俺たちはヒーローじゃない Act6
side:日下部光輝
《影》の世界からまっすぐ飛び出した俺は、総合病院の半分の高さまで跳躍した。
「こっちだ、卑怯者め!」
あえて先にこう叫んだのは、相手の注意を完全に岸内から俺に移すため。案の条、敵の一団は泡を食って攻撃態勢に入る。さすがに病院に攻撃を当てるのはまずいから、俺はそのまま真っ白い壁を横薙ぎに駆けた。第一弾が放たれる直前で、俺はふたたび街燈の細い影にダイブする。
『また消えた!?』
『くそっ、どこだ!』
夜は俺の色だ。冷静に隙をついて素早く動き回れば、俺の居場所を正確にとらえるのはかなり難しいだろう。それに、俺の予想が正しければ。
「さあ、どこを見てる!?」
素早く矢をつがえ、ひゅっと撃ち放す。後ろを向いた敵の背中に大きく穴が開いた。
まず二体。撃ったらあまり無理をせずに、すぐ影に潜る。
そう、ようやく思い出した、風巻さんと考えた俺の戦い方。不安定を、不定形を活かすのだ。定まった形がないのはどうにでもなれるということだし、相手も俺がどう出るかわからないということ。大丈夫、いま主導権は俺にある。このまま俺のペースに持ち込んでしまえば、きっと勝機はある!
『ああ、畜生!』
『うぜえぞ! ちょこまかと!』
次に三体。振り返って一体。まだ当たらない。もう少し待つべきか。さっき出ていったところの裏へ回り込んで、いけるか、もう二体。
車の影から飛び出すと、随分数の減った敵勢はやはり明後日の方向を向いている。集中力が切れてきたか、ここで一気に……!
「うっ!?」
肩に鈍い痛みが走る。動きが読まれてしまった
―—いよいよか。
『当たりだ!』
『物陰は封じた!もう逃げられねえ!』
『責めろーッ!!』
俺はあえて影の中へは逃げず、真上へと跳躍する。渡り廊下の屋根へ陣取るが、敵はこの位置までも平気で石を投げてくる。頰や腿のあたりをかすめて飛んでいくが、不思議と痛みは少なかった。
きっと、俺の覚悟が決まったからだろう。これからひとつ、大きな賭けに出る。
「お前たちの正体は見切ったぞ」
深く息を吸い込む。両足をまっすぐ下ろして、瞳に力を。
大丈夫。言葉の正しい伝え方なら、夢幻座で教わった。
「お前たち、いや――《お前》。ほんとは仲間と来てるんじゃないだろ」
凍り付いた空気。さらに深く、決定的に切り込む真実を俺は知っている。
「どこかに本体がいるんだろ。この集団は、どこかにいる本体が作った幻影なんじゃないのか」
ぴたりと、攻撃の手が止んだ。
突拍子もない考えなのはわかる。でも、それならすべて辻褄が合うのだ。
一糸乱れぬ連携。何度撃っても復活して、際限のない攻撃。いちばん最初に一体を攻撃しただけで全員が振り返ったのは、全員が感覚を共有していたからだ。ただ、その反面、多方向を同時に見ることはできない。さっきの俺はそこを突いた。しかも、それが正しいとすれば。
《ラクルイの姿は心を表す》。看破されるリスクを背負ってまで、こんな姿で現れた理由は。
「なんか……わかるよ。さっき俺に言ったようなことを、お前、今まで大勢の人に言われてきたんじゃないのか? 散々無責任なこと言われて、傷ついて。同じ方法で、誰かのことを傷つけたいって考えたのかもしれない。ひとりぼっちで痛みに耐えるの、苦しいもんな」
『うるさい、うるさい! アタシは、ひとりなんかじゃないッ……!!』
「でも、それじゃダメなんだ!」
激昂したのか、今までにない覇気を伴って襲い掛かってくる無数の幻影。石での遠隔攻撃をやめ、直接俺を引きずりおろす気らしい。這い上がり、足元へ掴みかかろうと蛇のように腕が伸びてくる。それでも俺の気持ちは揺るがなかった。
わかってくれる人が欲しかったんだろう。だけど、それが叶わなかったんだろう。それでこんな歪な形で自分の賛同者を《創る》しかなかった。隠れて泣きながら人を襲うこの子は、風巻さんに出会えなかった場合の俺なのかもしれない。だったら、俺には伝えなきゃいけないことがある。
「それでも、岸内を……全く無関係な人間を襲うのは間違ってると思う。さっき君と戦って、俺も痛かったけどさ、たぶん君が受けてきた痛みはこんなものじゃないんだ。どうやったって、君の痛みは君だけのものなんだ。俺たちは、そうやって抱えていくしかないんだよ」
俺は屋根から飛び降りて、群がる幻影たちの背中越しに後ろを見据えた。
「――そこにいるんだな」
ひときわ強く、頬の横で吹き荒れる辻風。構えた弓の正面にいたのは、あちこち傷ついて磔の格好にされた小柄のラクルイだった。
そうか――はじめから、一団の中にこの子は居なかったのだ。動かないんじゃなくて、動けないから。自分の意のままに動く身代わりを用意して、既に傷だらけの本体を守っていたのか。
ばらばらと、遅れて豪雨のように強く背を打ちはじめる爆音。目の前のラクルイは、どうしようもないほどに、ただのちっぽけな人間だった。
きっとこの子も苦しいんだ。だったら、なおさら、こんなことはもう終わりにするんだ。
「ちょ、ちょっと! そこの人、大丈夫ですかっ!?」
――え?
思わずこぼれた声は掠れていた。なんで。どうしてここに。よりによって、なんで今。
いきなり頭が真っ白になった。どれだけ瞬きをしても、必死で考えても、答えは変わらない。そこに居たのは夢幻座のピアニスト・雪町歌音さんだった。
雪町さんはぐったりしたままの岸内に声をかけたらしい。彼女が駆け寄ってくる途中、その声で目を覚ましたらしい岸内は、弾かれたように立ち上がって――そして。
「化け物!」
近くに転がっていた石を掴んで、俺に向かって投げ付けた。
「あ、あんたがっ、あんたがやったんだ! 実結も、あたしも、他の人達もっ! この人殺し!」
「――――」
何も言えなかった。何もできなかった。ついさっきまで形を保っていた仮初の鎧は、みるみるうちに溶けていく。大した力なんてないはずの、震えて弱々しい投石で、ばしゃりと体に穴が開いた。ふたつ、みっつと穴のあいた俺の身体は笑っちゃうくらいに脆くて、かろうじて保っていたヒトの形なんて簡単にくずおれてしまう。
なんでもないはずの、さっき食らった石の傷が何より痛くて、血か涙かわからない黒はまた影に溶けた。
ーーー
side:火ノ迫小唄
「意味わからへん、意味わからへん、意味わからへんっ!!」
歌音に手を引かれて走るあたしは黙っている。でも、だいたいあたしも同意見だった。
だってそうだ。普通に買い物して、ついでにちょっと近くの店で休んで、遅くなったねさあ帰ろうって時間になって。商店街の大通りに出たら、突然ものすごい爆音がしたんだ。
衝撃で地面が揺れて、あたしたちは二人してひっくり返った。その拍子に空を見たら、《明らかに人間じゃない化け物みたいなやつ》が大勢動き回ってたんだから。
一瞬あたしは呆然とした。なにこれ? なんであんなのが、普通に町中に居んの? 隣にいた歌音も同じこと考えてただろうけど、はっとしたように立ち上がると、あたしの腕を掴んで叫んだ。
「ウタコ! 逃げんで!」
「あいつら、何言ってるんだろ……? あたしたちに気づいたかな……」
「どうでもええから、走り! 見つかったら殺されんで!」
幸い奴らはあたしたちには気付かないらしくて、追ってくる様子もない。それをいいことに、歌音とあたしは全速力で走る。走って、走って、商店街を抜けて、とにかく早くオートロック付きアパートに帰りたくてしょうがなかった。息もつかずに史上最速でダッシュしたけど、流石に病院の辺りまで来て二人とも体力が尽きた。
「こ、ここまで来たら、大丈夫やろ……っ」
ぜいぜい肩を上下させながら、なんとか歌音が言った。相当気を張っていたのか、そのままへなへなへたり込んでしまう。
「っ、は、あはははっ……。何や、ビビるわぁ……よかった、あんたもうちも、なんともなくて…………あぁ、よかったぁ……!」
笑ってるのか泣いてるのかもわからないぐちゃぐちゃの顔で、変に引きつった呼吸。やっぱ、あたしがいる手前、ちょっと無理してたんだ――いつもみたいに冗談めかしてしがみついてくる腕を、今日ばっかりは振り払う気になれなかった。かく言うあたしも完全に膝が笑っていて、一度座り込んだら立てそうにない。
「と、とりあえずさ……どっか、端っこに寄って休んで行こ。早く帰りたいけど……どっちみちいま走れないでしょ、あたしたち」
「せやな……」
半分あたしが歌音を引きずる形で、植え込みの花壇まで移動する。夜中の病院駐車場だし、静かで安全なはず。まだ震えている息を整えながらぼんやり浮かべたあたしの甘い考えは、次の瞬間あっさりと打ち砕かれた。
―—何かいる。
大勢の足音と、商店街の連中のに似たわけのわからない言葉だ。一瞬だけど、植え込みの向こうから聞こえた。
(さっきのやつかも……まさか、追いつかれた!?)
やばい、見つかったらやばい! 動けないならとにかく黙ってやり過ごさないと、そう思って歌音に伝えようとあたしは口を開きかけた。
「かの――」
「ちょ、ちょっと! そこの人、大丈夫ですかっ!?」
ひゅっ、と、喉の奥で変な音が鳴る。
あたしは考えるより先に、力いっぱい歌音の口を押さえつけた。なに大声出してんの、見つかったら殺されるっつったの、あんたでしょ――歌音に聞こえたかどうかはわかんないけど、息だけで思いっきりそう毒づく。歌音はじたばたしながら、しきりにまっすぐ先にある病院の建物を指さした。
(……女の子?)
見ると、そこにはあたしたちと同じくらいの背格好の女の子が倒れている。どっかで見覚えのある制服を着ているけど、スカートからのぞく足はひどい怪我をしてるみたいだ。歌音が「大丈夫ですか」と声をかけたのは、あの子に対してらしい。でも――。
そのとき突然、がばっ、と女の子が起き上がった。
飛んでいた意識が、さっきの歌音の声で戻ったのだろうか。その子はあわててあたりを見回すと、ある方向を――そう、あたしがさっき、おかしな音を聞いた方向を――向くや否や、甲高い声で叫んだ。
「いやああああああああああああ! 化け物ぉッ!!」
歌音の目が大きく見開かれる。ここへきてようやく、ことの重大さを理解しはじめたらしかった。
「あ、あんたがっ、あんたがやったんだ! 実結も、あたしも、他の人達もっ! この人殺し!」
女の子はずいぶんパニクってるみたいで、《化け物》がいるらしい方向に一生懸命近くの石を投げている。人殺し、人殺し、ってしきりにわめきたてながら、まるで何かに憑りつかれたみたいに。あたしはただ見ていることしかできなかったけど、ひとつ引っかかったことがあった。
(――《みゆ》?)
みゆ、って言った、あの子? 「あんたがやった」って、《なにを》?
そりゃあ冷静に考えたら、世の中同じ名前の人間なんていくらでもいるのはわかる。でもあたしにとって「みゆ」と言えば、行方不明になったっきりなんの音沙汰も見せない、あの気弱な劇団員しかいない。
何が起こっている? あたしたちはここで、いったい何を目の当たりにしている?
「ひいぃっ!?」
女の子の悲鳴で我に帰る。大勢の足音が、動いた。
また何やら声を上げながら迫る物音。今度はあたしにも見えた。不格好な人形みたいな集団が、女の子めがけて一斉に襲い掛かる。そいつらの動きはあんまり素早くないけど、足を怪我した女の子は、這うような恰好でなんとか逃げようともがいていた。アスファルトに傷口を擦って小さく唸った彼女に、隣にいる歌音がはっと息を飲む。
「ま、待ってっ! あんた、どこ行くん!?」
「ッ!! 歌音、だめ!」
反射的に立ち上がった歌音を止めきれず、とうとうあたしたちは物陰から顔を出してしまった。
あぁ、もうだめだ――たぶん完全に気付かれた。大声を出したのもそうだし、なによりあたし、髪がこれだし。そうだ、だったらせめて歌音だけでも!とっさに歌音を後ろ側に突きとばしたあと、覚悟を決めてぎゅっと目をつぶった。そして。
……次の音が聞こえない。悲鳴も、痛みもない。
すっぽり時間が抜け落ちたみたいな永遠じみた数秒間。はじめて聞こえたのは、あたしを呼ぶ間の抜けた声だった。
『火ノ迫?』
思わず目を開ける。
(なんで……ここに、《あいつ》の声が)
おかしい。ここにはあたしたちと、あの女の子と、わけのわからない言葉をしゃべる化け物たちしかいないはずだ。状況も忘れて見渡すと――違う。それだけじゃない。たしかに《いる》、もうひとりだけ。
見つけたんだ。化け物たちの群れを一心に食い止めている、薄いぼろきれみたいな別の化け物を。
「あん、た……?」
『どうして、お前まで……。そうだ、お前に頼みがある』
声は確かにあたしを呼んでいた。聞き覚えのあるその声色は、うだつの上がらない持ち主の顔をちゃんと思い出させるのに、目の前にいるのはあたしたちを守るように立ち塞がる黒い化け物だけで。呆然と立ち尽くすあたしに、声は悲しそうに、微笑むように優しく続けた。
『雪町さんの目、塞いでおいてやってくれないか』
怖いとか、不気味だとか、なぜかそんな感情はなかった。こちらに向いた穴ぼこだらけの背中。たぶん、さっきの女の子に、「化け物」って呼ばれて足をぶつけられた背中……。あたしは黙って頷くと、植え込みにかがんだ歌音の視界をふさぐようにぎゅっと抱きしめた。
『ちょっと、痛いぜ。……我慢しな――!』
そこから先何が起こったのかは、あたしも見てなかったのでわからない。普段の《あいつ》からは考えられないくらいの太い声があたりに響いて、嵐みたいな烈風があたりに巻き起こった。しばらく経ってなんの物音もしなくなったあと、ゆっくりあたしたちが身体を起こすと、化け物たちはもう跡形もなく消え失せていた。




