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騎士の時代  作者: 御目越太陽
第三章「ラ・フルト」
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二十九、道行きは和やかに

 近場の民家を借り受けただけの簡易食堂にはまだ多くの仲間が(たむろ)していた。許しは出ていないのに酒を飲んでいる者もいるようだったが責任者のライナーは咎めなかった。卓上には麦粥と豚肉の煮込み、硬麦餅にいくつかの果物も添えられている。一応行軍の最中であることを考えれば存外豪華な献立だ。もっとも、これから戦いに出向くと言うわけでもないのだから、食事にも雰囲気にも余裕があるのは当然だった。


 ライナーとエイジ、それにクラウスやヤンら白犬隊の面々と会計役のエンリコ、さらに諜報連絡役のユーリィから預かった彼の飼い犬たち数匹も合わせた総勢百名ほどの小隊は、ヴァルターに命じられてこれから砂漠へ避難した輜重、工兵らの別働隊を迎えに行くところだった。


 停戦の締結よりも先に発ったボリスから事情を聞けば別働隊は自主的に砂漠を出てくるだろう。しかし停戦が予定より早くにまとまったために、停戦に際しての細かい取り決めについてまではボリスの耳に届いていないことが問題だった。このまま何も知らないディルクたちが真っ直ぐルシヨンまで戻って来て新たな揉め事の種になることを危惧したヴァルターは、途中で彼らを捉まえてシャット等の通行するのに支障のない土地まで誘導するようライナーに命じたのである。


「しかし、妙だよな」煮汁に浸して軟らかくした麦餅をほお張りながら、ライナーはつぶやいた。

「何が?」と麦粥を啜って向かいに腰掛けたエイジが尋ねる。


「帰って来いって使いは一応出したんだろ? 停戦の前に」

「まあ、一日早いだけになっちゃったけど、一応は」

「ならそろそろ合流できてもいい頃じゃねえの? そんなに遠くないんだろ、その砂漠からこの辺りまでなら」

「すぐって程でもないけど、向こうは大所帯だからな。早くても今オランジェの辺りじゃない? だとしたら今日の夕方ぐらいか、遅くても明日中には落ち合えると思うよ」


「流石に詳しいんだなこの辺りの地理には」すらすらと返ってくる答えに感心していたライナーは、ふと悪戯っぽい笑みを浮かべて突き匙でエイジを指した。「でもお前としちゃあ、まだ砂漠に留まってくれてた方が嬉しいんじゃねえか?」

「何で?」

「隊長殿に聞いたぜ。砂漠に女がいるんだろ?」


 瞬間、エイジは啜っていた粥を派手に噴き出した。そのまま激しく咳き込むエイジを尻目に、ライナーは飛び散った麦粒を拾いながら苦笑した。


「あ~あ行儀悪いなエイジ、きたねえし勿体ねえだろ」


 ライナーが拾い集めた麦粒を足元の“母”に与えている間に、何とか呼吸を取り戻したエイジは喘ぎながら異を唱えた。


「……ばっ……そんな、馬鹿なこと」

「何だ、違ぇのか?」


 ライナーに差し出された杯を一息に飲み干すと、エイジは声を大にして頭を振る。


「違うよ! 全く! 酷い誤解だ」


 その剣幕が徐々に注目を集めだした。思い思いに歓談していた仲間たちは自然と二人を囲むようになり、「女」と言う単語を聞きつけてエンリコが顔を覗かせる頃にはエイジとライナーの周りに人だかりが出来ていた。


 耳目を集めてもなお、と言うより聴衆が増えてからは一層気分を良くしたライナーは意地の悪い笑みを伴う追求を止めなかった。


「目的が逢引かどうかは置いといて、足しげく砂漠に通ってんのは本当なんだろ? おかげで何日か稽古できない日があったし、この件に関しちゃ隊長殿からも裏が取れてるからしらばっくれても無駄だぜ」

「……砂漠には、確かによく行くけど、それは友達に会いに行ってるだけだって」


 被告人から強い否定の言葉が出なかったことで聴衆は一盛り上がり。中でもエンリコは思い出したように手を叩いて証言した。


「相手は人妻か、肉親か、いずれにしても道ならぬ恋ってやつに違ぇねえってこの前エティが鼻息荒くして触れ回ってたぜ。どうなんだい、弓兵頭よ」

「で、でまかせだ、そんなの! あのクソ坊主、勝手なこと抜かして」

「そうやって、むきになるとこがますます怪しいな。実は全部が全部嘘ってわけでもねえんじゃねえの」


 ライナーの問いかけで、一転聴衆は打ち合わせでもしていたかのようにぴたりと静まり返った。


 エイジは否定しなかった。下唇を噛んで紅潮した顔を俯ける。


 すると、面白おかしくいじってしまったことを反省したのか、笑みから悪戯っぽさを消したライナーはエイジの隣に席を移し年長者らしく肩を抱いて諭した。


「話してみろよエイジ。剣術以外は俺が先生だ。こと女の扱いに関しちゃ、隊長殿より頼りになるぜ、俺は」


 ライナーを知る仲間たちは一人の例外もなく「本当かよ」と思ったが、あえて口には出さなかった。一方、稽古中でも見たことがないライナーの真剣な表情に信頼出来るものを感じたのか、エイジはぽつりぽつりと語り始めた。


「……実は、気になってる、人がいて」

「ははぁ、狙ってる女がいるわけだ。いくつだ? 美人か?」

「その人はサラサン人で、知り合って二年くらいになるんだけど」

「ひぇ、二年も手ぇつけてねえのか。俺だったら勃たなくなるぜ」

「出来れば、もっと親密になりたいなと」

「フゥー、ヤりてえんだな、分かるぜ。俺もヤりてえ」


「誰だ、さっきから下品な合いの手入れてるのは!?」


 エイジの一喝でライナーが拳を振るう。お調子者のルオマ人が一時離脱すると、気を取り直してライナーは尋ねた。


「口説きゃいいじゃねえか。よく話す仲なんだろ?」

「簡単にいうなよ。入れあげてるのは俺だけで、向こうにとってはただの友達って感じなんだよ」


「いやいや簡単だって」ライナーは得意げにエイジの肩を叩いて続けた。「まず夜を待つだろ。そしたら二人きりになれる場所で軽く二、三杯引っ掛けながら甘い言葉を囁くんだ。でかい声で言っちゃ駄目だぜ。相手が耳を寄せなきゃならないくらいの小さな声で、綺麗だ、可愛いって、とにかく女が喜びそうなことを繰り返せ。かける言葉がなくなってきたら手を取ったり肩を抱いたりして、もっと具体的なことを言ってやると良いぜ。象牙細工みてえな指だなとか、陶器みたいに綺麗な肌だって具合にな。そうして相手の目がとろんとしてきたらもう言葉はいらねえ。ぐっと一息に唇寄せて寝台に押し倒しちまやあもう語る必要もねえだろ」


「そ、そうか、夜に酒を飲みながら小さい声で甘い言葉を」


 自称女の扱いに定評のあるライナーの披露した何とも言えない必勝法を、馬鹿真面目にも一言一句漏らさず心の帳面に刻み込もうとしているエイジを見かねて、口を挟んだのはクラウスだった。


「やめとけやめとけ、相手が娼婦ならそのやり方でも喜ぶかも知れねえが、ことによっちゃ逆効果になりかねないぜ。二年も一緒で色っぽい話の一つもねえんじゃその女、よっぽどお前に男としての興味がねえか、お前と同じくらい経験ねえんじゃねえのか」


「俺もそう思う」と賛同するのはライナーの鉄拳から立ち直ったエンリコだ。「そういう手合いにはそんなこなれたやり方通じねえよ。よく遊んでる軽いやつだと思われて、最悪距離を置かれちまうかもな」


「そんな」


 エイジは言葉をなくした。彼女に嫌われるかも知れない。想像しただけで頭の中が真っ白になる。


「じゃ、じゃあ、どうしたら」


 すがる気持ちでライナーより頼れそうな二人を交互に見ると、クラウスに目顔で促されてエンリコが答えた。


「もっと正攻法で、ことさら真摯さを強調してやるのがなにげに一番効率的かな。俺がよくやるのは、顔合わせるたびしつこいくらいに好きだって伝える手だ。奇麗な花や石なんか贈りながら何度振られてもめげずに続ければ、その内相手の方が折れてくる。それか、丹精こめた恋文ってのも意外と効果あるぜ。特に若い貴族のご令嬢なんかはこの手に弱い」


「こ、恋文……!」


 エイジは衝撃のあまり我知らず反芻した。


「そ、その手が……!」


 あったか、と心の中でつぶやくエイジの脳裏に電流が走る。確かにそれなら面と向かって話さずとも思いを伝えられるじゃないか。脈がなければ自然と顔を合わせる機会も減るだろうし、振られて気まずい思いをすることも真っ向勝負よりはましになるのではないか。


 天啓にも似た閃きは、エイジの脳内で文面を考えるための原動力へと変化した。


 時は空位二十三年、場所はアレイラック伯領のとある小さな宿場街。エイジ・ナイトー十九歳の秋、人生で初めてとなる恋文を執筆する覚悟を決めた、その瞬間である。





 ライナー率いる白犬隊は、期待していた道中での合流を果たすことなく砂漠までをゆるりと歩いた。翌中秋の一日昼過ぎ、エイジの愛馬の先導でそのまま砂漠に入ると、程なくしてディルクらが避難している泉にたどり着いた。


「来てない? ボリスが?」


 エイジが尋ね返すと、ディルクは即座に「ああ」と肯いた。


「待てど暮らせど音沙汰なしで、流石に不安だったからまた改めて誰か行かせようかって話をしてたところだよ。どうなってるんだ実際戦況は? 勝ってるんだよな? ライナーが来たってことは」


 状況の説明をライナーに任せて、エイジはペペを探した。天幕を訪ねると連日の暑さで少し小さくなったようにも見えるものの、相変わらずの太鼓腹が規則正しく上下に動いていた。


「ぺぺ、起きろ。ブリアソーレに帰ろう」


 腹を叩かれたペペは重たそうな目蓋を起こして口元の涎をぬぐった。


「へぇ、帰る? ……どこに……?」

「ブリアソーレだよ。戦はひとまず終わりだ。また旨いルオマ料理が食えるぞ」


 料理と聞いてペペはようやく覚醒した。ぼやけた視界に見知った顔を捉えると、瞬間頬をほころばせる。


「エイジ! いつ来たんだ?」

「今だよ。着いたばっかりだ」


 ペペの元気な反応にエイジも安堵する。が、すぐに思い直してエイジは尋ねた。


「それよりペペ、ボリスのこと、何か聞いてないか?」

「兄貴がどうかしたのか?」ペペは目を丸くして首をひねった。


「俺たちより先に出たはずなのに帰ってないらしいんだ。途中でもまったく見かけなかったし。砂漠を出る前に何か言ってなかったか? どこかに寄って行くとか」

「いや、何も」ペペは頭を振った。表情も自然と暗くなる。「どうしたんだろう? 何かあったのかな」


 ペペの不安げなつぶやきは浮ついていたエイジの心にも影を落とした。思えば最後に会った時、ボリスの様子にはどこかおかしいところがあったような気もする。忙しくてろくに話す時間もなかったが、あの時ボリスは何かを話したそうにしていなかったか。自問に対する答えが、ボリスの失踪と言う現実だった。


 エイジは昨夜したためたばかりの恋文を懐から取り出した。衝動的に破り捨てそうになるも、未練がそれを押し止めさせる。結局しまい直したエイジは座り込んだままのペペに告げた。


「とりあえず、撤収の準備を手伝おう。ボリスのことは俺に任せてくれ」

「どうするんだ?」

「少し残って探してみるよ。アマニがいるから可能性は低いと思うけど、砂漠のどこかで迷ってるのかも知れない」

「お、俺も手伝うよ!」ペペは即座に立ち上がった。「兄貴が心配だ」


 勢い込むペペを制してエイジは頭を振った。


「ペペは皆を引率してくれ。そんなに深くまで入ってるわけじゃないけど砂漠を抜けるのに馬竜がいないと不安だし、馬竜が先頭にいれば途中でサラサン人に見咎められても穏便に通してもらえると思うから」


 「でも」とペペはなおも納得行かない顔で食い下がる。エイジはそんなペペの肩に手を乗せて諭した。


「役割を逆にしてもいいけど、俺とハナの方が砂漠を歩くのは慣れてる。それに、もしかしたら俺たちの方が早く来過ぎちゃっただけかもしれないし、もしそうだった場合もイフサンがいればアマニのこと見つけやすくなるだろ。探すなら固まって探すより分かれた方が見つけやすいよ、きっと」


 ペペはまだエイジと共に兄貴分を探しに行く方法を模索していた。しかし考えることが苦手な彼にはそれがどうしても思い浮かばなかった。


「……分かった。そっちは任せるよ、エイジ」


 搾り出すように答える声は、無力さを痛感する悔しさのために震えていた。


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