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第四章 1話

 「お前が偽者の巫女であるという噂が絶えない。風評が立ったままでは、贄になる者が得心が行かないと言う。そこで、この度お前を試す事にした」

 目の前にいる、立派な衣を着た凛々しい感じのする中年の男が言った。

 律花はかしこまって答える。

 「どのような方法でお試しになるのでしょう?わたくしが行った占いは残らず当たっているはずです」

 「占いが当たるだけが巫女だとは言わん」

 男はじっと律花を見つめ、それから言う。

 「お主等は水の神に使える身じゃ。贄と同じ儀式をして、生きて水神様がお返しくださるのなら、それは本当の巫女である証であろう」

 律花はその言葉の意図する事に、驚愕とした。

 たしかに、巫女の儀式の一環として、そのような儀式を行うことがある。 だが、それには手練れた巫女が言い伝わっている一番水の流れが凪ぐ日に行われ、しかも数ヶ月かけて巫女自身の潔斎などによる減量などによって成される技だということは知っていた。この様に、なにも準備もなしに行われるものではない。しかも今は一番水量が多く流れも速い時期だ。絶対に生還などできる筈もない。

 ただし、それは巫女の間での口外禁止の重大な秘密だった。律花は反論できずに口をつぐむ。

 男は言う。

 「それを、これからやってもらう事にする」

 男の付き人達によって音もなく開けられた襖。

 差し出された、きらびやかな着物。

 言い訳を考えるうち、男は退出してしまい、途方に暮れた律花だけがその場に取り残された。



 久しぶりに、あの夢を見てしまった、と律花は溜息を付いた。

 やっと気が付いた。

 あの夢は、律花が精神的に疲れている時に見るのだ。この時代に来たばかりの時は、なれない事だらけで疲れていたために頻繁に見たのだろう。そして、今日見た理由は、昨日の八尋との事が尾を引いているのだろう。

 そんな事を考えながらも、手は急いで動かして身だしなみを整える。

 柏に教えられた事によると、朝は早くから庭や部屋の掃除に始まり、やる事がたくさんあった。しかも、仕事の一つ一つの仕上がりに厳しい目が入り、出来が悪いとやり直しだそうだ。気を引き締めてかからねばならない。


 あわただしい朝の仕事が終わって、ようやくのんびり出来たのは昼近くになっていた。

 その時間になってようやく遅い朝餉を食べていると、柏が呼びにきた。急いで昼餉の残りを掻き込んで柏に付いて行く。案内された先では、朝熙が退屈そうに待っていた。律花が到着するやいなや、立ち上がって言う。

 「退屈しのぎに、お前に良いものを見せてあげるわ。いらっしゃい」

 そう言って、それが当たり前のように律花の返事も聞かずにすたすたと歩いていってしまう。律花も慌てて後を追った。

 「お前は、自分が時柾をどんなに傷つけたか気が付いていないようなので教えてあげようと思ってね」

 言いながら朝熙が歩くのは、城の地下へと続く石作りの階段だ。音が反響して、必要以上に響く。そこを、律花に火を持たせ歩いている。

 「あの、ここは……?」

 律花が言いかけると、ぴしゃりと言われる。

 「自分から私に話しかけてはいけないって言ったでしょう? 全く。何て覚えの悪い」

 律花は口で謝りながら、内心で頬を膨らませた。聞きたいことは山ほどあるのに、それを聞いてはいけないのは辛かった。八尋は殆どの事に当たり前のように答えてくれたから、特にその時との差を感じてしまう。

 階段を下りきると、武装した男が二人ほど見張りのように立っていた。朝熙を見ると、慌てたようにかしこまる。その横を通り過ぎて入った部屋は、 律花にとって思いがけないものだった。

 部屋の壁にそって木の格子で出来た個室のようなものがいくつかある。何に使うかは一目で判断できた。誰かを閉じ込めて出さないため。つまり、ここは牢なのだ。

 区切られた牢のうちの一番奥の個室の前で朝熙は足を止める。

 その中の様子を見て、律花は叫びそうになり、慌てて手で口を覆った。

 その牢の中にいる囚人は、他の囚人よりも格別に扱いが酷いと一目で分かる。骨と皮だけになったような男が両手両足を固定されるようにそれぞれ四方に高く上げた状態で壁に縛り付けられて、身動きの取れないようになっている。汚物の処理もろくになされないまま、おそらく食事もろくに与えられていないのではないだろうかということが伺える状態だ。おまけに、その人の爪は手も足も全部剥がれており、体にも数多の傷がある上に、化膿して膿んでしまっている傷も少なくはなかった。

 「ごきげんよう」

 朝熙が言うと、うなだれていた囚人はのろのろと顔を上げてこちらを見た。こけた頬に、落ち窪んだ虚ろな瞳、そして、口の中には舌を噛まないようにするためになのか、布の様なものが詰め込まれていた。

 「今日は面白い物を見せに来たの。時柾のお気に入りだった子よ。あなたと同じように時柾を裏切ったんですって」

 朝熙の説明に生気のない囚人は、それでも律花の方へ虚ろな視線を泳がせた。口を少し開いて何か言葉を発しようとしたが、それは口に詰め込まれている布にあえなく遮断されて、少しくぐもった音だけが牢に響いた。

 続いて、朝熙は律花に向かって言う。

 「この男は愚か者でね、元々は私と時柾の剣術の師匠でもあったし、時柾の教育係についていた事もあって時柾の信頼を受けていたのに、私達の父親の命令なんかを聞いて時柾を殺そうとしたのよ。それで、逆に返り討ちにあって、今はこんな状態よ」

 男はまた、力なく顔をうなだれてピクリともしなくなった。

 「殺してはいないけど、かと言って生きてるとも言いがたいわね。惨いことでしょう?でもね、これは、時柾の心の傷の深さよ」

 律花が怪訝そうな顔をしているのを見て、朝熙は続ける。

 「時柾は人を滅多に信用しないわ。だからこそ、自分が信じた者には絶大な信頼を寄せる。この男もその対象だったのにそんな時柾の思いをあっさり裏切ったの。……時柾は信じた者に裏切られるのを一番恐れているのにね」

 それをお前も仕出かした、と朝熙が言外に告げているのが分かった。

 「私は、木野の間者なんかじゃありません」

 律花が思わず言うと、朝熙は身を翻してもと来た道を戻りながら言う。

 「そうでしょうね。木野があなたのような使い道のなさそうな者を間者にすると思えないもの。大方、ただの木野の贄が流れ着いただけって話でしょう。でも、時柾は鋭すぎるから」

 朝熙は言ってクスクスと笑う。

 「人のどんな動揺も見逃しはしないわ。たとえば、お前が何か後ろめたい事があったのなら、それも気づかれてしまう。それは、時柾が生き残るために身に着けた最大の防御手段よ。この城の中で、時柾の暗殺騒ぎなんて何度もあった。相手が自分の事を殺そうとしていないか見分けるには、相手のどんな動揺も完璧に気が付かなければならなかった。つまり、時柾にとっては相手が信用出来なければ自分を殺そうとするかもしれない、逆に信用した者は自分の命を安心して任せられる者って事よ。……だから、城の者達はお前が時柾に大切にされていたのを不思議がっていたの」

 律花は言葉も出ない。

 八尋がどんな人生を歩んできたのか、想像が出来なかった。ただ、分かる事は自分がとんでもない事をしてしまったかもしれないと言う事だけだ。せっかく信用してくれた八尋を多分とても、傷つけてしまったのだ。

 ―――私は、八尋を信用しきってなかったから、だからいけなかったんだ。

 心のどこかで、怯えていたから。八尋が向けてくれる優しさが、自分が八尋の命を助けた事だけに起因しているから、自分があのとき八尋が助けた木野の贄だったと知れればそれだけで恩返しは終わったとそっぽを向かれてしまうかもしれない、と恐れていた。八尋は完全に心を許していてくれた筈なのに、自分はそうではなかった。それが、自分が八尋に捨てられた理由だ。

 八尋にとって人を信じると言う事は、命を預けると同じ事なのに……。

 そんな事を考えながら、朝熙の後について地下牢を出た。

 突然、朝熙が振り向く。

 「お前、確か巫女だって言ってたわね」

 「へ?」

 思考が飛んでいた律花は一瞬何の事か分からずに目をしばたかせる。

 「戦場で、言ってたわよね」

 もう一度言われて、やっと思い至った。

 「はい、その、一応……」

 自信なげに返事をすると、畳み掛けるように質問。

 「木野では巫女は重宝されるはずなのに、なんで贄なんかで流されたのかしら」

 「それは、えっと……」

 なんとか言い訳を考えるが、全く思いつかない。

 「ごめんなさい、私、流されて目覚めたときから全て忘れてしまってて」

 「ああ、そういえばそのような噂があったわね」

 朝熙は意外にあっさりと引き下がり、それから言う。

 「巫女ならば、あなた、占える?時柾や私の運命を」

 「いえ、それは……」

 律花がしどろもどろになっているのを見て、朝熙は皮肉気な笑みを口元に滲ませた。

 「どちらにしろ、私は信じないけど。運命だなんて言われて納得するような気はさらさらないわ。私は、欲しい物は自分で手に入れるし、それが宿命だからと言われたとしても、諦めるつもりはない」

 それは、律花に向かって言っているというよりは、自身に言い聞かせているようだった。

 それ以上は何も語らず、律花は持ち場に戻らされた。

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