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特殊清掃のさらに上

 

 吐いたとはいっても、一度目の嘔吐で胃の内容物はほとんど出し切っているので、床を汚したのは酸っぱい匂いのする胃液だけだった。四つん這いの姿勢になった掃守の口元から唾液の糸が垂れる。

 

 「うわ…、大丈夫ですか?」

 

 花岡にそう尋ねられるのは今日で三回目だ。しかし過去二回はまだ掃守の体調を心配する響きがあったが、今の「大丈夫ですか?」には、掃守に対する若干の嫌悪感がにじみ出ていたように感じる。うわ、と小さく言っていたのも、短時間で二度の嘔吐をした掃守を蔑む響きが隠しきれていない。

 

 これで吐くなというほうがどだい無理な話である。

 

 最初に対面した死体はすでに殺された後であったが、今回は事情が違う。先ほどまで威勢よく掃守を殺そうとしていた男が、いきなり頭を割られて死体と化したのだ。命の灯が目の前で消えるというのは、掃守にとって初めての体験だった。ゆっくり消えていくのではなく、バースデーケーキのロウソクのように、一瞬で吹き消された。それも、冗談みたいに軽い音とともに。

 

 掃守は花岡からの問いに答える。

 

 「大丈夫じゃ、ないです」 

 

 人が相手に対して「大丈夫か」と尋ねるとき、イエスかノーかの返答を求めてはいない。相手の体調を心配すらしていないことがほとんどだ。あくまでも会話を次のステップに進めるための問いかけでしかないと、掃守は分かっているが、それでもノーと答えたくなるくらいには大丈夫じゃなかった。

 

 「平気なわけないじゃないですか。目の前で人が殺されて、頭ぱっかーんてなって、血まみれで…」

 

 自分でも状況に理解が追いつかず、目で見たものをそのまま口にしてしまう。

 

 花岡は惨状を生み出した凶器であるハンマーを、ゆらゆらと揺らしている。

 

 「でももう安心ですよ。悪いやつはやっつけたので」

 

 「色々と待ってください。まず男の人は、殺人犯なんですよね?」

 

 「そうだと思います。確証はないですけど、現場に戻ってきたということは十中八九犯人だと断定して問題なさそうです」

 

 あまりに根拠が薄弱ではないか。確かに、どっちも殺すなどと物騒なことを言っていたが、この状況を警察が見たらどう思うだろう。仮に掃守が警察であれば、花岡をまず疑うはずだ。いや、疑うもなにも、男を殺したのは花岡で間違いない。入室した段階で転がっていた死体については、おそらく花岡の言う通りあの男が犯人の可能性は高いだろうが。

 

 「分かりました。この際誰が犯人だとか、そういうことはいったん置いておくとして。それよりも聞きたいことがあるんですが」

 

 「なんでしょう?」

 

 花岡が柔らかい笑みを浮かべた。殺人現場とあまりに不釣り合いな笑顔だ。心なしか、最初よりもオドオドした態度は鳴りを潜めており、リラックスした雰囲気になっている。

 

 「おひさまクリーニングサービスって、一体なにをしてる会社なんですか。特殊清掃っていうのも、本当は嘘ですよね?」

 

 「嘘じゃないですよ。ただ、業務内容が特殊清掃だけではないというだけです。いうなれば、特殊清掃のさらに上をいく特殊清掃といったところでしょうか。特殊特殊清掃、みたいな?」

 

 特殊清掃の業者が取るのは、普通では取れない汚れだ。

 

 では、花岡の言うところの特殊特殊清掃であるおひさまクリーニングサービスが取るのは、一体何の汚れなのか。掃守は四つん這いの姿勢から、ようやく普通に立てるようになり、足元に転がる頭の潰れた死体を見下ろして考えた。

 

 「おひさまクリーニングサービスが掃除してるのって、社会の汚れとか、そういう意味なんですか」

 

 頭を割られた男は犯罪者だ。そして男に殺されたと思しき顔の裂けた死体も、なんらかの犯罪に巻き込まれていた可能性は高い。被害者と加害者の立場を勝手に決めていたが、もしかしたら逆の可能性もある。掃守を襲った男が実は事件の被害者で、原因となる事件を起こしたのは顔の裂けたほう、というケースも考えられる。つまりは、あの男は報復という名目で、相手を殺害したのかもしれない。顔を裂くというグロテスクな行為にまで及んだのだから、相当強い恨みがあったのだろう。それも掃守の想像が当たっていればの話だ。

 

 どちらにしても、凶悪事件であることには変わりがない。そしてそれらは社会的に許されることではなく、治安の維持と平和こそが美徳とされる世の中において、掃除されるべき汚れである。犯罪を起こした人間のことを、社会のゴミと揶揄することがあるが、そのゴミを掃除するのが、おひさまクリーニングサービスの、特殊特殊清掃業者としての役割なのだとしたら…。

 

 「社会の汚れ。なるほど、言いえて妙だと思います。私たちの仕事って、犯罪の現場の清掃と、その犯罪を犯した人たちの抹殺なので」

 

 花岡の可憐な顔だちから想像もつかないような単語が次々と飛び出す。抹殺という言葉を考えた人間も、まさかここまで可愛らしく発音されるとは夢にも思わなかっただろう。

 

 「今日はまだお試し期間みたいな感じなので、詳しい業務内容は終わった後にお話すると、高村さんが言ってました。また汚れちゃったので。ここを綺麗にしたら一度事務所に帰りましょうか」

 

 


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