第八章 3話
部屋で考え事をしていたら、障子の外から呼ぶ声がする。律花は返事をしてその声の主を部屋に招きいれた。
「珍しいね。私の所に直接来るの」
入ってきた女にそう言うと、女、つまり栄は盛大に顔を顰めた。
「あんたがあたしを信用してないって言うから大人しくお勤めに勤しんでいるんじゃない。……城でお勤めするのって大変ね。色々としごかれちゃったわ」
腹立たしそうに愚痴を言うので、律花は呆れてしまった。その視線に気が付いたのか、栄はばつの悪そうな顔をして言う。
「分かってるわよ。無理を言って働かせてもらってるから文句は言えない、でしょう? 悪かったわ」
「栄って全然反省しないよね」
律花は苦笑した。この女は図々しいのか肝が据わっているのか、と本気で悩む時が多々ある。朝時と律花についてこの城に来るまでの道中でも、朝時がふと自分の家族の話をした折に、やりづらそうに溜息をついて栄にこう、釘を刺した事がある。
「と、言うわけで私は家族を大切にしたいから、父上のように側室を取る気はない。申し訳ないが、先ほどから色っぽい目で私を誘惑するのはやめてくれないかい?」
その言葉を言われて、栄は赤面して俯いた。どうやら栄はずっと朝時に媚を売っていたらしい。以前も木野の当主様の妾になりたい、と言っていた事からしても、どうも玉の輿を諦めてはいなかったらしいのだ。その時も律花は感心するやら呆れるやらした事を覚えている。
栄は律花の言葉に口を尖らせた。
「反省は、してるわよ。ただ、あんたの仕事は楽そうで羨ましいとかちょっと思っただけよ」
律花はもう、反論する気もなくしてしまった。栄は気を取り直したように続ける。
「今日言いに来たのはその事じゃなくて、あんたに言っておきたい事があったのよ」
「言っておきたい事?」
律花が怪訝そうな顔をすると、栄は神妙に頷く。
「あの、朝時って男、アブナイわよ」
「誘惑しようとしたくせに」
律花が茶々を入れると、栄は顔を顰めた。
「あんな男、私の好みじゃないわよ。糞真面目そうでつまらない。あれは、あくまでも玉の輿狙い。……じゃなくて」
栄は言って律花を睨みつけると、話を元に戻す。
「あの男の下女の中に、木野の女だらけの一団があるの」
意味が掴めないで律花は怪訝そうな顔をする。栄はそんな律花の様子をじれったそうに続ける。
「木野では女が消えるって言ってたでしょ? その、消えたはずの女達の大半が、何故かここで働いてるのよ。朝時の下女として」
「嘘?」
「それだけじゃないわ」
栄は更に深刻な顔をして言う。
「その子達は、みんな良い待遇を受けているけど、何かをびくびくと恐れているのよ。私が思うに、恐れているのは朝時の発作が起ること、だわ」
「朝時様の発作?」
ふいに、義巳の言葉が頭をよぎる。
―――朝時様の、病の真相……。
「話を聞くとね、その子達は、みんな木野で篠田の偉い人というのに声を掛けられて、良い生活をさせてやるから来いって言われたようなのよ。どうも、同じ集落の中に仲間が潜んでいて、まず、その人が女の子と話を付け、それから人に見られないように注意をしながら篠田へ招かれる、といった方法らしいわね」
「そんな事……そんな簡単に行くものなの?」
律花の問いかけに、栄は顔を顰めた。
「あんた、まだ分かってないの?木野の集落ってとても貧しいところが多いのよ。そこで、良い暮らしをさせてやる、良い仕事があるって言われたら、ついて行きたくもなるわよ」
「でも、そんなのあからさまに怪しいよ」
律花の言葉に、栄は睨む。
「そんな怪しいものにでも、縋りつきたくなるくらいに貧しかったら? 食うものにも困って、自分もそろそろ売られていくって事になったら?人買いに買われれば家族は助かるかもしれないけど、自分は酷い目に遭う。でも、この仕事ならば、自分で働いた金はせめて自分の手に入る。自分の好きなことに使える」
律花が言葉を失ったのを見て、栄は溜息をつく。
「あんたは、きっと、すごく明るい場所で生きてきたんだろうね。それは、羨ましい事だけど、時々ひどく妬ましくなるよ」
そう言ってから、話を切り替える。
「とにかく、そんなこんなで連れて来られて、始めは自分は何て幸せなんだろう、って思ったらしいね。まっとうに食事が出来て、それなりに綺麗な着物も着れて。でも、そのうちに自分たちが連れてこられた本当の意味が分かる。……あの子達は、決して自分たちの部屋を出てはいけないと言われるんだ。逃げようとしても、追っ手が追いかけてきて酷い目に遭わせられる。何故逃げようと思うかといえば、それは簡単だよ。お勤めに出た子が帰ってこないからだ」
「帰ってこない?」
律花の言葉に、栄は頷く。
「基本的に、あの子達は同じ部屋で生活しているらしい。普段は何か簡単な手仕事をさせられているらしいけど、何日かに一度、誰かが呼び出される。そして、呼び出された娘は決して帰ってこないらしい。それに、誰かが呼び出されるときは決まって不気味な雄叫びの様なものが聞こえてくる。……そんな事があれば、何人かは不審に思う。思えばこんなに簡単な仕事のために、なんでわざわざ敵領の木野の者を連れてくる必要があるのだろう。何か、裏があって当然じゃないのか。それで、不安が高じて逃げ出した者は連れ戻される。この前誰かが呼び出されたのは、五日前の事だそうだ。丁度、朝時様が発作を起こされた時だろう」
「……それで、栄はその事についてどう思ってるの?」
律花は嫌な予感に顔を青褪めさせながら問いかける。栄は少し戸惑うようにしていたが、思い切ったように口を開いた。
「勝手な推測をするなって怒られるかもしれないけど、戻ってこない子達はもう、生きていないんじゃないかと思う。それが朝時の仕業なのかまでは分からないけど。でも……」
栄はそこで言葉を切る。
律花はしばらくじっと目を伏せて黙って考えていた。
―――信じられるわけが無い。
朝時様は木野も篠田も同じ人間だと言っていた。それに、あんな優しそうな人間が人を無闇に害するとは思えない。もし、そんな事が起っているとすれば、それはきっと別の人間の仕業だ。
―――だけど。
蘇るのは義巳の言葉。清丸と桂の会話。朝時の妻の言葉。
気の病。狂人。発作の時は前後不覚に。酷い時には暴れまわって。父上は病に苦しんで。その事を知れば臣の信頼を失う。
―――どれが、本当?
青い顔をしていた清丸。大切な妻と子供を遠ざけようとした朝時。朝時の妻の悲しそうな笑顔。朝時の憔悴しきった様子。
「なんで、今日あんたにその事を話しに来たかって言うとね、さっき誰かが呼び出されたらしいんだ」
その言葉に、律花は思考を止めて目を開く。栄は真剣な面持ちで続ける。
「それがあたしの勝手な誤解ならそれで構わない。だけど、もしも、もしもだよ? それが本当だったら……」
律花は突如、すくりと立ち上がる。そして、驚いた顔の栄に毅然と言った。
「確かめに行こう。朝時様は今、お部屋に居るはずだから。もし違ったら謝ればいいんだから」
栄は一瞬、眩しそうに目を細めたが、それから大きく頷いた。
朝時の部屋のまで行く廊下で、違和感を感じて辺りを見渡す。違和感の正体はすぐに分かった。普段は侍女などがたくさん働いているのに、今は見渡す限り全く人の姿が見えないのだ。なんとなく、足音が立たないようにと気を使って、栄と二人でしんとした廊下を歩きながら、不気味な予感に胸がざわめくのを打ち消す事が出来ない。
朝時の部屋が近づくにつれ、何か雄叫びのようなものが聞こえてきて耳を澄ます。それは確かに朝時の部屋から聞こえてくるように思えた。
「何をなさっているのです?」
不意に、背後から聞こえた声に律花はどきりとし、慌てて振り返る。そこには、鋭い視線を律花に向ける桂の姿があった。律花は怯みそうになるのを懸命に堪えて返答する。
「朝時様とお話があるんです」
「朝時様は今、お取り込み中です。それに、事前に何の伺いもなくこうして部屋を訪ねるとは無礼だと思いませんか?」
乾いた声。殺気のこもった視線。体の内から震えが来るのが感じられる。
「思いますけど、どうしても確かめたい事があるんです」
「確かめたい事?」
その時、桂の言葉に重なって、部屋の中から先ほどから聞こえていた雄叫びのようなものとは違った甲高い叫び声が聞こえた。どうも、女の叫び声に聞こえる。驚いて振り返った律花の瞳に映ったのは、部屋の入り口の真っ白い障子に何か赤いものが飛んだその瞬間だった。
律花は反射的に、朝時の部屋へと駆け出していた。何故かつっかえ棒がしてあり、障子が容易に開かないようになっていたのを苛立たしく思いながらそれを外し、勢い良く障子を開く。
―――何、この匂い。
まず、気になったのはその事。部屋の中には甘い香りが充満しており、血の匂いと混ざり合って吐き気がしそうだった。
そうして次にはっと気が付いて、現れた光景に目を見張った。
―――信じられない。
それに、信じたくなかった。血のついた衣を身にまとって刀を振りかざす朝時の姿など。
その目の前では自らの血のかかった障子にもた様子で恐怖を露に、斬られたのであろう肩口を押さえて震える女が腰が抜けたようにしてへたり込んでいた。朝時の目は完全に律花を捉えておらず、虚ろに宙を漂っている。
律花は何かを考えるよりも早く、女の手を引いて障子の外へ飛び出していた。だが、それも誤った判断だと言う事がすぐに分かった。部屋のすぐ外では不気味な程に無表情に、それでも漲る殺気を抑えることもなく桂が迫っていたのだから。
―――やられる。
振り上げられた短刀に思わず目を瞑る。だが、予想していた痛みは来なかった。恐る恐る目を見開くと、栄が必死の形相で桂の振り上げられた手にしがみついていた。
「はやくっ。逃げな」
栄の声にハッと我に返る。
「あんたが逃げないとあたしもこれを放せないんだから」
律花は一瞬逡巡するも、すぐに決断した。
女を廊下に向かって思い切り押し出すと「一人で逃げて」と言い、自分は桂に向かう。栄が叱りつける言葉を投げかけたが聞いてはいなかった。
「栄、放していいよ」
「馬鹿言うな」
そんな言葉も言い終わらない内に、栄が派手に廊下を吹っ飛んだ。栄は倒れこんでごほごほと咳き込む。
「煩わしい事を」
その呟きの声に、またもや戦慄する。
―――手元には、武器がない。しかも、どう考えてもこの人の方が私より何倍も強い。
それは分かっているが、逃げる事もできそうにない。あそこに栄を残してはいけない。
ざ、と部屋の中から刀が飛び出してきた。見ると、朝時が迫ってきている。
律花は意を決して、さっと朝時の脇をすりぬけ、部屋の中へ駆け込む。意識が朦朧としているのか、朝時の反応は遅い。桂が舌打ちをして律花を追った。
律花は慌てて部屋の中で何か武器になる物を物色する。
―――何も無い。
丁寧に整頓された部屋には余計なものは一切ないようだった。律花はとりあえず、置いてあった花瓶を桂に向かって投げつけてみる。だが、それはいとも簡単に振り払われてしまった。冷や汗をかきながらも、じりじりと迫ってくる桂に、手当たり次第に物を投げつける。ふと、手に当たった香炉を投げつけると、払われた拍子にそれは蓋が開いて、床中身がばらばらと散らばった。甘ったるい香りが一掃濃くなる。
―――なんか、頭が朦朧とする。
そう考えて、隙ができたのだろう。次の瞬間には、桂が一気に間合いを詰めていた。
律花はハッと息を呑んで振り上げられた短刀を見る。
だが、桂の短刀は律花には届かなかった。さっと翻った緋色の衣の残像が律花の目に鮮やかに写る。次の瞬間には、桂は律花の目の前に現れた人影に、突き倒されて地面に倒れていた。律花は呆然と目の前の人物を凝視する。振り返ったその主は、どこか不機嫌そうな様子で律花に指示を出す。
「俺の部屋で待っていろ。言い訳はその時に聞く」
「八尋……」
律花のいくらか遅れた反応に呆れた顔をしながらも、八尋は向かってきた朝時の刃を器用に弾きながら、言う。
「行け、と言っている。早くしろ」
その時、桂が再び起き上がって八尋に向かってきた。律花は息を呑む。だが、桂の進路を阻んだ人影を見て、安堵の息を漏らした。
その人物は、軽々と桂の短刀を払い落すと、律花ににっこりと微笑みかける。
「大人しく言う事を聞いた方が良いよ、律。時柾様は怒らすと恐いから」
その言葉に、律花はようやく体を動かした。
廊下に倒れている栄を急いで起こして、肩を貸しながら早足で歩く。歩きながら、先ほどの光景を思い出していた。
翻る鮮やかな衣は一目で誰だかわかった。それを認識した瞬間、律花は安堵と嬉しさで涙が出そうになったのだ。




