5話 手がかり
「そう警戒しなくてもいいわ。ただ、おまえとしゃべりたかっただけよ。……ずっと気になってたの、おまえのそれ」
エレオノーラが自身のこめかみを指差す。
そこでようやく、ジャシントはそのことを聞きたかったのかと息をついた。
ジャシントの右のこめかみには、古傷があった。ぱっと見はわからないくらい薄くなっているが、これまで何度か顔を合わせていたエレオノーラは気づいていたのだろう。
「これは幼い頃に村の子どもに暴行された時にできたものです」
隠す必要もなかったので、ジャシントは正直に告げた。
外見に異国の血が強く出ているジャシントは、村の子どもたちから邪険にされることが多かった。彼らはジャシントの両親やナンドールたちの目を気にしていたため、最初はすれ違いざまにこづくなど些細なものだった。
だが、徐々に暴力性が増していき、ある日、気持ち悪い目は潰してしまえと石で殴られそうになった。
かろうじて避けたため失明は免れたが、代わりにこめかみに深い傷を負ってしまった。
親には不注意が原因の事故だったと誤魔化した。下手に騒ぎになったら、自分たちはこの村にいられなくなるのではないかと怖かったからだ。
幸い、大きな騒ぎになることはなく、子ども同士のじゃれ合いからの不幸な事故で片付いた。
「それで騒ぎが治まったとしても、その後は問題なかったの? 暴力的な輩はまた同じようなことをするでしょう。好き勝手に痛ぶれる獲物を見逃すなんてできないもの」
「いいえ、大丈夫でした。友人たちが目を光らせてくれたので」
隠してはいても、ナンドールもユトカも薄々察していた。傷の手当をしてくれたユトカがただの事故ではないと気づいたのだろう。怪我を負ってから、ジャシントが家に引き篭もりがちだったのもあったのも大きいのかもしれない。
ナンドールは加害者の子どもたちと殴り合いの喧嘩をし、忠告した。次にまたジャシントに手を出したら容赦はしないと。
以降、ジャシントは穏やかに過ごせるようになった。
「そんな目に遭っても、おまえはいじめっ子たちのことをそれほど憎んでいないのね。下手をすれば大怪我を負っていたでしょうに」
「……正直、いい感情はありませんが、もう互いに大人ですから。彼らのことにかまけている暇があったら、助けてくれた友人たちのために時間を使いたいんです」
エレオノーラはまじまじと見つめた。奇怪なものを見るような視線に、少々居心地の悪さを覚える。
「おまえのような生き方が、きっと理想的なんでしょうね」
独り言のような言葉に、ジャシントはエレオノーラを見つめ返す。
だが、エレオノーラは何事もなかったかのように茶を一口飲むと、話題を変えた。
「おまえは恋をしたことがある?」
「恋、ですか……?」
思いもしなかった質問をされて、ジャシントは目を瞬かせた。
「侍女たちは大抵過去の恋や今の恋の話をするのだけれど、おまえからは聞いたことなかったから気になったの」
女はともかく、男はそれほど恋愛の話をしないのではないか。
ジャシントは一瞬そう思ったが、村ではよく男達も誰が好きだの付き合ったのだので盛り上がっていた。特にナンドールはユトカとの惚気話をすることが多かった。
ジャシントは聞き役に徹し、自分の話をすることはなかったが。
「ないです」
「おまえは評判がいいから誰かしらといい感じになってると思ったのに」
「みなさんよくしてくれますが、そういうのとは違いますよ」
「残念だわ。おまえみたいなのがどういう恋をするのか知りたかったのに」
エレオノーラは楽しそうに微笑むと、紅茶を飲んだ。
「……城主様は、恋をしたことがあるんですか?」
「わたくし? わたくしはあるわ」
意外だった。彼女は誰かに恋するようなタイプには見えなかったから。
「わたくしは正反対のものや、珍しくて綺麗なものに惹かれるの。だから、そうした男に恋するのよ」
「正反対のもの……」
「ええ。自分にはないものを求めているのね」
エレオノーラは楽しそうに微笑んだ。
突然の茶会は終始穏やかだった。初めこそ緊張したが、思った以上に話が弾み、楽しく過ごすことができた。
それからジャシントは時折エレオノーラと茶をするようになった。
「ーーそれで、新しい肥料を試してみたら、見事に咲いたんです」
ジャシントはテーブルに飾られた花を見ながら語った。この花はエレオノーラが旅行先から持ち帰った種を一から育てたもので、先日ようやく咲いたばかりだった。
「おまえは花を育てるのが上手ね。庭師の才があるわ」
「ありがとうございます。師匠に比べたら、まだまだですが……」
素直な褒め言葉に、ジャシントは嬉しくなる。
ジャシントの話は花のことばかりだったが、エレオノーラは飽きる様子もなく耳を傾ける。
彼女も薔薇を育てているくらいだ、花の話が好きなのだろう。
彼女の薔薇園の話も聞いてみたかった。だが、あの場所のことは安易に触れてはいけない気がした。
(前よりはだいぶん近づけたとはいえ、慎重にいかないと……)
疑われてしまえば、きっと今の関係はあっという間に壊れてしまう。
それは嫌だとジャシントは強く思った。ユトカの手がかりを掴めなくなってしまうし、この茶会自体をジャシントは楽しんでいたから。
「いいわね。わたくしも、もっと薔薇の世話をしたいのだけれど、侍女に止められてるのよ。前から制限はされていたけれど、おまえに会った夜に怪我をしたでしょう? あれから一切禁止されてしまったの。侍女たちに内緒で手入れしようなんて思うんじゃなかったわ」
あっさりとエレオノーラから話題にされて、話題にしても良かったのかとジャシントは拍子抜けした。
気になっていた夜に薔薇の手入れをしていた理由も判明し、納得しつつも、ジャシントにはまだ気になることがあった。
「あの薔薇園、何故庭師すら立入禁止なのですか? 侍女の方だけで世話をするのは大変だと思うのですが」
「……そうね。でも、あの薔薇園はわたくしと侍女たちで一から築き上げてきたものだから、庭師とはいえ、男に世話してほしくないのよ」
エレオノーラの目が遠くへ向けられる。
どこか壁を感じるその表情に、これ以上は本当に立ち入ってはならないとジャシントは察した。
(この城は既に調べられるだけ調べた。親しくなった侍女にも聞けるだけ話を聞いた。もし何かあるとしたら、薔薇園だけど……)
エレオノーラにとって薔薇園は聖域だ。あの場所はたやすく足を踏み入れられたくない場所なのだろう。
ナンドールは薔薇園を調べたがっていたが、やはり止めるべきだ。
エレオノーラは噂とは違って猟奇的な人ではないが、それでも貴族だ。怒らせたら、手酷い仕打ちを受けかねない。
ナンドールは街で情報収集をしているようだが、成果はないようだった。彼の関心が再び薔薇園に向けられる前にどうにかしなければ。
(思い切って、ユトカのことを聞いてみるか?)
だが、使用人の身内が来てはならない規則を破ることになる。ユトカに被害が及ぶのではないだろうか。
「あら。あなたがここに来るのは珍しいわね」
エレオノーラの声にジャシントは顔をあげる。そこにはヴェールをつけた侍女がいた。
「もうできたのね。彼に渡してちょうだい」
エレオノーラの指示で、侍女はジャシントのもとへ行き、手に持っていた包みを差し出した。
「これは……」
「ハンカチよ。この間、おまえのをダメにしたから、似たような刺繍をしたものを用意したの。受け取ってちょうだい」
「ありがとうございます」
ハンカチを広げると、美しい刺繍が目に入った。
「すごい……見事ですね」
「でしょう? その子が刺したのよ」
「彼女が?」
ジャシントはヴェールをつけた侍女に目を向ける。
照れくさかったのだろう、侍女は気まずそうな仕草を見せた。
不意に、既視感を覚える。
「……もしかして、薔薇園でお会いしましたか?」
ヴェールをつけている侍女は複数人いる。これまでも何人かにあったことはあるが、彼女と会うのはおそらく二度目だろう。
侍女は少しの間をおいて頷いた。どうやら声をだせないようだ。
この城には、いろんな事情を持つものが働いていると聞いている。
ジャシントは気にせず、彼女にもハンカチの礼を言った。
その日の夜中。自室でぼんやりとハンカチを眺めていたジャシントのもとに、ナンドールがやってきた。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「…………ちょっと、お前に伝えたいことがあって」
ふらつきながら部屋に入ってきたナンドールの顔色は真っ青だ。今日は涼しい気温なのにも関わらず、びっしりと汗をかいている。
これはただ事ではないと察したジャシントは、彼を椅子に座らせた。
ちょうど手にしていたハンカチを差し出し、汗を拭くように薦める。
「悪いな。……お前、今もこのハンカチ持ってるんだな」
ハンカチに目を落としたナンドールは懐かしそうに目を細めた。
「違うよ。ユトカがくれたのはダメになったから、新しいのに変えたんだ」
「そっか。……そうだよな。五年経ってるのに、こんなに綺麗なわけないもんな」
ナンドールは笑った。どうにか平常心を保とうと必死なその姿を見て、ジャシントは単刀直入に聞くことにした。
「何があったんだ?」
「…………」
「言ってくれ、ナンドール」
ナンドールは大きくため息をついて俯いた。そして、小さくつぶやく。
「大変なものを見つけたんだ」
嫌な予感がジャシントの胸によぎる。できれば聞きたくないと思ってしまった。
「白骨死体を……薔薇園で」




