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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第二幕 日陰者達のマスカレイド
32/34

あわれなものたち Act2

 『エピファネイア』……。

 なつめさんのお屋敷で聞いた単語だ。ただ他にもわからないことが多すぎたのと、この単語を口にしたときの風巻さんの様子が気になって、あまり詳しくは聞けなかったと思う。雰囲気的に、ラクルイの中でも特に悪い奴らのことをそう言ってるような感じに聞こえたけど……あまりそのあたりを正直に言うと、また余計に警戒されてしまいそうだ。

 実際俺の前を歩いている二人はまだ子どもだし、とてもじゃないけどそんなものすごい大悪党には思えない。

「ってことはえっと、つまり……エルフィちゃん? 君が、昨日俺が戦ったラクルイの正体ってことなのかな」

「み、みどりでいいわ」

 玉響学園の通学路から外れて人気の落ち着いたところへ行くと、少しずつ彼女の緊張も落ち着いてきたようだった。

「わわ、わたしの名前、塚沼美登里……『エルフィ』は、え、エピファネイアの中だけの、特別な名前だから」

「へえ、コードネームがついてるんだ……じゃあ、君のことはなんて呼ぼうか?」

 男の子のほうに話をふると案の定、露骨に苦虫を噛み潰したような顔をされる。

「……確かに《王様》にもらった名前を、部外者のあんたに呼ばせるのは変か……

…………今川……こ、こすも……」

 おお……言いたくないわけだ、お年頃だもんな……。漢字だとやっぱり小宇宙とか書くのかな。出会った瞬間からずっと不機嫌そうにしている彼だけど、今の表情はちょっとだけ年相応に見える。

「わかった。みどりちゃんと、こすもくんでいいのかな。俺は日下部光輝。好きに呼んで。

ところでみどりちゃん、えっと……大丈夫だった? 昨日は俺、わりと思いっきり戦っちゃったけど」

 あの時は必死だったというか、あいつの正体がこんな小さい女の子だとは想像もしていなかったのだ。途中で火ノ迫や雪町さんが入ってきたのもあって、不可抗力とはいえ結構全力で、きっちり倒しちゃったような気がするけど……。

「だ、大丈夫よ。その、だ、だってあなた、戦った時アタシの心を折らなかったでしょう」

「心を?」

「え、ええ。だから、あ、あなたが帰ってしまったあと、しばらくして、き、気がついたら、今の姿に戻っていたわ」

 確かに今のみどりちゃんは、どこも怪我しているようには見えない。俺、矢とか射ったのに。よくわからないシステムだ。

「そうなんだ……? なんともないならいいんだけど」

「あ……アタシ、エピファネイアに入ってから、いろんな人間やジャマなラクルイを相手したけど……あなたみたいな戦い方する人、ほかにひとりもいなかったわ。

た、戦ったあとなのにどこも痛まないし、な、泣き疲れてだるいどころか、すっきりしたくらいなの。こんなこと初めてで……き、気になって、あなたと話してみたくて」

「ボクは止めたんだけどね。組織の外のヤツにわざわざ正体を明かしに行くなんて、どう考えてもイカれてるって」

 つっかえつっかえの話し方だったが、みどりちゃんは真剣だった。

 ラクルイの力は心の力だ、という風巻さんの話を思い出す。戦いの最中に少し話をしたけど、みどりちゃんはその話に納得してくれて……だから気が済んで人間の姿に戻れたし、深い傷も負わずに済んだ、ってことでいいんだろうか。

 何かつらいことがあって正気を失い、泣き叫びながら人を襲うのがラクルイ。だったらきちんと話して落ち着いて……「泣き止んで」もらえば、殺さなくても人間を襲うのをやめさせることができるってことか?

「今日あんたに会うことは、組織の他の連中には黙ってる。みどりがどうしてもって言うから、こっそりね……。ボクは万が一の時のための見張りだ。さっきも言ったけど、ちょっとでも怪しいことしたら殺すから」

 こすもくんの言葉は相変わらず刺々しいままだ。きっとみどりちゃんは、ここに来る前に一生懸命彼を説得したんだろう。それでちゃんとついてきてくれるんだから、この子も見かけの態度によらず、わりと律儀だ。

「優しいね」

「は?」

「みどりちゃんのこと、大事にしてるんだなって」

「べ、別にふつうだし……。エピファネイアはボクと同じ、居場所を失ったラクルイたちが集まってる。その仲間を心配するのは当たり前だろ。みどりとか、特に年も近いし」

「そ、そうよ。ま、まともに喋れないし、涙は黒いし、うまく感情のコントロールもできない……アタシなんかに優しくしてくれるのは、エピファネイアの仲間くらい。同じ立場にいない人は——人間は、け、結局わかってくれないわ」

「…………」

 なんだか少し、イメージと違った。エピファネイアという組織は……少なくとも彼らは、ずいぶん仲間のラクルイのことを大切に思っているらしい。

 考えてみれば当然のことかもしれない。突然「化け物」と呼ばれる姿になってしまった、俺や実結より幼い子たち。同じように苦しい思いをしているラクルイ達の存在は、もう仲間というより家族みたいなものなのかもしれない。

 ああ、そうか。だから反対に。

「それで……あなた、昨日の人間と知り合いだったみたいだけど、ひ、酷いことを言われてたでしょう。あ、アタシから見ても、あなたが傷ついてるの、すごくよくわかった……なのに、ど、どうしてああまでしてかばったの?」

 ……仲間じゃない、わかってくれない、そうやって自分や仲間達に黒い涙を流させる——「ラクルイじゃない人間」を目の敵にしているのだろう。

「あなたは優しい人よ。たとえ王様の命令だと言われても、排除するのは惜しいくらい……。アタシ、あなたに死んでほしくない。そう、そうなの、今日はそれを言いたくて」

「王様?」

「アタシ達ラクルイが誰にも差別されず、幸せに暮らせる楽園を作るために心を砕いてくださる方よ。エピファネイアは、その王様を中心に集まった組織なの」

 ……だいぶ思い出してきた。風巻さんは確か、エピファネイアは「何も知らずに困ってるラクルイを利用する」組織だって言ったんだった。

(楽園に連れていってくれる王様、か。そんな人が本当にいるなら、そりゃいいだろうけど)

 ——無理だろ。ひどい理想論だ。

 頭の中から突然冷たい声がして、一拍遅れてはっとする。みどりちゃんはさっきと変わらず、一生懸命話をしてくれていた。何にせよ、彼女はきっと本気で信じているんだろう。その、仲間たちを救ってくれる《王様》のことを。

「あ、あなたはなにもしなくていいの。ただ、アタシ達エピファネイアを邪魔しないでくれるだけでいいのよ。そ、そうしたらあなたを悪く言ったり、傷つけたりする悪い人間はみんないなくなる。き、きっといつか、あなたのことも王様が楽園へ連れて行ってくださるわ」

「それは……君たちエピファネイアが人間を襲うのを、黙って見ていろってこと?」

 彼女は俺の質問に、迷いなく頷いた。こすもくんもそれを見守っているけど、訂正したりする気はないらしい。

 彼らは——間違ったことをしているつもりは、ないんだ。

「……心配してくれてありがとう。でも、それはできない」

「どうして!?」

 答えは決まっているけど、伝え方が大事だ。できるだけ二人を傷つけないように、落ち着いて、優しく伝えたかった。

「俺も、何も知らずに……『人間』として、幸せに暮らしていた時期があったからだよ。

確かにこんな体になってつらいことも多いけど、だからって全然関係なく幸せに暮らしてる人にそのつらさを押し付けていい理由にはならないと思う。だから、身近な人がそんなラクルイに……エピファネイアに傷付けられそうになっていたら、たぶん、これからも俺は止めるよ。……君たちや、その《王様》って人と戦ってでも。だから、」

 だから……「だから」、そのあとになんて続けようか。「人間を襲うのをやめてほしい」? 本音はそうだ。別に俺は二人や、エピファネイアや、《王様》って人の敵になりたいわけじゃない。ひとまずそれさえやめてくれればなんでもいいんだ、今後も仲良くしたいとさえ思う。それこそ、同じラクルイなんだし。

 でも、そんなことが本当に叶うだろうか?

 たぶん無理だ。心の中でまた冷たい声がして、自分でもどこかでわかってしまっている。

 結局「だから」の続きを言えない俺を、こすもくんはしばらくじっと見つめていたが、やがてひとつ溜息をついた。

 キャスケットのつばをぐいっと後ろに回し、翳っていた目元が改めてはっきり見える。冷たい、敵を見る目だった。

「——やっぱり、あんたもクソみてーな偽善者どもと似たようなこと言うんだな。ボク達の、《王様》の敵だ」

「こすも、」

「いい、ボクにやらせて。あんたは一度こいつに負けてる。下がってろ」

「……う、うん」

 彼の気迫に押されたのか、みどりちゃんは素直に物陰へ下がって、閉じこもるように大きなヘッドホンをつけた。

 こすもくんは依然、俺を睨みつけたまま。ポケットから取り出したのは、ラクルイの涙と同じ、真っ黒い……飲み薬だろうか。彼はそれを息を止めて、一気に飲み干した。

「……!?」

 額に汗して、ひどく顔をしかめている。はじめは薬が余程不味いのかと思っていたが、すぐにそれだけではないと気がついた。——こすもくんの身体が、ラクルイのそれに変形していくのだ。

 長話をするというのに、二人がどこの店にも入りたがらなかったわけを、俺は今ようやく思い知った。みどりちゃんが人見知りだからってだけじゃない。ひたすらひと気のないところへ向かっていたのは、俺の返答次第で、はじめからずっとこうするつもりで。

 もともとあった骨格が鈍く軋みながら変形したり、なかったはずの場所に骨が生えたり。人間からラクルイへ、こんな風に生々しく変身するところを見るのは初めてだった。呆気にとられているうちに、こすもくんの姿はみるみる《人間》のそれではなくなっていく。

 ——華奢な二本の足が一本にくっついて、まるでそう、魚の尾……人魚だ。腕が変形してできたトビウオのような翼を広げてバランスをとり、文字通り空中を泳いでいる。

 と、彼はそのまま目にも止まらぬ速さでこちらへ突進し、透明の鋭い翼が制服越しに肩を切り裂いた。

「ッ……!」

「ガキだと思って油断してたろ? ……いいけどね、その方が都合いいし。わけもわかんないうちに終わらせてやるよ」

(……やっぱりどうしても、戦わなくちゃ駄目か)

 じくじく痛む傷口を押さえながら思い出す。どこの神話だったっけ、その人魚の歌声を聴くと、近くの船に乗っていた水夫や海賊はみんな気が狂ってしまう、みたいな話。そういえばこすもくんはボーイソプラノというか、まだ声変わり前なのか綺麗な声をしている。

 ……じゃあみどりちゃんのヘッドホンって、まさか。

 嫌な予感がして咄嗟に耳を塞ぐ。だが、向こうのほうが一瞬だけ早かった。

「『めぐれ復讐の血よ、この想い忘れないために たぎる怒りだけが生きる意味 どうか聞くな、何故と』……」

 ーー塞いだ手の向こうからわずかに漏れ聞こえる歌に聞き入ってしまって、結局これに意味があったのかはわからない。だが、無理もないと思う。こすもくんのラクルイの能力がどうとかいうより、俺が驚いたのはその歌詞とメロディーだった。

「……『カンタレラ』……!?」

 夢幻座の最新作ミュージカル、『カンタレラ』。なつめさんの作品を使った、他の劇団と合同の一大プロジェクトだ。当然曲もすべて書き下ろしで、実結の事件が起こる前に楽譜が仕上がり、練習が始まったばかりだったはず。


 ——その曲を、どうしてこすもくんが知っているんだ。

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