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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第一幕 ようこそ劇場へ
4/34

幕間①

 8月公演開始 数日前

 

「チケット買いませんかあ……」

 自習帰り、当てもなく街通りをぶらついていた日下部光輝がふと立ち止まったのは、意外なクラスメイトの声を聞いたためだった。

 夏休みに入ったためか、やや往来の増加した道路。その少し先に―――「おそらく」徒花実結が立っていた。

 最初、日下部にはほぼ確証が持てなかった。話した経験はあまり無いが、彼女といえばクラスの中でも目立たず、彼女同様に大人しい女子達と控えめに過ごしているタイプだ。トレードマークは眼鏡にお下げ髪、校則通りにばっちり膝下丈のスカートという、率直に言えば地味な少女。それが日下部の実結に対する第一印象だった。

 それが今目の前にいる彼女はどうか。

 まず服装だが、おそらく私服ですら無かった。普通ならなかなか見る機会のない、淡いピンク色を基調としたエプロンドレス。動きやすさを重視しているのか丈はそこそこに短く、腰には大きなリボンまでついている。髪は二つに括ってあるのには変わりないものの、耳の少し上あたりでツインテールになっていた。控え目なコスプレのような風体である。

 眼鏡もつけておらず、ただ不安げにきょろきょろと辺りを見回す表情だけが、辛うじて彼女のアイデンティティを留めていた。

 道路沿いの人の波から若干浮き気味な彼女を、不思議そうに眺める者も少なくはない。しかし、それだけだった。消え入りそうな呼び掛けに耳を傾けようとするほど、人々も暇ではないのだ。

「…チケット買いませんかあー」

 彼女なりに大きくしたらしい声も、車の走行音や通りすがるどこかの女子生徒の甲高い話し声にかき消されてしまう。実結は途方に暮れたような顔で、手に持ったチラシを抱きしめた。

 罰ゲームか何かなのか。見ていて、日下部にはだんだん実結が可哀想に思えてきた。同時に、その売り文句では誰も食いつきようがないのじゃないか、とも思う。売っているのが何のチケットなのか分からなくては、買い求めのしようがない。日下部自身気になりはじめていた。クラスでの彼女を見ている限り、どう考えても自分から何かの売り込みをするような人間ではなかったと思うが。

 実結は街行く人々を目で追うのに必死で、まだ日下部に気付いていないとみえる。半ば自棄になったのか、一層思い切って息を吸い込む―――前に、彼女の視界へとひょっこり顔を出してみる。

「…何のチケットを売ってるんだ?」

「っひょああ!?」

 悲鳴というには随分気の抜けた奇声と共に、びくっ、と肩どころか体全体が一気に跳ね上がった。硬直のあまり、抱えていたチラシがばらばらと一気に飛び散る。

「うわっ、ごめん!驚かすつもりはなかったんだけど―――」

「…あれ、日下部くん?」

 チラシを拾い集めようと慌てて屈んだ先で、ようやく二人の目が合った。同じ視線で話をするのが初めてで決まりが悪く、日下部は曖昧に笑んで「よう」と軽く片手を挙げた。

「徒花がこんなところでチラシ配りとかやってるの、なんか意外だなと思ってさ……」

 ちらり、と足元に目を落とす。カラー写真がメインに置かれたそれは、無機質にくすんだ白のコンクリートの歩道に、花を咲かせるようにカラフルに映えていた。

「……『劇団』?」

「うん!」

 実結の声が驚くほど弾んだ。

「劇団、夢幻座…もともとはそんなに大層なものじゃなくて、どっちかっていうと『演劇集団』とか言ったほうが正しい感じのところなんだけどね。

今度夏の公演をやるから、見に来てくださいって宣伝をしてるの」

「へえ………」

 内容よりもむしろ、劇団のことをすらすらと話す実結に、日下部は目を丸くした。彼女がそんな、よく分からないが華やかそうなところに関わっているとは初耳だった。見た目もあいまって、普段の彼女とは圧倒的にアンバランスだ。

 半分程集め終わったチラシの向きと角を、一旦揃える。何とはなしにその写真を眺めていると、日下部はあることに気が付いた。思わず写真と正面の実結とを交互に見比べる。

「な、なあ、徒花」

「はい?」

 ツインテールをぴょこんと揺らして、実結も顔を上げた。

「これって……もしかして、お前なのか?」

 そう言ってチラシの真ん中を指差す。やっぱり間違いない。今目の前にいる彼女が着ている衣装は、どう見てもこの写真のものだった。

「あっ! …あの、まあ、一応は、そうなんです、けど………。」

 驚きと同時に更に興味をおぼえた日下部をよそに、実結は何故か決まり悪げな顔になる。

「凄いな、こんな真ん中なんて!主役ってことじゃないのか?」

「すっ…凄くなんかないの!」

 急に大きな声を出したことに、実結本人も日下部も驚いた。一瞬固まったあと、実結はまたぼそぼそと話し出す。

「ほんと、たまたまみたいなものだし……お稽古のときも、私、怒られてばっかりで。

はっきり大きな声が出ないし、誰かに見られると緊張しちゃうし…今日も副座長さんに随分叱られちゃってね、克服するためにこれ配ってこい!って言われたんだ」

 やっぱり誰かに言われたのか、と日下部は一人納得した。

「それでその格好も?」

「あ、これはね」

 と、案外事も無げなトーンが帰ってくる。

「私はほかの先輩達と違って有名じゃないし、どうせなら目立った方がいいんじゃないかって言われて…それならもう衣装着てっちゃえ!って、一人仲のいい子が言い出してね。それで他の女優さん達も盛り上がっちゃって、結局髪型までセットしてもらうことになったの」

 くすくす笑いながらツインテールを触ってみせる実結に、日下部は何故かほっとした。

「仲は良さそうなところなんだな」

「うん。個性的だけど、みんなとってもいい人たちで……、あっ!」

 突然、実結が何かを思い出したように深刻な顔になる。

「そ、そうだ!あのね、日下部くん!」

「な…何だ?」

 思わず身構えた日下部に、そのままの神妙なトーンで言葉が続いた。

「チケット……買いませんか」


「お…おう……?」

「あの、チケットっていうかチケットの引換券なんですけど、これを当日持ってきて下されば、サービス終了後のネット予約と同じ料金でお買い求めいただけるんです!さらに日下部くんなら、直接の私の知り合いだから、なんと身内割引で半額になります、破格のお値段です!お得です!」

「あ、あのさ」

「お願いします買ってください!ちゃんと全部売らないと、私、お稽古場に帰れないんですっ!!」

 実結の突然の謎の勢いに押されて、思わず叫んでいた。

「分かった!分かった、買うよ!一枚!」

「…ほ、本当……?」

 いまの返事を聞いて、いささか落ち着いたらしい。日下部は苦笑しながら、

「ああ。徒花を助けると思ったら、たまにはそういうのもいいかなと思ってさ。演劇は全然分からないけど、いいもの…なんだろ? その、お前のいる劇団って」

そう答えた。

 実結はしばらく、ぽかんとして日下部を見つめた。言った本人が自分の放った台詞の意味をようやく理解し始めたころ、ようやく彼女は勢いよく頷いた。

「はっ………、はい!お買い上げありがとうございます!!」

「ああ…本番、頑張れよ。 そうだ!チラシと引換券配るの、俺も手伝うよ。引き止めちゃったお詫びっていうか。それから」

「…それから?」

 首をかしげる実結からチラシを半分受け取って、日下部はほんの少し、からかうように続けた。

「『チケット買いませんか』だけじゃなくて、さっきお前が俺に言った売り文句、あれを他のお客さんにも言えばいいんじゃないか?」


  * * *


side:徒花実結

公演初日 終了後


「まただ……また出ちゃってる…」

 呟いた声には溜め息と、微かな震えが混じった。

 お稽古場のお手洗いの隅っこの個室。それが、今の私のいちばん落ち着ける場所だった。悲しくなったとき、悔しくなったとき、そして何より今日みたいに失敗して、自分自身が情けなくなったとき。私はいつもここに閉じこもり、口元を手で覆って、声を殺してこっそり泣くのだ。

 本当はもっと大声をあげて泣き叫びたいときも沢山あるけれど、それは叶わない願い。それには理由が二つあって、一つはもし劇団の先輩達がいらっしゃったとき迷惑をかけないためで―――もう一つが、これだ。

 《これ》が初めて起こったのはいつだっただろう。その時はあまりにびっくりして、思わず叫びそうになるのを必死で抑えた。怖くて、気持ちが悪くて、混乱で頭がくらくらした。「こんなの他の人に知られたらどうしよう」。そんな恐れだけが、そのときの私の理性をかろうじて繋ぎとめてくれたのだった。

 正面の鏡をできるだけ見ないようにしながら、念入りに顔を洗う。ほどよく温い蛇口の水を掬い、ダメな私への当て付けのように何度も何度も目元に擦り付ける。初日の舞台が済んだばかりで、ツインテールになったままの髪に、水が跳ねて動くたびに雫が滴った。衣装、濡れちゃうかなあ。全く関係のない心配をして、半ば無理矢理に気持ちを落ち着かせる。

 しばらくそうした後、私は恐る恐る正面を向いた。………大丈夫。目は少し腫れてるけれど、だいぶいつもの顔に戻った。眼鏡をかけたらきっともう分からない。楽屋に戻ったら、何事もなかったように振舞わなくちゃ。

「私も…一応、女優なんだから」

 そうして私は、ようやくお手洗いを後にした。


「……おー、実結。落ち着いた?」

 私がドアを開ける音で、すぐ隣で居眠りしていた座長さんが目を覚ましたみたいだ。こくこくと頷いて返事をすると、彼は「そっか、なら良かった」と笑って立ち上がり、私の頭を撫でてくれた。

 座長さんの手は骨ばっていて冷たいけれど、大きくて優しい。実際、副座長さんに叱られているときの私に助け舟を出してくれるのは、大体座長さんだ。今日も、彼がうまく私をフォローしてくれたお陰で、皆に泣いてるところを見せずにすんだ。目立ったことはしないけれど、いざという時はちゃんと気づいて動いてくれる、そんな人。「手の冷たい人は心が温かい」という話を、こうして撫でられるたび思い出す。

 けれど、副座長さんだって決して悪い人ではないのだ。他ならぬ座長さんがいつかそう話してくれた。

「あんま嫌いになんないでやってくれな、大地のこと。不器用だからああいう言い方しかできねーけど、あいつあれでだいぶお前のこと気にしてんだぜ。あれだよ、……愛の鞭、みたいな」

 本人の前で言ったら絶対照れて怒鳴るだろーけど、と付け足して、彼はからからと可笑しそうに笑った。その日はちょっとだけ副座長さんが可愛く見えたことは、誰にも内緒だ。

 ふたりに限らず、夢幻座の先輩方はみんなとってもいい人達だ。だから、余計に悲しくなる。また私のせいでこの人達に迷惑をかけてしまったのかと。……いけない、泣くのはさっきで終わりにしたのに。

 もっとしっかりしなくちゃ。そうすれば、きっともう泣かずにすむ。あんな怖い目にも、遭わなくて済むかも。このまま、私の周りの優しい人たちと離れなくて済むかも。そんなことを、また考えてしまう。結局どこまで行っても私の自分勝手だ。

 もうすぐ反省会。きっとまた怒られるけど、絶対何があっても泣いちゃダメだ。

 私は、私はまだ、ここに居たいのだ。

「ところでこれ、ノルマは何枚なんだ?」

「50枚貰ったのから、日下部くん入れて4枚売れたから、残り46枚…」

「お……おう」

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