表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
102/131

三十一、暗剣

 夕日を背にして街道をやって来る白狼隊の行軍は実質的には凱旋行進だった。阻む者などはもちろんなく、心情としては強く抵抗感を抱いている宿場街ミラルモンターニュの住民達にしても、彼らの存在によって突きつけられる戦争の終わりを喜んでいないわけではないのだ。


「おう、ご苦労だったな」


 ヴァルターは簡素な門の前で彼を出迎える副隊長を労った。


「それは、構いませんが」


 副隊長ハインツ・プリッケンは答えた。確かに、戦力などなくとも問題はないはずだった。シャット男爵領を管理する立場のラ・フルト貴族某はオートゥリーヴ平野での前哨戦ですでに亡くなっている。その後の連戦にも常に勝利を飾ってきた白狼隊に、あえて喧嘩を売ろうなどと考える気概のある者は、今のラ・フルト侯軍にはいないのだ。


 つまりハインツが気にしているのはその点ではなかった。


「随分お帰りが早くはありませんか? それに、こんなに引き連れて、前線はよろしいのですか?」


 見れば知った顔ばかり、数は目視でも八千は超えている。三分の一近くも前線から引き上げてしまったら示威の効果も弱まるのではないか、とハインツは危惧しているのだった。


 ヴァルターはその疑問にハインツの予期せぬ答えを返した。


「よろしいもなにもお前、停戦したんだから帰る以外ねえだろ」

「え?」

「ほら、これ議定書だ。目ぇ通しとけ」


 雑に放られた羊皮紙を検める。文面、日付、署名にブリアソーレ総督の印章まで、ことごとくが停戦の事実をハインツに告げていた。怒りや呆れを通り越したハインツの顔面は見る間に蒼くなった。


「嬉しくなさそうだな? もう引き上げようって言ってなかったか、お前。この前の軍議で」


「俺は前線を下げるべきだと」むきになって反論しようとする口を閉じて、ハインツは頭を振る。「いや、それより、停戦はもちろん、エスパラム公の指示を受けてのことで」

「そんなわけあるかよ。相変わらずの音信普通だ」

「じゃあ、か、勝手に、停戦を……?」


 ハインツは目を丸くして隊長殿を眺めた。だらしなく半開きの口がぱくぱくと動いている。どうやら言葉が上手く出てこないようだった。


 少しの間を空けて、彼の口はようやくしゃべり方を思い出した。


「……ど、どうするんだ? 明らかな軍規違反だぞ、これは!」


 狼狽して詰め寄るハインツに、ヴァルターは意地悪く口角を上げて答えた。


「へ、それがありがたいことに、けつは軍監殿が持ってくれるらしいぜ。まあ別に問題にもならねえと思うが、なったらなったで俺達はお咎めなしだ。心配すんなって」


 ヴァルターは不安に丸くなるハインツの背中を乱暴に叩いて続けた。


「それよりハインツ、皆すっかり戦勝祝いの気分だけど、お前はまだ飲むなよ。新領地の人事が残ってるからな」

「……何の話だ?」

「シャットはライナーとエイジ、エシロンはクラウスとディルクにそれぞれ守らせるつもりだから、お前はそれぞれの中間にあるメオドールから、しっかりやつらを見てやってくれや。幕僚に必要なやつがいるなら優先してお前のとこに回してやる。しっかり吟味して今日明日中にでも決めとけよ」


 言ってヴァルターは手綱を厩番に任せ、早くも宴会の準備に励んでいる様子の街中へ繰り出した。


 後に残されたハインツは不意に頭痛を感じてよろめいた。現実が自分の理解を超えた速度で押しかけて来る。めでたくも勝利で戦が終わったばかりと言うのに、ハインツは更なる疲労を実感せざるを得なかった。





 空位二十三年初秋の三十日。ラ・フルト侯領東部の宿場街ミラルモンターニュでは、他所から来た傭兵達によるお祭り騒ぎが夜遅くまで止まなかった。


 彼らは一様に酔っていた。もちろん酒に、そして勝利に、何より自分たちの力に。


 進む酒がこの上ない多幸感を彼らにもたらし、前後も不覚の酩酊は万能感に取って代わって判断力を鈍らせる。街全体が当人たちだけに限った幸せに酔い痴れる中、夜は着実に更けていった。


 窓外になお喧しい酔っ払いどもの大合唱を聞きながら、ヴァルターは旅籠の寝台に倒れ込んだ。迷惑この上ない馬鹿騒ぎも今宵ばかりは咎める気にならない。いつ命を落とすかも知れないのが傭兵と言う仕事である。ならば今日くらいは戦いを生き延びた喜びに思う存分浸らせてやるのが傭兵隊長の粋と言うものだ。


 それにこれだけ酒が入っていれば他所の喧騒など何の妨げにもならない。瞳を閉じて十も数えぬうちに、睡魔は彼を眠りへ誘うはずだった。


 ヴァルターは寝転んだまま革靴をほっぽり、腰の長剣を外して寝台の下に落とす。後は目を閉じるだけだ。深い呼吸と共に体は自然と休息に向かおうとしていた。


 不意の物音が聞こえたのはその時である。


 眉根を寄せたヴァルターは体を起こし、その音が聞こえた方を見やった。屋外の喧騒とは違う。物音は随分と近くで、それもうめき声のようなものを伴っていたような気がしたのだ。


 と、訝る間にまた同じ方向から似たような震動が伝わる。ヴァルターは立ち上がって木戸を開けた。


「誰だ? 酔っ払って足でも滑らせたのか」


 問いかけに答えるのはまたも物音、そして確かにうめき声だった。廊下の奥の階段から、人が転がり落ちるような音と、金属の打ち鳴る高い音が響いた。


「若! 賊が!」


 叫ぶ声と同時に、駆ける足音が迫る。ヴァルターは咄嗟に身を引いた。


 直後、一瞬前まで彼の首があった辺りで風を切る音が鳴った。


「何だなんだ、おい!」


 ヴァルターはもつれた足で室内に倒れ込みながら床に落とした長剣の柄を掴む。そのまま抜き打った長剣は投げつけられていたらしい何かを弾いた。


 弾かれた釘のようなものが床や天井、壁に当たって音を立てる。その間にも殺意を持った闇の刃が尻餅をついたままのヴァルターを狙った。


 続けざまに繰り出される連撃を、ヴァルターは飛び退いてかわす。闇雲に振った長剣が伝える微かな手応え。もちろん仕留めたはずはない。


 寝台に膝を着いたヴァルターと闇の中にたたずむ黒い影とは、機を計るように一瞬睨み合った。


 刹那、影が、否、室内の空気が動くのを感じたヴァルターは即座に素早く眼前を薙いだ。剣は闇より飛来した針を弾く。


 予測を当てたヴァルターは思わず口角を上げ、しかしすぐに目を見開いた。今の一瞬の間隙に、暗く、不明瞭な視界からおぼろげながらも感じられていた敵の気配が消えている。


 ヴァルターは瞬時の判断で剣の持ち手を返した。左の逆手に持ち替えた長剣が再び眼前を薙ぎ、余った右手は脇と共に開いて右側中空に突き出す。相変わらず目は敵の姿を捉えられないし、耳も自身の立てるものより大きな音は拾わない。ならばそれ以外の感覚に頼る他手はなかった。


 薙いだ長剣に手応えはない。しかし、突き出した右手の指先は微かに動く空気に触れた。


 ヴァルターの右手は瞬間、虚空を掴んだ。右前方よりヴァルターの喉元に迫ろうとしていた刃、それを突き出していた腕が彼の掌中で砕ける。


 声にもならない呼気が、腕を潰された相手の反応だった。ヴァルターはそのまま捕らえた腕を捻り落とし、相手を床に組み伏せようとした。が、苦痛にのたうつものと思われた男は不意に抵抗感をなくした。掌に実在する感触を残したまま、突然幻のようにその姿が消えてしまったように感じられた。


「っ、野郎!」


 捕らえた腕を強引に引き寄せてその理由が分かった。ヴァルターが今掴んでいるのは肘から先だけだった。


 ヴァルターは男が自切した腕を闇の中へ投げつけた。壁に血の飛び散る音。直後、片腕を失ってなお刃を振るおうとする黒い装束が再度ヴァルターの首に迫る。


 しかし、四度目の攻撃をヴァルターの剣は難なくいなした。目が室内の暗さに慣れ始めていた。加えて荒い呼吸、血の臭い、黒い外套のはためく様も、先程までとは打って変わって今の彼には容易に感じ取ることが出来た。


 その一瞬で敗北を悟ったのか、闇に溶け込む黒い装束はヴァルターから間合いを取ると、そのままの勢いで自らが入って来た戸口まで駆けようとした。


 判断、行動、共に迅速だった。だが、ヴァルターの反応速度はそれを遥かに凌駕していた。


「逃がすか!」


 寝台の底を踏み抜く一足飛びで追いかけたヴァルターは逃れようとする黒装束の背中目掛けて大きく振りかぶった長剣を叩き込んだ。


 耳をつんざく程の衝撃波を生じさせた刃は旅籠の高くはない天井、粗末な片開きの木戸、そして黒装束の背中の存在を全く無視して半円を描いた。


 時が静止したかのような刹那の静寂の後、剣の軌道上にあった全てのものに亀裂が入る。肩口から二つに分断された男の体はぐしゃりと水音を立てて崩れ落ちた。叫び声を上げる間もなく男は絶命していた。


 渾身の一撃が決まり気持ち良くなっていたヴァルターは、床に転がっていた鞘を拾い上げ、血の一滴すら残していない長剣を納める段になってようやく自身の失策に思い至った。


「あ……しまったな」


「若! ご無事ですか、若ァ!」


 やかましい大声に続いて、響く足音が廊下を歩いてやって来る。姿を現したのはもちろん旗持ち騎士長のヴォルフガング・ザイファルトだった。


「おう、まあなんとかな」軽く手を上げて答えたヴァルターは相手の様子に気づいて眉根を寄せた。「そっちは無事でもないらしいな。大丈夫か?」


 髭に覆われた頬に大きな切り傷。その傷口から垂れた血か、綿織りの白い肌着は襟ぐりからへその辺りまですっかり赤く染まっている。見れば左の前腕には敵にやられたのであろう黒い釘のようなものがまだ突き刺さったままだ。頑丈な守役のことを良く知っているヴァルターでも流石に心配になる有様だった。


 しかしヴォルフはいとも容易くその黒い突起を抜いてしまうと、心底ばつが悪いと言った様子の面を下げて答えた。


「面目ございません。たった三人相手に不覚を取りました。それも一人を取り逃し若の御身を危険に晒してしまうとは、まったく護衛役として己の至らなさを恥じ入るばかりにございます」


「三人もいたのか」ヴァルターの関心は謝罪の言葉よりその事実だった。「それで二人も仕留めたなら、まず上出来だろうぜ。顔上げろよ、何も恥じることはねえって。よくやってくれたな」


 ヴァルターは深々と頭を下げたままのヴォルフの肩を叩いた。守役が顔を上げると、続けて尋ねる。


「で、何もんだこいつら?」

「それが分からんのです」ヴォルフはまた渋面を作って頭を振った。「妙な臭いを感じて部屋を出たところ、そこの踊り場でばったり遭遇しまして、誰何する間もなく得物を向けられたためとにかくこちらも応戦した次第にございます」

「恐ろしいな、おい。お前が気づかなかったら二人揃ってまんまと殺されてたかも知れねえや」


 ヴァルターは自身が斬り捨てた刺客の顔を隠している黒い外套頭巾を足先で跳ね上げた。暗がりの中露わになる歳の若い褐色の横顔にはもちろん覚えなどない。


「お前がやった二人ってまだ息があったり」

「申し訳ございません。私も無我夢中でして」


「だよな」申し訳なさそうに答えるヴォルフに、ヴァルターも苦く笑うしかなかった。「いや、いいんだよ。責めてるわけじゃねえ。むしろ余裕がある俺の方が気をつけとくべきだった」


 苦笑するヴァルターは遺体の側にしゃがみこむと改めてそれを検分した。身元を示すようなものは、やはり持っていない。特徴的なのは褐色の肌と黒い髪、それに得物の形状だ。光の反射を防ぐためか、黒く墨をまぶされた刀身も目を引いたが、何よりこのように細く湾曲した短刀を、ヴァルターはこれまで見たことがなかった。鍔元に施された十字の浮き彫りは、幾度も投擲された黒い釘にも同様のものが見受けられる。これが家紋なのだろうか。だとしても図柄としてはありきたりな記号で身元を特定する材料とするには不足だった。


「しかし、どうしたもんかね、こいつは」


 ヴァルターは溜め息を吐いて顔を上げた。強盗や通り魔などによる犯行ではなく、確実にヴァルターの命を狙った刺客。現段階で彼に分かることと言えばそれくらいだった。


 ヴォルフも同様の見解を持っていたらしい。極常識的な推理で最初に思いついた可能性を口にする。


「ラ・フルト侯の手の者でしょうか」


「多分、そうだろうとは思うけど、違ったとしても心当たりがあり過ぎて分からねえんだよな」ヴァルターはがりがりと頭をかいて立ち上がった。「つーか一昨日停戦したばっかですぐこれかよ。存外打たれ強いじゃねえか、ラ・フルト侯も」


 酒のためか、感じる立ちくらみも彼の気分を害させる。一仕事を終えてこれから気持ちよく寝ようとした矢先こんな目に遭えば、誰だって不快にもなろうと言うものだ。


 ところが、同じく寝入りばなを起こされた守役が眉根を寄せる理由は、ヴァルターとは異なるようだった。ヴォルフはしきりに鼻を鳴らし、ヴァルターに告げた。


「若、何やら、焦げ臭いような」


 急な出来事の連続で、言われるまでは意識することもなかった。屋外の喧騒は、いつの間にやら愉快な色をなくしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ