第七章 5話
「今日は多分、城に着く前に日が暮れてしまうだろう。私は馴染みの集落で一晩泊めて貰おうと思っている。綺麗な場所とは世辞にも言えないが、そなたもそこで我慢してくれないか?」
しばらく馬で走った後、目の前の朝時が言う。
「泊めて貰えるなら有難いです。どんな場所でも文句はいいません」
律花が頷いて言うと、朝時は微笑んで頷いて馬の速度を上げる。日の光がそろそろ山際に接していて、太陽は最後の輝きを見せている。目的の集落には急げばなんとか辺りが闇に覆われる前には着くだろう。
暫くすると、集落が見えてきた。
「この集落だ」
集落に着いたのは、空の色が濃い藍色をした黄昏時だった。朝時は安堵したように笑って馬を下り、律花に手を差し伸べて馬から下ろしてから集落の中を歩いて行き、奥まった所にある小さな家の戸を叩いた。
返事が聞こえて、家主が出てくる間に律花に向かって説明する。
「ここは、父の昔の臣の家だ。よく、遠出をする時はこの家を使わせて貰っているんだよ」
言い終わるか終わらないかのうちに、中から女が出てきた。朝時の姿を見ると、思わずといった様に微笑んで、頭を下げて招き入れる。朝時には人を和ます空気がある。それは、とても好感が持てるもので、同じ兄弟でも八尋や朝熙が持っていないものだ。
「お待ちしておりました。さ、どうぞ」
女が促すに従って、朝時は微笑んで頷いてから家に入りながら律花を示して言う。
「この子も一緒に泊めてもらえるかい?」
「その方は?」
「大事な預かり人だ」
その言葉に、女は頷いて律花に視線を向ける。
「狭苦しい所で申し訳ありませんが、どうぞ中へ」
「あの、こちらこそごめんなさい。おじゃまします」
律花は戸惑いながら中へ入る。入ってすぐは土間になっていて、その奥の部屋に朝時が上がっていく所だった。
律花も後に続こうとして土間に足をかけた時、奥の部屋からおそらく朝時を歓迎しようと出てきた男に目を留めて絶句した。男の方も、律花に気が付いたようで目を見開く。
「お前……」
男が呆然としたように呟く。律花は言葉も出せずに、ただ目を見開いて男を見つめていた。
会ったのはほんの少しの間だが、印象が強烈だっただけに、鮮明に覚えている。血だらけになりながら、八尋に向かって殺せ、と叫んでいた姿を。
「どうかなさいました?」
女が律花の様子に気が付いて、声を掛ける。そして、視線の先に気が付くと、苦笑して言った。
「すみませんねえ。うちの旦那、図体がでかくて恐ろしいでしょう?でも、実際はそんな乱暴な訳でもないから、恐がらなくても大丈夫ですよ」
「あ、はい」
律花は慌てて我に返って、恐る恐る部屋に入る。男はじっと律花を凝視していたが、女がそれに気が付いて怪訝そうな顔をすると、慌てたように視線を逸らした。
「二人は知り合いかい?」
一部始終を眺めていた朝時が不思議そうに問いかけるのに、男は意外にも笑みさえ浮かべて首を振る。
「いや、知っている人に似ていたんですけど人違いでしょう。……それより、どうぞ」
言いながら、部屋の真ん中の囲炉裏に導いてそこに掛かっている鍋から何かをすくって器に入れ、差し出す。器から湯気が上がり、美味しそうな匂いが立ち込めた。
「お前も、ほら」
男は言って律花にもそれを盛って渡してくれる。律花は一瞬逡巡したが、朝時にも同じものを渡したし、自分も食べるつもりでいるようなので、と礼を言って受け取った。
確かに、それは美味しかった。
律花は食べながら、談笑しながらそれを食べ、酒を酌み交わす二人を注意深く観察する。男は朝時の事を慕っているようで、明らかに年下であるはずの朝時に敬語を使い、嬉しそうに話している。朝時が熊を飼いならしているような印象受けて、律花は内心で笑ってしまった。
―――とても、あの時の人と同一人物だとは思えない。
悲痛に叫び声を上げていた姿と、酒を飲んで上機嫌に大笑いする姿はどうしても結びつかなかった。だが、ちらりと着物の衿元から覗く体には確かに傷跡がくっきりと残っているのが、あの時の事の何よりの証拠だ。
「どうしたんですか?」
その言葉に、ハッとする。見ると、女が心配そうに律花の顔を覗きこんでいた。律花は慌てて取り繕うように笑みを浮かべる。
「えっと、二人が楽しそうだなあって思って」
言うと、女は破顔した。
「そうでしょう?うちの人、朝時様が好きで仕方がないのよ。まあ、百姓にこれだけ気安くて思いやり深い人だから、気持ちはわからないでもないけど。……ごめんなさいね、つまらないんじゃない?」
「いえ。そんな事ないです」
律花は言うが、女は気遣わしげにしている。
―――気を使わせちゃったかな。
律花は申し訳なく思って、話題を探す。何か、律花が興味のあることでこの人が話せそうな事。そういえば、朝時は母親が農民出身だったと言っていた。そう思い立って律花は尋ねる。
「あの、朝時様のお母さんってどんな人だったんですか?」
その質問ならば話をしてあげられる、と思ったのか、それともその話をするのが嬉しいのか、女の顔がまた緩んだ。
「あの方はねえ、百姓の娘で稲作をしている時に通りかかった篠田の前の当主様……と言ってもその時はまだ当主ではなかったんだけど、とにかくそのお方の目に留まって、当主様は自分の妻へとお迎えになられたんです。でも、お父上の意向やなんかで、百姓だから側女にって話になって新たに正妻を娶られたりで辛い事も多かったでしょうけど、最終的には当主様もあの方を一番愛していらっしゃったのだと思いますよ。正妻の方が亡くなった時には、お父上も既に亡くなっていらっしゃったので、改めて正妻の位置にあの方をお付けなさったくらいですから。……ここの集落は、奥様の生まれた集落ですから、私達も朝時様に良くして頂けて」
その言葉に律花は納得する。だから、朝時は宿泊するのにこの集落を選んだのだ。それに、朝時がそうして良くするから、あの男もこのように朝時を慕っているのだろう。そう考えてふと疑問に思う。
「旦那さんは、朝時様にお仕えしていないんですか?」
律花は聞いてしまってから、少し後悔した。女の顔が少し困ったようになったからだ。取り消そうとしたが、女はすぐに答える。
「あの人は、前の当主様にお仕えしていたんです。奥様と同じ集落事だと言う事で百姓出身だというのに目をかけていただいていて、お側に置かして頂いていたから、義任様への思いが強いんです。だから、その義任様をお守り出来なかったことが許せなくて、朝時様はお誘いくださっているんですけど、強情に首を縦に振らないんですよ。朝時様の事だって慕っているんだから良いと思うんですけど」
でも、と女は軽く目を伏せる。
「生きていてくれるだけでも有難いから、贅沢は言えませんね」
しみじみとしたそんな言葉に、律花は思い出した。
―――そうか、あの人は死のうとしたんだもんね。
大怪我をして帰って来た男を、この人はどんな思いで見たのだろう。
食事も終わって、律花と朝時のために布団が用意される。朝時と同じ部屋で寝せるわけにもいかないので、と言われ律花は女と一緒の部屋に布団を敷いて貰った。
火を消してしまうと、家の中は真っ暗になる。律花はしばらく闇の中で目を凝らしていた。
疲れはあったし、眠くないと言えば嘘になるが、それよりもあの男に対する警戒心の方が勝っていた。以前、あの男に向けられた憎悪の含まれた目が忘れられない。あの時の事を思い出すと戦慄する程だった。
隣で寝息が聞こえるので女が寝入っている事が確認できた。律花はそろそろと寝床を這い出し、部屋を出た。男が朝時に自分の部屋を提供し、自分は夜通しで見張りをする事は朝時が恐縮していたので知っていた。律花は恐る恐る戸口まで歩く。素足に当たる床が冷たい。
用心深く戸を開けると、大きな背中が目に入った。
気配を感じたのか、男は振り返り、律花が立っているのを見て目を見張る。
「何をしている」
出された声は、不機嫌に低い。律花は一瞬怯んだが、寝ている人を起こしては悪いと戸口から外に出て後ろ手に扉を閉めた。
「話を聞きに来たんです」
「話?」
訝しげな男の様子。律花は頷く。
「なんで時柾様を殺そうとしたんですか?」
その言葉に、男は一瞬面食らったような顔をして、それから渋い顔をした。
「敵討ちだと、あの時言わなかったか?」
「聞きました。でも、最初に時柾様を殺そうとしたのは前の当主様の方なんですよね。そうしたら、悪いのはそちらなんじゃないですか?」
その言葉に、男は更に顔を顰める。
「良いも悪いも関係ない。俺はただ、主君の敵を討つだけだ」
律花は男を睨みつけた。
「前の当主様ってどんな人だったんですか? 北見さんのお父さんも、あなたも、その人の命令なら何でも聞いて。そんなにすごい人だったんですか?」
律花のその言葉に、男は何の迷いもなく頷く。
「ああ。すごい人だった。俺は憧れていたな。戦場を駆け回るお姿は惚れ惚れとするものだった。お年を召されてからは戦には出なくなったが、奥様と穏やかに過ごされている姿は貫禄があって、こんな出自の俺にまで隔てなく、家臣には優しく良くしてくれた」
その言葉には、律花も面食らった。それは、今まで律花が持っていたその人の印象とはあまりにも掛け離れた姿だ。実の息子である八尋を何度も殺そうとした、卑怯で残忍な人がそんな人物であるわけがない。
「嘘でしょう?」
律花が言うと、男はむっとしたように言う。
「嘘なもんか」
律花はムキになって男を睨むと言う。
「だったら、なんでそんな素晴らしい人が息子を殺そうとするんですか?」
律花の言葉の棘を感じ取ったのだろう。男も律花を睨みつける。
「あの方が殺そうとしたと言う事は、それだけ悪い息子だったと言う事だ。そうに決まっている。現に、あの男は義任様をお討ちになった」
「時柾様は悪い男なんかじゃない。あなたは前の当主って人の言葉を鵜呑みにしすぎてるんだ」
律花は声を荒げて言い返すが、男は相変らず律花を睨みつけて律花の言葉を聞く風はない。
―――前の当主って人を信じすぎているんだ。
盲目的に、自分の判断などもすることなく。その人の言う事ならば間違いはないのだと。
男は怒りを抑えた声で唸るように律花に言う。
「お前がもし、朝時様の連れでなければ殴り殺しているところだ。義任様を侮辱するな」
―――多分、言っても通じない。
しばらく睨みあった後、律花は悟った。律花とこの男の意見は一生交わる事はないだろうと思われる。話し合っても無駄だ。そう思うと、急速に体の力が抜けるのを感じた。
「わかりました。これ以上言いません。でも」
律花は言ってもう一度男の顔を見据える。言っておかなければいけない事がある。
「もう、前みたいに時柾様を襲ってくるような事は止めて欲しいんです。あの人は、ただでさえ辛い目に一杯遭ってるんです。これ以上、酷いことをしないで」
これを言いに、わざわざ寝床を抜け出してきたのだ。
男はじっと律花を見返す。
「俺が義任様を慕うように、お前もあの男を慕っているんだな」
その言葉に、律花は迷いなく頷く。
男はふい、と目を逸らした。
「朝時様に、二度とそう言う事をするなと諌められた。あの方が怒った事などそうそうないぞ。……だから、もうしない。安心しろ」
その言葉に、律花は緊張が緩むのを感じた。少なくとも、これで一つは八尋を狙うものは減ったわけだ。
思わず礼を言って律花は家の中に戻ろうとした時、男が声を掛ける。
「以前、お前は俺が殺されそうになった時に止めてくれたな」
律花が怪訝な顔で振り返ると、男は背を向けたまま言う。
「あの時は、本当に義任様の後を追おうと思っていたんだ。それしか、頭に無かった。……だが、あの後、集落に連れ戻されて手当てを受けて目を覚ましたらな、女房が泣いていた」
どこか気まずそうな口調だが、言葉は続ける。
「俺が死ななくて良かった、と泣いていたんだ。……そこだけは、お前に感謝している」
律花はひそやかに顔を綻ばせる。
例え、価値観が違ったとしても、意見が交じり合う事が無くとも。けして通じ合えないわけじゃない。
冷え切った布団に滑り込みながら、ほんのりと温かい気持ちで眠りについた。




