第四章 6話
「良くやったわ」
上機嫌の蘭子を目の前に、律花ほほとほと困り果てていた。
そろそろ深夜に差し掛かろうとしているが、蘭子の部屋で行われている宴会は終わる様子を見せない。
最終的に律花の剣術には高い点数がつき、僅差で千鶴を追い抜く事となったのだ。そのお陰で、蘭子は先ほどから律花を褒め、侍女達の態度もまるで掌を返したように好意的なものとなった。どうやら察するところ、蘭子と千鶴は何かにつけていがみ合っているようで、しかも大体において千鶴が勝っている事が多かったらしく、本日の公においての勝利の喜びはひとしおだったそうだ。
―――それにしても、この宴会はいつ終わるのだろう。
「あの」
とうとう、律花はたまりかねて口を開いた。先ほどから、気に掛かっている事があるのだ。
「すみません。そろそろ、休んでも良いですか?ちょっと、疲れてしまって」
気分を害される事を覚悟で言ったのだが、上機嫌の蘭子は「そうね、あんなに素晴らしい働きをしたのなら当然よね」と言って意外にあっさりと帰してくれた。
―――こんなんなら、もっと早く言って置けばよかった。
ようやく開放された安堵も含む溜息をつきながら、律花は庭に向かっている。
もしかしたら、今日はいないかもしれないけど、居るのであれば待たせては悪い。
そんな事を考えながら到着した庭には、やはり北見が待っていた。
「すみません、遅くなって」
「大方のところ、宴会で抜け出せなかったのだろう」
その言葉は、暗に気にしなくて良い、と言ってくれているのだろう。律花が安堵で顔を緩めると、北見は相変らずの無表情だ。
「それで、どうする?」
その言葉に律花は首をかしげる。
「何がですか?」
「とりあえず、そなたを取り巻く状況はよくなった筈だ。もう、稽古をしなくても良いだろう」
律花は驚いて目を瞬かせた。今の今まで、そんな事は考えてもいなかったのだ。
最近では、時々であるが、剣術の面白さみたいなものも分かるような気がする瞬間がある。文字だって、覚えなければ色々不便なのだ。
「あの、迷惑だとは思うんですが、もう少し教えてもらえませんか?」
「何のために?」
北見の声は淡々としている。
「まだ、もっと上に上りたいのか?」
「そういうわけじゃないんですけど。少し、楽しくなってきたからここで止めちゃうのは勿体無いなぁ、って。北見さんには迷惑な話かもしれないですけど」
「ああ、迷惑だな」
そうハッキリと言われてしまえば律花としては言葉もない。北見は続ける。
「そなたのその向上心は好ましいとは思う。だが、そなたがあまりのし上るのは私にとっては不都合な事が生まれる。お前は、時柾様の心を乱す事の出来る人物だから」
―――八尋?北見さんは朝熙さんの臣じゃないの?
疑問に思ったが、立ち入った事は教えてくれないだろう。
「じゃあ、なんで私に今まで稽古を付けてくれたんですか?」
「そなたが辛そうだったからだ。自分達の姿をそなたに重ねた。……周囲の状況の変化にどうする事も出来ずに流されるしかなかった自分達の姿を、な」
その言葉に、律花の脳裏に閃く事があった。無意識のように、それを口に出してしまう。
「もしかして、北見さんは、侍になりたかったんですか?」
学者をしているような人が、深夜、誰もいない場所で素振りをしていたりするだろうか?それに、北見は傍から見ていても、やはり剣術に優れているように見える。
北見は眉を寄せて律花を睨んだ。
「人の心を暴くような真似はやめろ。それを口に出してしまえば、私は自分で耐えられなくなる」
棘のある口調。その言葉は、何よりの肯定だ。
「ごめんなさい」
律花は素直に謝った。何か事情があるのだろう。それを詮索しようとするのは下世話な事だ。
北見は感情を露にしてしまった事が少々気まずかったのか、目を逸らして息を吐いた。
「いや。勘繰らせるような事を言った私にも責任があるようだ」
そうして、話を打ち切るように立ち上がる。
「今日は疲れているだろう。もう、寝たほうが良い」
律花は慌ててつられるように立ち上がった。
―――本当にもう、稽古をつけてもらえなくなるのかな?
それを問いただそうとして、呼びかけようと口を開いた所に北見の声。
「稽古をつけてやる、と持ちかけたのは私だ。そなたがまだ学びたいと思っているのならそれを拒否する事はできないだろう」
「じゃあ、明日からもまた、教えてくれるんですか?」
律花はぱっと顔を明るくして問い直す。北見は頷いてその場を後にした。
バタバタと騒がしい音で律花は微睡みから覚醒した。
律花が居眠りをする、というのはもはや日常のこととなり、誰も気にも留めないから大助かりしているわけなのだが、その代わり、こうして気を使ってももらえないらしい。当然といえば当然だが。
妻競いの日から蘭子の態度の軟化により、律花への待遇は悪いものではなくなった。蘭子は気が向いたときなどに良く律花を呼び寄せて話をするようになったし、他の侍女達も親しげに接してくるようになった。何よりも、周囲の視線が冷たいものでないのが有難かった。冷たい視線の中にいれば自然とかまえてしまって疲れるからだ。
「あら、お目覚めになった?」
たまたま律花の横を通っていた侍女が律花にそんな声をかける。律花は欠伸をかみ殺しながら頷く。
「はい。……何があったんですか?妙に騒がしいですけど」
侍女はその言葉ににっこりと笑みを浮かべた。上機嫌なのだ。どうも、先ほどから感じていたが、この騒がしさは何か浮き足立っている空気を含んでいる。
「時柾様の御一行の方に、実家へのお届け物や文を託そうと思って慌てて用意しているのよ」
久々に八尋の名を耳にしてどきりとしたが、何気ない風を装って律花は問いかける。
「時柾様の御一行、って何ですか?」
「あら、あなたは知らなかったの」
侍女は言って苦笑する。
「いつも寝てばかりいるから耳に入らなかったのね。……時柾様が、叔父上を迎えに安曇まで出向くのよ」
そこまで説明しても不思議そうな顔をしている律花に侍女は呆れた顔をする。
「前から思ってたけど、あなた、本当に何も知らないのね。安曇は蘭子様のご実家よ。大きなお家なんだけど、そこで、この篠田の前当主の弟君であられる義巳様がお使えしていて、この度、一度お下がりになっていらっしゃるらしいの。それで、お迎えの為に時柾様が出向く事を命じられたそうだから、ついでに言付けや文やなんかを持って行って貰うのよ」
―――ならば、しばらくはこの城に八尋はいないのか。
同じ城の中に居ても殆ど見かけないけれど、八尋の存在は人々の噂話などで感じられていた。
ホッとしても良いはずだった。八尋は律花を殺そうとしたのだから。いないとなれば安心して生活が出来る。だけど、何故だか律花の胸をよぎったのは『寂しい』という言葉だった。
「でも、少し心配よね」
侍女は思い立ったように言って眉を潜めた。
「最近あちらでは、流行り病が流行しているらしいのよ。時柾様に何かおありになったら大変ね」
その時、その侍女を呼ぶあわただしい声が聞こえる。侍女は慌てて返事をすると、律花に軽く挨拶をしてその場を去っていった。
律花は先ほどの侍女の言葉に、胸にもやもやとした不安が渦巻き、その後は寝直すことが出来なかった。
4章終了でーす。




