第三章 6話
意外なことに三人とも生きていた。弓矢を持っていた二人は落馬の後、急いで起き上がり、どこかへ慌てて逃げ去って行ってしまった。八尋は最後の一人に近寄る。律花も慌てて馬を下りてそれに従った。
年齢で言うと五十代半ば程だろうか。豪傑、という言葉がよく似合いそうな体格の良い男で、顔には黒々とした鬚を生やしている。肩から派手に血を流して倒れているが、命に別状はないようだった。
八尋が近づくと体を起こして、毅然とこちらを睨む。
「手下は逃げて行ってしまったようだが」
八尋の声は冷たく、全く感情がこもっていない。向かい合った男はそんな八尋の言葉に、吐き捨てるように言う。
「元々、そこいらから金を握らせて連れてきた奴らだ。俺の手下なんかではない」
その瞳は、八尋を真っ直ぐに睨みつけている。その中にあるのは憎しみだろうか?
不思議とそうではないように律花には見えた。では、何かと言われれば首を傾げるしかないのだが。ただ、憎しみや怒りや、そういった生々しい感情とは別次元のような気がするのだ。それに、以前戦場で朝熙の臣が律花を殺そうとした時に見せた冷酷な表情とも違う気がした。
男は、血を流したまま、無造作に胡坐を組む。
「さあ、殺すのだろう? 早くしろ」
「……親父の仇討ちか」
八尋の言葉に男はじっと八尋を見据えたまま言う。
「親父、などと。殺しておいてよくも言えたものだ」
「血縁で言うとそうなる」
八尋はどうでも良い事のようにそっけなく言った。
「良かろう、あんな親父に後を追ってくれる臣がいるとは思わなんだが、望みどおりにしてやる」
言い終えると、すらりと刀を抜く。律花は仰天して、咄嗟に八尋の袖を掴んでいた。
「律?」
怪訝そうな八尋の声。相手の男も、今まで視界にすら入っていなかったような律花に初めて目を留めた。
律花は二人の視線を受けてやや気まずいのを感じながらも、思い切って口を開く。
「殺しちゃ駄目だよ。八尋」
その言葉に、八尋は不審な顔をした。
「何を言っているんだ? 今まで俺たちは、こやつに殺されそうになっていたんだぞ?」
「でも、駄目」
律花は食い下がる。
盗賊の時も、父親の時も、律花は止める事は出来なかった。止める暇も余裕もなかった。だけど、自分が止める事が出来るのなら、やはり止めなくてはと思う。それが、甘い考え方だと言われようとも。
「ここで殺しておかなくては、また狙われるかもしれない」
その言葉に、律花は言葉を捜して俯いた。狙われるのは八尋だ。流石にそれでも良い、とは言えないだろう。それでも、どうにかして止めなくてはと思うのに、上手い言葉が出てこない。ただ、八尋の袖を掴んだ手に更に力を込める事しか出来なかった。
しばしの沈黙の後、ふいに八尋が、大きく溜息をつくのが聞こえた。
「今回は、律によく働いてもらったからな。願いを聞き届けよう」
その言葉に律花はパッと顔を上げた。上げた視線の先では、八尋が呆れたような顔で律花を見ている。
「手を放せ、律。刀をしまう」
言われて慌てて律花は手を放した。八尋は刀を鞘にしまうと、男の方を向く。
「命乞いをした律に感謝をするのだな」
男はやや呆然としたように事の成り行きを見ていた。八尋はくるりと踵を返して歩き出す。律花も慌てて後を追おうとした。
瞬間、右足に何かが激突する感覚。何が起こったのか把握するよりも前に、律花は右足からその場に倒れこんでいた。
八尋が即座に振り返る。
律花は慌てて半身を起こし、呆然と自分の右足を見た。脛の辺りで袴が綺麗にばっさりと切れ、その内側にある皮膚から、赤いものがどくどくと流れ出し、足を伝っていた。
見れば、男が刀を手に、切れ切れの息でその場に立っていた。
男の肩の傷は深いため、そこから出た血は既に、上半身の衣ばかりか袴の方まで染めに掛かっている。手にも顔にも自らの血をつけたまま、鬼気迫る 様子で、男は律花を睨みつけていた。
その瞳に、確かに憎悪の色を見出して、律花は戦慄した。
―――なんで?さっきは確かにこんな目はしてなかった。
「余計な事をするな、小僧」
男がそう、吼える。
それを聞いた時、直感的に律花は理解できた。
―――もしかしたら、この人は元から死にたくて八尋を襲ったんじゃないだろうか。
その考えは妙にしっくりとくるように思われた。そう考えれば、「敵討ち」と言いながらも、八尋を見る目が憎しみなどの感情に彩られていなかった事も頷ける。
八尋が律花に駆け寄って来て、傷を見るなり、刀を抜き払った。
「恩を受けておきながら、俺の家臣に傷をつけるとは。よもや、苦しまずに殺してもらえるなどと言う甘いことは考えていないだろうな」
そう言い放った八尋の声は冷たい怒りに支配されていた。
相手が何か言葉を発するよりも先に、八尋の刀が風を切る。次の瞬間、男は足から血を流してどさりと地面に倒れこんだ。
「まずは、律と同じ場所。……次は、手」
言って、もう一度刀を振り上げる。次の瞬間には、今までとは逆の腕からも血が噴き出していた。
律花は呆然として、目の前の異常な光景を眺めていた。
八尋は何の感情も見せずに相手を傷つけ、相手は、これがもっとも異様なのだが、苦痛に呻きはしても、恐怖や痛みに支配される事はなく、むしろ、強い瞳で誇っている印象さえ受けた。
ハッと律花が我に返った時には、両手両足から既に血を噴き出させており、八尋がさらに刀を振り上げようとしている時だった。
「や、やめて……」
掠れる声で律花は言う。
だが、そんな小さな声は八尋には届かない。それに気が付くと、律花は痛む足を引きずって、這い蹲りながらずるずると八尋の方へ進む。青々とした草の地面に、ナメクジが通った跡の様に律花の血の跡が出来た。
―――駄目だ。這って行ったんじゃ、間に合わない。
律花は思い切って、腕と脚に力を入れる。怪我していない方の足で立ち上がるだけでも、ジンジンと痛み、更に血が流れ出すのを感じる。それでも、無理矢理自分を叱咤して駆け出す。足が地面に着くたびに激痛が襲い、傷口から血が噴き出すのを意識せずにはいられなかった。
幸い、距離はそんなに離れたところには居なかった。
「八尋」
刀を振り上げて今にも振り下ろしそうになっている八尋に叫ぶと、八尋が驚いたように律花の方を向いた。
側まで来て、律花は倒れこむ。八尋は慌てて、刀が律花に触れないように注意しながら律花を抱きとめた。
「何をやっているんだ。律」
八尋の声は憤りを含んでいた。
血を吸って重くなった袴が八尋の着物に触れて、八尋の着物も律花の血に染まる。
律花は息を切れ切れに、言った。
「殺さないで、って言った」
「何を言っているんだ。斬られておきながらまだそんな事を」
八尋の言葉を遮って、律花は言う。
「斬られても、死にそうな傷じゃない。大丈夫。だから、殺さないで」
八尋が信じられない、というような顔で律花を見ている。律花は続けた。
「私はこっちに来るまで、目の前で人が殺されるトコなんて、見たことなかったの。それは、すっごい甘ちゃんだって八尋は思うかもしれないけど、でも、やっぱり人が死ぬのは嫌だよ。恐い」
立ち上がる気力も残っていないのか、男が寝そべったまま、またもや吼えた。
「何をしている。早く俺を殺せ」
空気を震わせるようなその声に、少し怯えながら、律花は言う。
「あの人は、なんでか知らないけど、死にたがってるみたいだけど。でも、きっとあの人が死ぬ事で悲しむ人がいるよ。それに、私は、八尋が人を殺す所を見たくない。……八尋が人を殺す時って冷たくって怖くて、八尋じゃないみたいに見えるから。それってなんだか、悲しい」
八尋はじっと黙ったまま律花を見ていた。
それから、唐突に律花を地面に横たえると、刀を手に、男の方まで歩いて行く。
男に向かって再び八尋の刀が振り上げられた。男が覚悟を決めたように目を閉じる。
「八尋」
律花は叫ぶ。
ずんと鈍い音がして、八尋の刀は、男の頬を掠め、地面に突き刺さった。
呆然と八尋を見返す男を見下して、八尋は言う。
「馬鹿親父への忠の為に、無理にでも死にたがっている者を殺してもつまらん。……お前にもお前が死ぬ事で悲しむ者がいるなら生きろ。俺には俺がお前を殺す事で悲しむ者がいる」
そう言い置いて八尋は刀を抜いて鞘に戻すと、律花の所へと戻る。びりりと自分の着物を袖を破き、律花の傷口にきつく巻くと、抱き上げて馬の上に運んだ。
そして、自分もその馬に乗って、後ろを振り返ることなく馬を歩かせた。




