろう。


 ヴァルターは泡立つ唾液を吐き出しながら、何とか身を起こした。大地が揺れるような感覚と、しつこいほどの耳鳴りが止まない。迂闊なことに愛用の長剣は彼の手を離れている。そんな状態でも強いて立ち上がろうと努めるのは、彼に思わぬ大打撃を与えた騎士が、すでにして自身の開けた大穴へ足をかけているからだった。


 兜を無くした青年騎士は、狭い屋内であることなど一切躊躇わず、抜き身の長剣をヴァルターに突きつけた。確かに、彼らほどの使い手であればこれくらいの障害は障害にならない。その気になれば瞬きするより速くヴァルターの首を刎ねることも出来るのだろう。


 ヴァルターは抵抗の意思がないことを示すように、ゆっくりと立ち上がった。


「貴殿の剣技は見事なものでしたが、天佑は小生にあったようですな」


「そうらしいな。残念だよ」ヴァルターは両手を上げて続けた。「これもまた残念な話だが、捕虜に取る気はねえんだろ?」


「申し訳ない」騎士は微かに眉根を寄せて答えた。「不躾ながら、お命を頂戴させていただく。私としても貴殿ほどの武人を討ち取った栄誉を誇れないのは、まことに遺憾なことなれど、それとても私が背負うべき業ならば、甘んじて受け入れようと、そう決めているのです。しかし」


 騎士はヴァルターの目を真っ直ぐに見て続けた。


「事ここに至れば貴殿への恨みも最早ないのと同じ。私の質問に答えてくれるなら、一太刀で天の国へと送り、その亡骸を衆目に晒させることなく埋葬すると誓いましょう」

「質問?」


 ヴァルターは首をひねった。青年騎士は構わずに続けた。


「貴殿の隊で弓弩の兵を率いていた者の名を、何と?」

「弓弩だぁ? 何だってそんなこと」


 脈絡のない問いに、ヴァルターは面食らった。しかし、問う騎士はあくまでも真剣だった。確たる答えを得られなければこれ以上の無駄話を続ける気はない、そんな表情でヴァルターを睨んでいた。


「はいはいはいはい、弓弩ね、弓弩部隊の指揮官だろ?」ヴァルターは上げたままの両手で青年に落ち着くよう促した後、考えるように中空を見上げて続けた。「うちもそれなりに大所帯だから思い当たる奴が何人かいるけど……あいつの名前は何て言ったかな、あー確か」


 青年は非武装の相手にも全く油断していたわけではなかった。実際剣を突きつけられていたヴァルターのマナに抵抗の意思と見られる動きは一切無かったし、マナのみならず身体の方についても警戒すべき動きは見受けられなかった。


 故に彼は異変が起きるその瞬間まで、自分が一体どんな状況にあるのか全く分からなかった。突きつけていた長剣が急に重くなる。正対していたヴァルターの背が、突然高くなる。と、思ったら、地面に尻を突いていたのは彼自身だった。


「なっ……え……?」


 呆ける青年はいつの間にか武器を取り落としていたことにようやく気づいた。が、直後ヴァルターの素早い蹴りが青年の落とした長剣を闇の中へ押しやってしまった。


 ヴァルターは地面を滑っていく剣とそれを追いかけようとする青年との間に立ち、落ち着き払った様子でつぶやいた。


「何事も、必死になりゃ案外出来るもんだな。こいつは指南役に感謝だ」


 青年にはヴァルターの言葉の意味がよく分からなかった。ただ、形勢が逆転してしまったことは何とか理解出来た。そして理解出来たのはそれだけだった。


 ヴァルターは未だに言葉を発せない青年に告げた。


「驚いたかい? 『魔法』やなんかじゃないぜ。ジュージュツって言う、まあ武術の一種だ。技の名前は、向落(むかいおとし)、だったかな」


 内藤流柔術の崩し技「向落」は、本来なら胸倉の辺りを掴む受けの手を基点に、取りが体重移動を働かせて崩す技である。ヴァルターは突きつけられた長剣を受けの手に見立て、自らそれを取りにいくことで「向落」のような崩しを実現した。平常心でマナを動かさず、起こりのない消えた動きで、青年の張る警戒の網を見事に掻い潜ったのである。


 青年の頭はやっと現実を把握出来るところまで回復した。羞恥と、彼我に対する怒りが、その表情を歪ませる。


「謀ったな。騎士として恥ずかしくないのか、負けを認めた振りなど」


「何も謀っちゃいねえし、恥じるようなこともないね。騎士が相手の決闘なら大恥もいいところだろうけど、あんたは名もないならず者だろ? そんな相手との喧嘩にまで尽くすべき礼があるとは、さすがに聖アルテュールも言ってなかったと思うぜ。それに、ついさっきやらかしたばっかりの俺が言えた義理でもねえが、追い詰めたからって余裕なんかこいてんのが悪いんじゃねえか。そりゃあんた、八つ当たりってやつだ」


 ヴァルターの返答に青年は何の言葉も返せなかった。転がり込んできた勝利に油断して付け入る隙を与えたのは、他ならぬ彼自身だった。


「さて、どうする? お互い得物も無くしちまったし、ならず者らしく徒手空拳で続けるか?」


 ヴァルターは足を肩幅よりやや狭く開いて一歩を前に出し、背筋を立てたまま両手は力まずにぶら下げた。柔術の稽古で最初に習う、それが基本の立ち姿である。


 こんな状況にもかかわらず、ヴァルターの心はやや躍っていた。習い始めて以来全く使う機会のなかった技の数々がようやっと実戦で試せる。戦意の高さは自信の表れだった。


 対して、剣を手放した青年の方にその意思はないようだった。悔しさに歯を軋ませ、油断なくヴァルターに視線を据えながら、青年は手の中で砕いた壁材の破片を咄嗟に投げつけると、後方への跳躍で屋外へ飛び出した。


「待ちやがれ、テメェ!」


 追いかけようと身を乗り出したヴァルターは体の節々に残る鈍痛を思い出し、最初の一歩目で動きを止めた。その間にも青年は駆け出していた。やかましく響く鉄靴は次第にヴァルターから遠ざかって行った。


「痛……くっそ……!」


 ヴァルターはどうにか民家から這い出たところで騎士の追撃を諦めた。街のあちこちから聞こえてくる騒音が、今もって続く白狼隊の苦闘の様子を隊長殿に届ける。どれほどの痛みにだって、負けるわけにはいかないのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ