時給を上げれば人は来る
事務所に戻ると同時に、こびりついた血の匂いをまき散らしながら高村に詰め寄った。
優雅にコーヒーを飲んでいた高村は、初仕事を終えたばかりの掃守がすごい権幕で帰ってきたのを見て、気まずそうに肩をすくめた。助けを求めるように花岡に視線を送るのが見えたが、まずは責任者である高村を問い詰めるのが最優先だ。
「こんな仕事だなんて聞いてないです!」
大声を出し慣れていないせいで、途中で裏返ってしまった。
「ま、まあ落ち着いてよ。コーヒーでもどう?」
「いりません!それよりちゃんと説明してくださいよ。なんなんですか、この会社!」
高村はマグカップをテーブルに置いた。中身はまだ半分ほど残っている。コーヒーの香りはいかにも安物のインスタントといったもので、一企業の社長が飲むものにしては貧相だ。あまり儲かっていないのだろうか。
「うーん、そうだな。どこから話そうか」
口ひげを撫でながら、高村は唸る。
「今日の現場はお掃除だけのはずだったんだけど。もしかして外部からの介入があった感じ?」
はい、と花岡が頷いた。
「私も予想外でした。聞いてた話では死体の片づけだけだったので、掃守さんの初仕事にはちょうどいいかと思ったんですけど、想定外のトラブルが起きちゃいまして」
「始末のほうは無事に済んだ?」
「はい、そこはバッチリです。掃守さんも手伝ってくれたんですよ」
高村が感心したように、ほう、と声を漏らした。手伝ったとは何のことだか、まるで心当たりがない。
「私、なんかしましたっけ。現場で吐きまくってた記憶しかないんですけど」
「犯人が襲い掛かってきたとき、相手の注意を逸らしてくれたじゃないですか。あれすごく助かります。たまにこうやって2人で組んで仕事をすることがあるんですけど、いつも最初に狙われるのは私なんですよ。弱そうなほうから狙うんでしょうね。あ、あの人はそうは言ってませんでしたね。確か地味なほうとか…」
徐々に分かってきたが、花岡は性格が悪い。良くないなんてものじゃない。悪い。
数時間前までのオドオドした態度はなんだったのだろうか。先輩として後輩に気に入られようという努力かもしれないが、それにしては努力を諦めるのが早すぎる。もう私が退職の意志を固めているので、今更どう思われようと構わないということかもしれない。
だとすれば、初対面の時に高村と交わしていたバイト二日目のような初々しいやり取りも演技か。こいつらグルで、新人を囲い込もうとしていたのでは?
先に命を狙われた地味で弱そうなほう、こと掃守は、いったん花岡を無視して高村へ視線を戻した。早く続きを説明しろと圧をかける。
「花岡さんからある程度は聞いているだろうけど、おひさまクリーニングサービスは特殊清掃の会社なんだよ」
「特殊特殊清掃って聞きましたけど」
「厳密にいうとそうだね。掃除する対象は、殺人や孤独死の現場の原状回復。それに加えて、事件を起こした社会のごみの抹殺。ウチの業務内容は、ここまでをパッケージとして行ってるんだ」
「たまには楽な仕事もあるんですよ?死体の清掃だけで済む日とかね。今日だって本来はそのはずだったんですけど、アクシデントが起きちゃったせいで、本来の業務内容になっちゃったって感じです」
花岡はまるで死体の処理だけなら楽な仕事だと言いたそうだが、その時点でまず狂っている。掃守は応募の際に清掃会社としか聞いていないし、もちろん業務内容に死体の処理などは記載されていなかった。もし正直にホームページにそう書いてあれば、そっとページを閉じただろう。
結果的に掃守は死体処理をさせられ、そのあと新たに死んだ人間の後処理までも、花岡と一緒に行う羽目になったのだ。特別手当を支給されてしかるべきであり、それをもらったらとっとと辞めてやろう。
掃守の態度がどんどん硬化しているのを感じ取った高村が、再度コーヒーを進めてくる。コーヒーにはこだわりがあるほうなので、掃守をそんな安物で懐柔するのは不可能だ。高村のマグカップをよく見ると縁が汚れて茶色く変色しているし、どうせコーヒーを出されたとしても汚いカップで飲まされそうだ。
「もう私、今日限りで辞めますから。短い間でしたがお世話になりました」
退職願を提出するまでもない。試用期間のようなものなのだから、口頭で辞める意思を伝えるだけで十分だろう。
「いやいやいや、ちょっと待ちなって!」
立ち上がった掃守の肩を、高村が上から押さえつけた。丸々と肥えた体を構成するのは脂肪だけではないらしく、意外と筋力も強い。抵抗する間もなく、掃守はソファに押し戻された。上からの圧力で、掃守の尻はソファにずぶずぶと沈んでいく。
「今日のことはこっちが悪かった!うん、業務内容をちゃんと説明しなかったことは謝るよ。正直に言ったらドン引きされると思ってさ」
「はい、ドン引きです。今もしてます」
「でもさあ、こっちも人手不足で困ってるんだよ。続けてくれてるのって花岡さんと、あと数人だけ。みんな入ってきてはすぐに辞めちゃうんだ」
「そりゃそうでしょう。時給1800円で人殺しなんて、誰がするんですか」
「人殺しなんて言い方はやめてくれよ。社会から消されるべき存在を抹消しているだけ。ちゃんと国に届け出もしてるし、厚生労働省に認可された事業なんだから」
日本は一体どうなってるのだ。
「警察だけじゃ、犯罪者の取り締まりに手が回らないんですよ。警察だって人手不足ですし、最近は不祥事で逮捕される警察官も増えてるじゃないですか。それでも犯罪件数は減らないどころか増えてるので、表向きの犯罪は警察が。そして裏の仕事は、ここみたいな民間企業が請け負うっていう仕組みになってるんです。私も高村さんから聞いて初めて知ったんですけど」
つまりおひさまクリーニングサービスは国と繋がっており、警察が対処しきれないような凶悪犯罪の処理を任されているということだ。そんな仕事を民間企業に委託していいものだろうか。それもこんな小さくてぼろいビルに本社を構えているような零細企業に。
「お願いだから辞めないでよ、掃守さん。そうだ、時給!時給いくらにしたら続けてくれる?」
「お金の問題じゃありませんから」
「2000円!」
「だから時給いくらとかじゃなくて…」
「4000円!」
「よっ、4000円?」
フルタイムで働いたとして、8時間で32000円。一日でその稼ぎだ。
正社員として働くサラリーマンの月収を、時給換算するとバイト以下と聞いたことがある。4000円は魅力的だ。だが金に釣られて人殺しをするほど、掃守は落ちぶれていない。
「ダメです。辞めます」
「はあ…、頑固な子だなあ」
なぜかこっちが悪いみたいに、高村がため息を吐いた。
「花岡さんって今、時給いくらだっけ」
「7500円です」
「それじゃ、掃守さんは6000円でどうかな」
「ろ、ろくせん…」
前職の日給より少し低いくらいの金額を一時間で稼げるとなると、話は変わってくる。
「頑張り次第では花岡さんみたいにもっと高くしてあげるよ」
「ええー、私と1500円しか変わらないんですか。なんか先輩として気に入らないんですけど」
なんて嫌な先輩なんだ。退職理由は、花岡が嫌だからでも通用しそうだ。
「ね、考えてみてよ。6000円でどう?」
掃守の中には正義があった。金をいくら積まれても、人に堂々と誇れない仕事はやりたくない。闇バイトなんてやるのは、人間としての尊厳を手放すことに等しい。おひさまクリーニングサービスは闇バイトどころか、ヤクザ以上に恐ろしい世界の仕事なのだ。時給6000円だろうが、受けるわけにはいかない。
掃守は大きく息を吸って、言った。
「よろしくお願いします」
正義はいとも簡単に崩れ去った。
世の中は金である。




