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第一章 1話

 ―――水泳はキライだ。

 川名律花カワナリツカはため息をつく。

 14になってもいまだにほとんど泳げないのはどうかと思うが、泳げないからといって人生で損をする割合なんて微々たるものなんだろうから、こうして授業などで強制して泳がせることはないと思う。

 大体水泳が実際何の役に立つものか。

 悔し紛れにそんなことを考えながら、プールサイドに座ってぼんやりとしていたら、綺麗なフォームで泳いでくる人影が1つ。

 「りっか、サボってちゃダメよん」

 ざばり、とプールから顔を上げると、友人の神埼美佳はにやにやと笑いながら言った。

 「あたしがこの中に入るのがどんだけ勇気いるか知らないからそういう事を言えるんだよね。デリカシーのない女」

 律花はそう言ってむくれる。

 美佳があはは、と笑って水をかけてきた。

 キラキラと空中で光ってから、水は律花の水着に着地し、青い水着がその部分だけ紺色に変わる。

 「こういうのはダイジョブなのにね。水に入るのが怖いんだっけ?」

 美佳の問いかけに、律花は頷いた。

 「子供の頃からだったらしいけど。なんで水泳恐怖症って見学理由にならないんだろ」

 「というか、りっかは何故この年になるまでにそれが矯正されなかったの?」

 その言葉に、律花はわざとらしく指折りして理由を挙げていく。

 「幼稚園はプールなかったし、小学校はアトピーのため見学。去年は万年生理で通して逃げてたんだけど……」

 美佳は呆れた顔をした。

 「万年生理って……」

 「先生が甘かったんだよね。ご老体であんまり深く追求しなかったんだ」

 「でも、見学じゃ成績つかないでしょうが?」

 「ワタクシ、水泳以外の運動は少々自信がありますんで」

 ぬけぬけと言う律花に、美佳は美佳は呆れた顔のまま相槌を打つ。

 「……そうだったね」

 「まぁ、そうやって逃げて逃げて逃げ切ったと思ってたら今日と言う日が来たんだけど」

 そう言って律花はため息をつく。本日何度目かわからない。

 その時、ピピーとホイッスルが鳴って、「全員、集合」と体育教師の声がした。

 「これから25メートルをクロールで3本、平泳ぎで3本泳いでもらいます」

 教師の途方もないその発言に、律花は気が遠くなる思いだった。

 水に入ることでさえ出来ない自分がクロールだとか平泳ぎだとか。

 そんなの絶対に無理だ。

 思っている間にも、プールの跳びこみ台の前に列が出来て、あれよあれよと言う間に並ばされてしまう。

 「できるなら飛込みでやって欲しいけど、無理なら入ってからスタートでいいから」

 教師はそういいながらプールサイドに立つ。

 「じゃあ、ホイッスルで合図するから、そうしたらスタート。次の人もその次も」

 ピッ、ピッ、と言う甲高い音と共に、どんどん人がプールに入っていく。

 ―――なんで人間のクセにあんなに泳げるんだろう?

 などと不条理なことを思っている間にも、どんどん列は縮まって行く。

 どくどくと胸が鼓動を打つ。

 冷や汗が流れる。

 「りっか?大丈夫?顔、真っ青だよ?」

 後ろに並んでいた美佳が心配そうに囁くのも、気が付かない程だった。

 ついに、目の前の人にまで順番がまわってくる。

 その人越しに水面を見つめる。それだけでクラクラした。

 前の人が勢い良く飛び込む。

 律花は飛び込み台にしゃがみこむ。水中からスタートする人はその前にプールに入っていなければいけないのだ。

 本気で、眩暈がする。

 ―――やっぱりこれは、見学を……。

 そこまで考えた時、ピッ、と笛の音がした。

 それでも律花は飛び込めない。

 「かーわな。何やってんだ?」

 ボーイッシュな体育教師の声が耳に届く。

 「お前が泳げないことは知ってるから。せめて水の中で歩くぐらいしろよ」

 そんなこと言われても、怖いものは怖いのだ。

 だが、それでもなんとか眩暈を堪えて水面に足をつける。

 ひやりとした冷たさに、背筋が震える。反射的に、伸ばした足を引っ込めてしまった。

 「……スミマセン、先生」

 自分でも分かるくらい、声が震える。

 「今日はやっぱり見学で」

 あまりにも律花の顔が青ざめていたせいか、じっと様子を見守っていた教師は、溜息をひとつつくと頷いた。

 「まぁ、無理はしない方がいいね。上がって休んでな」

 その一言に安心してホ、と息をつき、プールサイドに上がり、日陰に行こうとする律花の背に、教師の無情な言葉は降りかかる。

 「ただし、今日だけだよ。いつまでも逃げてばっかりじゃダメなんだから」

 その言葉に、律花は激しく肩を落とすのだった。


 「よぉ、川名」

 水泳の授業が終わって、昼休み。

 律花が美佳などと昼食を取っていたところ、机の脇に、ニヤニヤと笑みを浮かべてクラスメイトの保科孝志ホシナタカシが立った。

 「お前、水恐怖症、まだ治してなかったのかよ」

 保科と律花はかれこれ幼稚園からの腐れ縁で、それだけに相手の弱点はよく知っている。水嫌いは運動の得意な律花のかなり大きな幅を占めるコンプレックスだ。

 「うざったいよ。バスケであっさりと私に抜かれた保科孝志」

 律花が不機嫌に言うと、保科もムッとしたような顔になる。

 「アレはワザと負けてやったんだよ」

 「そういう言い訳して、むなしくならない?潔くないよー」

 冷たい律花の物言いに保科は顔を赤くして律花を睨み付ける。

 「お前っ、相変わらず可愛くないな」

 「保科相手に可愛い子ぶる必要性を感じないしね」

 保科がますます顔を赤くして、ぷいとその場を去ってしまうと律花の周りで昼食を取っていた友人達がクスクスと笑い出す。

 「何?」

 律花が、怪訝そうに尋ねると、少し大人びた未央が笑いながら言った。

 「いや、可愛いなぁ、と思って」

 「私が?」

 未央の目は明らかに、保科を追っていたから違うと分かっていたけど、敢えて言ってみる。

 「違うに決まってるでしょ?」

 未央は柔らかに笑いながらもきっぱりと言った。そこまで断定して言われると、少しムっとする。

 そんな律花にかまわず未央は笑いながら続ける。

 「リッカに構いたくてしょうがないのね。きっと保科君、リッカのことが好きなんだわ」

 「気色悪いこと言わないでよ」

 本気でそう言う律花に呆れたように横から美佳が言う。

 「りっかは本当、そういう方面、疎いなぁ」

 最近、周囲の女の子達は特にそういう話を好むようになった。仲の良い未央や美佳ももちろんで、彼女達は好きだけれども、そういうところに律花は少し辟易する事がある。律花には目下のところ色恋沙汰には縁も興味もない。

 「とにかくっ!」

 律花は話題を変えるため、大きく声を出す。

 ついでに、お弁当についている可愛らしいフォークで冷凍のエビフライをグサリと刺した。

 「今はどうやったら私の水恐怖症が治るかだよ!」

 「そんなの」

 美佳が、律花の意気込みに水を差すような醒めた口調で言う。

 「決まってるでしょ?訓練あるのみ、よ」



 夏の間は水泳の授業は頻繁に訪れる。そう言うわけで、律花の次の水泳の授業もすぐに訪れた。

 皆がクロールなどをしているプールの端で、律花は教師と2人、向かい合っていた。教師の方はすでにプールの中に入っているが、律花はいまだにプールサイドでぐずぐずとしている。

 「かわなー」

 漢らしいともっぱら評判の、サバサバした美人教師は、痺れを切らしたように、それでも先程からこうしてずっと葛藤している律花を待っていてくれている。

 「入ってみれば全然恐くないんだよ。痛いわけでも苦しいわけでもないんだ。……だから、ほら、ね。騙されたと思って入ってみなよ」

 律花はこの教師のことはかなり好きだ。こうして一生懸命になって説得されると、逆に叱られるよりタチが悪いと思う。申し訳なくて、焦ってしまう。

 そういうわけで、役15分の葛藤の後、ようやく律花は、恐る恐る水の中に足を差し入れた。

 一瞬、ぐらりと眩暈がしたが、それを堪えた。

 そして、目をしっかり閉じて、一気に水の中に滑り込む。

 目を閉じる瞬間、教師の熱意のこもった目と小さいガッツポーズが見えた。

 胸の辺りまで冷たさを感じて、目を開けようとした瞬間、ぐらりと一層強い眩暈がした。

 脳みそが回転したような感覚。それと前後するように、思い切り水中に足が引っ張られる感じがする。

 不意打ちで頭の上まで水に沈む。慌てたように「川名!」と叫ぶ教師の声が残像のように耳に届いた。

 慌てながらも、なんとか急いで体を起こそうと足を伸ばす。学校のプールなんてそんなに深いものではない。普通に立って胸の辺りまで水が来る程度だ。それなのに、どんなに足を伸ばしても、コンクリートの感触は全くせず、律花の足は虚しく水を掻くばかりだった。

 息が苦しくなってきた。一生懸命、水を掻いて、浮き上がろうとする。

 それでも、うまく浮き上がれない。

 とうとう息が耐えられなくなって、水中で口の中にあった空気を全て吐いてしまう。ぼこぼこと、白い泡が水面に上がっていく。それと同時に水が大量に口の中へ流れ込んできた。

 激しくむせるがどうしようもない。

 水は容赦無く律花の喉に流れ込み、律花は抵抗するすべもなく、それを全て飲み込んだ。

 すでに、苦しいと思う状況は越していた。

 律花は麻痺した感覚の中で、眠りに付くように気を失って行った。

少しだけモブ役で別作品のキャラが出てマス。

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