第二章 1話
目が覚めて、律花は考え込んでしまった。
妙な夢を見た。
やけに鮮明で、身に覚えのない事なのに、夢の中の自分はあたりまえに知っている事のように振舞う。そして、起きた後も、夢の内容をはっきりと覚えているのだ。
以前、機織の夢を見たときも、まったく同じ感覚だった。
そして、受ける印象も同じ。
そこまで禍々しい内容でもないのに、妙に禍々しい印象を受ける。
―――繋がっている夢なのだろうか。
どちらも、服装や建物からして、どうもこの時代の事に思われる。もしかしたら、自分がここに来てしまった事に、なにか関係があるのかもしれない。
そこまで考えた時、障子の外から声が聞こえた。
「お目覚めでしょうか。ご客人」
落ち着きを払ったその声には聞き覚えがある。
昨夜、律花たちを案内してくれた男の人だ。八尋は彼を『柏』(カシワ)と呼んでいた。
「はい」
律花は慌てて立ち上がる。静かに障子が開いて、柏が顔を出した。
「こちらに着替えを置いておきます。着替えたら、中庭の方へいらしてください」
それだけ言って柏は着物を置いて去って行った。
律花は怪訝に思いながらも、着物に手をかけて四苦八苦しながら着る。それから、眠ったために乱れてしまった髪を結いなおそうと鏡を探して部屋を見渡した。
それはすぐに見つかった。箪笥の上に手鏡が置いてあったのだ。
律花はそれを手に取り、自分の顔を映す。そして、驚愕した。
―――誰?これは。
そこに映ったのは、自分ではなかった。見慣れた自分の顔はこんな風ではない。
律花はまじまじと鏡の中の顔に見入る。
―――私に、似ているかも。
そうは思った。目の辺りや顔のつくりが似ている。町で擦れ違ったら驚く位には似ているだろう。だが。
―――やはり、これは私じゃない。
いくら似ているとはいえ、やはりそれは律花の顔ではなかった。
しかし、それなら誰の顔なのだろう?
―――もしかしたら、この体は本来別の人の体だったんじゃ?
そう考えてゾッとした。ならば、この体の持ち主はどこへ行ってしまったのだろう?もしや、自分が追い出してしまったのでは……?
そこまで考えたとき、障子の向こうから柏の催促する声が聞こえ、律花は とりあえず考えることを保留にすると、急いで身支度を整えて部屋を出た。
中庭に出て、木に繫がれたジンを見て、ようやく呼ばれた理由が読めてきた。
「あの馬鹿犬が、何か仕出かしました?」
律花が恐る恐る言うと、柏は遠慮するでもなく素直に頷く。
「時柾様のご命令で、餌をやろうとした所、下男が噛まれました。……三人ほど」
これはもう、謝るしかない。
律花が口を開こうとした時、抑揚のない声で、柏が更に重ねて言った。
「ですから、飼い主のあなた様から、餌を与えていただきたいのです」
そう言って、包みを律花に差し出す。
律花は拍子抜けした。てっきり怒られるか、嫌味くらいは言われると思っていたのだ。
「あ、その。スミマセン」
言って律花が包みを受け取ると、男はそのまま一礼をして、また、音を立てずにその場を去ってしまう。
―――なんか、不思議な人だ。
思いながら律花は包みを開けて、ジンの前に差し出そうとする、
ジンは素直にそれに口をつけて食べ始めた。
心を開いてくれたのか、と期待した直後に嫌な唸り声が聞こえる。律花は急いで飛び退いた。
「やっぱりダメなのね」
溜息を付いて言う。
なんだか悔しくなって、「えい」と軽く頭を叩いたら、またもや噛まれそうになって、慌てて逃げたのだった。
それから部屋に戻って、朝食(兼昼食らしい)を頂いてから、またもや柏が現れた。
いわく、「主人がお会いしたいと申しています」。
正直、少し腰が引けた。
先日見た彼女は美しかったが、なにか圧倒されるものがあって緊張した。それに、なによりもの理由はこれなのだが、彼女の前では特に女だということを気づかれないように緊張していなければならない。それでも、屋敷に泊めていただいているわけだし、何よりも偉い人らしいから拒否権はないのだろう。
律花は柏に案内されて縁側に面した部屋に通された。
本当は、茶室に、と言われたのだが、お茶の作法などとても分からない、と遠慮したのだ。
この部屋も、昨日、八尋と共に案内された部屋と同じで洗練されていて、趣味が良い。
そこでしばらく待っていると、障子が開く音がした。律花は慌てて平伏する。
―――身分の高い人に合うたびに平伏しないといけないなんて、面倒くさい。
内心で文句を言いながら平伏をしていると、「顔を上げなさい」と言われて顔を上げる。顔を上げて、驚いた。至近距離に相手が座っていたからだ。
律花の驚いた顔を面白そうに見て、朝熙は言う。
「あなたを客人として扱えと言われているわ」
改めて側で見ても、やはり美しいと思う。美しいし、それ以上に色気がある。
こんな人が側にいれば、確かに律花など、女のうちにも入らないだろう。 八尋の失礼な物言いを思い出して、そう思った。
「客人ならば、お相手をしなくてはね。お話しましょう。私、どうしてもあなたに聞きたいことがあったのよ」
そう言って朝熙は何かを含むような笑みを浮かべて律花の顔を覗き込む。
「ねえ、あなた、どうやって時柾に取り入ったのかしら。他人を拒絶し続けるあの子に」
その言葉には、少なからず驚いた。
八尋は今までずっとあんな感じだ。優しくされた覚えはあれど、拒絶された覚えはない。
「や……時柾様は、ずっとあんな感じです」
八尋と言いそうになったのをすんでのところで留まって、律花が言うと、朝熙は意外そうな顔をする。
「あなたたち、どういう経緯でこういうことになったの?」
言ってもよいものか、迷ったが、朝熙の視線は鋭い。顔は確かに、笑っている形をしているのに。やはり、迫力がある。誤魔化したり、嘘をついたりしたら、ただでは済まされそうにない。
そう思って、本当の事を話すことにした。
「時柾様が埋められているのを掘り起こしたんです。私が」
私、と言ってしまってからしまった、と思ったが、別段朝熙は気に留めた様子はなかった。
―――あ、男の人でも敬語では私か。
律花がそう納得したのと、朝熙が笑い出したのはほぼ、同時だった。
当惑する律花の目の前で、朝熙は言う。
「そう。それでね。命を助けたの。自らの親でさえ自分の命を狙っているのに、見ず知らずのあなたは無条件で助けたのね、心を開くわけだわ」
笑いながら言うその言葉に聞き捨てならないことを聞いた。
「あの、それどう言う意味ですか?命を狙うって」
律花が恐る恐る尋ねると、朝熙はなんでもないことのようにケロリと言う。
「あら、聞いていないの?時柾はもう、随分昔から実の父親に命を狙われているのよ。埋められていたのだってそのせいでしょう。……あら、じゃあ、あなた、それを知らないのなら、時柾が何をするためにいなくなったかも知らないのね?」
朝熙の言葉に、律花は素直に頷く。八尋は、教えてくれなかった。
朝熙はにっこりと笑って言う。
「なら、私が教えてあげるわ。時柾はね、実の父親を討ちに行ったのよ」
律花は部屋で溜息を付いた。
その後、朝熙と何を話したかはあまりよく覚えていない。ただもう、聞いた事のショックで頭がぼうっとしていた。
なんというところに来てしまったんだろう。何度となく思った事をまたもや再認識させられる。
父親が子供を殺そうとして、子供が父親を殺そうとして。しかも、あの、八尋が父親を殺す、なんて。
確かに彼が人を斬るところを見たことはある。実を言えば、内心恐ろしかった。自分を守るため、とはいえ人をいとも簡単に、あっさりと殺してしまえる八尋が。
それでも、自分を見た瞳は優しかったから。だから、信じられると思った。
―――ああ、もう。頭の中がぐしゃぐしゃ。
夕飯までは、まだ時間があるだろう。
なんだか疲れた。……無性に眠くなってきた。
3度目ともなると、あの夢だとすぐに気が付いた。この、漂う独特の空気が何よりそれを物語っている。
律花は竜胆の花の咲き乱れる原に立っていた。律花の他に、同じくらいの年頃の男が1人。
男の姿を見て、律花は驚いた。
―――保科?
「三太」
律花はその男に向けてそう呼んだ。
よく見ると、クラスメイトの保科孝志とは違う人であることがわかる。だが、大層似ていた。
三太は律花を見ると、歯を見せて笑う。
「こんだけ咲いてりゃ、あいつも喜ぶだろう」
律花も笑って頷く。
「たくさん摘んで帰ってあげよう。一緒に来れないこと、残念がってたから、部屋の中を竜胆で一杯にしてあげようね」
こんなに。
ふいに律花の心になんとも言えない感情が膨れ上がってきた。それは、けっして良い感情ではない。
こんなに仲良くしていたのに。
―――違う、これは私の考えじゃない。本来、ここにいる、女の子のものだ。
律花が気付くのと、思い言葉が心に響くのは一緒だった。
裏切るなんて。




