肖像画-「ハロウ・マイ・ラブ」 前編
「本当、どうしようもないクズ男ね」
小さな机を挟んで向かい合う、稽古途中の昼下がり。宇多方瞳は台本の該当ページに目を落とし、ぴしゃりと吐き棄てた。
「『バートリーが』、な。ちゃんと主語まで言ってくれよ、毎回どきっとするわ」
「コンセンサスを取るだけじゃない。そんな細かいこと、いちいち気にしてちゃ日が暮れるわよ」
はいはい、というぞんざいな返事と共に、風巻は小さく溜息をついた。
コンセンサスとは、いわば役柄間の打ち合わせである。役者同士でシーンや役について解釈を共有し、あるいは食い違う部分を擦り合わせる。舞台内のコミュニケーションを円滑にするための下準備だ。役作りの方向性を固めるためにも、稽古の比較的早い段階で順次行うべき手順のひとつである。
今回の公演では、風巻と宇多方の絡みが多い。ある意味、ヒーローとヒロインの関係と言っても差し支えなかろう。禁忌を犯した吸血鬼バートリーと、その禁忌によって何も知らぬまま彼の《家族》となった少女エルジエ。成長し乙女となったエルジエは、次第にバートリーへ淡い感情を抱くことになる。彼がかつて、自分の人間としての生を奪った張本人であることなど、微塵も知らぬまま。
宇多方はこのことがどうにも不愉快であった。物語の傍観者たる宇多方個人として、バートリーにまったく魅力を感じないのだ。作中のエルジエがそうでなかったのは、単にバートリー以外との出会いが用意されなかったせいに違いない。造られた孤児ゆえの悲劇である。今目の前にエルジエが現れたとしたら、宇多方は後生だからあんな男に惚れるのだけはやめておきなさいと懇々と説くであろう。
「……なあ瞳、なんか怒ってる?」
「怒ってはいないわ。腹が立ってるだけよ」
似たようなもんじゃねーの、と風巻がぼやく。別物よ、と宇多方は答えた。
眉のひとつも動かず、どこまでも見通しそうな眼の奥はいつもと変わらず暗い。さながら音声合成ロボットの3Dモデルだ。無機質に動く唇は花弁のごとく美しいけれども、そこから彼女の言う「腹が立っている」も、風巻の言った「怒っている」も一切読み取ることはできない。宇多方瞳の胸の内を知る手がかりは、唯一、本人の口から出る言葉のみである。
彼女自身が望んだ生き方であった。しかし現在、他人が宇多方の心情を推し測るのはいささか難しかろう。それだけ、宇多方にとって《家族》という言葉は複雑な意味を持っていた。
「大体、考えが甘過ぎるのよね。どうして『物理的に血が繋がっている』というだけで、誰からも異端扱いされた自分の考えをあっさり受け入れてもらえると思ったのかしら」
血縁なんて単なる事実に過ぎないのに。
無表情のまま吐き出される、温度を持たない言葉。事実。その重みを推察してか、風巻は押し黙った。
「絶望的状況において、《事実》は凶器になる。《血の繋がった家族》であるエルジエにまで自分の存在を否定されたとして。その時、彼はまだエルジエを愛せるのかしら?」
試すような、責めるような、ガラス球めいた瞳。風巻は決まり悪げに目をそらす。宇多方の問いかけは独り言のようにも聞こえ、求めている答えの種類も、いや、答えを求めているのかどうかすら判然としない。
しばらく唸ったのち、風巻は観念したように残りの息を吐き出した。
「わかんね」
「貴方、ここへきて結論を放り投げる気?」
「ちょ、違うってば!
だからぁ……わかんなかったんじゃねーかな、って。バートリーも、エルジエもさ」
宇多方は頬杖をついて、ぴくりと眉を動かしてみせた。これからはあなたの話を聞く、というサイン。風巻だけでなく、土橋ほど彼女との付き合いが長くない者は、宇多方と目が合ったままだと少々やりづらいらしい。それでも目を合わせたまま話を聞くことが多いのは、単純に悪戯が目的なのだが。
「ちっちゃい子供の頃にさ。『早く大人になりたい』って、よく言ったじゃん。けど実際大人になってみたら、昔勝手に想像してた《大人》とは全然違ってて。『なんだ、こんなにつまんねーんだったら、大人になりたいなんて絶対思わなかったのになー』、って。
けど、憧れとか理想って、意外とそういうもんじゃねえ?
バートリーにとって、たぶんそれは《家族》だ。どんなものなのか分かんねーけど、分かんねーから、妄想してるうちにすげーいいものに思えてくるみたいな。
そうやって憧ればっかり無責任にどんどん大きくなって、最後、その憧れが誰かを傷付けることになっても……その頃にはもう、誰にも止められなくなってる」
ふう、とひとつ息を吐いて、風巻は少しばかり目を細める。そして改めて宇多方を見やると、冗談っぽく苦笑してみせた。
「こんなところで如何でしょう」
「なるほどね」
宇多方は頬杖を解いて、ひとつ頷く。色々と思うところの多い見解であった。頭の中が別の考えでいっぱいになる前にと、宇多方は目の前の不安げな男に述べた。
「バートリー側からの一方的な意見ではあるけれど。それなりに納得できるし、理解もできる。良い解釈だわ」
そういえばいつか、土橋も同じような話をしていたことがあった。分からないものこそ、今は手が届かないものこそ、人間は必死になって追い求めてしまうものなのだと。
(誰も彼も、たいして変わらないものね)
目の前で大袈裟に安堵する風巻を眺めながら、宇多方はかつての自分に思いを馳せた。決して手に入らないものを求めて、盲目に手を伸ばしていた時代を。
天才子役と謳われた宇多方瞳にとって、それが、つまりは《愛》であったのだ。
肖像画-【ハロウ・マイ・ラブ】
「なぜ女優のお仕事をされているのですか」
この間、雑誌の取材を受けた時に訊かれたの。この会社、ほかの俳優にも似たような質問をしているようだけど、とんだ愚問よね。
見て分からないのかしら。生きるためよ。
生きるのに必要なもの、お金と愛を手に入れるため。それ以外に理由なんてないわ。
人間、生きていくためには愛が必要でしょう。そして愛はお金と同じように、無償で手に入るものではない。他の人がどうであれ、宇多方瞳にとってはそうだった。
知らない人に会うと、最初に必ず言われるのよね。「何が気に入らないの」とか、「どうして機嫌を損ねているの」とか。あなた達には先に断っておくけれど、今も私は機嫌が悪いわけじゃない。もともとこういう顔。まあ勿論本当に機嫌が悪い時もあるけど、その時だってきっと私、今と同じ顔をしているわ。
平たく言えば無表情なのよ。それも、生まれつき。
原因はよくわからないの。表情に表れないだけで、私だって決して無感情なわけではないのだけどね。気が付いたら、私と同じ年頃の子はみんな、嬉しい時や悲しい時の表情ってものを確立していたわ。
産まれてすぐの頃父親が逃げてからは、母と二人暮らし。あのひとはいつも私のこと、化物でも見るような目で見ていたわ。愛に飢えた子は聡いの。物心ついた私がその原因に気付くまで、あまり時間はかからなかった。
不思議に思ったことはない?誰に習ったわけでもないのに、みんな自然に同じような「笑顔」を作れるようになるなんて。口角をどう上げて、頬の筋肉をどういう風に動かして保つ状態が「笑顔」なのか、誰も気にしたことがないって言うんだから恐ろしい話よ。本来ならそういうのは自然に出来てしまうものだから、殊更に考察するものではない――幼稚園の先生だか誰かにそう断言されたときはくらくらしたわ。
幼い頃だから絶望こそしなかったけれど、そう……危機感。危機感を覚えた。他の子がみんな自転車に乗れているのに、自分だけまだ補助輪を外せていないような、そんな感覚かしら。とにかく周りのみんなが出来ていて、私だけに出来ないことがある。そしてそれは私が母に愛してもらえない直接の原因に違いない。
そうと決まればやることは一つよ。出来ないなら、出来るようにすればいい。表情が作れないせいで私の気持ちを分かってもらえないなら、作れるようになって分からせればいいの。
愛を手に入れる手段が欲しい。もしくは、愛を与えられるための方法論が。幼い私が見つけた一つの答え、それがお芝居だった。ちょうどその頃、役者っていう職業の存在を知ったの。
何のドラマだったかしら。たしか医療ものというか、とにかく当時の私より少し年上くらいの子供が死ぬ話だったわ。私はテレビのほうを向いたまま純粋に尋ねた。「お母さん、この子死んじゃうの」
あのひとは答えました、「馬鹿ね。この人たちは死にそうな《ふり》をしているだけよ」って。
驚いた。
ふりをしている、ということは、実際にはそうじゃないということでしょう。彼は嘘をついている。なのに私は彼の嘘を頭から信じて、画面の中で苦しんでいるあの姿に心を動かされたのよ。いいえ、過去形は不正確ね。だって今も、画面の中で起こっていることが嘘だと分かった今になっても、私はあの男の子に別の人生があることなんてとても信じられないんだもの。
同時にひらめいたのよ。私もあの子みたいになればいいんだ。本当は無表情な私でも、そうじゃない、普通に笑える子の《ふりをする》。あの子と同じくらいうまくやって、私が普通の子なんだと周りの人に知ってもらえれば、きっと私は愛されるわ。
私はキッチンにいたあのひとを振り返って、「すごいね!」って大声を出した。そしてたった今画面に映った彼の、健気な笑顔を真似したの。そう、無邪気に笑った《ふり》をして。
「私もやってみたいなあ!」
それが、私の初めての演技よ。
期待してるだろうところ悪いけど、私が芸能界に入ってからの話に、とくに面白いものはないわよ。
喩えて言うならそうね……オーロラ姫が何不自由なく過ごしていた「眠りにつくまでの16年間」の話なんて、とくに興味もないでしょう? うまく行っているときの話って、案外あっけなくて、つまらないものよ。
どうしてだか、あのひとは私が子役育成スクールに通うことに反対しなかったわ。普段何を考えてるかわからない私が、何かを強く主張したのが不気味だったのかもね。
もちろん、最初からうまくいったわけじゃない。実を言うと私ね、指導員の先生の言うこと、ほとんど聞いてなかったのよ。いかにも優等生ですみたいな顔で、頭の中は全然別のことを考えていたの。
先生が悪いって言ってるんじゃないのよ。ほら、子供のお芝居って、文字通り「おけいこごと」だから。演技のなんたるかというより、のびのび自然体にさせることから始まるのよね。
もうわかるかしら。そもそも自然体をどうすればいいのか分からない私は、そんなことを言われても困るわけ。
仕方がないからやりかたを変えたわ。何事も一番最後に行動するの。レッスンルームの一番端で、みんなのお芝居を黙って見ている。先生は私のこと、おとなしくて内気な子供だと勘違いしてくれたみたいね。そして順番が回ってきたら——ほかの子たちが見せる、のびのびした自然な表情をみんな足して、その場の頭数で割って。その平均値を、自分の顔に貼り付けた。
嫌な話。
だけど、生まれてはじめて褒めてもらえたわ。
そこから先はとんとん拍子よ。はじめはいびつだった表情作りも、顔の筋肉を鍛えて人間観察を繰り返すうちに上手くなった。例のドラマで大地君と組む頃には、お芝居を日常生活に生かすこともほぼ完璧になったわ。宇多方瞳は《話題の子役》、そして誰からも愛される《普通の女の子》に変身したの。だんだん調子に乗ったメディアが、私のことを「稀代の天才」とか言うようになったけど。
思うんだけど、私が天才なら、この世の生きものはみんな天才ってことになるわよ。肉食獣の子供が狩りの仕方を学ぶだとか、生まれてすぐの草食動物がすぐ立ち上がって走り出そうとするとか、私にとってのお芝居はそれと大して変わりないもの。
とにかく飢えていたのよ。愛情の質とか、この手段が正しいのかどうかとか、そんなこと考えてる余裕はなかった。ただ母に愛されたい。はじめはそんな、無邪気で切実な願いだったはずなのにね。
脚本から叩き出した正解を顔に写し出す。言語処理した自分の気持ちをパターン化した表情から選ぶ。テストの正誤問題を解くような、単純作業めいた《自己表現》。
喜劇よね。
ずっとこのままやっていけるって——私、途中まで本気で信じていたのよ。
ほころびに気づいたのは、高校生になってすぐの頃だったわ。その日も私は、新作ドラマの台詞合わせに来ていたの。
脚本家や監督の名前に馴染みはなかったけれど、何度か共演したことのある同年代の子達も居て。気掛かりな要素はなかったはずなのに、何故かしきりに胸騒ぎがしたのを覚えてる。
学園ものの話だったの。四人の女子生徒がメインキャラクターで、私もその中の一人だった。役どころとしては、クラスのマドンナっていう言い方は古いのかしら? 成績優秀で、学級委員なんかやってるような、清楚で親切な優等生。噂で聞いた話だと、脚本家は初めから、この役を私にやらせるつもりでアテ書きしたらしいわ。
思えば、脚本を下読みしたときから違和感はあったの。おかしな感じがした。キャラクターの性格や行動は理解できても、気持ちが掴めない。「やりづらい」なんて、お芝居をやっててこんな気持ちになったのは初めてだったわね。
なんとなく腑に落ちないまま読み合わせが始まった。実際のキャストと会話の形で台詞を言ってみて、ずっと感じていた気味の悪さが爆発したのよ。
話の筋書きはこうよ。メインキャラクターの一人に、転校生の不良の子がいる。その子がクラスで問題を起こして、私の役の優等生がその仲裁役を任されるの。決まりきった当たり障りのない言葉だけ、人好きのする笑顔で話し終えた私に、その不良の子がこの台詞をぶつける。
『そんなの、本当のあんたの言葉じゃない』。
私——次の台詞が繋げなかった。
全部分かってしまったの。この脚本に感じていた違和感も、役の気持ちが掴めなかった理由も、彼女を演じているときの気持ち悪さも、全部、全部、全部。
本当ならこの話、どう続くはずだったのかしら。何も覚えていない。頭の中がぐちゃぐちゃになって、何も言えずに脚本を取り落とした。その場にいた全員が私の顔を見て、見て、そして一斉に青ざめた。
「ほんとうの、わたし」
唇だけ。ひとこと紡ぐたびに、ぎちぎちと音が鳴る感じがしたわ。
「ほんとうのわたしって、なんですか」
誰も答えてくれなかった。会議室は静まり返っていた。私を見るみんなの目、目、ああ、私はこの目を知っている。私が何より恐れていた、化物を見るような。ああ誰か答えて、答えないで。一体私は今どんな顔をしているの?
「本当の、私、本当は、」
もう、それ以上その場に居られなかった。幾多の視線に背を向けて、私は逃げた。一刻も早く逃げないと、そのどれか一つの眼の中に、あの忌々しい《本当の私》を見つけてしまいそうで。
顔を覆ってあちこちぶつけながら走って、あてなんてなかったけれど、とにかく逃げなくちゃって。廊下の端に差し掛かったとき、声が聞こえたの。
「瞳?」
あのひとの声だった。思わず立ち止まったわ。
お芝居を知るのと同時に、私は家でもちゃんと表情を作って会話できるようになった。幼い頃は出来なかった笑顔も、やりかたを覚えたら一番にあのひとに見せたわ。最初は訝しんだあのひとも、だんだんそれが当たり前になった。時が経つにつれて、私とあのひとの距離は、いびつではなくなっていったの。普通の親娘みたいに、なれたはずだったのよ。そうよ、この日だって台詞合わせが終わったら、久々に一緒にショッピングへ行こうって約束して。
「……お母さ、ん」
何も考えずに私はそう呼んだわ。顔を覆っていた掌を外して、一歩、二歩。
母の顔。
すべて悟るには充分過ぎた。
そして見開かれた両の瞳に、私がこの十数年間、ずっと目を逸らし続けてきた事実が、現実が映っていたのよ。
「——————」
震える唇で母が言った最後の言葉。
それはどんなに叫んでも、掻き消そうって暴れても、歴然として私を抉る絶望的な事実だった。




