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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第二幕 日陰者達のマスカレイド
30/34

幕間 -風巻作楽・這原叡智


「ここんとこ、おれ、なんか変だよなあ」


 はやく、疾く、疾く――壁から窓へ。屋根から屋根へ。錆びついた白の異形に姿を変え、風巻は夜中の街を舞う。数日前にふっと自分の口からこぼれた疑問は、飛ばせど飛ばせど依然彼の頭を支配していたようだった。

 日下部光輝を拾ってからのことを指しているのだろう、と破鏡なつめは考える。「柄じゃねーとは思ったんだけどさ」。言い訳じみて付け足す彼に、なつめはいつものように、沈黙と鏡色の瞳で返事した。

「だよなあ……。ごめんな嬢ちゃん。忘れてくれよ」

 軽薄を貼り付けた笑顔と手振り。彼が言うならおそらくそうなのだろうと、なつめは内心だけで頷いた。彼女の知る風巻作楽は、もっと嘘の上手い男だったはずである。


「『こんばんは。良い夜ですね、復讐鬼さん?』」


 顔を上げる。風巻は聞こえた《台詞》と、眼前の光景に目を見張った。

 目的地である総合病院への道すがら、人気ひとけの減った商店街。その頭上。風巻の行く手を阻むように陣取る一団があった。

 女性の《なれのはて》と思しき十数体のエピファネイアラクルイと、一人の見慣れた人影。異形の首を両の腕に抱き寄せ、その広い肩口に悠然と腰かける男――夢幻座次回公演の主演俳優、這原叡智その人であった。

「最初期エピファネイアの欠落個体【アルジャーノン】……直接お会いするのは初めてでしたっけ?」

「な……!?」

 何をしている。何故お前が。何故、《そっち》に。なんでその名前を知っている。

 疑問は山とあったが、驚きに喉が詰まってどれも言葉になり損なう。幸い、それが逆に風巻を冷静にさせた。相手はともかく、こちらは今やラクルイの異形態。なぜ這原がエピファネイアとつるんでいるのか知らないが、とにかく今自分が「風巻作楽」だとわかる反応を示すのは得策ではないだろう。人間としての正体を隠したまま叩くのが現状はベスト――そんな風巻の願望はしかし、次の一瞬で打ち砕かれる。

「そんなに殺気立たないでほしいなあ。共演者でしょう? 仲良くしましょうよ、《座長サン》」

「は、お前……なんで……っ!」

「一応、僕も名乗っておきましょうか。

 エピファネイア名誉幹部【ジャック】。《王様》達からはそう呼ばれています」

 ああ、勘違いしないでくださいね。這原は息を吐く間もなく続ける。

 ……愉しそうだ。風巻は手にした長弓を握りしめた。愉しそうだ。今まで見た劇場や稽古場でのどんな笑顔より、ずっと、ずっと。

「僕、べつに理想の世界とか、人間とラクルイがどうとか、そういうのに興味ないんですよ。ここにいるのも、夢幻座さんに客演に来たのも、ぜェんぶ僕の意思。

 《その方がイイものを見られそうだったから》、です」

 動けない。なんで、と風巻はふたたび自問した。

 初歩的な手口のはずだ。相手の弱みを突いて、言葉で相手ラクルイの動揺を誘うなど。こんなの全部作戦のうち、理解している。なのに。

(おれは、なんで、奴を襲えない――?)

 這原は心底愉快そうに、くくっと喉を鳴らした。

「期待通り、とっても面白いものが見られそうです。

風巻作楽アルジャーノン……うちの【ヴィクトール】さんがあんまりご執心なので、個人的にちょっかいかけに来たんですけど。驚いちゃうなあ、貴方ときたら――くだらない人間ごっこはそんなに楽しいですか?」

 言い終える前に風巻が動いた。

 危険を察してか這原を庇いに出たラクルイ二体を近距離射でいなし、目にもとまらぬ速さで距離が詰まる。鈍い銀色の弓先が這原の首に突きささる。

 吹き荒れる暴風。常人なら息をすることすら困難な中、這原はしかし、いっそう口角を釣り上げてみせた。

「あれ、いいんですかァ? 言っときますけど僕、あくまで《名誉幹部》なんでね。黒い血も黒い涙もない、れっきとした人間ですよ?

 万一僕に怪我や死亡事件なんかが起こったとして……責任問題に問われるのは、客演枠として僕の身柄を保証している夢幻座さんですよね?」

「ッ……!」

 わずかな逡巡。それが命取りになった。

 後方から飛び出した一体が、弓ごと風巻の腕を取り押さえる。掴まれた場所から針で突かれたような痛みが走り、思わず仮面下の表情が歪んだ。

「あは、傑作ですね! あの恐るべき反乱分子グランギニョールが、人間なんかに現を抜かしてすっかり弱くなってるなんて……」


「だれが――弱くなったって?」


 ボンっ、と気の抜けた音と共に、這原の頬をびちゃりと黒い血が汚した。

 【エマ】の頭部が見当たらない。拘束された左腕の手首のみを返して、矢さえつがえることなく風圧で爆破したのか。しれいとうを失ってなお暴れる肉体を、もう用はないとばかりに切り捨てる。この高さから落ちたのだ、地面につく頃に身体も溶け、黒涙に変わっているだろう。

 得物を取り戻した風巻に、間伐をいれず後続が襲い掛かる。

 そこから先は早かった。

 腹、腕、脚、肩、そして心臓部。晩秋の空気を右手にすべて掌握し、次から次へ射落としていく。流れ作業のごとく一体一体確実に仕留め、二度と立ち上がれぬよう涙片に変えて吹き散らすのだ。あわや全滅――這原を最も近くで警護していた二体も、この蹂躙を見かねて動いたが。

「【ルーシー】、【ロザリータ】。もういい、下がりなさい。……やはり、雑魚だけで貴方アルジャーノンをいたぶるのは無理がありましたかね」

 もう、エマの《死に顔》を拝み損なったじゃないですかあ――などとわざとらしく頬を膨らませてみせ、這原は両手を挙げてみせる。ラクルイを下げて這原自身にんげんが前面に出たあたり、簡単な人質のつもりなのだろう。

「これで終わり? いやいや、いっくらなんでも舐められすぎじゃね?」

 風巻は武器を下ろさないまま、挑発的に鼻で笑ってみせる。

「つーかお前、マジで丸腰なの? そのお供、ぞろぞろ連れて歩くわけにもいかねーんだろ。派手にネタばらししちゃって大丈夫だったわけ? おれ、いつでもあんたを殺せるんだぜ?」

「今の貴方にそんなことができると思うなら、僕だってもっと慎重になりますよ」

 人間の姿であれば、おそらく唇が引きつっていた。なんなのだ、この男は。一体自分をどうしたいのだ? 恐怖させたいのか、怒らせたいのか。いや、殺されたいのか?

 這原はいっそう愉悦に肩を震わせると、つと仮面の奥の風巻を見据えた。口調も表情もふざけたようで余裕綽々なのに、眼光だけがいやに鋭い。甘ったるい嘲笑の底に、毒が、牙が見える。

「自覚があるのかないのか知りませんけど、貴方は確実に弱くなってます。

 共演者として一応忠告しとくと――分不相応な夢を見るのは、ほどほどにした方がいい。愛するとか、守るとか……僕たちはそういうの、生まれつきできない人種なんだ。

 それが分かるくらいには賢い方だと思ってたんですけどね、貴方のことは」

「本性現した途端ガンガン人を馬鹿にするよねお前。ふつーに大きなお世話じゃねーの」

「だって。これじゃあ、まるで貴方の方がカンタレラだ」

 ――いけない。刺される。

 感覚が叫んだ。言葉の一突き一突きが、うろこを剥ぐように自由を奪ってゆく。

 きっと嬲り殺しにする気なのだ。風巻を確実に殺せる次の一言を、おそらく彼は持っている。だのに最早逃げることさえできない。そうだ、言葉で人目を釘付けることに関しては、この男は風巻より何枚も上手ではないか。

 身体が、重い。

 最も柔らかい傷口をえぐるように、それは甘く甘く、寒気がするほど優しい声で囁かれた。


「矛盾してるじゃないですか。自制のきかないラクルイを根絶する気なら、本当に【ヴィクトール】さんに復讐する気なら……《どうして徒花実結を殺さなかったんです?》」


 じゃら、じゃらじゃらじゃら。

(――――あ、)

 重い。まずい。呑みこんだ息が、まとまらぬ言い訳が、肉体を与えられた自己矛盾が、重い。重い。重い。

 墜落しそうな身体を、形を得てしまった鎖の髪ごと掴まれる。こんなに重たいはずの全身をいとも簡単に引きあげながら、這原は狂ったように笑った。白の仮面は顎から無遠慮に剥ぎ取られ、わずかな隙間からは喜色に染まった顔がのぞき込んだ。


「ほら――そう、僕、座長サンのそういう顔が見たかったんですよ」

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