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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
過去編 アクター達の肖像画Ⅰ
21/34

肖像画‐「少年は恐怖した」 後編

 明くる朝。気が付いたら、俺と演劇部の一件は学校中に知れ渡っていた。


 ……こういう状況、経験ある奴いるか? 想像はつくと思うが、周りの視線の痛さったらない。授業の間はまだしも、休憩時間なんか特にだ。とてもじゃないが昼飯なんか食える雰囲気でも気分でもねえ。それでも身体作りには変えられねえからな、空き教室を探して一人で弁当をつついてた。

 そしたらだ。

「あ、土橋いた~」

 開いたままになっていた教室の扉から、ふらっと奴が入ってきた。

「……何しに来たんだよ」

「べつにいーだろ。今日は小森ちゃん、別のコ達のとこに行っちゃったしさ。居心地悪くて」

 苦笑混じりに肩をすくめてみせる風巻。こいつも「居心地が悪い」とか思うもんなのか。風巻は勝手に正面の机に腰掛けると、昼飯代わりなのか、見るからに甘そうなジュースにストローを突き刺した。

「部長ちゃん、泣かせたんだってな」

「うるせえな。誰から聞いたんだそんなもん」

「聞いたってか、小耳に挟んだ?」

 ニヤつきながら顔を覗き込んでくるのが頭に来る。適当にあしらって早く一人になりてえ。こいつなら泣かれる心配もねえし、と俺は悪態を隠そうともしなかった。

「はん。一丁前に説教なんか垂れる気か?」

 するとあいつはきょとんとした顔をして、

「説教? なんでお前に説教すんの。悪いことしたわけでもねーのに」

 不思議そうにこんなことを抜かしやがる。

「……はぁ?」

「だって、お前、嘘とかつかないやつだから」

 そう言った風巻の眼は、なにか妙に確信を帯びていた。

「どうせ件の部とやらにも、ほんとは、ほんとのことをお前なりにハッキリ言っただけなんだろーなーって思って」

 正直、少なからず驚いた。こいつもただの野次馬だと思っていたからだ。出どころすらわからんこの手の噂を、流れてきたまま鵜呑みにして面白がってるような連中の一人だろうと。ひどく呑気な口調でだが、「思った」ことをさらりと話すそいつが、俺には少なくとも信用に足る人物に見えた。

「ふん……相手方はお気に召さなかったらしいがな!」

 それで——俺も俺で単純な人間だ。のほほんと繰り返される相槌に合わせて、結局昨日起こったことをみんな話しちまったわけだ。

「あっはは、なるほどなー。売り言葉に買い言葉を返したつもりが、そこでみんな黙っちゃったんだ」

「どうすりゃよかった、世辞でも飛ばせば良かったってのか? くっだらねえ……それなら他の連中にでも頼めってんだ」

「ほんとだよなぁー。なんで部長ちゃん、お前なんかに声かけたんだろ。お前、わかる?」

 なんて、奴はいきなり俺に話を振った。

「はァ? だから分かんねえよ」

「そうだな。だってフツー、無愛想で悪名高いお前にわざわざ……しかも『指導』を頼むとか、相当勇気が要ったと思うぜ? おれはよくわかんないけど、お前ってすごいやつなんだろ? じゃあそもそもオッケーしてくれるかどうかも分かんないんだし。素人同然の女の子がお気軽に頼めることじゃないじゃん。

お前に分かんないんだったら、おれにも分かんないよね」

 何が言いてえんだ、と言いかけて、やめた。

「よっぽどなんか、部のための覚悟~みたいのがあったのかもしれねーけど。どうせ覚悟を決めるってんなら、手厳しく《ほんとのこと》を指摘されるくらいは考えとくべきだった。それは向こうが悪いな?

ただ——事実にしたって、相手の全部を180度ひっくり返すことを言ったんだ。その後はちゃんと始末つくまで付き合ってやんないと。じゃなきゃ《無責任》だろ?」

 こいつは昔から何か、独特な喋り方をする。話が上手いのか下手なのかはよくわからねえが、とにかくこっちのテンポを崩されるというか。

 早い話が、うまく丸め込まれるのだ。

 何だよ、やっぱり説教じゃねえか。軽く毒付いてみるが、なんか覇気がイマイチだ。どうもこいつの話を聞いてると、イラついてたのが馬鹿馬鹿しくなってくるんだ。

 すっかり棘が抜かれちまったところで、風巻はいきなりぐるっと扉を振り返った。

「そーゆーことだよな、委員長?」

 驚いたさ、その言葉と同時に扉が開いて委員長が顔を出したんだから。唖然とする俺をよそに、そいつに連れられてきたらしい演劇部部長まで入ってきた。

「は? おい風巻、こりゃどういう、」

「んじゃ、おれはそろそろ小森ちゃんにノート返さなきゃだから。じゃあな〜」

「ちょっ、おい、てめえっ!?」

 あの野郎、委員長連れてすげえ勢いで帰りやがった。

 当然教室には俺と部長と二人だけが残されたわけなんだが。

「…………」

「…………」

 どうすんだこれ。気まずいにも程があんぞ。

 いや、何をすべきかくらい分かっちゃいる。なんだかんださっきの話で頭も冷えたしな。いい加減けじめをつけなきゃなんねえや、と口を開いたんだが。

「もう一度、部活動を見てほしいの」

 先にものを言ったのは部長のほうだった。

「いいのか」

「ええ……覚悟は決まったわ。どんな厳しい言葉でも、今度はちゃんと受け入れるつもりよ」

 相手の眼は真剣だった。

 ああ、こいつは本気なんだと思った。他の奴等はともかく、今目の前にいる人間にはこっちも全力で応えなきゃならねえ。——そうだ、この間の俺がしくじってたのは、これだ。師匠にも散々教わったじゃねえか。

 《すべての行為には理由がある》。

 俺がああいう態度をとったのにも、もちろんあいつらにも然りだろう。自分の行為の理由を明らかにする努力をしないのも、相手の行為の理由を軽視するのも、表現者として許されざる怠慢だ。

 俺と部長はひとまず座った。口は上手い方じゃねえが、それでも話さなきゃならねえことは話さなきゃならねえからな。

 部長の言い分はこうだ。

「みんな、心のどこかでは分かってたの。今のままじゃ駄目、何かを変えなくちゃならないんだって……だけど、私達も必死だったから。出来ないなりに頑張って、今まで積み重ねてきたものが全部無駄だったって言われても、簡単に認めたくなかったの」

 それを踏まえて、俺はだいたいこんな返事をした。

「別に俺は、てめえらの出来が悪いのが駄目だって言ったんじゃねえよ。努力の方向が間違ってると思っただけだ。

確かに俺は、てめえらが今までどれだけ苦労したのか少しも知らねえ。てめえらにしちゃ、そんな奴にいきなり今までの苦労を全否定されるなんざたまったもんじゃなかったろう。この間はそのへんの配慮が足りてなかった。そこは謝ろう。

ただ、その《苦労》を身内で免罪符にしてるようじゃ、てめえらは確実に腐る。これは部外者だからこそ分かることだ……次にまたてめえらを見るとしても、俺が言うことは変わらねえぞ。余計なお世話かもしれねえが、そこだけは伝えておきたい。ガムシャラにやるだけが努力じゃねえってな」

 それでもいいか、と最終確認を取る。

 部長は心なしかスッキリした顔で頷いた。


 そんなことがあって以来、俺はちょくちょくあの演劇部に顔を出すようになった。もちろん初日のことは全員にきっちり謝罪している。改めて部員達とも話し合って、和解という形に漕ぎ着けたのだ。稽古のやり方について口は出すが、あくまで相手方の意思を尊重する形での介入を心掛けると。

 これがまあ、なかなか難しい。険悪な雰囲気になるたびに師匠の偉大さを痛感したのだが、決して辛いだけの仕事ではなかった。

「みんなあれから、信じられない勢いで進歩しているわ。今まで停滞していたのが嘘みたい。

ありがとう……みんな土橋くんのおかげよ」

 部長にはこんなことまで言われるようになった。

 別に、俺個人は芝居をちょっと教えただけだ。実際にその指摘を飲み込んでモノにしていったのは、ひとえに部員の努力の賜物だろう。だが、何にせよそんな様子を近くで見ているのは面白かった。この頃から、演技指導ってものに興味が湧きはじめたんだよな。


 あのとき、どうして風巻が俺たちの間を取り持ったのか。それは分からねえが、あの一件がなけりゃ、こんな大団円には辿り着かなかったのは事実だ。礼の一つでも言っとかなきゃなと思ったのだが、その日も風巻は机に突っ伏していた。

「風巻くーん、授業始まっちゃうよー?

……おかしいよね。今日、ぜんぜん起きないんだよ?」

 斜め前の小森が俺の方を振り返る。

「いつものことじゃねえのか」

「だってもう三時間目だよ? いつもだったら普通にお喋りしたりするのに、朝来た時もなんだか生返事で……それからずっと、こうだし」

 俺と小森は同時に奴を見た。

 こいつは、寝ている時は微動だにしない。背中が上下する様子もないんで、息をしているのかどうかさえ微妙だ。時折死んでるんじゃねえかと不安になることもあった。

 この日なんか、小森が妙なことを言うから尚更だ——俺にはいつも通りのサボりにしか見えなかったんだがな。

 そうこうしているうちに号令が聞こえた。先生が授業を始めたって、風巻は全く反応なしだ。予想通りというか、なんというか……だが、そんな《普段のあいつ》は次の瞬間に崩れ去った。


 ガタンッ!!

 派手な音を立てて倒れる机と椅子。引き出しに入っていたプリント類がばらばらと散る。鼠色の髪が跳ね、それらの持ち主は弾かれたように立ち上がった。

 硬直。沈黙。真後ろに座る俺からは、その表情は見えなかったが。

 教室中からどっと笑い声が湧いた。悪意なき賑やかしに加えて、冷笑、嘲笑……決して居心地が良いとは言えないその中で、しばらく呆然としていたそいつ本人も、途中からけらけらと笑い出した。

「あはははっ、ごめんなぁ。おれ、すっげー授業の邪魔しちゃった?」

 《いつも》の、軽薄な笑い声。教師すら苦笑いを浮かべ、部屋は渦に包まれたようだった。その中で俺と小森だけが笑っていなかった。

 散らばったプリントを拾い集めるのを手伝ってやると、「ありがと」と微笑んでみせる。その顔に不自然に感じるところはない。

 はずなのだが。

「なあ。てめえ、どうかしたのか」

「んー? へーき。大丈夫、大丈夫」

 やっぱりだ。何か、おかしい。そうだ、普段のこいつならきっと「なにが?」って聞き返すはずなのだ。小森と再び目が合う。さっきこいつが言いたがっていたことが、なんとなく分かった気がした。

 とはいえその後は何事もなかった。普通に授業終了のベルが鳴り、俺たちは次の——なんだったか忘れたが、とにかく何かの移動教室だったんだ——授業の支度を始めた。

 ところが風巻の奴は動かない。目を覚ましてからはずっと起きていたくせに、準備どころかさっきの授業の教科書を片付けようともしないのだ。小森が声をかけると「あとで向かうよ」と応えたらしい。あとでっつったって、どうせすぐ鍵を閉めなきゃならねえのにな。とうとう痺れを切らしたときだ。

「風巻、いい加減に——」

 ドサリ。後ろで、何かが崩れる音がした。

「…………風巻?」

 あまりにも静かだった。

 床に倒れ伏すそいつと、そいつの状況を認識するのに、数秒を要したほどには。

「おい、……どうした風巻!? しっかりしろ、おいっ!」

 奴は答えなかった。俺はその時になって初めて、まともにあいつの顔を見た。

 眼は熱でも出たみてえに濡れて、頬は真っ青。ひゅうひゅうと浅い肺呼吸。誰がどう見たって体調不良に違いない。俺はこんな状態の人間を、ついさっきまで「普段と変わらねえ」と思ってたっていうのか?

 慌てて肩を揺り動かすと、風巻はそこでやっと俺に気付いたらしい。


 目が合って次の瞬間——あいつは、《まったくいつも通りの笑み》を浮かべていた。


「ごめんごめん、ちょっとぼーっとしてて躓いたみたい。ほんと先行ってて、鍵だったら俺が締めとくからさ」

 まるで何事も無かったみてえに。

 ぞっとした。

 なんか、ひとことで言えるもんじゃねえんだよ。あえて言葉にするなら、あいつの一瞬のハッタリにかけられた執念みてえなもの、って言やあ近いかもしれねえ。今までとくに知ろうともしなかった風巻、《風巻作楽》という一人の他人が抱える底なしの未知。見ちゃならねえものを垣間見ちまったような、後味の悪さ。

 そのせいなのか。

 ついさっき目の前で倒れた人間の口から出た「なんでもない」を、俺は一瞬、信じそうになった。

「……馬鹿野郎がッ!」

 自分の口から出た言葉にハッとする。そうだ。これくらいがなんだ。一瞬の恐怖や揺らぎなんざ、思考停止の言い訳にもならねえ。それより、もっと先にやるべきことがあるだろう!

「うわっ!? ちょ、なに……」

「動くぞ、掴まってろ!」

 風巻の腕を自分の肩に回す。そのまま立ち上がると、俺はあたりに集った野次馬どもを一喝した。

「おい、てめえら退け! 保健室行くぞ、付いてくる奴は何人か残れ。それ以外は全員道開けろ!!」


ーーー


 気付いたら失敗談ばかりになっちまったな。だが、今の俺を説明するのには、どうしても通る道だ。こればっかりはしょうがねえ。

 《経験が役者を作る》——だから昔の愚かだった自分も、そのうち何かの糧になると信じることにしている。これでも頂岡祥一郎に師事した身だ、できなきゃ師匠の名が廃るだろ?

 いつだったか、俺と風巻がつるみ始めた理由を訊いた奴が居たな。なんつーか、まあ、こういうことだ。この一件があってから、言い方は変だが、なんか妙に懐かれたみたいでよ。呼び方が変わったのもこのあとだったはずだ。

 正直、今でもあのときの風巻の顔は忘れられねえ。あいつの頭ん中がどうなってんのかとか、何年一緒にいたってさっぱり分かんねえよ。けど、だからこそつるんでんのかもしれねえ。単純にほっとけねえしな。

 しかしなあ、だからって、ここまで長い付き合いになるとは思ってなかったけどよ。


ーーー


「はぁあ!?」

 久々に再会した級友の第一声に、土橋大地はおもわず素っ頓狂な声を上げた。

 現在、土橋は21歳。同じ年齢のはずの目の前の彼こと風巻作楽が持ちかけたのは、とてもじゃないが正気とは思い難い提案だった。

「だから、劇団作りたいんだって」

「それは聞こえてる!」

 聞こえた上で意味が分からない。確かに彼とはこうして会ったことはおろか、メールや電話を含め話をしたのも数年ぶりである。しかし、その数年で何がどうしてそんな発想に至ったのか、土橋にはまったく想像がつかなかった。土橋の職業すら知らなかった風巻だ。芝居、それも舞台演劇に造詣が深いとは思えないが。土橋はまずそんな疑念をストレートに投げかけた。

「てめえ、高校出てから舞台かなんかやり始めたのか?」

「んーん、別に」

「それでなんで劇団なんか作れると思った」

「思わねーからお前呼んだんじゃん」

 はぁーッ、と勢いよく溜息を吐く。そうだった、こいつはこういう奴だ。頭を抱えて突っ伏した土橋の上を、「おねーさん、おれメロンソーダ一つ」と呑気な声が通り過ぎた。

 今すぐ怒鳴り散らして帰りたいのをぐっと堪え、土橋は改めて問う。

「まず事情を言え。そもそもなんでそんなことを思いついた? 話によっちゃブン殴るぞ」

 風巻曰く、仕事先の話の流れらしい。彼は大学には行かず、現在は偶然知り合った半身不随の作家の身辺整理や、作品の編集作業をしているという。環境が特殊なため、雇用の見返りに彼女の作品を舞台として形にし、世に出してはどうかという話になった、と。「なんやかんやで」と「いろいろあって」の割合が非常に高い説明ではあったが、土橋が理解したのはおおかたそのような内容である。

「いいとこの家の嬢ちゃんなんだけど、足のせいで家族とかわりと当たりキツイみたいでさ。籠の鳥状態ってゆーのかなぁ、全然外にも出らんないっぽくて。書く息抜きに書いてるみたいな、ほんとにそれ以外の楽しみもなんにもないんだよね。それで、その息抜きの時間に書いてるのが舞台の脚本なわけ。だからこれしかねーなぁって」

 聞けば聞くほど穴だらけの話である。突っ込みどころは山ほどあったが、土橋はまず一点を挙げた。

「てめえの話だと、その作家って女だよな?」

「うん。ちなみにわりとかわいい」

「そんで今、てめえはそいつのために俺を巻き込んでまで事業を興そうとしていると」

「嬢ちゃんのっつーか、半分くらいおれのためだけど。まあ、だいたいそんな感じ?」

 そこまで聞いて土橋は確信した。奴は何も考えていない。これはブン殴っていいやつだと。

「知るかそんなもん! なんで俺がてめえの慈善活動だか色恋沙汰だかに協力しなきゃなんねえんだ!!」

「待てって! 落ち着けよ、お前にとっても悪い話じゃないから持ってきたんじゃん」

 土橋は反射的に踏みとどまった。しかし、今後の情報で何かが変わるとは思えない。今の話で、いったい自分に何の得があるというのか。

 不信感を隠さない土橋に、風巻は事もなげに言った。

「だって、お前今無職だろ?」

「むしょ……っ」

 それ以上言い返すことはかなわなかった。

 正確に言えば、風巻の指摘は間違っている。確かに数週間前、土橋は所属していた芸能事務所に辞表を叩きつけた。しかし、役者という職業には資格や保障の類がない。つまりどこの事務所にも無所属だろうが、一度も舞台に出ていなかろうが、彼が役者だと名乗れば彼は役者なのである。そんな屁理屈を並べ立てることなど、到底土橋のプライドが許さないが。

「週刊誌に載ってたぜ、某男性アイドルに暴行か、だって?」

「その話すんじゃねえよ、でっちあげに決まってんだろあんなもん! 確かにブン殴ってやろうかとは思ったが、アイドルやってる奴の顔なんか傷つけるかよ」

 そもそも、原因はあちらにあった。近頃活躍のめざましくない相手は、どうも共演者の土橋が気に入らなかったらしく、事あるごとに行き過ぎた難癖をつけていたのだ。聞き流していた土橋だが、その日とうとう頂岡のことまで詰り出したので流石に堪忍袋の尾を切らした。とはいっても直接手を上げたわけではない。椅子から立ち上がり迫ったところ、怖気ついた相手が勝手に転んで頭を打ったのである。

「そんな怒んないでよ。あんなゴシップ信じるわけないじゃん、お前は間違ったことはちゃんと我慢できる奴だ」

 風巻はなだめるように言って、メロンソーダを一口すすった。いかにも不健康そうな蛍光グリーンにアイスクリームを溶かしながら、未だ怒り心頭の土橋を上目で見遣ってくる。彼がこの手の嗜好飲料以外を口にするところを、土橋は見たことがない。こんな光景に、ふっと既視感を覚えた。

「どーせやることもないんだったらさ、大地、おれと一緒に来てよ。仕事の機会がないなら、自分で作っちゃえばいい。

高校ん時だってお前、演劇部に指導してる時すっげー楽しそうだったじゃん。ああいう感じで、おれとか他の奴にもいろいろ教えてくれよ」

 人懐っこい微笑み。土橋は頬杖をつき、じとりとそれを流し見た。

「……てめえ、わかってんだろうな?簡単に言うが、劇団経営をゼロからやるって並大抵の苦労じゃねえぞ。公演打つための基礎知識だけで覚えることも山積みだわ、経済的にも相当うまくやらねえと即赤字だわ、その手の熟練者が立ち上げた劇団だって次々潰れてんだぞ」

 いつの間にか自分が参加する程で脳が回転しているのを、頭の片隅でぼんやりと感じる。ああ、結局またこいつのペースだ。

「ん、そのへんは頑張るよ。お前も知ってんだろ?おれだって要領は悪いほうじゃない」

「つーか、協力者のアテはあんのか?その脚本家の女とてめえと俺と、他に手ぇ貸してくれそうな奴は」

 はたと思いついて口にすると、風巻は無言で肩をすくめてみせた。なるほど、皆無なのだろう。再び勢いよく溜息を吐く。

「初っ端からどん詰まりじゃねえか!どうすんだよ、こんな無謀な計画にみすみす乗っかるような奴なんざ、そうそう見つかるわけ……」

 そこまで言って、土橋ははたと瞬いた。

「…………待てよ?」

 心当たり、無いわけじゃねえな。

 彼の脳裏に浮かんだのは一人の女だった。腐れ縁的にだが付き合いは長く、彼の性格や状況に理解もある。知識・実力ともに言うことなしで、そして、かなりの《ワケあり》の女優。

 この経緯を話せばどんな言葉が飛んでくることか。想像しただけで頭が痛いが、頼るならここしかない。土橋は久々に彼女に連絡を取るべく、携帯電話を取り出した。

「おい風巻。宇多方瞳って、わかるか?」

Next ACTOR is...

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