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落涙 -ラクルイ-  作者: らめだす
第一幕 ようこそ劇場へ
14/34

SHOW just goes Act2

side:徒花実結


「《実結》さあ」

 岸内さんはきっと悪い人ではないんだけど、言うこともやることも唐突すぎると思う。

「あたしのこと『岸内さん』じゃなくて、もう『冴』でいいよ?」

 先日、前島くんの家でDVD鑑賞の後に衣装合わせをしていたときのこと。貸してもらった薄紅色の着物——小袖っていうらしい——と悪戦苦闘しながら、彼女は私に小袖を着せるついでみたいな顔で言った。

「えっ……?」

「うん、あたし友達は呼び捨てするタイプだからさあ。……あっ分かった、ここに腕通すんだ。はいここから右腕通して」

「ありがとう、あの……岸内さん、私たぶん一人でも着られる……」

「冴」

「……冴、ちゃん?」

「うーん、まあいいや。及第点かな」

 どうやらまだ諦める気はないらしい。今度は左前が分からなくなったのか、冴ちゃんは私の小袖の合わせを持ったまま唸り始めた。男の子二人には移動してもらったとはいえ、ずっと下着だけで立ってるのもそろそろ恥ずかしいんだけど……。

「ふところに右手がさっと入るほう、っていうのは聞いたことあるよ。こっちが前かな」

「あー、なるほど! よし、ここからはわかる!」

 自信たっぷりに私に腰ひもを持たせ、裾の長さを調節しながら、冴ちゃんは「今まであんまり関わる機会なかったからさあ」と話しだした。

「うん」

「話したかったんだ、劇団の話とか、聞きたいこといっぱいあるし。ほかにも普段どーいう音楽聞いてるのかとか、どんなドラマ見るのかとかね」

「うん……!」

「あと恋バナも聞きたい」

「うん……ええっ!?」

 あの岸内さん——冴ちゃんが思ってくれていたことを初めて聞いて、ほんのりあったかい気持ちになりかけたところでこの話題。ああ、この顔、いつも教室で見ててついていけないなあと思ってた顔だ……。

「そ、そんな面白い話ないよ?」

「あるでしょお!? あたし知ってるもの、実結最近ずっと日下部と帰ってるじゃん」

「帰り道にお稽古に寄ってるからだよ!」

「でも好きなんでしょ」

「…………」

「ほらー」

 待って、そういうのじゃなくって。確かに決して嫌いじゃあないし、感謝もしてるし、むしろ……いや、でも、これって……

 必死に言葉を探そうとしても上手くいかなくて、冴ちゃんは「そういうのを恋って言うんだよ!」の一点張り。なんだかよくわからないけどそんな気がしてきた……

「彼女っぽいのがいるとこ見たことないしいけるんじゃない? あいつだとまあ、若干ヘタレてるとこが問題だけど」

「だから違うんだって……」

 それに彼はヘタレじゃない、決して。あの日、怖いはずの私に手を差し伸べてくれたことを思い出す。彼は確かに勇気のある優しい一面を持っているんだ。そのことは、私しか知らない。

 ……今言うと面倒な突っ込まれ方しそうだから黙ってるけど。ごめんね日下部くん。

「そうだ、てゆーか呼び方で思い出したんだけどさぁ、二人とも今は苗字呼びなんだよね?仲良くなったなら変えない?普通」

 ふたりで協力してなんとか帯を結ぶ段階にまでたどり着いた。一息ついたところで、ふと冴ちゃんが顔を上げる。

「まあ……そうかもしれないね」

 言われてみれば確かに。お兄ちゃんのことは高嶺さんって呼んでるのにね……何気なく呟いたら、ものすごい変な顔で見られた。

「えっなにそれ、そうなの!?それ絶対おかしいって!

いくらあの徒花高嶺っていってもそんなところで先越されてどうすんのっ、このさい今からでも呼んでもらいなよ、実結って、下の名前で」

「えっ、……何言ってるの!? きっかけもないのに無理だよそんなこと!」

 思わず声がひっくり返った。全力で手を振って拒否を示したら、「ちょっと、手放さないでよ!」と怒られる。

「きっかけなら作ればいいんじゃない。実結から先に呼んじゃうの、『光輝くん』って」

 簡単に言わないでほしい。私も、多分日下部くんも、あまり自分から馴れ馴れしく人の名前を呼ぶほうじゃないのだ。下の名前を呼ぶのって大変なことなのだ。よっぽどのことなのだ。

「無理、無理だよ! 絶対無理!」

「あたしを呼べたんだから簡単でしょお!? ほら、『光輝くん』」

「それとこれとは別問題なの!」

「『光輝くん』」

「やめてえ!」

 この押し問答はかなりヒートアップしたらしくて、着替えが終わったかどうか尋ねにきた前島くんに二人して思いっきり怒鳴ってしまった。ごめんね前島くん。


 結局、あのあとの冴ちゃんからは「お互いに名前で呼び合えるようになるまで見張ってるからね」と謎の宣言をされてしまった。そして冴ちゃんの思惑通りにはならないまま現在に至る。

 私の居心地がちょっと悪いのはいいとして、困るのは日下部くんのほうだった。わけもわからずいきなり期待の熱視線に晒されて、時々首をかしげている。一度私に直接訊かれたことがあったけど、こればっかりは素直に答えるわけにもいかない。

 そうこうしているうちに、文化祭はとうとう明日に迫るまでになっていた。

 当然のことながら、やっぱり作業は慣れた人がやった方が早い。 照明バトンの使い方だとか、中幕を挟んだ舞台袖の構造だとかは、学校から説明があったとはいえ完全に分かっている子は少なかった。作業の要領から言っても、本番や後片付けの誘導も私と日下部くんが主に働くことになりそう。

 文化祭前の学校の雰囲気は独特だ。中庭では一年生たちがまだ居残ってコーラス練習をしているのか、綺麗なハーモニーが響く。部活発表の追い込みに行った子達の鞄が、廊下に追い出された教卓の上に無造作に放り出されている。今は机を寄せて荷物置き場として使っているこの教室には、みんなが一生懸命作ったり立派な大道具たちが、明日のライトを浴びるのを今か今かと待っていた。

 夕焼けが綺麗だ。私は椅子代わりに腰掛けていた机を立って、改めて窓際に座り直した。窓を開けるとかすかな歌声とともに、ゆるやかな風が使い古した「曽根崎心中」の脚本のページをぱらぱらとめくる。

 不思議な気分だった。もう明日が公演本番なのに、みんなも私もそんなことは十分わかっているのに、ひどく心が落ち着いている。勿論まだまだ不安はあるけど、いつもみたいに失敗しないか心配で胸が詰まって、泣き出したくなったりはちっともしない。人の気配も遠ざかるこんな夕暮れ、ひとりぼっちの時間が、今日ほど静かに満ち足りているのは生まれて初めてだ。

 理由はちゃんと分かっている。きっと、それは。

「……あ」

「あ、おかえり、っ……日下部くん」

 不意にドアが開いて、とっさに置いてあった台本を手に取る。特に隠し事があったわけでもないのに、さっきまでぼうっとしていたのがなんとなく恥ずかしかった。

「お前もまだ残ってたんだな」

「前島くんのお手伝いだっけ。私は用事とかじゃないんだけど……なんとなく、ゆっくりしてたい気分だったんだ」

 日下部くんは私の手元を見て、思い出したように自分の鞄の中身を探った。男の子にしてはかなりきれいに整理されたファイルから台本を引っ張り出すと、彼もまた近くにあった机に腰を下ろす。

「本番が近くなって、緊張するなら台本は見ないほうがいいって言われたけど……やっぱり、落ち着かないよなあ」

「ほんと。結局最後まで持っちゃってるんだよね」

 副座長さんの例の一件があってから、心なしか語気が優しくなった——ような気がする——アドバイスだった。実際、夢幻座にも、公演直前には集中力を高めたりイメージトレーニングで気持ちを作る人が多い。でも私は手になじんだ台本を一秒でも長く持っていたくて、最後まで手放せないタイプだった。

「けど、それにしてはお前随分落ち着いてるように見えるな」

 俺なんか今から緊張しちゃって、という言葉通り、ページをいじる手もどことなくそわそわとせわしない。いつもの私もこんな風なのかな、なんて間抜けな考えがふと頭をよぎった。

「自分でもびっくりしてるんだけどね。なんだろう……色々あったから、ふっきれちゃったのかなあ」

「まあなぁ、確かに色々あったもんなあ」

 ふっとこぼれた私の言葉に、彼はおかしそうに笑う。そうなんだ、私が今こんなに穏やかでいられるのは、全部この彼のおかげなんだ。お礼がまだちゃんと言えていない。

「あのね、(みつ)————あっ」

 ——なんで今これが出てきたかな!?

「…………え?今、何か言おうとした?」

 気にせずに話し続ければ気付かれなかったかもしれないのに、あからさまに詰まった。これじゃどう頑張っても「なんでもない」じゃ済まされない……あぁ、何やってるんだろ。

 こうなったらもう、はっきり言うしかないし!

「あの、……あのね!名前の呼び方、変えようと思って!」

 光輝くん、と改めて口に出してみると一気に胸のあたりがむずがゆくなった。もう怖くて正面を見られない。彼が今どんな表情をしてるのか分からないけど、固まってることだけは明らかだ。い、いたたまれない!

「え……っと、それ、って、あの……」

「い、いきなり変なこと言ってごめんね!? ただお兄ちゃんが名前呼びしてもらってるから、うらやましいなと思ったっていう、か……」

 顔、真っ赤だ。おそらく二人とも顔真っ赤だ。じりっと私の右の上靴が床を滑る。

「えっと……ごめんね、やっぱりなんでもないのっ! あ、明日頑張ろうねっ、じゃあねっ!」

 立ち上がるや否やくるっと反転。鞄の中身が全部こぼれそうになってひとしきり大慌てしたあと、一目散に教室から飛び出した。


 校門あたりまで歩いたあと、よく考えたら彼とは帰り道が途中まで一緒だったことに気づき、私は頭を抱えることになる。


side:日下部光輝


 寝付きが悪かったわりに、目覚ましが鳴る前に起きてしまった。

 じっとしていられない。時間はたっぷりあるのに、着替えも朝食もいつもの倍の速度で済んでしまう。鞄の整理は昨日の晩に終わっているし、特にすることも——そわそわしているうちに久々に父さんと出くわして、あわてて家を飛び出した。

 流石にこんな早い時間、出歩いている人はほとんどいない。今までないくらいに胸がざわついて、俺はバス停への道をやっぱり早足に歩いた。

 こんなに緊張しているのは劇のせいだけではない。昨日の放課後の出来事が鮮明に頭の中に残っている。確かに、まあ兄妹で呼び方が違うのも若干気になっていた時期もないではない。でも性別の問題もあるから、このままのほうが普通なのかなとか、むしろ気にするほうがおかしいのかなとか——考えていた矢先に、向こうから言われてしまう始末だ。一度別れた後にまたバス停で会ってしまったときの気まずさったらなかった。結局俺、あのあと……ああ! もういい、いったん忘れよう!

 丁度やってきたバス。先頭に乗っていた人たちの怪訝な目をかいくぐり、後方端の席に座る。ふっと思い出して、鞄から例の脚本を取り出した。

 最後に夢幻座の練習に行ったとき、裏表紙の白い部分に、先輩たちが軽い寄せ書きみたいなものを書いてくれた。励ましや今までの練習へのねぎらいのほか、絵の得意な水走さんや美術担当の谷内さんのちょっとしたイラストなんかも添えてある。副座長さんは寄せ書きに参加こそしなかったものの、「いつも通りにやれば大丈夫だ」と俺たちの背中を押してくれた。今思うと、ちょっと照れくさかったのかもしれない。

 まだ最終リハーサルすら終わっていない時期だったのに、俺はそれだけで胸がいっぱいになってしまった。みんなの厚意と、それから自分が積み重ねてきたものが少し目に見えたような気がして嬉しかった。

 どこまでできるかはわからないけど、やれるだけやろう、と思う。まぶしく見えていたものに、自分が1ミリでも近づけたなら——それが今日、わかるかもしれないのだ。


 俺達2-Cの発表は朝一番だ。

 正確には開場の時間自体がそんなに早くないので、トップバッターと言ったほうが正しい。何にせよ、かんたんな朝礼が済んだあとはすぐに準備に取り掛からなくてはならないことになる。

 キャスト勢は先に衣装に着替えてしまい、大道具などの運び入れはほかのクラスメイトに任せて、持てる範囲のものを持っていく。体育館を一時的に使った舞台裏へ大体のものを運び入れたら、準備は完了……あとは最終確認だけ。

 大して練習に参加していなかった奴もさすがに今になって危機感を覚えはじめたらしく、背景転換のタイミングなどを何度も何度も確認してくる。観客が入ったときのため、あまり大きな声は出せないから、焦っているわりにはみんなひそひそ声だ。

 前島のことは放っておくにしても、岸内でさえかなり緊張した面持ちでいるなか、やはり徒花はどこか落ち着いていた。ゆっくりした深呼吸で肩が動いているから、緊張はしていないわけではないのだろうが……と、軽く目が合う。

「いよいよだな」

「……うん」

「えっと、……頑張ろう、な」

「うん。がんばろう、お互い。あとは、ステージで会おう」

 会話ともつかない会話だった。俺とは反対側から登場する彼女は、下手側の舞台袖で控えるべく踵を返す。

 その背中が小さくなる前に。

「本番、よろしくな————実結!」

 実結が振り返るのと同時に、岸内の声が舞台裏を駆け抜けた。

「始まるよ!」

 簡易ベルが鳴り、質の悪い備えつけマイクが『曽根崎心中』の開演を告げる。

 俺達の舞台が、始まった。

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