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初めての死体処理

 

 モップを水に浸し、床に付着した血を拭っていく。靴跡の汚れなどとは違い、一回や二回拭いたところで、綺麗さっぱり消えるものではない。花岡はしっかり腰を入れた姿勢で、力強くモップがけを行っている。その動きは堂に入っており、春からこのバイトを始めたという割には洗練されている。

 

 花岡の言葉に甘えて、応接室の近くにあった事務椅子でしばらく休ませてもらったおかげで、嘔吐による倦怠感は和らいできた。

 

 「私も手伝います。何すればいいですか?」

 

 未だに死体について特に触れない花岡に若干の恐怖を抱いているが、給料をもらっている立場なので、働く意思は見せないといけない。この際ソファの上の死体には目をつぶるとして、モップ掛けくらいなら出来るだろう。

 

 ポリ手袋を装着して、花岡の指示を待つ。

 

 「それでしたらお願いしたいことがありまして。あ、嫌なら全然私がやりますので言ってくださいね」

 

 「もう体調も戻りましたし、なんでもやります。仕事は真面目にやるタイプなので」

 

 「助かります。そしたらこれ」

 

 大きいサイズの麻袋を渡された。

 

 「この袋に詰めてもらえますか?」

 

 「詰めるって、なにを」

 

 「そこの死体です」

 

 掃守が硬直したのを察したであろう花岡が、慌てて手をぶんぶんと振った。

  

「やっぱり嫌ですよね!力仕事は私がやるので、モップがけのほう変わってもらえますか」


  嫌とかやりたくないとか、そういう問題じゃない。死体を袋に詰めろという指示に、脳の理解が追いつかなかったのだ。

 

 花岡は先輩として、後輩に嫌われたくない一心なのか、明らかに負担の大きそうな仕事を引き受けようとする。

 

 掃守は麻袋を体に引き寄せた。

 

 「すいません大丈夫です。私がやります」

 

 「え、でも…」

 

 「簡単にやり方だけ教えてもらえますか?」

 

 花岡は逡巡したのちに、建物に入る前に掃守に渡した丸鋸入りの袋を指さした。吐いた時に取り落としてしまったが、損傷している様子はなかった。

 

 「丸鋸を使って、解体をお願いできますか。そんなに細かくしなくてもいいので。そうですね、腕と足は関節ごとに切り分けて、首から上はざっくりでいいです。胴体と頭が離れていれば、それだけで持ち運びがかなり楽になるんです」

 

 丸鋸は充電式らしく、おひさまクリーニングサービスの本社を出る前に100%満タンにされていた。スイッチを入れると、金属的な駆動音が鳴り響いた。思わず耳を塞ぎたくなるような、不快な音だ。

 

 ここまで来たら、もう引き下がることは出来ない。

 

 掃守はまず、下半身から取り掛かることにした。衣服を着ていると、繊維を巻き込んで切りにくいので、先にスーツを脱がせるよう花岡から指示があった。大学生になるまで交際した男性の数は一人だけ。それも高校二年生の時で、まだまだ青臭い恋愛だった。相手の男も奥手で、なかなかお互いに一歩を踏み出すことができず、卒業までずるずると付き合ったはいいが、体の関係には発展せずに終わった。

 

 掃守にとって、男性の服を脱がせるという行為は初めてのこと。それがまさか、初めてを見ず知らずの死体に奪われるとは。

 

 ベルトを外して、スーツのズボンを下げる。ソファに体を沈めた体勢で死んでおり、すでに事が起きてから時間が経過しているのか、死後硬直が始まっている。脱がしにくいったらありゃしない。

 

 すね毛がびっしりと生えた太い脚が露になる。最近は男性でも全身脱毛をする人が増えたと聞くが、死体の年齢は残っている顔面の面影からするに、おそらく五十は超えている。美容に興味を抱く年頃ではなかったようだ。

 

 回転する丸鋸の歯を、足の付け根にそっとあてがうと、血が掃守の顔面に飛び散った。防護マスクを付けていて良かった。自分が吐いたあとの匂いがマスクの中に残っているので不愉快ではあるが、他人の血液で顔が汚れるくらいなら、自分の吐しゃ物のほうがマシだ。

 

 しかしなかなか切断しきれない。骨ごとぶった切るつもりで歯を入れるが、人間の骨というのは存外丈夫らしい。小学校の時にクラスメイトが、ハードル走で転倒して骨を折ったのを見て、人間の骨は脆いものだと勝手に思い込んでいた。いざ切断しようとすると、こうも固いものなのか。

 

 体重を乗せて歯をより深くまで差し込むと、ようやく骨が切れて、片足を切り離すことに成功した。もう片方の足も同じ要領で。さすがに二本目となると慣れたものだ。コツさえつかめば、意外と簡単な作業である。

 

 花岡の指示通り、切り落とした足を、今度は関節事に分けていく。この作業もすぐに終わった。四肢の切断を完了し、首と胴体を分離させて、細かくなった死体を麻袋に詰めていく。

 

 「花岡さん、終わりましたー」

 

 麻袋の口を閉じて、応接室の入口に立てかける。

 

 「お疲れ様です。さすが経験者。仕事が早いですね」

 

 思い切り未経験だ。どこの世界の女子大生が、死体の解体の経験があるというのだ。

 

 「こちらもちょうど終わったところです。死んでるのが一人で、血もそこまで広い範囲に飛んでなかったので、楽ちんでしたね」

 

 花岡が防護マスクを外した。正面から見ると、花岡という苗字通り、まさに花のような可憐な顔だちをしている。決して派手ではないが、男子からは好かれるタイプだろう。自分に自信がなく、オドオドしている感じも、男子に付け入る隙を与えやすいだろう。

 

 花岡の担当していた作業は、殺人現場の清掃だったらしい。掃守が死体処理をしている間に、見事に殺人の痕跡は消されていた。血の一滴すら見当たらない。死体処理の際に汚した部分を除けば、ここで血なまぐさい殺人があったなど、誰に言っても信じないだろう。

 

 うすうす感づいていた疑問を花岡に投げかける。

 

 「つかぬ事をお聞きしますが、おひさまクリーニングサービスってただの清掃会社じゃあ、ないですよね?」

 

 「えっ、面接のときに説明を受けなかったんですか。そうです。いわゆる特殊清掃というやつでして…」

 

 特殊清掃とは、通常の清掃では取れない汚れの処理を担う仕事のことだ。ほとんどの場合、殺人や孤独死、自殺や事故など、一般的な清掃では拭えない汚れ方をする現場に趣き、原状回復をするという業務だ。ネットでかじった知識しか掃守は知らないが、女子大生がバイトでやる仕事じゃないということは理解している。

 

 福田め。あの眼鏡、一体なんという仕事を紹介してくれたのだ。

 

 そして高村。なににこやかな顔をして、しれっと殺人現場に送り込んでくれているのだ。

 

 こんな事なら初めから面接なんて受けに来なかった。

 

 辞めよう、今すぐ辞めよう。 

 

 

  


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