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第七章 3話

 しばらく走って、ある集落の側で栄はようやく足を止めた。思い切り走ったので、二人とも息が切れていた。

 「ちょっと、ここで休もう。水を貰ってくる」

 栄がそう言って集落の中に入って行ったので、律花は集落の入り口に腰を下ろして一休みする。

 ここ周辺の集落は皆似たり寄ったりで、どの集落も貧しいのだろうと見受けられる。何度か通りすがった事のある篠田の集落と比べてみれば明らかにこちらの方が貧しいように見えるから、民衆レベルで篠田の方が裕福なのだろうか。だから、木野も篠田の土地が欲しいから何度も懲りずに攻めて来るのかもしれない、それとも逆で、篠田を攻めてばかりいるからそちらに掛かりきりになりすぎて貧しくなるのだろうか。

 そんな事を何気なく考えながら集落を見渡す。

 娘の姿を見かけないのも、どの集落でも同じだ。朱子の呪い、というのが本当でもそうでなくとも、消えてしまったという娘達はどうなったのだろうか。どこかに無事でいてくれれば良い、と心から思う。

 そんな事を考えていると、ふと誰かが目の前に立った。見上げてみれば集落の者であろう男が数人、律花を囲んでいる。

 「あ、すみません。ここに座り込んじゃ駄目でしたか?」

 律花は言って慌てて立ち上がろうとした。しかし、次の瞬間、鈍い痛みを鳩尾に受けて地面に転がった。腹を押さえて咳き込みながら、何が起ったか一瞬理解できずに呆然とする。男たちを見上げて確かめる間もなく、動きを封じられ、手足を縄で縛られる。

 担ぎ上げられて見えた先に、栄の姿が見えた。

 ―――笑ってる。

 確かに、栄は律花のその姿を見て笑っていたのだ。さらに、律花の視線に気が付いて、ひらひらと軽やかに手を振ってみせる。

 ―――騙されたんだ。

 ようやく、その事に思い至った。呆然とする律花にはお構いなしに、男達は律花を物置に放り込む。

 律花は泣きたい気持ちで埃だらけの床に転がった。


 「あたしのうちの村八分はといてよね」

 律花が物置に閉じ込められたのを見届けて、栄は集落の男達に詰め寄る。

 「あの娘を届ければ褒美の金が貰えるんでしょ?あたしは集落のために貢献したはずよ」

 自分の転落の原因となった娘を使って名誉を回復してやった。これほど爽快な事があるだろうか。栄の胸はそんな思いで一杯だった。

 あの娘を逃がしてからの生活は思い出したくもない程に酷いものだった。このような集落で村八分にされる、と言ったら大変なものがある。集落は、大体が相互協力で成り立っているのに、周囲からの協力が何も得られないのだ。しかも、集落中の者から完全に存在を無視されるだけでなく、嫌がらせも絶えず起こる。彼らが栄を見る目は、最早同じ人を見る目ではなかった。おまけに、お前のせいでこうなったのだ、と家族からも酷い扱いを受けた。

栄の心の中ではなんとか周囲を見返してやろう、という執念に近い物が宿るようになっていた。

 自然、それは口調や態度にも表れる。今、集落の男達に詰め寄る栄の口調は周囲を見下すような、自分を誇るような鼻持ちならなさが含まれていた。視線などにもそれは隠すことなく表れている。

 周囲にしてはそれは面白くない。その上、その相手は今まで自分達が今まで散々こけにしてきた相手だ。そう簡単には認識は変えられるものではない。何を小癪な、というのが彼らが栄に感じた一番の感情だった。

 男は一人天狗になる栄に向けて冷たい口調で言う。

 「あんたはたしかに、あの娘を連れて来た。だが、捕まえたのは俺達だ」

 その言葉に、栄は大きく目を見開き、それから憤慨するように言う。

 「何よ、それ。あんた、手柄を横取りしようっての?」

 いきり立って男の襟首に掴みかかるが、それはアッサリと振り払われてしまった。

 「俺達がいなかったらお前はあの娘を捕らえる事なんて出来なかったろう」

 「そうしたらお役所まで自分で連れて行ったまでよ。あたしはあんた達に手柄を掴ませてやろうと思って……」

 「いや、その前に逃げられていたさ」

 切って捨てるような男の声に顔を見ると、この上ない冷たい瞳。その目が、態度が、今後も栄を受け入れるつもりなど毛頭ない、と言っている。

 その事に気が付いて、栄は奥歯を噛み締めた。

 ―――何をしても、無理だったんだ。

 名誉挽回をすれば、すぐに皆の態度は元に戻ると信じていた。不遇の毎日に耐えてこられたのも、それを信じていたからだ。そういう風に信じていなければ、やって行けない程辛かった。昔から、親しんでいた人皆に疎ましがられる自分の存在というものが。

 栄は食って掛かるのを止め、ツカツカと倉庫に向かって歩き出す。

 「何をするんだ」

 男が追いかけてきて遮ろうとしたが、無理矢理に倉庫の扉を開ける。

 「あんたたちに手柄をやっても意味がないってわかったから、あたしがこのまま連れてくのよ。それで貰った褒美のお金で一人で暮らしていくわ。ついでに、あんたたちが見も知らない行きずりのおなごから集団で金を奪って殺そうとしたって事も訴えてやるから」

 その発言は、栄の精一杯の強がりだった。こうでもして相手を攻撃しなければもう、やっていけないくらいに心が傷ついていたのだ。

 だが、その発言は周囲の者の一番恐れていた事でもあったのだ。集落の中の者には罪悪感があった。その罪悪感はいつか、自分達に罰が下るのではないか、という恐れに変わっていた。それを、栄は刺激したのだ。

 男達の行動は早かった。あっという間に栄は引きずり倒されて、縄で縛られ、そのまま律花と同じ倉庫に放り込まれた。

 「お前は盗人で虚言の癖があって散々皆を困らせてきた、とこのガキと一緒につきだしてやる」

 そんな捨て台詞と共に、倉庫の扉はあまりにもあっさりと閉じられてしまった。


 床の上に這い蹲って、栄は一人奥歯を噛み締めていた。放って置けば今にも嗚咽が漏れそうだったが、律花の前でそんな惨めな姿を晒すのは嫌だったのだ。

 ―――元はといえば、全部、この娘のせいなんだから。

 そう考えると、余計に悔しい。そもそもあの日、この娘が雨の中この集落を訪ねて来なければ、自分は集落の中で一番の美人ともてはやされ、いずれは集落の中の誰かと結婚して所帯を持って、貧しいながらもそれなりに安泰な人生が送れたはずだ。なのに、この娘が現れたばかりに。

 恨みを込めて薄暗い中で律花の方を向いて睨みつける。律花は、まるで動じた様子もなく、静かに栄の事を眺めていた。

 「あなた、裏切られたんだ?」

 おそらく外の騒ぎが筒抜けだったのだろう。律花がそんな事を口にする。栄はかっと赤面して益々激しく睨みつけた。自分よりも年下のはずなのに、何だろう、この余裕は。腹が立ってならない。

 「あんたには関係ないだろ?」

 棘のある口調で栄が言うと、律花は首を振る。

 「関係なくないよ。私を騙したあなたが裏切られたって聞いたらやっぱりいい気味だって思うし」

 その言葉に、栄は更に頭に血が昇るのを感じる。

 「あんたのせいだろ。あんたが、あの日来なければ、こんな目に遭う事はなかったんだ」

 律花は心外だ、と言うように眉を上げた。

 「私に交渉なんか持ちかけた自分の責任でしょ? 確かに、私はそれで助かったけど。……一番の元凶は私からお金を盗んだ上に閉じ込めて殺そうとした集落の人達だと思うけど」

 「あんた、金持ちの子でしょ?」

 唐突なその話題に、律花は不審気な顔をする。栄は続ける。

 「金持ちの子にはうちの集落がどんなに貧しいかなんて分かんないわよね。あんたが見せた金がどんなに魅力的だったか、想像できないと思うわ」

 「そんなに貧しいの?」

 裏切られた筈の集落の者を栄が庇う事に驚きながら、律花は問いかける。栄は憤りを含ませた口調で答えた。

 「この辺りは篠田領との境に近い場所にあるから戦があれば巻き込まれる事もしばしばで、田畑は踏み荒らされて作物の出来がよくないし、時には炎や矢なんかが飛んでくる事もある。その上、戦の足軽に男が徴収される事もあるし、女は呪いで消える?……それで、また人手が足りなくて作物は育たないわ」

 そこまで愚痴ってしまってから、そういえば、と栄は律花を見る。

 「あんた、呪いを行った巫女だとか言ってはりつけられていたけど。それで今もそんなに余裕な態度なわけ? 何か逃げ出す方法でもあるの?」

 その言葉に律花は首を横に振る。

 「余裕じゃないよ。今、どうやってここを抜け出そうか必死に考えてる所。話に聞いた限り、すぐ殺される事はないみたいだから、運ばれる途中で逃げられるように体力を温存してるだけ」

 その言葉に、栄は「なんだ」と溜息をつく。そして、そのまま黙り込んでしまった。沈黙だけが倉庫内を支配する。

 律花は何度かうつらうつらとした。時々、栄が涙を拭いているのが分かったが、見えないふりをした。

 そんな状態がしばらく続き、扉などの隙間から漏れる光がなくなり、どうやら夜になっただろうと言う事が伺えた。それでもしばらくうたた寝をしていた律花だが、そろそろ深夜に差し掛かるだろう、という時分になってふいに目を覚ました。

 ―――何か、いる?

 目を覚ましたのは扉の外で微かに音が立てられたからだ。誰かが、そっと扉を開けようとしている。律花はそれを悟ると緊張した面持ちで扉を見つめた。

 扉の隙間が段々広くなって、月明かりを背にした人影が目に入ると、律花は咄嗟に息を詰めた。

 ―――三太。

 律花よりも先に律花の中の朱子の感情が反応する。

 三太は迷いもせずにそのまま律花の方へ進んでくる。律花は身を硬くしてそれを見守っていた。

 「良かった。途中で見失ったからどこへ行ったのかと思った」

 三太が発した言葉はそんな言葉だった。律花が警戒心を漲らせているのを見て、律花から1メートル程離れた所で足を止め、安心させるように微笑む。

 ―――保科の笑い方に似てる。

 朱子の感情に耐えながら、律花は一瞬、そんな事を考える。

 「警戒しないでくれ。俺は、あんたを助けに来た。集落の者は寝静まってるし、見張りは一人しかいなかったから何とか気絶させてある。今のうちに逃げるぞ」

 言って三太は短刀を取り出し、屈み込んで律花の足と体を縛っている縄を切る。手を縛っている縄に短刀を入れようとした瞬間、律花は慌てて止めた。

 「その縄は、切らないで」

 突然の言葉に、三太は不審気な顔をする。

 「手が自由になったら、またあなたに襲い掛かりそうだから」

律花のその言葉に、思い当たる事があったのだろう。三太は頷いて短刀をしまってから、律花の手を引っ張って立たせる。

 「ついて来て。篠田に届けてやるから」

 そのまま律花を引っ張って行こうとする三太に、律花は足を踏ん張って踏み止まって言う。

 「何で?あなたが私を助けてくれるの?」

 縄を解いてくれるのは有難かったし、とりあえず危害を加える様子はないようだったからされるがままになっていたが、これ以上この男を信じて身を任せる事は流石に出来なかった。また、騙されて連れ戻されるのはでないだろうか?

 そんな律花の思いを察したのか、三太は困ったように律花を見た。

 「俺が信じられないのは分かるが、今はどうしても信じてくれとしか言えない。……俺はあんたが朱子じゃないって知ってるし、それなら朱子のせいでこんな事に巻き込まれたあんたはとても哀れだと思うからこうしてあんたを助けたいと思っている。朱子がこんな事をした責任は俺にもあるから」

 その言葉に反応したのは、むしろ律花の中の朱子だ。黒い感情が自分でも押さえつけられなくなるほど膨れていくのを感じて、律花は思わず胸を押さえてしゃがみこんだ。それを見て、三太は言う。

 「あんたが朱子の影響を受けているって言うのも聞いている。普段は跳ね除けているようだけど、俺を見るとそれを抑えきれなくなるって言うのはそれだけ朱子が俺を憎む気持ちが強いからだ。だけど、巫女のばあさんが言ってたろ? あんたは意志が強いから跳ね除ける事が出来るって。どうにか無事、篠田に送り届けるまでは堪えてくれ」

 そう言って強引に律花の手を引く。

 「待って」

 「待たない。こんな所でぐずぐずしていたらいつこの集落のヤツラに見つかるかと肝が冷えるんだ。俺を信用できないのは分かっているが……」

 「そうじゃなくて」

 三太の言葉を遮って律花は言う。

 「そこの女の人の縄を解いてあげて。そしたらとりあえずついていく」

 律花が指差した先には目を見開いて二人のやり取りを眺めている栄の姿があった。三太は眉を顰める。

 「何でだ?こいつはあんたを売り渡したヤツだろう?」

 「でも、この人をこんなに追い詰めたのは私の責任みたいだから」

 「だけど……」

 「言い争ってる暇はないんでしょ?」

 その言葉に、三太は渋々といった様子で栄に近づき、縄を切り始める。律花は栄を見据えて言う。

 「本当は、私だってこんな事してあげたくない。私を騙した事を許したわけじゃないんだからね。ただ、このままだとあなたは今までも充分不幸で、それでこのまま置いて行ったら、酷い目に合うかもしれないのは可哀想だからって同情してあげただけだから」

 三太が縄を切り終わり、律花の腕を引いて倉庫から出る。

 栄はしばし呆然とした様子でそれを見ていた。

 ―――なんなの? あの娘。

 懐が広いのか、人に甘いのか。

 ―――いや、甘いなんてものじゃない。甘すぎる。

 普通、自分を騙した相手に優しくなんてしてやろうとは思えない。自分だったら絶対に、いい気味だと思って、もしかしたら処刑場まで喜んで見に行くかもしれない。なのに。

 ―――おかしいよ。あの娘。

 そう、思っているのに何故か涙が出る。思えば人に労わられた事は随分久しぶりだ。

 こんな気持ち、もう長らく忘れていた。

 ―――まだ、間に合うだろうか。

 二つの人影が消えていく姿を見ながら考える。

 今ならまだ、許しを請う事が出来るのだろうか。

 そんな事を考えたのは今までの自分からは考えられない事だった。だが、とても素直にそう、思えた。

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