悪役坊っちゃまは転生者
―――――人生、皆ロールプレイ
鏡に写るのは見慣れた不敵な笑みを浮かべた大人びた少年の顔。この17年で慣れ親しんだ、自分自身の顔。血筋に組み込まれた遺伝子に則って、それなりに整った顔立ちに、クォーターである母譲りの緑の瞳。
見苦しくないほどに伸ばされた黒髪をかき上げると、不敵な笑みを浮かべていた自分がいつの間にか、苦笑を浮かべていた。
―――――そう、不安がることはない。俺はお前で、お前は俺なんだ。
鏡に写る自分は、そう語りかけてる。
ふっ、と息を抜く。針の外れた釣り糸のように、強く張り詰めていた緊張の糸は無理のない強さに緩む。
ほんの三分にも満たない毎日の儀式を終えると、カバンを持って部屋を出る。
冬が明け、春が始まったばかりの4月初頭の空気は、制服である変則的ブレザーを着ていてもまだ肌寒く感じる。廊下の窓から見える中庭の木々もだいぶ葉が茂り出している。
肌寒さを残す空気を肩で切りながら、迷うことなく食堂へと足を向ける。
―――――このお屋敷にも慣れたものだ。
昔は迷ってばかりで、よく女中に道を聞いたものだ。
昔の思い出に苦笑いが出てしまうのような、懐かしさを感じた頃には食堂の前へと到着していた。中に入ると、一人しかいない。むしろ、2人もいたらそれはそれで異常事態なだが。
「おはようござます、お兄様」
「おはよう、妹よ。今日は入学式だ、持ち上がりの代表としての挨拶、楽しみにしている」
「ええ、供鳳院家の次期当主として、勤め上げてみせます。それとして、お兄様は、在学生代表としては出席なさらないんですね」
「生徒会はもはや単なる偶像気取りの阿呆のやること。昨年の一件で威光も、権限も無いに等しい。実権無き支配者なんぞ願い下げだ」
「お兄様らしい回答をありがとうございます」
食堂にいたのは、我が妹である『供鳳院祈』。黒髪にダークブラウンと言う日本人らしい標準的な髪と瞳を持ち、俺以上と言うべき容姿をした自慢すべき妹である。
成績は優秀。持ち上がり生の代表に選ばれるくらいだから、当たり前。スポーツ系はたしなむ程度に、ほどほどに手を抜いて疲れるほどやり込むわけではない。
―――――詰まる所、自慢の妹である。
とは言え、複雑な事情が俺同と彼女の間に横たわっており、面と向かって褒めることも出来ない。こういう時、貴族(もどき)と言うのは面倒くさい。
その後、女中達が運んできた朝食を食べながら、形式ばった応答で妹と会話しながら過ごす。形式ばった応答には疲れもするが、その相手が妹と言うならば悪くはない。
いずれ妹には|この椅子(当主の座)を譲り渡すになっている。早ければ後2年で、俺はこの供鳳院家の当主と言う立場から降りることになっている。
それまでに、彼女には教えることが多々ある。厳しくしている事は自覚している。しかし、甘やかして手を抜いてしまえば待っているのは彼女の破滅。そのためにも、俺は心を鬼にして彼女の教育に手を抜くことはない。出来ない。
「……ままならいものだな」
妹の視線がつぶやきに反応して向けられるが、目線で『気にするな』と返しておく。
今日、この日を境目に、俺の周囲は激動する事を知っている。その激変する環境に妹は巻き込まれるであろう。
視線を向けた先にいる妹は、食後のコーヒーを冷ましている。その姿に巻き込んでしまう事への後悔が苦味のように、染み出してくる。
―――――願わくば、この愛しい妹が無事でありますように。
俺は運命なんてモノは精巧に組み上げられた、トランプタワーのような代物だとかんがえている。一箇所でも欠けてしまえば後はただ、雪崩の様に崩れ去るのみ。
運命の塔が崩れ去るその瞬間、果たして自分は妹を守れるだろうか。
弱気になっていく思考を、強制的に中断し切り替える。
この日まで、俺は入念に準備をしてきた。約束された破滅を回避し、華々しく舞台に立つ主演を引き摺り下ろし叩き潰す。
そしてその瞬間から本当の意味で俺の、『供鳳院我道』としての二回目の人生が始まる。
一か八か、dead or alive、nothing or everything……すべてを手に入れるか、すべてを失うか。
掛け金は俺自身の人生すべて、リターンは二回目の人生の本当のスタート。敗北すれば、待っているのは身の破滅。
最低最悪のギャンブル。参加は強制、拒否権など最初から存在しない悪魔のゲーム。この糞のような世界を認識した瞬間から始まった、未来を決める分水嶺。
―――――さあ、くそったれだゲームの始まりだ。『お前達』は気がついているのか知らないが、参加者なんだ。降りる事は許されないし、許すつもりなんてない。
コーヒーの水面に映った自分の顔は、酷く歪んでいるように見えるのは、水面が揺れているせいなのか、それとも……
◇
この俺、供鳳院我道はいわゆる転生者である。昨今、この手の作風が広まって、マンネリ化しつつある中で正真正銘「実際に体験してしまった」転生者である。
乙女ゲーへの転生ものは流行する中で、俺が転生したのは少々特殊で、乙女ゲーだけでなく美少女ゲーや18歳未満お断りなゲームの世界観が入り混じった世界であった。とはいっても、混在する世界観はどれもこれもとあるブランドとその姉妹ブランドのみで構成されているということもあり、ブランド名を取って『アルタークラウン・ワールド』と仮称している。
その中で俺の転生先はとある18禁ゲームの悪役。婚約者を主人公に取られ、最終的に没落し一族全員が路頭に迷うという役回りであった。人生の破滅が約束された世界に一度はやり場のない怒りを抱えたこともあったが、それでも現実に存在している以上このままいけば待っているのは身の破滅。
そんな状況下で、俺自身を変えたのは他ならない妹の存在であった。
初めて会ったときは7歳になってすぐの事、父親の浮気の末に生まれた腹違いの妹。母親が事故で亡くなったこともあり、親戚の娘を養女として迎え入れたという名目で顔を合わせることになった。
『はじめましておにいさま、あきづいのりでしゅ』
――――――ナニこの可愛い生き物。
母親の姓を名乗った為に、父親に平手打ちされそうになった義妹の手を引き、父の手から逃がす。その後母親とともに約半日にわたって、執拗に父親を責めたのは記憶している。俺を生んだ際、子宮を全摘出した母にとって娘は諦めと理想の入り混じったような存在であったらしく、懸念してしまった母によるいじめは起きなかった。
何はともあれ、このかわいらしい妹は将来的に俺のせいで辛い目に合わせることになってしまう。一族が路頭に迷う羽目になってしまえば、彼女は女の子。まっとうな手段で食べていけないのだから、最悪を想像してしまう。
この日から、約束された破滅に向かってただただ無意味に生きていた日々が一転して自らの手で運命を突き崩すために邁進していくとになる。
前世の経験……はあまり役に立たなかったが、伝手を使い徹底した教育を受けた。三年後の10歳までに家庭教師に「もう教えることはない」と言われることを目標に、勉強を重ねゲーム内の設定どおりに高いスペックを誇った頭脳に感謝しつつ無事に達成。平行して、父親から経営学を学び資産を運用するすべを身に着け、家内を掌握しにかかっていたのだが、六割程度を掌握した段階でついに崩壊の序曲ことヒロイン『如月万葉』との婚約が成立してしまった。
旧家であり、かつては栄華を誇った供鳳院もその当時は没落間際の弱小な華族に過ぎない。そんな落ち目の古い家に対して援助と引き換えに、血筋の歴史を分けてもらう。成り上がりの企業が華族の枠組みにとらわれた際によく使う手であった。
『偉そうに、たいして力もないくせに』
顔合わせという名のパーティーにおいて、やや芝居がかった口調であいさつした俺に対する開口一番がそれだった。確かに原作では如月家の援助のもとで供鳳院は成り立っていた。そうでありながら偉そうに振舞う俺を彼女は嫌った、確かそういう設定であったはず。しかし、努力を知らないにしてもこれはないと思ってしまった。
その後、強引ではあったが12歳の誕生日に父親より家督を奪い取り、供鳳院の当主に就任した俺は如月からの援助を最大限まで引出し、傾いていた傘下企業の立て直しを開始した。更には『アルタークラウン・ワールド』内での時系列を必死になって思いだし、作中で語られていた事象を基に投資を繰り返し、時には自分が黒幕となって巨大な企業相手に揺さぶりを掛けたりして着実に資金を増やしていった。
そして、気が付けば供鳳院の家は持ち直し如月家以上の資産と旧家として培ってきた各方面へのコネクションから最盛期の数倍といわれるだけの力をつけていた。しかし時すでに遅く、時間は原作開始秒読みの段階になっていた。
新入生・転入生のリストの中に主人公の名前があったことを確認した俺は、妹への教育の度合いを速めることにした。もちろん、最悪の場合、自分だけが地獄に落ち妹に供鳳院家を任せるためだ。
妹にとって、厳しい兄であると言うのは自覚している。側から見れば、野心のために父を軟禁し如月家を利用し尽くした暴虐の徒。彼女が俺に抱くのは恐れか、憎悪か。
そして今日この日、物語の舞台である『私立葛乃葉学園』のにおいて、開幕を告げるチャイムが高らかに鳴り響いていた。
ーーーー執行猶予はここで終わり、始まるのは最低最悪の舞台。カーテンコールで笑うのはこの俺だ。
燃え尽きたぜ