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第一章 3話

 老婆が去った後、律花は急いで考えをめぐらす。

 老婆の言葉はつまり、誰かが自分を殺しに来るかもしれない、ということだ。本当のところはどうなのか知らないが、とにかく、自分はどうやら木野というところから生贄にされてここまで流されて来た事になっているらしい。

 そして、ここには木野出身だけで恨まれるいわれがある。

 色々疑問はあったし、混乱はあったが、それは後でよく考えることにして、頭の隅に追いやった。何せ、今は情報が少なすぎて、自分の置かれた状況もよく分からない。とりあえず、直面していることから片付けていくしかないのだ。

 ―――逃げた方が良いかもしれない。

 老婆自身は敵意はないかもしれないが、でも、あの物言いは絶対になにかある。

 贄で生き残った者はいないというからには、多分、助かる可能性があった者でも殺されてしまったということではないだろうか。

 急いで老婆が出て行った扉に駆け寄るが、向こうから閂でもかけられているのかびくともしない。雨戸も同様だった。

 ―――閉じ込められた。

 殺されるかもしれないから用心しろ、などと言っていたが、これでは用心しようがないじゃないか、と少し腹が立った。

 ともかく、逃げられないなら、隠れなければならない。

 といっても、この部屋には何もない。明かりでさえ、蝋燭1つなのだ。

 そこまで観察してふ、と気づいた。

 ならば、この蝋燭を消せば、この部屋は真っ暗になって自分がどこに居るのかも知れなくなるではないか。

 とりあえず、かけ布団を丸めて、布団の上に置いておく。それから、蝋燭を消し、いざという時の武器にするため、燭台を片手に持つ。そうしてその場にしゃがみこんでいた。


 カタン、という密やかな音がしたのは、しばらくしてから。

 律花は音のした方へ、見えないけれど神経を張り詰めて、気配を探る。それは、戸口からではなく、雨戸の方からした。

 布摺れの音などで、入ってきた人物の場所をなんとか特定できる。

 その人物はそろそろと、部屋の中に用心深く足を踏み入れた。中に入ってくるにつれて、律花は極力注意しながら、その人物とは逆の方向へ、壁を伝いながら出口を目指していく。雨戸から光が差し込むことを懸念していたが、幸いそちらも暗いところだったらしく、相変わらず真っ暗なままだった。

 律花が雨戸にようやくたどり着いた頃、相手も布団にたどり着いたようだった。

 ずん、と鈍い音がした。

 ―――あの音は、刃物じゃないか。

 本気で殺されるところだった。

 冷や汗を流しながら、雨戸に手をかけると、古い雨戸だから、大きな音が出た。

 相手が振り返った気配がする。

 「そこかっ」

 まだ若い、女の声がそう言うと、刃物を布団から引き抜く音がして、木の床を鳴らしてこちらに駆けてくる。

 律花は急いで、そこから飛び降りた。

 思いのほか高い場所にあったらしく、着地の時に少し左足をひねったが、走れないほどではない。利き足でなくてよかった、と安堵しながら左足を庇いながら、駆け出した。


 どうやら、雨戸は藪に面していたらしく、地面には草などが覆い繁っていた。勢い良く藪に突っ込み、駆けながら、これでは逆に音を辿りながら付いてこられる、ということに思い立って焦る。それでも、今更引き返せばまさに鉢合わせなので、そのまま走るしかない。

 相手と自分の距離を測るものは、僅かに藪を掻き分ける音だけ。しかも、こちらは足を捻っている分だけ不利だ。

 少しずつだが確実に、音は近づいてくる。

 背後で、息遣いまで聞こえるようになってきた。

 律花は焦って手を振り回す。忘れていったが、手には燭台を握ったままだった。

 「きゃあ」という声がして、次いでがさり、とひときわ大きな音がした。

 ―――転んだのか。

 申し訳ないが助かった。時間が稼げる。

 走っていると、藪が唐突に切れた。

 そこだけ、道のようになっている。もっとも、ちゃんと舗装された、というわけではなく、人が通れるようにかろうじて跡が残っている、という程度だったが。

 ふと見ると、木が沢山生えている。山なのかもしれない。

 この木のうち、どれかに登っていたら、この道を行ったと思われて、やり過ごせるだろうか。

 ―――でも、それでバレたら一貫の終わりだ。逃げ場がない。

 そうも思うが、足もそろそろ限界だ。

 少し悩んだ末、律花は木に手をかけた。



 八千代は女を追っていた。

 今日、川の岸に流れ着いた女は木野の贄だという。八千代の恋人の命を奪った木野の。

 女が生きている、のを見て許せない、と思った。

 八千代の恋人は死んだのに、その女は、長の屋敷でぬくぬくと介抱されている、と。

 殺してやろうと思って、人気のない場所から忍び込んだものの、相手も知恵が回るらしく、小賢しい手を使って逃げられてしまった。後を追うも、藪の中で引き離されてしまった。

 唐突に、藪が切れて山道に出た。

 この藪が山に繋がっているのは有名だった。迷いやすく、危険だからあまり、人は入らない。

 女の姿は見えなくて、山の中に入ったのか、と思って一瞬悩む。もし、山の中に入っていたら、ここいらの土地に不慣れなあの女ならすぐに死ぬだろう。

 だが、何か物足りなかった。あの女の死ぬところをこの目で見たいと思った。

 覚悟して、山道を踏み出そうとした時、がさり、と不自然な音が耳を捉えた。

 音の出所は木の上から。

 知らず、笑みが広がった。

 そして、ゆっくりと、木に近づく。


 木に登った後に、しばらくして女が来た。はっきりとは見えないが、目がなれてきたためか、影のように暗くは見える。気配を悟られないように律花はひたすら息を殺していた。ともかく、ここをやり過ごさないと殺されてしまう。女の影だけに意識を凝らす。

 ふいに、手に何かが触れる感触がした。反射的に見ると、大きなクモが腕を這っていた。何かを考えるよりも早く、咄嗟に手が払いのけていた。木が、がさりと音を立てた……。

 律花は身を固くして女に視線を戻す。

 女は一瞬ピクリと動いて、それからゆっくりとこちらを見上げた。表情は見えなかった。律花の背筋がすうと寒くなる。

 女はゆっくりと、でも確実にこちらに向かってくる。

 ―――木を飛び降りて、逃げようか。

 ―――いや、でも、間に合わない。

 ―――でも、このままじゃ確実に殺される。

 混乱して、考えがまとまらない。気持ちばかりが焦るが、体は全く動けずに、硬直していた。

 女が木にたどり着いて、幹に手をかける。

 ―――ダメだ、殺される。

 その時、ふいに女の動きが止まった。

 それと同時に、どたどたという慌しい足音が聞こえて、山道から人が駆け下りてきた。その人物は、やけに慌てたような雰囲気で、荒い息をしていた。

 「お前、そこで何をしている」

 女に気づいて、その人物が声を掛ける。どうやら中年の男のようだった。

 「あ……」

 女は少し逡巡するように、木の上とその人とを見比べ、やがて、地面に頭をついた。

 「篠田の、お侍様でございますか?」

 「そうだ。……お前、集落の者か?」

 女は、戸惑い勝ちに頷く。それを見て、男は言う。

 「この先は、戦で使うかもしれないと思い、下見をしてきた。これからしばらくこの山に入るのは禁ずる。お前も、すぐに下りろ」

 女は、名残惜しげにチラリと木の上を見上げるが、男が見張っているので渋々、といった感じで頷いた。そして、山道を反対方向に下りだす。

 「それから、おれとここで出会ったと言う事は、決して口外してはならんぞ」

 男は、妙に強い語調で言って、自分も、山道を下り出した。


 律花は2人が去ってからしばらくは息を潜めていて、戻って来ないと知って、ようやく息を吐き出した。それから、そろそろと木を下りる。

 左足が痛んだが、歩けないほどではなかった。

 それよりも、藪の中を駆け抜けてきたせいで出来た、あちこちのかすり傷の方が痛む。

 改めて見てみれば、着物は元々、着ていたのよりも質素ながら動きやすいものになっていた。きっと、気を失っている間に着替えさせてもらったのだろう。

 木を下りて、これからどうしようかと悩む。もう一度、あの集落に行くのだけはごめんだと思った。恐怖がまだ、体に染み付いている。

 だから、女が去ったのと、逆方向へ山道を登り始めた。

 それが、山の中へ踏み込む道だとは、知る由もなかったから。

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