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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第二幕 日陰者達のマスカレイド
25/34

俺たちはヒーローじゃない Act2

side:日下部光輝


 秋も深まり、少し涼しくなった昼下がり。

 アンティークなお屋敷のロビーにて。

「あっははははは! おまっ、それマジでやってんの!?」

 俺は、白いのっぺらぼうの異形に指差しで爆笑されていた。


 遡ること十数分前。「グランギニョール」としての生き方を教わるべく風巻さんに師事した俺は、ラクルイの力の制御を覚えるために一度変身してみることになり。

「って、そもそも変身ってどうやるんですか?」

「ん?」

 既に異形の姿に変身した風巻さんが小首をかしげる。一介の高校生男子と顔なし怪人が当然のように口を利いている謎の光景。我ながら冷静になると変な気分だ。

「どうやるっつーか、なあ。教えるようなもんでもないんだよな」

 意外にも風巻さんはここで考え込んだ。そもそも異形化は感情が昂ぶったときにしか起こらないので、人為的にやろうと思うと各自でコツをつかむしかないらしい。

 そういう答えが一番困る。俺は必死で食い下がったが、期待以上の返事はもらえなかった。

「こうしてくださいよ、みたいなルールはないんだって。ものは試しで一回やってみたら? 『やるぞ!』って思ったら案外できるかもしれねーじゃん」

 子供に鉄棒教える上級生じゃあるまいし。

 思い切って踏み込めばできるよと言われつづけた幼少期、自慢じゃないが俺は一度も逆上がりができたためしがない。それでも何もせずにぶつくさ言っても仕方ないと、重い腰を上げてからが長かった。

 とりあえず腹筋に力を入れて、念力まがいのことをやってみる。やっているうちに情けなくなってきた。小さいころ、戦隊ヒーローの決めポーズを真似ていたのを思い出したのだ。高校生にもなって俺はなんでこんなことしなきゃならないんだろう。いろんな意味で真っ赤になりながら、俺はしきりに「もう勘弁してください」と目で訴えた。

「がんばれ、もうひと踏ん張り! 演劇の稽古かなんかだと思って!」

 そんな無茶なぁ、と情けない声を出したものの、言われてみれば一理ある助言だった。

 火ノ迫が忌み嫌う発声練習を含め、稽古の第一歩は恥を捨てることである。俺も何度か参加したが、みんなあの不可思議な基礎錬を当然のような顔でこなすのだ。はじめは多少の抵抗もあったが、大の大人が揃いもそろって大真面目にやっているものだから、なんだか恥ずかしがっているほうが恥ずかしいような気持ちになる。そういうわけで俺も早々に腹をくくり、今では特に何も感じなくなった。

 ふと思い立って、俺はひとつ深呼吸してみた。

 軽く体をほぐし、立羽さんに教わったバレエの立ち方ですっと目を閉じる。そして頭の中で、いつも土橋さんがやるエチュード開始の合図を鳴らした。

「——はじめ《action》!」

 俺の身体に変化が起こったのはそのあとだ。

 目を開けた瞬間、ぱちんっと光が弾けた。足の先から頭まで冷えびえと冴えわたり、あれほど扱うのに難儀した自分の身体からすら解き放たれた感覚。

 成功か!? 嬉しさのあまり風巻さんを振り返ると、くるんと捻った首筋からびちゃっと黒いものが飛んだ。

「あ、あれっ?」

「えっ、お前、なにそれ」

 風巻さんがぎょっとした顔で……もといポーズで言う。ますますきょとんとしていると、風巻さんはどこからか姿見を持ってきてくれた。

 どういうことだろう。俺が姿見をのぞき込んでから、彼の反応を理解するのにたっぷり十秒を要した。

「…………?」

 何も映っていないのだ。強いて言えば、さっき俺がびちゃっとやった黒いのの形跡が少々派手に残っているだけ。不審に思ってさらに鏡をのぞき込むと、その黒いびちゃびちゃがにゅるっとこっちに寄ってきた。

「……うわあああーっ!?」

 驚いて飛び退く(?)と、かろうじて立体だったそれがいよいよ水みたいにカーペットに広がった。ちょっとまずいんじゃないかと身体をまとめてみると、確かに鏡の中のそいつも心なしか小さくなる。

「えっ、これが俺……?」

「こっちが聞きてーよ。結構長い間ラクルイやってきたけど、こんな奴見たことも聞いたこともねーぞ」

 風巻さんはあわれむように俺の前へしゃがみ込んだ。

 いくらなんでも、俺だって想像の斜め上だ。とりあえず俺は伸びたり縮んだり、ぴょんぴょん跳ねたりしてみた。

 水である。どう見たって黒い水以外の何物でもない。ラクルイの涙と言ったほうが正しいのだろうか、とにかくあの黒い液体が意思を持って、アメーバみたいに動いているのを想像してくれればいい。自分の体を動かすように、形は自由に変えられる。でも、もうちょっとこう、なんかないわけ?

「ふつうラクルイって、みんな風巻さんみたいになるんですか?」

 いたたまれない気分で白い顔を見上げる。だんだんこののっぺらぼうが、すごく模範的で真っ当なものに見えてきた。

「いや……ラクルイの形や能力は、そいつの精神状態と一致するっていうしなあ。獣型とか人型がどうにかなったような形とか、結構バラエティあるけど。流石に固体じゃない奴は史上初じゃねーかな」

 かくして白いのっぺらぼうと黒いアメーバは、ほとほと困ってしばらく見つめあった。

「とりあえず、人型になってみたら?」


 …………冒頭へ戻る。

 しょうがないのだ。俺が知ってるまともなグランギニョールといえば、それこそ風巻さんと実結くらいのもの。あんな感じ、あんな感じと念じながら俺なりに手は尽くした。結果鏡の中には、3D化に失敗したキュビズム人物画が申し訳程度にスカート履いたみたいな謎の物体が鎮座していた。

「そんなに笑うことないじゃないですか」

 あんまり長いこと笑うのでさすがに腹が立ってきた。ちょっと怒った声を出すと、風巻さんは息を整えながら手で制するポーズをとる。

「や、上出来上出来。いちおう人っぽい形にはなれてるじゃん。とりあえずそれキープでいこう……ふふ、ふふふふっ」

「ほら馬鹿にしてる! 黒いの飛ばしますよ!」

 両手で水鉄砲の体勢を取る。あからさまにガードのポーズを取りながら、彼はしらじらしく話題を逸らしてきた。

「あぁ、そうだそうだ。続きを教えるんだったな」

 この人、本当に忘れてたんじゃないだろうな。


「まあ、ベースが液体?なのは置いとくとして。人型にもなれるし思い通り動けるってことは、普通に歩いたり走ったり殴ったり首を絞めたりはできるんだよな?」

「いきなりたとえが物騒になりましたね」

「大事なことだぞ」

 風巻さんは大真面目だった。

「ラクルイの力はコツをつかめば理性で制御できる。逆に言えば、いくらでも悪用できるんだ。実際、訳の分からねー理屈で人間を襲ったり、右も左も分かってないラクルイをそそのかして手駒にする連中ってのが居る。

エピファネイア——実結を襲ったラクルイ、スカーレットもその傘下だ」

 実結。

 名前が出た瞬間、身が縮まるのを感じた。

 目の前にあの光景がフラッシュバックする。果敢にも立ち上がった実結。彼女の決意を嘲笑うように、なすすべなくすべてを呑み込んだ怪物、もとい《スカーレット》。そして、そんな絶望的な光景をただ、見ていることしかできなかった弱い自分。

「とにかく、自己防衛くらいは出来るようになっとくべきだと思うぜ。ただでさえ危なっかしいのに、実結の件でお前の存在が奴らに割れたかも」

 それに、と彼は続ける。

「多少でも力があれば、誰かを守れる」

 ——このひとにしちゃ柄にもない台詞だ、なんて、この時は考える余裕もなかった。俺は頷くのが精一杯だった。

「戦い方はそうだな……模擬戦みたいな感じで、しばらくはおれが相手してやるよ。ひとまずこの屋敷の中は安全だし、色々試すうちにお前の能力とかやりくちも見えてくるだろ。

まあ学校の後なり稽古の合間なり、ちょくちょくここに来な。分かんねーことは嬢ちゃんに聞けばいいし、困ったことがありゃおれもできるだけ協力する」

「すみません、そこまでしてもらっちゃって」

 小さく頭を下げると、風巻さんはくすんだ仮面を淋しげに揺らした。

「せめてもの罪滅ぼしっつーか、責任みたいなもんだよ」


 もう一日だけなつめさんのお屋敷に泊まらせてもらい、家には翌日帰った。あとで知ったことだが、実結が『行方不明』になった事件の警戒と調査のため、学校は週末明けも数日休みになったようだ。

 丸二日家に帰らなかったことに、両親と暁兄さんは気づいてさえいなかった。どうせ彼らは先週末が文化祭だったことも知らないのだ。べつにそんなの、今更構わないけど。

 ふと本番前、実結が話していたのを思い出す。

「きょう、お母さん見に来るんだって」

 恥ずかしそうにそう言った彼女は、普通に家へ帰って、親御さんと話に花を咲かせるはずだったのだ。きっとそこには高嶺さんもいただろう。優しくて繊細な彼のことだ、今頃耐えられないほど心配しているに違いない。

 俺が実結の代わりにああなればよかったんだ。

 考えないと決めていた思いが膨らんできて、俺は大きく首を振った。駄目だ。いま弱気になったら、俺まで飲み込まれてしまう。

 バッテリーが切れたまま放置していた携帯を手に取る。充電しながら電源をいれると、クラス用チャットルームの更新通知が見たこともない数字を叩き出していた。発言者は主に岸内で、実結の事件についてあれこれ聞き回っている。千件を超えるレスを一つも遡る気になれず、俺は画面を伏せた。

 鞄の整理もしなきゃならないのだが、どうも気分が沈んではかどらない。特に曽根崎心中の脚本とか、文化祭に関係あるものは目につくたび手が止まった。

「もういいや」

 諦めてチャックを閉め、逃げるように布団に潜り込んだ。実結がいなくなったことも、これから学校に行ってももう彼女に会えないことも、なにも考えたくなかった。

 学校が休みになっている間は、風巻さんたちのところに通いつめて過ごした。家族に説明するのも面倒だったし、したってろくな思いをしないことは分かっていたからだ。模擬戦の間は何も考えずに済んだし、なにより、全部分かったうえで黙って一緒にいてくれる風巻さんの隣は居心地がよかった。

 そうやって騙し騙し——あるいは考えることから逃げながら——過ごした数日間も、あっけなく終わってしまい。

 あの事件から初めてになる登校日の朝がやってきた。


 想像通り2-Cはひどくざわついていて、あちこちから噂話がひっきりなしに聞こえてくる。根も葉もない憶測の応酬に耐えかねて教室を出たが、廊下も大した違いはない。朝礼の時刻まで当てもなくぶらついた結果、全校集会の集合場所を知り損ねて遅刻した。

 体育館に着いた時、既に校長の話は終わっていた。

「大した話じゃなかったから、どうってことねーよ」

 途中で合流した前島はそう言って笑ったが、俺の顔を見るなり変な顔になった。がしがし頭を掻いたあと、変な顔のまま小さく付け足す。「ま、あんま落ち込むなよな」

 教室に帰るとすでに小森先生がいた。何やら警察官らしき男性と話し込んでいる。騒がしいながらも全員着席したのを確認すると、先生は男性に目配せして教壇を譲った。

「さっきの集会で、校長先生からもお話があったかと思いますが」

 軽く名乗ったあと、男性は単刀直入に切り出した。

「徒花実結さんが行方不明になった事件について、我々は連日調査を続けています。ですが今、圧倒的に情報が足りず、正直なところ警察の力だけではどうにもならないのが現状です。

そこで皆さんにも協力していただきたい。事件以前の彼女について、どんな些細なことでも構いません、知っていることがあれば教えてください」

 教室中がしんと静まり返る。俺も、その例外ではなかった。


 休みの間風巻さんに言われたことがある。

「ラクルイのことは、できるだけ人に言うな。……実結の件も、知らぬ存ぜぬを貫き通したほうがいい」

「どうしてですか!?」

 噛みつく俺を逆に押さえて、風巻さんは冷静に言った。

「よく考えてみろ。まず理由その一、お前、実結の《アレ》見る前におれの話をいきなり聞かされたら、素直に信じたか?」

「それは……」

 信じなかった、と思う。今だって信じたくないのだ、こんな現実味のない話。俺はそれきり黙り込むしかなかった。

「当事者じゃない奴においそれと分かる内容じゃねーんだ。ヘタに話してみろ、頭イッちゃってる奴だと思われて終いだぜ」

「その二。万一信じてもらえたとして、変な方向にキョーミ持たれたらこっちが困る。野次馬根性でそれこそエピファネイアとかと接触持って、そいつまで事件に巻き込まれたりしたら洒落になんねーだろ」

「その三。仮に聞き手がお前の言ったことをまともに信じてくれて、変な好奇心も持たれなかった場合。……はっきり言って、これが最悪のパターンだな。ちょっと考えりゃ分かるだろーけどさ」

 淡々と俺を説き伏せて、風巻さんは、最後にこう締めくくった。

「黙ってるのが一番安全なんだ。お前にとっても、周りにとっても。納得いかないかもしれねーけど、堪えてほしい」


 俺は俯いたまま歯をくいしばっていた。誰の発言も聞こえない。当然だ、俺以上にあの日の実結を知っている人間など他にいないのだから。警察の捜査をもってしてもたぶん辿り着けない、事件の結末も。

 皆が黙っているのを確認してか、警察官の男性は「わかりました」と一礼した。

「何か思い出した事などがあった方は、ぜひ話を聞かせてください。僕は今日一日、職員室でお世話になっておりますので」

 男性が出て行ったあとは、おおむね普通に朝礼と授業が始まった。

 先生たちは意図して「普通」に授業を行おうとしているようで、クラスメイト達はわかりやすく不機嫌だった。

「いつまでもそうやって沈んでいたってしょうがないだろう」

 うっかりそんなことを口走る先生が居ようものなら総バッシングだ。みんな、あからさまに気が立っていた。あの前島でさえかける言葉が見つからないのか、いつもの軽口も叩いてこない。

 おそろしく居心地が悪かった。休み時間になるたびに、俺は前島を連れて教室を出た。なんとなく察したらしい前島はその外出にあれこれと理由をつけてくれ、購買なり図書室なりを延々とうろついて時間を潰した。

 どこを歩いても誰かに見られているようで、気が気じゃなかった。好きだったはずのクラスが息苦しくて、終礼が済んだ時には思わず溜息をついたほどだ。

 やっと帰れる。

 しかし帰り支度をしている最中、前方に影が落ちた。

「日下部」

 岸内だった。机の前に仁王立ちし、頭の上から俺を見下ろしている。ただならぬ雰囲気に、思わず作業の手が止まった。

「なんだなんだ、まさかの愛の告白かぁ?」

「あんた、今、そういうのいいから」

 いつもの調子が戻りかけた前島をぴしゃりと制して、いよいよ周囲の空気が凍る。手首を掴まれて立ち上がり、俺はその日、初めてまともに彼女の顔を見た。

「ちょっと話があるから来て」

 岸内は、怒っていた。

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