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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第二幕 日陰者達のマスカレイド
27/34

俺たちはヒーローじゃない Act4


 交差点を渡り、下り坂に沿って直進。商店街を抜けた先のバス停方面へ。そこから先は考えていなかったが、とにかく岸内冴は急ぎ足だった。

 自分がなんとかしなくては。自分がなんとかしなくては。誰に言われたわけでもないが、友人を救うという純粋な使命感が彼女を動かした。否、それは建前だ。ただ、動いていなければ自分の気が収まらないだけだった。

 誰のことも信用できない。疑念が胸の内を占めていた。実結に恋のアドバイスを行った彼女としては、失望よりも見込み違ったという申し訳なさが勝る。いいや、彼女はきっと生きているはず。自分のこの目で確かめなければ。

 十一月も半ば、とっくに日は落ちている。制服だけではとても防ぎきれぬ寒さ、冷えた汗も手伝ってじわじわと体温が奪われていく。今日はもうあきらめて帰ろうか、などとは思いもしなかった。日下部に侮蔑的な言葉を投げつけ、感情のままに飛び出した勢いでここまで来たのだ。この際こじつけでもいい、納得できる成果でもなければおさまりがつきそうになかった。

 そうは言っても身体は疲れるばかり。岸内はとうとう立ち止まり、手近な建物の壁に手をついた。

 玉響総合病院。実結と反対方面に住んでいる岸内としては、ずいぶん遠くまで来てしまった。せめて親には連絡くらい入れておいたほうがいいだろうか。携帯電話を取り出し、アプリを起動してふと空しくなる。

 日下部光輝。

 実結が行方不明になったと聞いてから、クラスのトークルームではその話で持ち切りだった。少しでも早く彼女を取り戻そうと、岸内を筆頭に、高校生なりに皆必死で知恵を絞ったのだ。文化祭での大成功を経てからというもの、クラスの団結力は格段に高まっている。その中心には実結と、誰あろう日下部もいたはずなのに、彼はあの日を境にまったくこちらに連絡を寄越さなくなった。それだけでも岸内はかなり腹が立っていたのだが、まさかあんな裏切りまがいのことまで口にするとは。なんて男だろう――信じて、いたのに。


「こんな時間にどうなさったのですか、お嬢さん」

 不意に、男の声が降ってきた。

 そのとき初めて、自分が泣きそうになっていたことに気がついた。急いで瞬きをしようとすると、長身らしい声の主が顔を覗き込んでくる。目が合った瞬間、岸内は思わず叫びそうになった。

「は……は、は…………!」

 今をときめくスター俳優、這原叡智。

 所属、Theaterガラクシアス。ここ玉響から二駅離れた、射干玉(ぬばたま)駅正面に専用劇場を構える。その演技力と恵まれたヴィジュアルで、テレビに雑誌グラビアにと活躍の場を広げている、俗に言うイケメン若手俳優である。かくいう岸内も実結の伝手を借り、彼が主演する二ヶ月後の公演チケットを数枚抑える程度には這原に惚れ込んでいた。

「僕のこと、知っていてくれたんですね。ありがたいです」

 震える声でなんとかその名を呼んだ岸内に、這原は上品にはにかんだ。

 なんて綺麗な顔立ちだろう! 岸内は現在の状況も忘れ、しばしその美貌に魅入った。写真や舞台映像で見たことはあったものの、こうして眼前にすると圧倒的にオーラが違う。建物から漏れる青っぽい明りに照らされて、少し陰のある、妖しくも端正な姿がよく映える。

「ところで、さっきもお聞きしましたけど。こんな場所にひとりで何をされてたんです?」

 突然のことに黙りこくっているのを見かねたか。這原は心配そうな顔をして、岸内と同じ目線まで屈み込んだ。

「少し焦っているというか、苦しそうに見えたものだから。僕にお手伝いができるか分かりませんが、話だけでも聞かせてほしいな」

 今度こそ涙をこらえきれそうになかった。なんという、印象通りの紳士的な人柄。ただの一般人である自分を、初対面でここまで気遣ってくれるとは。捨てる神あれば拾う神あり、感激と安堵にしゃくりあげながら、岸内はことのいきさつを洗いざらい話した。興奮して要領を得ない彼女の主張に、這原は何度も優しく相槌をうった。



 なるほど、話が見えてきた。

 少女の説明を彼なりに咀嚼し、その示すところを飲みくだすと同時に、這原の好奇心はひといきに失せてしまった。

「ありえなくないですか!? だって、ほとんど付き合ってるような感じだったんですよ。好きな子が怖い目に遭ってるかもしれないのに、知らん顔なんて信じられない。こういう時こそ、みんなで助け合うのが《普通》でしょう」

 普通、常識、当たり前。先程から聞いていれば彼女はそればかりである。《普通》から少しでも外れた行動を取った者は、問答無用で袋叩きだ。自分が正義の味方だと信じて疑わない、面倒で強固な確信に満ちた眼。この手の人間の語る《普通》など一般常識でも何でもない。自分の世界が脆いから、規格外の存在に対処しきれず、しようともせず、頭ごなしに排除することしか考えられないのだ。這原自身は気づかなかったが、彼は目の前で泣きじゃくる一個の人間に、少しばかりの嫌悪と苛立ちを覚えはじめていた。

「そうですか。とてもよくわかりました」 這原は事務的に話を打ち切った。剣呑になった雰囲気に身を強張らせた岸内をよそに、唐突に振り返りこう告げる――

「《貴女》も聞いていましたね?」

「えっ?」


 つられて後ろを振り向いた瞬間、岸内は絶句した。

 目の前に怪物が立っていた。


「ひ……あ、嫌、なに、」

「よく『待て』ができましたね、エルフィ。貴女の予想通りだったみたいだ。どうやらこのひとは、我等が王の元へお迎えするにはふさわしくないらしい」

 這原がうっとりと怪物に頬を寄せ、愛おしそうにキスをする。穏やかな微笑は、先ほど話を聞いてくれた親切な青年の面影そのままだった。

 大きすぎる背中の十字架。四肢、頬、腹部、あらゆる場所に刺し穿たれた歪な形の釘。ぼろぼろの髪や服らしき箇所からは水か、はたまた血か涙か、とめどなく液体が滴っていた。その隙間からわずかに見える目は真っ黒。目が合ったとたん、息を忘れるほど強い感情が岸内を突き刺した。

 これは、敵意だ。

 そうだ、そろそろ構わないだろう。この世に嫌ほど溢れかえっている、極めて動物的な文化活動を、この女に対しても施行するだけだ。おそらく丁度彼女が、先程「友達の彼氏」とやらにしたのと、同じくらい残酷なことを。

「どうせ必要ないなら、せっかくだし僕達だけで食べちゃおっかなァ。どうですエルフィ? この手の『正しいひと』、貴女いちばんお嫌いでしょう?」

 あくまで楽しそうにさえずりながら、這原は軽やかに距離をとる。ここまで来れば這原のすることは何もない。ならばあとは早々に「最後のお楽しみ」を見物する立場に回っても、文句はなかろう。

 マジョリティへの復讐を。今度は我々(マイノリティ)が、あんたがたを排除する番だ。

「僕が許可します。さあ、あとはご自由にどうぞ。その人間、好きにしていいですよ」

 声が聞こえたのは、怪物が飛び掛かるのとほぼ同時だった。


―――


 いつだってばかに礼儀正しいこの少年が、今日に限ってノックもせずに書庫のドアを開けた。

「やっぱり、俺、わかんないです」

 開口一番そう告げて、日下部光輝はふらふらと室内に足を踏み入れる。書かれたばかりの≪物語≫に目を通していた風巻は、そのただならぬ様子に顔をしかめた。

 おおかた、見当はついている。生前の実結とあれだけ親しかった光輝だ、周囲に彼女の最期を隠し通せというのはいささか無理のある話であったろう。覚悟していたとはいえ、忠告した身であるだけに心苦しい。

 無言で手招きし、隣へ座るよう促す。光輝も素直にソファへ腰を下ろした。

「風巻さんの意見が間違ってないのはわかります。普通の人に被害を広めないためには、仕方ないことだって。でも、だからって何もできないなんて、そんなの」

 言葉を詰まらせ、口をつぐむ。間違っても真実以外を伝えたくないのだろう、風巻の目をじっと見上げ、光輝は懺悔をするように、ぽつりとつぶやいた。

「辛い……です。耐えられそうに、ないです、まだ」

「……ん」

 たまらず光輝から目をそらした風巻は、ついぞ見たことのない顔をしていた。なにか言いたげに何度か口を開いたものの、結局意味のある文字列は作れない。諦めたように嘆息して、くしゃっと隣の頭を撫でる。奇妙なことにこの男、近頃ずっとこんな調子だった。

「……珈琲でも淹れてこよっかな」

 沈黙に耐えかねたか、しばらくして風巻はソファを立った。驚いた顔の光輝に「お前は紅茶とかでいいか」と勝手に確認を取ると、三人分のカップを手にさっさと部屋を出て行ってしまう。かくして書庫には光輝と、脚本家である破鏡なつめだけが残される。

「…………」

 気まずい、と思ったようだ。

「あの、破鏡さ……ああ、えーっと、なつめさん」

「ふむ。何か」

「これって、脚本家さん以外のお仕事ですか。変わった形式だなと思って」

 先程まで風巻が読んでいた≪物語≫を拾い上げ、光輝はぱらぱらとめくってみせる。原稿用紙ではなく白紙に、万葉仮名に近い古典形式の縦書き文書。何も知らぬ者が見て不思議に思うのも無理はない。

「《語り部》の本業というやつさ。ごらん」

 光輝は誘導されるまま、黒い割れ鏡の正面に立った。割れ目から滴る黒滴が溜まった、ガラスのインク瓶。手元の銀の万年筆からコンバーターを抜き取ると、軽く瓶に浸してインクを充填する。

「この液体に見覚えがあるだろう。ラクルイ達の血と涙――彼らの生き様をあまねく移すこの鏡の導きのまま、現在進行形で歴史を《ものがたる》。これが、本来《語り部》に課された使命だよ」

 柔い室内灯を反射させくるりとペンを立てれば、もう下準備は整ったも同然だ。やがてさらさらと紙面を踊り始める銀色に、小さく感嘆の声があがった。

「すごい……じゃあ、ラクルイに関することは全部これでわかっちゃうんですか」

「ああ。場合によっては、君のことなんかも含めてね。ただ例外は――ッ!?」

 どん、と鈍い衝撃が女の身体を揺すった。遅れて思考を蝕む頭痛に、思わず眉根を寄せる。

「なつめさん!?」

「……例外、は、もうひとつの鏡……エピファネイアの管轄下で起こったこと。こちらからの情報取得はこれ以上は不可能のようだが、一つだけわかったことがある。

 日下部光輝。君は、ここへ来る直前『岸内冴』と口論をしたね」

「!」

 心配そうに身をかがめていた光輝の目に、驚きの色が映った。

「彼女は今、エピファネイアと接触している。おそらく、幹部クラスだろう」

  弾かれたように立ち上がる。束の間逡巡して目を泳がせたあと、意を決したらしい彼は勢いよくコートに手をかけた。

「場所はッ!?」

「玉響総合病院前」

 それ以上の言葉はなかった。容易に想像できる彼の行為を止めることも、諌めることも、彼女に許されてはいない。強い足取りで書庫を飛び出した彼の背中を、ペンを握りしめながら見ていた。


「あれ、嬢ちゃん? 光輝は?」

 ほぼ入れ替わりの形で書庫に戻ってきた風巻は、即座に室内の違和感に気付いたらしかった。疲弊した様子の脚本家、消えた光輝のコート。女は黙ったまま、たった今書き上げたばかりの《物語》を彼に手渡す。

 ざっと斜めに目を滑らせた風巻は、なんとも表記し難いうめき声を上げた。がしがしと銀の髪を掻き、拗ねたように紙束を突き返してくる。

「あの、馬鹿……!」

 乱暴に置かれたカップ類が、がたがたと抗議の声を上げた。お構い無しに、また当てつけのように自分のコートをひったくる。

「ごめん、すぐ片付けてくるわ!」

 最後にそう言い捨てて、風巻も勢いよく部屋を飛び出していった。

 しんと静まり返った書庫の中。脚本家は車椅子を操ってようやく部屋の扉を閉め、小さく息を吐いた。もう一度ペンを握る前にと、三つ置かれたカップのうち一つに口をつける。既に少しばかり冷めてしまったそれは、味気なくも彼女の喉を潤した。

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