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第一章 7話

 「服を売ったら結構金をくれたので、その金で買ってきた。食え」

 そう言って八尋は餅や干した魚などを出す。

 言われて見れば、八尋は元に着ていた青い服ではなく、もっと身軽で質素な格好になっていた。泥で汚れていたから良くは分からなかったが、八尋の着物はきっと高級なものだったのだろう。八尋が購って来た荷物は多い。

律花はいただきます、と言って有難くそれを口に運んだ。

 「律、そう言えば」

 荷物をガサガサと漁りながら、八尋が思い出したように言う。

 「お前、自分の事を思い出したのか?」

 律花は餅を齧りながら、え?と怪訝そうに首を傾げる。

 「泣きながら、帰りたいと言っていたから」

 夢中になって泣いたから覚えていないが、確かにそんなことを言った気がする。

 律花がどう答えようか悩んでいる間に、八尋は自分の着物の袖を破り、貰ってきたのであろう水に浸すと、律花の顔をぐい、と上げさせ顔の擦り傷をそれで拭く。ひんやりした水が傷に沁みて痛かったが、先ほどの痛みに比べれば大したことではない。

 ―――八尋は、信用できる。

 不意に、そう思った。

 本当の事を話しても、きっと自分の事を見捨てない。

 それは泣きじゃくっている間、支えてくれていた腕の温かさのせいだったかもしれないし、さりげない気配りからだったのかもしれない。とにかく、そう思えた。

 律花は決意して口を開く。

 「私、本当は忘れたんじゃないよ」

 八尋が律花の傷を拭ったまま、怪訝そうに眉根を寄せる。それでも構わず続けた。

 「最初から、知らない。こんな場所。……私が居た場所は全然違う所だもん。着物とかじゃなくて洋服で、マンションとかがたくさんあって、安全で、とりあえず普通に生活してれば人を殺す必要のない、そんな所だもん」

 「どういうことだ?」

 「わからない。わからないけど、プールで溺れたと思ったら気づいたらここにいたの」

 八尋は律花の言葉を理解しようとする様に眉根を寄せて黙り込んだ。

 「違う国に住んでいたという事か?」

 「違う。国とかそういう問題じゃないよ。……今、何年?」

 ふと思い立って律花は尋ねる。

 「天文十七年だったか?」

 「いや、西暦で……」

 「なんだそれは」

 言われてハッとする。

 ―――西暦は使われていない。

 天文、と言われてもわからない。それがいつの時代なのか、歴史がそんなに得意ではなかった律花には見当も付かない。でも、とりあえず今はそんなこと関係ない。

 「あのね、あくまでも私の推測なんだけど」

 いままで、どうしても向き合うのが恐かった。でも、逃げてばかりもいられないだろう。

 「私、きっと未来から来んだと思う」

 「未来?」

 八尋は意味がよく掴めない、といった顔で首を傾げる。重ねて律花は言った。

 「だから、この時代より、ずーーっと後の時代に生きてるのよ。本当は私は」

 力説する律花を八尋はじっと見つめる。

 その瞳には当惑した色が浮かんでいる。

 「とほうもない、冗談だな」

 戸惑いながら紡ぎだされた言葉はそんなものだった。

 律花は泣きたくなる。

 ―――そりゃあ、自分だって普通に目の前に「未来から来ました」とか言う人が現れたら引くけれど。

 それでも、信じてもらえないのは悲しかった。

 八尋は尚も律花の顔を見据えたままで、それから言い直す様に尋ねる。

 「……冗談ではない、のか?」

 「冗談でこんな話するほど、壊れてないわよ。私も」

 悔しそうに律花は言って俯く。情けなくて自己嫌悪。やっぱり言わなければよかった。

 しばらくその場に沈黙が流れた。

 これ以上、この沈黙に耐えられない。聞かなかった事にしてもらえないかと口にするつもりで律花が顔を上げると、相変わらず八尋は律花を見据えたままだった。

 それからぽつりと言う。

 「嘘を言っているわけでは、なさそうだな」

 どんな表情をして良いかわからない、と言う様に揺れている表情で、それでも途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

 「正直、お前の話は途方もなさ過ぎて、信じる事はできない。ただ、お前が本気だという事は分かったから」

 そこまで言って、また、迷うように言葉を途切る。本当に、困った顔だった。

 「だからどうした、と言うわけでもないが、とりあえず、帰るところに帰れないのなら俺と一緒に来い、としか今の俺には言えない。……それでも良いか?」

 律花はなんだかぽかんとしてしまった。

 こういう反応は予想外だった。信じてもらえないのなら、変な目で見られ、最悪、置いていかれるだろうと思ったのだが。八尋はそれでも一緒に来ても良い、と言う。

 ―――生真面目なんだ。

 律花の言葉を律儀にも、真剣に考えて、悩んで返答を出したのだろう。

 律花はなんだか妙に安心した。

 あそこで無条件に「信じるぞ」なんて言われたら、それこそ逆に怪しい。思い返してそう思う。

 ―――私は、自分で帰る方法を探せば良いだけだ。誰かに頼ろうなどと思わずに。

 「ありがとう。……一緒に、いさせて?」

 そう言うと、軽く頷いた八尋の顔が少しだけ、微笑んだように見えた。それが本当に微笑みならば、初めて見る八尋の笑顔だった。


 擦り傷や噛み傷を洗って、腹ごしらえをしてから2人はまた歩き出した。

 「思ったより良い場所に出た。この分だとすぐに到着する」

 八尋はそう言った。

 律花はそれについて歩く。当たり前かもしれないが、ジンは逃げたきり、 帰ってこなかった。見つける術などない。もう、しょうがないかもしれない、と思った。……思ったのだが。

 律花はすぐにジンと再会することになる。

 じゃらじゃら、と鎖を鳴らして一生懸命ももがくそれを見たときは、思わず笑ってしまった。ジンは木の根に鎖を絡ませて動けないでいたのだ。

 「呆れたな」

 八尋が呟くのに笑みを返して、律花はジンに近寄る。側まで来ると、歯を剥き出して威嚇してきたが、気にしないで鎖をほどき、手に取った。

 「噛まれまでして、まだ連れて行く気か?」

 八尋が心底呆れたように言う。

 「当然」

 律花が言うと、八尋は諦めたように肩をすくめた。

 そのくせ、荷物から包みを取り出して律花に差し出す。開いてみると、なにかの干した肉らしきものが入っていた。

 「そいつの餌だ」

 律花は思わず吹き出してしまった。

 ―――なんやかんや言って、自分だってジンの事を気にかけているじゃない。


 それからしばらく歩いて、八尋が『目的の場所』と言ったところに着いたのは、夜になってからだった。そこは、山荘のような、前に見た藁葺きの建物からすれば立派過ぎるほど立派な建物だった。

 そこに灯りが灯っていることを確認して、八尋が少し複雑な顔をした。どうしたの、と尋ねる律花になんでもない、と首を振ると、八尋は厳しい顔で言う。

 「悪いがここからは律は臣らしく『時柾様』と呼んでくれ。2人きりの時は今のままで良いから」

 「それは構わないけど、どうして?……というか、誰?」

 時柾、という名はどこかで聞いたことがあるような気はしたが、どこでだったかは思い出せなかった。不思議そうな顔をする律花に、八尋は説明する。

 「『時柾』は俺のもう1つの名前だ。そして、何故かと言えば、一応お前が俺の臣ということになっているからだ。臣に気安くさせていると思われては、俺の立場がない」

 それから、と言って八尋は集落で購ってきた荷物の中から着物のようなものを出す。

 八尋が着ているのと同じくらい質素なものだが、それは別に良い。ただ、どうみても、それは男物だった。

 「今、木の陰ででも、これに着替えてきてくれ。しばらくの間、男のふりをしていてもらう」

 「どうして、って、また聞いても良い?」

 律花が尋ねると、八尋はこだわりなく頷いた。

 「ここに滞在中の人物は娘が嫌いなのだ」

 納得して律花は木の陰で素早く八尋のくれた着物に着替えた。幸い、難しい作りのものではないから、自分で着た経験などない律花にも、何とか着る事が出来た。袴のような、下が絞られたズボンだったが、むしろ、着物より動きやすくて気に入った。

 着替えて出て行くと、八尋が髪を結ってくれた。

 ここでようやく気が付いて驚いたのだが、元々肩くらいまでだった律花の髪の毛は、いつの間にやら腰にかかるほどになっていたのだ。色々思うところがあるが、今更これくらいの不思議で驚くのもどうかと思い、律花はそのまま受け入れた。

 後ろで高い位置で結わえてもらう。

 「律はまだ女らしくないから、充分だな」

 失礼な事を言って八尋は満足げに自ら頷く。それから、その言葉に文句を言おうとした律花を置いて、すたすたと歩いて行って門の前にいる武装した人物に何事か話しかけた。

 すぐに、その人がお辞儀をして中に入っていく。そこで、八尋は律花を手招きした。

 律花は急いで駆け寄る。

 「ねえ、このままジンを連れていても大丈夫?」

 「屋敷の中に繋いでおいて貰えば良い」

 そんな話をしている間に、門の奥から音も立てずに男が出てきた。

 細身で、のっぺりとした、真面目そうな印象の男だった。立っているのに、存在感が妙に薄い。

 その男は八尋に向かって慇懃に礼をする。

 「お待ちしておりました。時柾様」

 「待っていた、ということは、やはり今回の事は知っていたのだな」

 そう言う八尋の顔は、今までに無いほどに鋭い。いや、一度見たことがある。

 初めて会った、河原でもこういう顔をしていた。こういう顔をしていると、八尋はとても冷たく厳しい人に見える。

 「主人は、あなた様は生還されると信じておいででした」

 男は全く表情を動かさず、まるでそれが用意されていた台詞だとでも言うように言う。

 「馴れ合うつもりはない。すぐに案内しろ」

 八尋はピシャリと言う。その声も、律花にはあまり聞きなれない、全く冷たいものだ。

 男の人は静かに、だがはっきりと首を横に振る。

 「まずは、衣服を改めて頂かないことには。あなた様はあまりにもお汚れになっていらっしゃいますので。それに、お付きの方も」

 八尋は頷く。

 「ならば、そちらにさっさと案内しろ」

 「御意」

 男が頷いて、静かな動作で建物の中に入っていく。歩くのに音も立てない。

 当然のように八尋はその後に続いた。

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