7話 吸血鬼の正体
次に目を覚ました時、ジャシントは見知らぬ部屋にいた。いつも寝起きしている使用人部屋ではない。
周囲を確認しようとベットから出ようとしたが、足に強い違和感があった。見ると、太ももに包帯が巻かれている。
「これは……」
「昨夜、おまえの友人がつけた傷よ」
顔を上げると、エレオノーラの姿があった。その後ろにはヴェールをつけた侍女もいる。
(そうだ。僕は昨日薔薇園で……)
気を失う前の出来事が脳裏に蘇り、ジャシントは顔を手で覆った。
「具合はどう?」
「……問題ありません」
「なら良かった。医者は処置が適切だったから、後遺症は残らないと言っていたわ」
「そうですか。……なら、ユトカのおかげですね」
ジャシントの言葉に、侍女の体が強張る。少し迷った後、彼女はゆっくりとヴェールを脱いだ。
「やっぱり、あなたにはバレていたのね。記憶が混濁して、手当する人間をユトカと呼んだだけなんじゃないかと思ったのに」
苦笑するその顔は見慣れた幼馴染のものだ。
「いつ、私だってわかったの? 顔も声も隠したのに」
「だって、あの刺繍をそっくりそのまま作れるのなんて、ユトカしかいないから」
あのハンカチは経年劣化で、一部が解けていた。にも関わらず、侍女はかつてのユトカが刺してくれたものと全く同じものを作った。
「まさか、それでバレるなんてね」
肩を竦めておどけるユトカにジャシントは微笑んだ。けれど、すぐに表情をひきしめて尋ねた。
「君が王都に行くと嘘をついたのは、ナンドールから逃れるため?」
「……ええ。他にあの人から解放される方法がなかったから」
ナンドールの豹変ぶりを思い出す。元々短気なところはあったが、周りの人には優しい情に厚い男だったのに。
ジャシントが知らなかっただけで、あれも彼の本性だったのだろう。
「ナンドールはずっと君にはああだったの?」
「いえ。両親が亡くなって、同棲したあたりからよ。きっと私に逃げ場はないから完全に自分のものだと思ったのね」
「そっか。……気づかなくてごめん」
「あの人は完璧に隠してたから、仕方ないわよ。私こそ、あなたに相談もなく逃げてごめんなさい」
ジャシントは大きく首を振った。もし村にいた時にナンドールの凶暴性を訴えられても、ジャシントはなかなか信じられなかったのかもしれない。この目で見た今ですら、まだ飲み込めてないのだから。
ジャシントがユトカの立場でも、黙って逃げていただろう。
これまでユトカの苦悩を知らずにのうのうとして暮らしていた自分が情けなく、ジャシントはため息を付いた。
姿勢を正し、エレオノーラに頭を下げる。
「城主様。ユトカを守ってくださって、ありがとうございます」
「気にしないでいいわ。わたくしがしたくてしたことだもの」
「今までも、ユトカのように女性たちを助けてきたのですか?」
「そうよ。夫や恋人、支配的な男から逃げてきた女たちを匿ってきたの。本人が望む通りにこの城で別人として雇うか、他の地へ行く手配をしたわ。……そんなことをしていたら、いつの間にか面白い噂ができたようだけれど」
楽しそうにエレオノーラは微笑む。『血の貴婦人』の異名は箔が付いて気に入っているのだと。
「僕たちの正体に気づいていながら、何故この城に入れたのですか? 門前払いしたって何の力もない僕らにはどうすることもできないのに」
「暴力的な男の執着心を甘く見てはだめよ。たとえ門前払いしても、何かしらの手段を用いて入ろうとするから。ここまで押しかけてくる男は、自分のものだと思った女を絶対に諦めないのよ」
実感の伴った言葉だった。かつて、それで騒動が起こった事があるのかもしれない。
「だから、手元に引き入れて、コントロール下に置いたほうがいいの。そのほうが始末しやすいから」
「……ナンドールに薬を盛っていたのですか?」
この城に来てから、ナンドールは目に見えて弱っていった。あの夜もまともに歩くのも難しかったほどだ。
本人はユトカが心配で夜もろくに眠れないからだと言っていた。
だが、ジャシントは今、それが彼女の仕業だったのだと気がついた。
引っかかってはいたのだ。エレオノーラはナンドールの凶暴性を知っているのに、護衛もつけずに彼と対峙したことに。
ナンドールがもう衰弱していて殺す力まではないとわかっていたから、彼女はユトカだけを連れて薔薇園に来たのかもしれない。
(もしくは、ユトカがその手で終わらせることができるように敢えて弱らせたのかもしれない)
ただの推測だったが、そう外れてはいないような気がした。復讐を果たせたから、ユトカは今あんなに晴れやかな表情をしているのだろう。
「そうよ。彼の食事にゆるやかに死に至る毒を入れていたの。……ああ、心配しなくとも、おまえには毒を盛っていないわ。ユトカから殺さないように頼まれていたし、おまえは悪い人間では無いようだから。口も硬いようだし」
ーーだから、このことは一切口外するな。
エレオノーラの微笑みに言外の圧を感じ、ジャシントは静かに頷いた。
「さて。今日はこの辺にしておいたほうがいいわね。安静にと医師にも言われてるから」
「……はい。すみません」
「ゆっくり休んでちょうだい。元気になったら、また話をしましょう」
それからしばらく、ジャシントは療養に励んだ。たまにエレオノーラやユトカが様子を見に来てくれることがあったが、多くの時間をひとり静かに過ごした。
ジャシントにはそれが幸いだった。
ナンドールへの失望や怒り、ユトカへの罪悪感、自分がもっと早く気づいてナンドールを説得できていればという後悔。胸の内で暴れる様々な感情を消化する必要があったから。
ジャシントがひとりで歩けるようになった頃、エレオノーラに散歩に誘われた。
「僕がここに入っても良いのですか?」
ジャシントは薔薇園を見回した。薔薇は再び開花の時期を迎え、美しく咲き誇っている。
「いいわよ。ここを立ち入り禁止にしていたのは、あれを見つけられないようにするためだったから」
あの白骨遺体のことだろう。あれはエレオノーラ達が葬ってきた男なのだろうか。
この薔薇園には至る所に遺体が埋められているのかもしれない。
「安心してちょうだい。もうあれはとっくに場所を移し替えているわ。ここはもうただの薔薇園よ」
「埋まっていたのはあの遺体だけなんですか?」
「ええ。大半の男達は浮浪者として適当に処分しているわ」
何故、あの白骨だけはここに埋めたのだろう。特別な人だったのだろうか。
ひとりだけ、思い浮かぶ人物がいた。
「……あの遺体は、城主様の……」
ジャシントは言い淀んだ。推測を口にしていいものか、迷ったのだ。
エレオノーラは微笑み、ジャシントの言葉を継いだ。
「そうよ。あれはわたくしの夫。行方不明になったのではなく、わたくしが殺してここに埋めたの」
あっけらかんとエレオノーラは語る。その顔には罪悪感は微塵もない。あの時のユトカと同じく、晴れやかな表情を浮かべている。
彼女もユトカのように、支配的な夫に苦しめられていたのだろう。逃げるために、復讐を遂げるために、その手で殺めたのだ。
そして、彼女の復讐は今も続いている。
ナンドールを見るエレオノーラの瞳は、ひどく冷たい怒りに満ちていた。彼女は女を虐げる男を許せないのだろう。
だから、そんな男が固執する女を逃し、時に男を殺して、憎む男に復讐をしている――そんな気がした。
「もう数年前のことだから、どこに埋めたのかすっかり忘れていたの。あの男が掘り返してくれて助かったわ。あれならもう誰かわからないから、処分しやすかったし」
「……そうですか」
「ふふ。おまえにはわたくしが理解できないでしょうね」
エレオノーラの言う通り、ジャシントには彼女がこうして明るくいられるのが理解できない。
だか、嫌悪感は持たなかった。
「おまえには迷惑をかけたわね。ここまで巻きこむつもりはなかったのよ。お詫びに、何か褒美をあげるわ。欲しいものはあるる」
「それなら……ナンドールのお墓を作ってもらえませんか?」
ナンドールがユトカにしたことは許せないが、彼がジャシントの大切な友人であったことは事実だ。長年の友を失った悲しみは深く、きちんとした墓で弔いたかった。
「それなら問題ないわね。ユトカがその手配をしているから」
「ユトカが?」
「あれだけひどいことをされたというのに、完全に切り捨てることはできないみたいね」
「そうですか……」
かつての仲睦まじいふたりの姿を思い出し、ジャシントは俯いた。
「ところで、おまえの今後のことだけれど……」
ジャシント達がこの城に招かれたのは、ユトカの復讐のためだ。それが果たされたから、ジャシントもここから追い出されるのだろうか。
仕方ないとはいえ、ジャシントはそれがひどくさみしく感じた。
「おまえの自由にしていいわ。今回のことを口外するような男ではないでしょうから。村に帰りたいなら馬車を出すし、他の街に行くなら手配もする。……でも」
エレオノーラはまっすぐジャシントを見つめた。
「わたくしはおまえに残っていてほしいわ。ずっと、わたくしの傍にいてちょうだい」
その言葉の意味がわからないほど、ジャシントは愚鈍ではない。
頬が熱くなり、どぎまぎしたジャシントは視線を下げた。
そして、息を呑む。
視界の先に写っていた白い手が、ジャシントに伸ばされたからだ。
「……おまえ、こんな可愛い反応するのね」
ジャシントの頬に触れ、エレオノーラはしげしげと顔を覗き込む。
彼女の瞳に映る自分の顔は混乱しきった顔をしており、なんだか滑稽だった。それでも視線を逸らさないジャシントに、エレオノーラはささやくように問う。
「それで、返事は?」
「……ここに、残ります」
ジャシントの返答にエレオノーラは満足そうに微笑むと、そっとジャシントから手を放した。
「ジャシント。今度から、薔薇園の管理はおまえがしなさい」
「よろしいんですか?」
「ええ。もうここはただの薔薇園だし、おまえの前だったらわたくしも手入れができるもの」
庭仕事は侍女に止められていると言っていたことを思い出す。
「強行することもできるけれど、泣かれてしまうから。あの子たちが泣いてるのを見るのはつらいのよ」
エレオノーラは薔薇に水をやりながら苦笑する。
彼女は身近な者には弱い。そのことは、ジャシントも薄々察していた。
エレオノーラは一度怪我をしている。使用人であれば主の怪我を心配して止めるべきだろうが、ジャシントは止める気にはなれなかった。
上機嫌に鼻歌を歌いながら、エレオノーラは近くの薔薇に触れる。透き通るような白い肌に、鮮やかな赤い花びらはよく映える。
(……やっぱり、こっちのほうがよく似合うな)
死の臭いを纏う不穏な赤よりも、気品のある美しい赤のほうが、エレオノーラには相応しいと思った。
きっと彼女はこれからも復讐を続けるのだろう。
だが、ジャシントは彼女のそうした生き様が美しく、魅力的だと思った。そんな彼女の側にいたいとも。
正反対のものに惹かれるエレオノーラの気持ちが少しわかるような気がして、ジャシントは口元に笑みを浮かべるのだった。




