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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第一幕 ようこそ劇場へ
17/34

SHOW just goes Act5

 叫んだのは覚悟であり、決意表明だった。

 涙の跡を見せまいと、力強く拭われた目元には仮面。異形の肌は硝子のように透き通り、転んだ時に汚れた制服もドレスを模したものに変わる。これが命綱と言わんばかりに握り締めていた小道具の脇差は、真っ直ぐで透明な短剣になった。

 このラクルイとしての姿に「クリスティーヌ」という名前がつけられていることを、彼女は知らない。それでいい。《グランギニョール》——自らの運命を受け入れ、戦うことを決めた徒花実結は美しかった。

実結は改めて、目の前の敵であるスカーレットを見据えた。ふらふらと定まらない重心、無数の脚はその落ち着く場所を探すように蠢いている。両の腕にあたる場所は左右で形が違い、左は脚と似た形状。右は……他の部分と明らかに違う形をしていた。 例えるなら金属製の盾だ。何重もの装甲の奥からちらりと垣間見える穴、その用途を想像して寒気がする。

 しかし実結は唾を飲み込み、込み上げる震えに耐えた。ここには私しかいないのだ。やるなら、私しかない。

「ここは……私が通さないんだからッ!」

 その言葉に共鳴したのだろうか。言い放たれた瞬間、光輝を守るようにして透明な石筍が現れる。壁となって実結の背後に立ちはだかるそれは城か、あるいは檻のようにも見えた。

 スカーレットはそんなことには構わず、標的の人間に向かい触手めいた片腕を伸ばす。しかし壁は思った以上に堅いらしく、硝子越しの光輝に届くことはない。ならばと再び強く放たれた攻撃に、実結は構えていた短剣を思いきり振りおろした。

「えい!」

 すぱん、といっそ軽快な音。無数の腕のうちの一本が真っ二つに斬れた。わずかな勝機に希望を見出したのも束の間、切り口から溢れ出た黒い液体に動きが止まる。


 これは、私が流していた涙と同じものだ————。


「やめろ……戻ってこい、出してくれ!!」

 叩いても叩いてもヒビ一つとして入らない硝子の壁。繊細な見た目のわりに、何度叩いてもびくともしないそれは、まるで目の前の彼女の強さをそのまま形にしたようで。

「もう、そんな無茶なことはやめろ!お前は……実結は、化物なんかじゃ!!」

 何も出来ずみっともなく叫び続ける彼の声は反響し、そのまま自身の胸に突き刺さる。伝えたいのに。待ってくれ。たった一人で行かないでくれ。本当に伝えたい言葉をまだ話せていないんだ。だから、だから、


「な………………」

 ぱん、と渇いた銃声が響いた。


 一瞬だけぴくりと硬直した実結の体。その直後、ぐったりと崩れ落ちた。最後まで泣き笑いながら《化物》だと言い続けた透き通る異形の身体は、見慣れた制服へと今更のように戻ってゆく。とても良く似合っていた茶色いワンピース型の制服。それを誰のものかも分からない粘性のある液体が赤く黒く赤く黒く赤く黒く染められてゆく。


「………み、ゆ」


 瞬間、目の前の硝子の壁が粉々に砕けた。

 尖った欠片の雨の中、目の前の光景はいっそう鮮やかに、いっそう生々しく、光輝にこの現実を突き付ける。

「あ、ぁあ、あ、」

 硝子の破片で身体中を貫かれながら、すっかり冷たくなったアスファルトの地面に崩れ落ちた。声にならない声を漏らす彼の前で、目の前で、スカーレットは動かなくなった実結を鞭のようなもので絡めとっていく。

「やめろ……」

 すでに掠れ切った声がひとりでに零れた。虚しくも空を掴む手が、震えている。なにも手だけではない。声も、足元も、視界も、日下部光輝というこの存在自体がぐらぐらと揺れて、いま自と他の境界を亡くそうとしていた。

 ——まったくだ。やめてほしいよなあ、これでまた《お前》の居る意味が無くなっちまった。

 聴こえてくるのは誰の声だろうか。ぼんやりと霞みがかった朧げな声は、しかし何故だか妙な強さで揺らぐ光輝の意識へと滑り込んでくる。

「やめろ……」

 ——何が別人になれただ、何が少しは変われただ。《お前》は結局何も変われちゃいないよ。せっかく《お前》を認めてくれた大事なひとと出会えたっていうのに、殺されるのを指くわえてただ見てるなんて……むしろ《お前》って、自分が思ってるよりもっと情けないんじゃないか?

「やめろ……!」

 次第に大きく、はっきりと聞こえ始めた声。なぜ振り払うことができない? 理由は明確だった。それが紛れもなく、彼の本心だからだ。

 ——そうだ。何も出来ない、誰の役にも立てない、生きてる意味なんてどこにもないよな?

ああ、《俺》って、なんて最低なんだろう——

「やめろおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 そうだ、この声は、俺自身だ。

 気が付いた瞬間、両の瞳から冷たく重いものが溢れ出した。吸い寄せられるように頬に手をやると、ねっとりと嫌な感覚が指先を伝った。絶望をすべて煮詰めたぞっとするほどの黒。

「…………せ」

 ゆらり、と立ち上がる。いや、これを立ち上がったと呼べるのだろうか。ぼたぼたと滴り落ちる黒い液体を拭うことすら思い付かず、濡らされるままに頬を身体を汚した日下部光輝は最早人間の姿をしていなかった。

「……えせ、かえせ、かえせ返せ返せ返せ返せ返せぇえええええ!!!!」

 単身、憎き敵に掴みかかる。スカーレットを一瞬怯ませることはできたが、当然片手で払いのけられる。あえなく地面に叩きつけられた身体。それでも湧き上がる衝動を抑え切れることなど出来るはずがない。

「返せ、返せよぉ!実結を返せええっ!!」

 再び立ち上がっては払われ、立ち上がっては払われ。果たしてこんな行為が何になるのかと、わずかに残った理性は彼の中の人間を壊した。あとに残った虚空にまた黒い涙が満ちる。

 そのうち自分が何をしているのかも分からなくなり、叫ぶ言葉さえ意味を持たなくなる。駆けるたび、喚くたびに身体が泥のように溶けて、ヒトの形を失くしていくのに彼自身もどこまで気付いているのか。彼の内側、ゼロの距離から聴こえる声が、冷たく彼を嘲笑う。その声に衝き動かされるように、光輝はただただ無謀な突進を繰り返した。



(……(はや)く)

 加速。

(疾く)

 加速。

(疾く!)

 強く、加速。

 こんなはずではなかった。突如湧いて出た無数のラクルイ達——曰く、雑魚——の始末に思いのほか手間がかかり、親玉(スカーレット)の気配を危うく見逃しそうになったのだ。

 なにぶん数が多過ぎだ、と心中で悪態をつく。風と気圧を操る彼の戦法は対多数向きとはいえ、流石にキャパシティというものがある。

(数に訴えりゃ勝てるとでも思ってんのか、あるいは……そうまでしておれを足止めしたい理由があんのか)

 何故だか、今までにない不吉な予感がするのである。泡立つ心に急き立てられ、風巻は既にガタの来ている身体に鞭を打った。まだ完治していない背中の傷を庇いながらの戦闘は、彼にかなりの無理を強いたらしい。

 眼前に現れた商社ビルに片手をつき、風巻は突如ブレーキを掛けた。 電気の消えた窓枠を駆け上がり視界を確保する。見つけた、今回の親玉。

 今は獲物を探して動き回っているわけではなさそうだ。一ヶ所に留まって、じっとしている。何かと対峙しているのだろうか?風巻がじっと目を凝らすと、影にしてはあまりに不自然な黒の存在に気付く。

(ラクルイか? ……エピファネイアの奴じゃ、ないみたいだけど)

 不審に思い、今度は目を閉じてみる。息も止めてじっと神経を集中させると、これほどの距離を挟んでなお両者の戦闘音が聞こえてきた。それに掻き消されそうになっている、睡起ラクルイ特有の支離滅裂な叫び声——その持ち主に、いや、その声を持つ《人間》に覚えがある。《人間だったはずの彼》がそこに居る意味と、見当たらないもう一人の《人間》の存在。圧倒的な速さで組み上がり始める、絶望のパズル。

「おい……嘘だろ…………!」

 思わずその場から飛び出した。あり得ない、こんな嫌な偶然。しかし、この悪い予感がもし当たっているとするならば!

 スカーレットの死角から、勢いをつけて跳躍。二者の隙間に狙を定め、見えない矢を打放す。

「……ちょっと痛いぜ。我慢しな!」

 ダウンバースト——竜巻に伴う大型下降気流を、能力で擬似的に作り出す。矢は地面に当たって弾け、四方に爆風を撒き散らした。

 目的はとにかく少年をスカーレットから引き離すことだ。計算通り気流に巻き込まれた彼は真横に吹き飛び、スカーレットの視界からは逃れたようだ。何処かを打って気絶くらいはしたかもしれないが構うつもりはなかった。いつだって戦場で他人を労わる余裕などない。

 スカーレットの方も無傷ではいられなかったろう。爆心地はスカーレット側になるように撃ち込んだ。相手の動きが若干鈍くなった隙をつき着地、一螺の望みをかけて襲い来る猛攻の中へ飛び込む。

 新たな標的を確認するや否や、スカーレットも再び臨戦態勢になったらしい。無数の手脚は鞭のごとくしなり、風巻の肌に早くも幾筋か切り傷をつけた。

 近距離は苦手なんだけどな、呟きかけて慌てて口を噤む。ラクルイ同士の戦いは負けだと思った方が負けだ。彼自身が一番よく理解していた。

「キリがねーや……なら、これならどうだ」

 刃状にして盾代わりに使っていた弓を構え直し、空気を集めて矢を形作る。放つと彼の視界に一瞬だけ文字通り風穴が開いた。この機を逃すまいと、一直線に隙間を駆け抜け、漸く本体まで辿り着く。

 徒花実結は。

 女から話に聞いていた捕食口、満開の花のような深紅の頭部をどうにか探し当て。どうかこの予感が嘘であってくれと、拳を握りしめる。そうして目にした、光景は。


「——————」


 立ち竦むよりほかなかった。言いようのない戦慄が、憤怒が、吐気が、寒気が、今やラクルイと化した風巻の背筋を電撃のように這い上がる。彼にとっては、二度目の感覚だった。——次の瞬間、彼は咄嗟に日下部の姿を探していた。

「ぐっ…!?」 突如全身を襲う鈍い痛み。あろうことかすぐ後ろに迫っていた茨に気がつけずにいたのだ。それも一本や二本ではない。四肢を封じ、腰や首筋にも絡み付いたスカーレットの茨は彼を空中に縛りつけ、確実に締め上げてゆく。

「これで実結も喰ったのかよ、この野郎。イイ趣味してんじゃん……ッ!」

 言葉とは裏腹に思いきり相手を睨みつける。軽口を叩きながらも心拍は上がりっぱなしだった。下手に暴れると相手の思う壺なのは分かっていたので、上手く動けない。

「くうっ………」 きりきりきり、と棘が身体に食い込む。滲んだ黒い体液が棘から軒並み吸い上げられるのを感じ、彼はぞっとした。まずい、体力が、削がれる。長期戦は危険だ。スカーレットがゆっくりと銃口を近付けてきているのも、感覚で理解できた。

「あんたッ…今まで自分が何したか、分かってんのか………!?」

「……………」

 返事は無い。聞こえていないかのようだった。今まで一度も言葉を発しなかったことから考えて、スカーレットには知識はあるが人間の意識は無いのかもしれない。急速に働きの鈍くなる頭で思いを巡らしつつ、風巻は掠れる喉で精一杯の悪態をついた。

「何人殺して、何人喰ったんだよ、あんた……。この《化物》め、」


 瞬間。


「!? んっ…う、ぐあぁ……っ!?」

 先程までと比べ物にならない強い力。ぎりぎりと、身体が千切れるような激痛。しかし、風巻は霞む視界の隅である変化を捉えた。

(スカーレットが……苦しんでる?)

 身体全体を捩り、うめくようにその身をよじるスカーレット。その反動で締め付けにも力が入るが、攻撃の意思よりむしろ別の感情が先走っているようだった。さっきの言葉に反応したのか……

 がくん、と左腕から力が抜ける。ああ、ここまでで限界か。風巻のラクルイ化はみるみる解け、くたびれたワイシャツから伸びる長細い手指からもとの万年筆がこぼれ落ちた。あ、と反射的にその行き先を視線が追うと。


 スカーレットと目が合う。


 直後、この世のものとは思えない咆哮。怪物の絶叫。爆音が耳を劈く前に、風巻を拘束していた腕が暴れるようにうなり、彼の無防備な体は空中に思いきり放り出された。

 近くにあった電柱で強かに背中を打ち、あまりの痛みに悲鳴を上げることすらかなわない。げほ、と辛うじて一度咳をする。なにやら酷く苦しみながら遠ざかっていくスカーレットを追いかけようにも、体はもう言うことを聞いてくれなかった。

(時間と……スタミナ切れ。くそっ、仕留め損ねた……!)

 舌打ちをしたついでにまた咳き込んで、疲れと貧血とでふらつく体をなんとか壁に凭れさせる。目眩を半ば強制的にやり過ごすと、視界の隅に自分同様ぼろ切れのようになって倒れている人影をとらえた。

「…………光輝」

 古いビル壁に片手をつきながら近寄る。黒い涙が這った頬。胸はわずかだが上下していて、死んではいないようだ。そのことを喜ぶべきなのか憐れむべきなのか、風巻にはわからない。

「……ごめん、な」

 彼の黒い血にまみれた左手と泥だらけの右手では、この哀れな少年の涙を拭ってやることすらできなかった。

————近松門左衛門の名作「曽根崎心中」は、今まで多く浄瑠璃の題材となっていた伝承・神話をもととしたものとは大きく異なり、世間を賑わせた実際の事件を題材にしたものである。本作の人気が元で「心中もの」の脚本が増加し、それに伴って心中事件も多発するようになった。

これを嫌った江戸幕府は、享保八年、心中ものの脚本の執筆及び発行を禁止。さらに心中者、そして心中に失敗し生き残ってしまった者に対して厳しい処罰と弾圧を与えることになる。


scene4 fin.

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