第八章 道標
辺境の地をいつの時から見守ってきたのか分からないゴブリン達に、自己中心的な目的を持って退かせた人間がいる。
その人間の行動は侵略的であり人間的でもある、傲慢で我儘で自己中心的な人間の鏡のような人間は、その世界では歓迎され、軽蔑される。
なのにも関わらず、人間はこの世界に受け入れられ始める。歯車とは、よく言ったものだ。
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スライムの住処、人間にとってはギルドの集会でもある建物で、スライムのヌルヌルを挟んで人間と対峙している。その人間の名は純。名前を聞いた限りでは東大陸出身だろう。あそこの大陸の人間は、こちらとは考えが違い実にタフな人間が多い。いや、文化的に違うのだろう。
トレントの王と共に過ごしてきたドリアードの女王は純から出ているオーラを見て、何とも魅力的な人間なのだろうかと思う反面、人外にしかない暖かく稀なオーラを持った人間。これは人外には毒ね、私にとっても猛毒。
人外にとって魅力的な男性はそれぞれ女性にはあるが、唯一本能的な好みが一つだけある。それは、その人外が持つ特有のオーラというべきだろう、暖かく安心するもの。それが純と言う人間から出ている、それも強力に。
それを一目で見て分かったのかこのトレントの王、私を無理に引き合わせた。結婚しろと言いたいのかこの爺は、燃やすぞ。
「勿体無いとは?」
「貴方の力があれば、この地を貴方の物に出来るのではないですか? 貴方から出ているその力は、まさに王たる証。並大抵の努力では身に付きません」
「儂にそんな欲はないですよ。ただ、自適悠々に過ごせれば十分。まぁ、ゴブリン達には悪いことはしましたけど」
その発言に偽りはなし、虚言を言っているようには見えない。今の時代の人外からすれば驚く事なのだろうけど、魔物から見れば有り得ていた事柄。私からすれば許容できること。
ただ、一つ驚く事は……いや、そうだ。若いくせに自分の力を知っているんだ、この人間、純は。そんな人間が敵意を露にせず誇示もせず悠々と暮らすと言ったのだ。裏があると見ていいだろう。
……いや、ないからこそ、この暖かなオーラか。
「ゴブリンを退かしたんですか?」
「一部は殺したけどな」
淡々と答えてくれたが、そもそもの話し、私達は知っていた。この森の木々は言わば私達の目だ。純が早く帰宅して森に入ったことも勿論知っていた。
そう。その時の純は――冷たい力を発していた。つまりこの純という人間は対象により質が変動するタイプといえるだろう。人間の中でも中々にないタイプでありながら、その変動の幅が広いのも特徴的。
純がゴブリンの副王のドルムを、あの巨体かつ重いであろうドルムを一撃で殴り飛ばした力は――。本来ならあり得ないが、あの体でドルムを気絶させる一撃を放った。それだけではない。
外れ者であるゴブリンに対する殺害衝動は計り知れない殺意があった。そう、今感じている暖かい力ではない冷たい力がそれだ。あれは――成る程、ヌルヌルが態々人間の為に私達を呼ぶ筈だ。まぁヌルヌルは、暖かい力を評価してほしかったんだろうが。
「自白するんですね?」
「病気を発症すれば、スライム達に被害が出るだろ? 儂の我儘だけど、退場をしていただいた。儂の第二の人生には不必要だからの」
さも当然みたいな顔。ここまで来ると疑う事が無駄な浪費にしかならないわね。
「それより、こちらの話してもいいですか?」
純が話を進めようと自ら切り出す。本当はまだ話したいが、どうやらスライムと共存する為に頑張りたいらしい。ヌルヌル達に害が無さそうなら、話をさせてもいいわね。疑問があれば聞けばいいし。
純は、スライムと共存する為にお互いに利益となる考えを提示する。
まずは、この町のリフォーム。建物だけをやればいいと思ったが黒猫達と白猫達の行動力を見れば、もういっそこの町を全盛期並みに戻しつつ、自給自足が出来るようにしたいと欲が出た。一定水準の生活に必要な家具を調達。いや作ればいい。
衣食住を完備出来る為に、次は食の為の畑だ。何年生きれるか分からないが米が欲しいし、醤油に味噌も欲しい。つまりは母国の生活をこの世界で味わう。出来るか分からないが十年あれば大抵は作れるだろう。この世界にはロボットはいるみたいだが機械類があるか分からない。あるなら調達しよう、そして作ろう畑道具。無理なら手作業で。服は、まぁ必要はないか。今の服で十分だし。
「そうだ。トレント達は何か仕事は出来ます?」
「……」
「危なくない仕事でしたら、お手伝い出来ますよ?」
何やらドリアードが口を開いているが、代わりにトレントの王が答えてくれた。
「木を切りたいんだが、どういうのが切っていいのか教えていただきたい。それらは全て家と家具にしたい」
「私達の力があれば、意思のない木を生み出す事が可能です」
「ほう。動かす事は?」
「勿論」
「なら、少なからずだがバリケード……いや柵かな? それを作って侵入者を防ぐのは?」
「可能です」
「ならそこを頼みたい。出来れば畑を開墾したいから、場所を作る手伝いもお願いしたい。その分、儂が出来る事はしよう」
「では、私達の仲間を探していただきたい」
「ほう、仲間を。分かりました、何処にいますか?」
「辺境の地から離れた位置に点々とあります。それら全てを探してきて欲しいと言っても、行けますか?」
「土地勘はないが、まぁ地図があれば行けるかも知れない……。いいでしょう、探してきます。今から行きますので、場所を――」
「まだ大丈夫ですよ。今は、この町をどうするかが問題です」
「……それもそうですね。では、トレントのお力を貸していただきたい。必ずそちらが提示した約束は守ります」
「分かりました。若いのを連れてきましょう。純殿、畑にしたい場所は決まってますか?」
「見立てだけ。村長、儂が見立てた場所を共に見て欲しい。ダメな場所なら変えたい」
「分かりました、純殿」
話がポンポンとテンポよく進む。誰も口を挟めない状況だが、スライムのスラ君が紙の上に乗り、ペンを体の中で器用に動かし今回の会話で出てきた案と担当者の名前を紙に書き記す。
「純。畑だが、何を耕すんだ?」
「米、と言いたいが苗が売ってなかった。近くで野菜の苗が売っている所はあるのか?」
「すまない。人間の街にあるか分からない。純は見なかったのか?」
「探したが見当たらなかった。多分だがないのかも知れないな。仕方ない人間の農業者の元へ行き少し分けてもらおう。物々交換が必要だな。よし農具を作ろう。スラ君、鉄の製造を確率させるぞ」
「任せてくれ」
「鉄の製造!?」
ドリアードが純とスラ君の会話に出てきた気になる単語を聞き身を乗り出す。が、純はドリアードを見ずにトレントを見る。
「トレントの王。今から村長と共に畑にしたい場所へ行きたいと考えているが、共に来てくれますか?」
「ほっほっほ。行動力が早い方だ」
「話しを聞いていれば、貴様! 王に対して無礼であろうが!」
トレントの王の傍にいた若い木で作られた同じ形の木人が純を見て、自分達の王を濃き使おうとしている純に苦言を呈す。
「畑の出来るサイズですが限度があるなら言ってください。その場合は違う策があります」
「ほう? その策とは?」
「とりあえずは、地下に作る予定です」
「成る程、地下農園ですか」
が、純は聞いていないのか聞こえていないのか、話を進める。若い木人が何か言いたそうだが、王が純と会話をしているため言葉を抑える。
「魔石を使えば地下にも畑が出来るし他の野菜も作る予定です。魔湖も調べて利用させてもらおう。魚もいたし深さもあるし」
「ちょっとちょっと! 魔湖を私物化する気!?」
「この地は不可侵領域、つまりは所有者はいないって話でしたよね。いるなら言ってください、今すぐ話をしに行きます」
「確かに、この場を統治している人間も人外もいません。ただ、皆がそうしようとしただけ。言うなれば、トレントの王である私が主でしょうか」
ドリアードが人間の――いや純の住む為に魔湖が私物化されつつある状況に苦言を呈すが、純の質問にトレントの王が即座に答える。ドリアードはそこで頭を掻き始める。何かに似ている。そう、遠い昔にこんな一方的な意見で自分勝手に話しを進める者がいた。
だからこそトレントの王とスライムの村長は、純のテンポの早い会話に付いていけているのだ。
「では使用しても?」
「いいでしょう。但し、汚染はしないでいただきたい。後は食料供給の場にもしないでほしい」
「そうか……。了解しました、ではそれに関しては別の案を講じます。ただ、魔湖の水を掬い使用するのはアリですか? 例えば、いや実際には畑の水として利用したいんです。勿論、魔湖に流れる方ではなく魔湖から流れる方で」
「だとすると畑の場所は限定されますね。ただ…」
「まだ何か問題が?」
「えぇ。魔湖は私達トレントの命である水でもありますから、簡単には、と」
「成る程。分かりました、ではそちらの意見を尊重し魔湖を使っての畑は諦めましょう。だとすると第二案が有力だなスラ君」
「あぁ。魔石が大量に必要になるな」
ドリアードは頭を抱え、この状況に似た何かを思い出そうとする。他のトレントとドリアードが心配してくれているが左手でそれを制す。大丈夫、と。
スライム達も会話を聞くだけで精一杯なのか、純の隣にいるスライムと村長以外会話に参加できない。
「そうだ純殿。後でいいが、共存するにあたっての話し合いをしたい。いいだろうか?」
「構いません、歓迎します。儂の意見ばかり申し訳ない」
「気にしないでいただきたい。では早速その場所に行きましょうか、純殿」
トレントの王が笑みの声色で立ち上がると純も立ち上がる。
「村は儂の家族が守りますので村長は安心してください」
「成る程。純殿を信じましょう」
「村長!?」
他のスライムが村長の発言に驚くが、村長は純の傍まで行きその場で跳躍、純の体に張り付く。純は出入り口方面へ向けて歩き出す。
「開墾して、生活するぞぉ」
トレントの王が歩き出すと、傍にいたトレント達が後を追いかける。ドリアード達は独立している為、トレントが離れても大丈夫だが、ドリアードの女王は頭を抱えたまま。
「だ、大丈夫ですか!?」
ドリアード達が女王の傍に付くが、女王は頭を痛めながらも思い出そうとする。純という人間が今までいたのか――ではなく、先程の会話を。いや正確には、会話というよりかは自分勝手に自己中心的に話しをする誰かを思い出そうとしている。
人間、ヌルヌル、爺がこの建物から出るのを見て思い出す。そうだ、色は違うがあの服を着て我儘を貫き通した奴がいた。
ドリアードの女王は両手をテーブルに叩き付け体を起こし、つい昔のように口にする。
「ロストの馬鹿女だ!! あの馬鹿と同じ自分勝手に話しを進めるところなんてそっくりだ!! っもう!!」
何度もテーブルを両手で叩く。ドリアードが、スライムが驚くのは無理もないが、スラ君も驚いてテーブルから飛んで落ちた。
綺麗な女王としての容姿を乱すが、本人は全く気にしない。それどころか、他のドリアードが少し離れ溜め息をしているところを見れば自ずと分かる。これが女王の本来の姿、素なのだと。
「あの馬鹿女が原因で魔物が活性化し始めて個々の力を得始めた。あの馬鹿女が、人間から虐げられていた魔物を救うために天使でありながら魔物と共に人間と戦った。まさに歴史的に変わり始めた一歩。あれから幾年月が流れた今、馬鹿女と似た馬鹿男が現れて、この地を自分の領土にしようとしている。ふざけた話しよ!」
テーブルに向けて右拳を振り落とすと、落とされた箇所に罅が入る。女王の口が笑みの形を作る。
「不可侵領域があの男の領域に、領土になる。まさにあの時の再来ね、アンタ達」
他のドリアードが両手を後ろで組みやや両足を広げ、待機の構えをする。綺麗な女性達なのだが、表情が女王と同じ笑みの形。
「成る程ね、ヌルヌルが爺にあの人間と会わせた意味が分かったよ。あの人間本人は知らないだろうが、導くつもりらしい」
ロストの時もそうだったな。あの時は我儘に付き合わされたが今回はそうならないように配慮を、なんて話じゃない。事情も知らない得体も知らない、人外と本気で共存しようとする人間と暮らす環境作りを手伝う。意味が分からないし話しが早く進んでいるこの状況は本来ならば……いや、人外ならば異様な光景だろう。
だが私は、私達は違う。ロストを知る者達は違う。そんな異様な環境下で生きた者達は別種だ。だからヌルヌルと爺はあの人間と話を進められるんだ。まったく、退屈な日々に終わりが来るのはこんなにも楽しいものだとは、忘れていた。
「楽しい時間がまた来るわね。ロストの馬鹿女のように手綱が握れないだなんて結果にはさせないわよ」
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「おかしいですねぇ、おかしいですねぇ。どうして不可侵領域とされている辺境の地を侵入させまいと、人間がいるんですかねぇ。いや、人間ではない? 気になりますねぇ」
ルーキン副王を先頭に辺境の地から離れたゴブリン達と会った少女が、離れた原因を探るべく辺境の地へと入ろうとした所に、一人の人間が一本の木の先端に片足を付けこちらを見ている、と認識した時には既に攻撃をされていた。
「体を縦真っ二つにされたあの感覚は久しぶりですねぇ」
「真っ二つにしても問題はないと判断したからね」
赤い服を着ている少女は、同じく赤い服を着た少女とは呼べぬ容姿に中性的な声色を持つ女性と思わしき人物を前に目を細める。宙に浮いて両手より長い袖が少女自身が出す熱に揺れ動くが、文字通り木の上に立つ女性の服、髪は風が起きても揺れやしない。そこにいないかのように、女性自身が動かない限り服と髪は動かない。
「普通はそんなに早く判断出来ませんよぉ? 少なくとも、こちらの正体を知らなければ」
少女は、女性の服装が自分と同じ布一枚で体を包んでいる服装を見て、身長は高くとも体の一部分は僕の方が勝っていると内心ガッツポーズするが、女性が左手で自分の服を掴むと一瞬にして服が破ける。
「君の正体をこの僕が知るわけがないだろう。ただこの僕は、一人の主の住む世界にハエを入れるわけにはいかない。クロ様の望む世界にハエはいらないんだ」
女性の服の中は一枚の薄い全身タイツを着た、身体中に奇妙な模様を模した彫り物の肉体、大事な部分は分厚い布なのか隠れている。
髪型は長髪だが、所々に寝癖のように逆立っている箇所があり、目がクッキリと開かれた中性的な顔。
「変態さんですか?」
「変態ではなく、淑女だよ、可愛いハエさん?」
女性がその場で左足を真っ直ぐに上げる。少女から見てまるで左足が撓り上げられたように見えた時には、自身の体が下から真っ二つに裂けられていた。少女は、血は出ないが微かに来る痛みを感じながら再び一つに戻る。
正直に言えば、見えない。見えない攻撃というやつなのだろうが、蹴り上げる速度と実際に裂かれた瞬間の時間が合わない。
「分からないですねぇ。どうしてその距離から攻撃をして僕に当てられるんでしょう」
「君には分からないだろうね。そもそも、そもそもだ。君とこの僕の違いはなんだろうか?」
女性は上げた左足を下げ、足を曲げて右足の太股に足の裏を付け、両手を開く。少女はフワフワと宙に浮きながらも、女性の言葉に耳を傾ける。
「遠慮の無さだ」
少女が言葉を聞き終わる直後、頭が消滅した。いや、消滅させられたが正しい。女性が少女の前で、左足で蹴り終えた体勢で宙に浮いている。そして女性が動く。蹴り終えた体勢のまま頭の無い少女に背中を見せると、右足を頭の無い少女の腹部に足の裏を付け、踏み台で跳躍するように真横へ跳躍。
頭の無い少女の体が蹴られた方向へ木っ端微塵に吹き飛ぶが、女性はゆっくりと木の上に着地し空を見上げる。
「侵入者の追い出しに成功」
自分のした事に対し成功した事を確認。女性はその場で軽く飛び森林の中に消える。その数秒後に火が出現、渦を巻きながら次第に大きくなり人の形を形成、少女の姿へと変わる。
「……怖いですねぇ。排除ではなく追い出しですか。確かに追い出されましたね」
少女が復活した場所は、辺境の地という領域から僅か数メートル離れた位置。つまりここが、辺境の地という領域に入る一歩手前と判断する。左手で首を触りつつ、目の前に現れた女性の力に溜め息を漏らす。
「容赦の無い攻撃を躊躇わず実行する判断力は、恐ろしいですね。まさか僕の体が反応出来ないとは、泣きたくなりますよぉ」
あの女性の強さは、明らかに王を名乗ってもいい強さだろう。なのにも関わらず辺境の地への侵入者の追い出しをしているとは……。クロ様と言っていたが、それが上の名前だろうか?
――半分当たりで半分外れ。確かにクロ様とやらは上の名前だろう。だがそれよりも上の名前を言っていた。
一人の主の住む世界。これはクロ様と考えるべきだろうか。いや、違う。なぜならば"クロ様の望む世界"という言葉と"一人の主の住む世界"では意味が違うと分かるからだ。
そもそも、言葉の綾の可能性もあるのだが、実際は違う。クロ様と主は別人であり、主こそがこの辺境の地の領域を無断で自分の物にしようとしている……と考えるのは少し違うかも知れない。
クロ様の望む世界、これはクロという者個人の考えであると仮定すれば、主自体は確かにこの地に住むのだろう。ただ、ここにどうやって住むのかの問題があるから確定はしにくい。
「けど現時点では確実性は高いですねぇ。つまりは……辺境の地がその主の領域になる、と?」
少女は口元を笑みにし、この辺境の地に住むその主に興味を持ち始める。確かにここは不可侵領域のような扱いを受けてきたが客観的から見れば人外の領土。スライム、トレントが住みコボルトとゴブリンが駐屯し警戒の為の巡回をしている。歴史的に見ればここは人外の始まりと言ってもいい場所なだけで、実際はそこまで重要視されてはいない。
そう……少なくとも、当時の魔物からすれば聖域に近いほどに、重要視されてはいない。
「これはこれは、面白い状況ですねぇ。かつて魔物と総称されていた時代の人外が知れば、どうなるんでしょう。戦い? 話し合い? それとも、消滅?」
最後は考えすぎだとは思うが、人外の中には拳を振るうだけで山一つに穴を開ける者がいる。確かに辺境の地はそれなりには広いが、人外から見れば数刻で地平に出来る広さである。つまりは簡単に消滅出来る広さなだけ。
ただ、あの女性がこの地にいる今の段階では消滅は不可能、か? まだ全てが分かったわけではない、触りの部分に僕が触れてしまった。そうだ、触れただけ、事故に近い状況と言ってもいいくらいだろう。辺境の地へ行こうとした目的があるから事故ではなく自傷と考えられなくもないが。
少女が将来的な事を考えて、一度頷く。今が雛なのだ、ここの辺境の地という領域は、まだ産まれたばかりなのだ。
「これは本格的に、会いたくなりましたねぇ~」
あの女性が気になるが、クロ様が気になる。クロ様が気になるが、あの女性程の者が片膝を付けて頭を下げるであろう主が――非常に気になる。
少女はゆっくりと降下し、服を白に、髪を、目を黒にする。次は歩いて入ろう。少女が再び辺境の地への領域に足を入れると、何かが接近する感覚に体が反応。そこで少女は両手で服を掴み、一瞬にして服を消し飛ばし両手を上げる。
武器なし、敵意なし、降伏し、相手が女性なれば恥ずかしさなし。後は会話で主とやらに会わせてもらおう。少女は辺境の地から現れた何かを見て口元を笑みに――
「ん?」
現れた何かは、男性。それも上半身が裸で、お腹が出ていて頬や顎にも肉があり、白い肌をした男性。下には変わった生地で作られたズボンを穿いている。
「なんだ、ただの女の子か。風邪引くなよ」
男性は棒と棒に付けられた紐を持っていて、棒に紐を巻きながら再び森林の中に入り、ゆっくりと消える。
「……」
少女は口元を笑みにしながらも顔を赤くし、そして確信する。今現れたのが主だろう。少女は両手で体を浅く抱き、主であろう男から何も感じなかった事に違和感を感じる。体を縮ませて、主であろう男の顔を覚えたから、いつでも面会できると考える。
「見られた……。裸見られた……」
面会したくても出来なくなった。例え向こうが覚えてなくても僕が覚えている。恥ずかしい。何が恥ずかしいのかは、向こうが普通に対応してくれたのが恥ずかしい。というか。
「子供体型なのかな……」
凝視して止まるか顔を赤らめるか何かしらの反応がないとこちらが前に出れないのに、まさかの対応。これでも僕は凄いのにと言いたいがそこまで強く言えないので言わない。
恥ずかしい気持ちが出てくるとは……。ハァ……。
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純が畑の長さを計るためにトレントの王が作った棒と木の繊維で出来た紐を作成、それを使って計っている途中で裸の女の子と出会ったが、きっとそういう子なのだろう。毛が無かったからまだ幼いのか、いやそういう種族なのかも知れない。人に近い人外かな、と辺境の地の全体図を調べていた最中に小さく疑問に思ったが、今は開墾に勤しみたいし村も変えたい。
あぁ確かに、あのゴブリン……ルーキン副王とやらが言っていたように侵略行為だなと思う。違うよと言っても信じてはもらえないな。ただ現在はトレントの王とスライムの村長にのせられる形で辺境の地を変えようとしている。そうだこの二人に儂の心が乱れてきたんだ。もう辺境の地一つを領土にするか話が飛んでいた。その際に一つの種族を紹介された。
コボルトだ。
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数日間、広さを計りつつスラ君に魔石を作ってもらい、他のスライムにも掃除の手伝いや町の警備をしてもらい、ドリアード達は用事があり今はおらず、トレント達は本体をこちらに移動させている。
辺境の地という地名にしては以外と広かった。多分だが、主要都市より広い。そもそもこの星の大きさが分からないから、大きな星であると仮定すれば一つの土地を得ても文句は言われないだろうと、いやこれが侵略思考だなと思う今日この頃。
ある程度の開墾予定地を選び、その予定地にあった木々をトレント達が移動させ、土を掘り起こし畑にする広さを決定。肥料だが、使用していた肥料を作る材料には野良人外が必要不可欠。野良人外と言えど動物に近いだろうと考え、野良人外が出した糞を回収。臭いがキツメだが、育てる土を作るには最適かも知れない。簡単な腐葉土も作り、その違いを調べなければならない。
そもそも、この土が畑向きなのかは……いや、トレント達が畑向きにしてくれた。樹木凄い、開墾の神様ありがとう。
ちなみに野良人外の種類だが、牛である。ただの牛ではなく背中に小さく羽が生えている牛だ。話によると危険性はなく、人間に対しても友好的であるらしい。糞の回収の時に捕まえようとしたが逃げられた。
友好的じゃないじゃないか、家畜にしてやろうか、いやいや駄目だから。流れるように否定するのも昔からだが、一人なのは流石に悲しい。
畑の開墾の後は有機質肥料の製作、試しに種蒔き、後に本番といこう。何せここは母星ではない違う星なのだ。まぁ異世界といえばいいのか、別宇宙といえばいいのか。
開墾の後は川を作ろうと必要な加工された資材と川を通す道筋を考案中に、一体のトレントがコボルトから使者が来たとのこと。数日前に会った犬の種族かな等と考え、使者という役割名が出た事に溜め息を漏らす。使者が来たと呼べるほどの場所じゃないだろ……。
作業を中断し村へと戻る。村なのだが、前よりも更に綺麗になり地面を固めて舗装されている状態。儂の足腰に悪くないよう歩きやすくしてくれたクロ達、お爺ちゃん扱いか、慣れてるからいいけど。
ちなみに儂の家だが、トレントと黒猫、白猫の三種族が我が母国が誇る木造建築の家を建ててくれた。ベッドは研究所(仮)にあったベッドで箪笥はトレント作。全て木で作られた昔を思い出す家。二階建てではなく一階のみの広さを持った家。子供達が二階が欲しいと言った時は少し怒ったくらい一階のみの家が好きだ。階段から落ちたくないし。
コボルトが待っているのは、スライムの住処である建物。前までは村長が居て他のスライムが住んでいた場所。現在は形は変えずに昔の姿を現代に取り戻したような状態で、村長がいた部屋はロスト像があり村長は別の部屋で住んでいる。元々スライムの住処なので他のスライムもそこで住んでいる。この村というか町は石とか鉄が使われていた形跡があることから、生活水準は中々なのかな? まぁ儂から言わせれば懐かしいレベルと考えたりした。
純がスライムの住処に入ると、四十センチのスライム四体が道を開けつつ体をへこませる。礼であるんだろうが、異様な光景には違いない。その開けた道を通ると長いテーブルがあり、片方にはコボルトが五人。四人が簡易装備であろう防具を身に纏い、一人は位が高いのかマントを着けた甲冑装備のコボルト。犬なのだが凛々しいのが分かり、犬種は秋田犬に見える。他の四人のコボルトは犬種は違うのだろうが若く見える。
真ん中にはトレントの王が居て、コボルトとは逆の片方にはスラ君がいた。儂はそっちか、いったいトレントの王は何を考えているのだろうか。
「こちらが先程お話した純殿です。さ、純殿、そちらの席へ」
席へ着くよう促され、新しく作られた木の椅子の元へ歩みながらもコボルトを見る。若いな。人外の年齢がどれ程なのか分からないが、少なくとも若くは見える。コボルト自体若いのが多いのだろうか。
最初、犬の顔なのかと人面犬みたいなのを想像したが、やや人の面影があるように見える。確かCGやアニメでみた犬の姿をした二足歩行の種族的なのに似ている。毛とか柔らかそう。
スラ君の元へ着き椅子を引き着席。学校には行ったことがないが、進路相談とはこんな感じなのだろうか。いや、簡易裁判に近いな、うん。
コボルト達が立ち上がると、一番前にいるマントを着けたコボルトが右手をお腹の前に添えて軽く頭を下げる。
「初めまして。私はコボルト族の副王、ホチと言う名です」
おしい。いや何がおしいかは言わないが非常におしい。在り来たりな犬につける名前ナンバーワンであろう名前に丸が足りない。いやそこじゃないか。
まさか副王が来るとは、とは思ったがそれもそうか。戦いではなく話し合いとか会談とかなら副王が出るのが適切。少し考えれば分かるな、うん。
「儂の名前は白濱 純、毎日仕事している。頭を上げて座ってほしい、非常にやりづらい。儂は頭を下げられるような奴じゃない」
ホチが頭を上げ、一言座るよう促された礼を述べ席に座る。
「確かコボルトはゴブリンと同じように、この辺境の地を警備していたんだっけか? つまり、出ていけと?」
「いいえ。確かに最初はそれが私達コボルト族の総意でした。が、トレントの王が認めている現在は、些かコボルト族は混乱しています。何故、人間に味方をするのだと。何故、人間と共存すると言ったのか、と」
トレントの王を見ると、トレントの王が笑みで頷く。まさか儂の知らないところでそんな事をしていたとは、知らなかった。視線を再びホチに向け、多分だが今後も似たような話し合いはあるんだろうなと将来に小さくだが、面倒だなと考えてしまう。
「信じないなら信じなくていいと儂は考えている。それだけだ」
ホチは、コボルト族の歴史の中で若くして副王になった人外。他の人外関係なくコボルトのみに焦点を合わせれば、最年少にして最有力である。それでいてホチは、自分よりも強い相手に対して決して退かないわけではなく、仲間を逃がす殿をやってのける力を持ち、即座に"逃げ"を選択できる副王。
いや、副王とはそういうものなのだ。どんなに強くても足止めはしてみせよう。そう、それが出来るのがホチというコボルトの副王だ。だが、そのホチにして、目の前にいる人間からは殿をやりたいとは思わない。敵に回したくはないというのが本音だ。成る程、この暖かいものは惹かれる。それに……。
「人外と共存するのは口実、人外に敵意を向ける為の口実、ではないと?」
「儂が敵意を向けるのは、儂の生活を妨げる連中。妨げないのなら敵対する理由はないよ」
今の言葉は、人間の生活の邪魔をしなければ人外にも人間にも何もしないという事だろう。同族である人間を殺せるのか? 今の言葉が人外のみならば人間は無条件で殺しはしないと解釈してもいいが、妨げる連中といった。それはこの人間の邪魔になる者達全員が対象と考えていいだろう。
「では、もし私達コボルト族がこの町を攻撃しようとしたら、どうしますか?」
「そりゃ敵対心があると判断して、襲い掛かるコボルト族全員殺して、コボルト族と名乗る奴等は根絶やしにするよ」
暖かい力を持ちながらも言葉は冷酷、いや人外に近い考えだろう。言葉だけなら誰でも言えるが、この人間の発言は真実であるとさえ思える。これは実際に会ってみなければ分からない。
「根絶やしは言い過ぎた。まぁ近付かないなら別に何もしないさ」
近付かないなら何もしない。近付けば迷わず殺すと受け止められる言葉だがその通りにするのだろう。
第一に、この町の僅かな時間でこれ程の変化は異常。確かに町はあったがそれは跡地、森林によって侵食された町であった。それがどうだ、今では立派な町として機能しているではないか。数日の間にここまでの変化、そう容易いものではない。なら何が起因しているのか。それは至極単純、仲間であろう彼女達の働き、これに尽きる。
この村に……いや正確には辺境の地という領土に入った時からトレント達に監視されていた。樹木の人外とは、自分達がいる場所から遠い場所を見ることが出来ると話は聞いていたが、実際に見られていると分かるあの感覚。見張りとしては優秀すぎる。戦いにおいて隠れている相手の場所が分かるというのは有利な位置になるだけでなく、一度も鉢合わせせずに逃走も可能。なんとも頼りになる力であろうか、と同時に敵に回せばどれだけの恐怖になるだろうか。
見つかっている、話を聞かれている、常に場所が分かられている、それでこの人間が席に座り私達を見ている。なんとも戦いにならない状況が辺境の地に入った時に脳裏に浮かぶ。ただ違うのは、人間が手を下さずとも仲間が確実に排除をしに来るのだろうという考え。もはやこの領域は、本当の意味での不可侵領域となった。
「純殿。純殿がこの辺境の地を領土にした場合、同じ人間が入ってくる場合があると思いますが、その時はどうしますか?」
「邪魔するんだったら殺すしかないかな」
またもや即答、はっきりと、なに食わぬ顔で言った。
「いや、まぁすぐには殺さないよ、勿論人外も。貴方みたいに一応は友好的に話をしてくる者は一応は仲良くならないと。後はどう付き合うか、ただそれだけの話しで終わらせるかはお互いに自由だし。ほら、隣の領土とかデカイ話ではなく住宅地でも争いはあるだろ? あんな感じな争いをするかも知れないなら仲良くはなりたくないな。まぁ、そうなるくらいなら付き合いは元からしないけどな」
「では、トレント族とスライム族とは何故?」
「儂の生活に必要だからだ。生きていくのに一人で生きてはいけないのを儂は学んだ、だからスライムには居候をさせてもらう代わりに出来る限りの要望を、トレントは儂とスライムと共存する代わりに畑を。お互い生きるために必要な事を、お互い生きるために叶えていく。儂が経験した家族にはまだまだ遠いがな」
「――――――」
目の前にいるホチが、いやホチ達が目を開けている。いや驚いているのか? もう何回目だろうかこの光景。共存するのがそんなにおかしいのか、我が母国、いや我が母星ならば宇宙人であろうと人外であろうと共存どころか結婚し子孫を残せる豪傑な人間がいっぱいいる、気がする。
最終的には絵の中の女の子とも結婚しそうで怖い。まぁ市役所に通さなくていい話になるから、これ以上は何も言うまいが。
「純殿の言葉を信じるかはそちら次第ですが、少なくとも敵対心は現在は持っていません。実力とその身に纏う暖かな力を見れば、どういう人物か分かるでしょう?」
トレントの王が儂の評価を上げにいった。いやいや、身に纏う暖かな力ってなんだ?
「そうか、純には分からないんだったな」
スラ君が儂の顔か雰囲気からか察したのか、トレントの王の言葉に分からない部分があった事に気づいてくれた。そう、儂は相手の実力とか力とかは雰囲気とか体つきとか気持ちとかある程度分かるくらいで、変わった力を察知する力なんてのはない。
殺気とか気配なら分かるんだが。
「力を持つ人間、人外には相手の力を見る事が出来るんだ。そしてその力は色とオーラみたいなので分かる」
「そんなのがあるのか、便利だな。それがあれば狩りの時はすぐに発見出来るかも知れないな」
肉は欲しいし、だからといって購入するにも人の街にいかなければならない。いつか家畜用の場所も作ろう、肉食いたいし。
「てか、儂は暖かい力なのか?」
「えぇ。それも特別強力で、言うなれば人外にしか分からない特有の力ですよ。人間から見ても分からないでしょう」
トレントの王の言うことが本当なら、儂は人間じゃないんじゃないのか? そんな顔をしていたのかホチが小さく笑う。
「それは言い過ぎですよ。少なくとも人間から見れば、その暖かい力は重く冷たいと思いますが」
ホチさん、アンタも中々言うじゃないか。儂をなんかの危ない生物みたいに言われても……。いや、待て。
「ちょっと聞きたい事があるんだが、いいか?」
トレント、スライム、コボルト達がこちらを見る。人外を相手に聞くのもなんだが、認識の違いがありそうなので聞かないと。
儂が生きていた世界では、恥ずかしい話し、儂は非常に生きにくい世界ではあった気がする。というのも戦時を経験した人間ではあるが忠誠とか万歳とかする程の気持ちはなく、今のように家族とか知り合いとか場所とか守れればそれでいいわけだし。
違う地域とか国とか時々旅行しては、老人なりには格闘技は嗜んでいた。これも今はいない両親の影響ではあるが、若い頃からあらゆる格闘技に対して道場破り的なのをして白濱流なる拳法なのか型なのか分からない格闘術で勝利してきた。何が言いたいのかというと……。
儂は基本的に、戦いが好きだ。
「儂がその暖かい力とやらを持っているのは、何が原因なんだ? 正直に言えば、儂は力だのなんだの分からないぞ」
「……そうか。純はそこの知識がないんだったな」
スラ君が思い出したかのようにプルプルと体を震わせる。
「純殿は知らないのか? 人外と人間の力が何かを」
ホチがやや驚きながらもトレントの王を見て質問するが、トレントの王は首を横に振る。スラ君はトレントの王とホチを見る。見ているのか分からないが。
「純は今まで知らずにここまできたらしい。逆に言えば、知らないからこそこの境地に来たと考えればいいだろうな。だとしても、有り得ない事だが」
「……確かに有り得ない。人間が人外の力を有しているのを初めて見た」
二人が謎の会話を成立させているが、儂には一切分からない。
「すまない、純。前に説明したように、人外と人間が魔素を使うためには元素が必要であると言ったのは覚えているか?」
「あぁ。確か勇者とかが人外の力みたいなのを真似できるとかなんとかだよな」
前に説明を受けたことは受けたが、儂にはないに等しいと考えていいだろう。まぁ中にいる女性に頼めば持てるかも知れないが。
「そうだ。だが実はもう一つ、その人間だけが、人外だけが持つ特有の力というのがある。それがさっきの話しででた色とオーラだ」
「それだよ。なんの意味があるんだ? 色とオーラには」
「大いに意味がある。オーラとはその人間の、人外の実力と性格が出るんだ」
「……実力は分かるが性格?」
性格が何故出るんだ? 大事なのか?
「実力と性格で、相手のある程度の力が分かるようになっているんだ。それでいて人外と人間のオーラは質が違う。まぁある条件下で人間の、人外のオーラを纏う事は可能なんだが……」
「純殿は人外のオーラを持っているんですよ」
トレントの王、儂を化け物扱いか。以外とあんたも言うんだなおい。
「だとしたら、儂は人外なのか?」
「それは違います。私もやや困惑しているんですが、人間としての暖かいオーラもあるんです」
ホチが左手を挙げてやや困り声で儂を見て言うが、寧ろ儂が困る。この手の質問をしたはいいが結果がよく分からん。そもそも、儂は頭が良くない。
後でスラ君にでもそこら辺の分かりやすい本を見せてもらおう。
「よし話しを切ろう。考えても儂が無知ならば始まらない話しだった、すまん」
「純は謝らなくていい」
スラ君がこちらを見て慰めてくれる。人間と変わらず接しれるのは嬉しい限りだ。
ホチが席から立ち上がると、他のコボルトも立ち上がる。
「こうして直接お会い出来てとても感謝しています」
「なんだもう帰るのか。もうちょっと会話をしようじゃないか。それか手合わせとか」
「いえいえ。ゴブリン族のドルム副王を一撃で倒し、部下を一瞬で亡き者にした純殿と手合わせなど」
「怖くて出来ないですよ純殿」
トレントの王がマジで厄介爺な事を言いやがる。まぁ、偉い人だし助かっているから何も言わないが。
「では、トレントの王。先程の提案、私達コボルトの王に話しをしてみます」
「宜しく頼むよ、ホチ君」
ホチが頭を一度下げ、コボルト達はスライムの住処から出ていく。出ていくのを見送りつつ、提案とは何かと気になったのでトレントの王を見ると、その質問が来ると分かっていたトレントの王が笑みの顔でこちらを見る。
「実は彼らコボルト族は、住む場所が人間によって無くなりつつあるんです」
「? どういうことだ?」
「彼らコボルト族の住む場所、現在は人間の領土のすぐ真横にあるんです」
ホチが属しているコボルト族がいる場所は、ゴブリン達のように一つの山に住む家があるわけではない、現在は人間の領土に接した小さな森林地帯がコボルト族の住む場所である。その森林地帯は、昔は緑豊かで空気が澄んでいた。コボルトの子供達が自由に走り回れる環境であったが、数年前に人間がコボルトの領土へ侵略をした事を切欠に戦いが始まり、数年経った今でも決着が着いていない。
数年という年月はコボルト達の自然を汚し、子供達を震わせ、大人達が築き、中には当然ながら死者も多数出た。それは双方同じなのだがコボルトが人間よりも犠牲が多い。理由として、いや最大の理由だがそれは個々の戦力の差である。
コボルトは、正直に言えば強くはない。また元素が扱いにくい体質であり、ほぼコボルトという種のみの戦闘能力しかないと言えばいいだろう。人外にも人間同様、元素を使える人外と使えない人外がいる。特に低種族とされている人外にはその傾向が大きい。
一方、コボルト達が相手にする人間はコボルトよりも魔法使い達が多く、遠距離、中距離では不利。接近戦を仕掛けようとも魔法使いがいるだけで相手の手がこちらよりも多く、こちらは接近のみの対決が多い。コボルトとしての力のみで勝利するのは数度ほど、殆どは負け戦である。
今でも辺境の地を巡回してはいるのは、いつかはこの地に雪崩れ込む考えがあったからこそ。そこへトレントが一人の人間と共に共存するという話しを持ち出された日には、冗談じゃないと言いたくなるだろう。
だがトレントの王の言葉に真っ向から否定は出来ない。だから、いつ戦いが始まるか分からない人間とのにらみ合いの中、ホチを寄越しトレントの王の言葉が正しいのかを判断しに来たらしい。
成る程。儂が勝手に辺境の地に来たばかりに知らず知らずに迷惑をかけていたのか。
「おい待て。それ儂のせいじゃなくてアンタの発言が原因じゃないのか?」
「そうでしたかな? いやいや、純殿の快適な生活には必要不可欠と思いまして」
「……アンタ、性格悪いだろ」
ホチ達コボルト達がいなくなり、コボルトと人間の簡単な勢力図と戦力、そして戦地が書かれたスラ君の手書き……いや体の中でペンを使っているから体書きだろうが、体書きで書いてくれた。
トレント達は便利というのだろうか、離れた位置からでも木の根さえ伸ばせれば離れた位置にいる対象者の所まで伸び見ることが出来る、勿論会話も聞けるとのこと。その情報を元に書かれた戦局図は、確かに芳しくない。これは……。
「次で人間側が総攻撃を仕掛ければ、コボルト達が全滅するな」
純の言葉にトレントは頷く。まず見るのは戦地。かつてコボルト達が自由に暮らしていた森林は、長い戦いに木々は薙ぎ倒され、燃やされ伐採され、人間の駐屯地がでかく作られている。伐採された量だけ平地が広がり、その先の森林がコボルト達が愛した森林の境界線。だが、いつ襲い掛かって来るのか分からない境界線である。
昔は森林だらけだが、今では当時の四分の一程度しか森林がない。つまりコボルト達の住んでいた森林が四分の一に減った事を証明する。
次に見るのは戦力。そこだけ見れば人間が圧倒していた。理由は、やはり魔法使いの存在、魔素を使う者達だ。トレントの情報によれば、確かに魔法使いが多い。今まで生き残った事が不思議であるが、そこは流石人外だろう、人間にはない身体能力で退かしてきた。ただ限界というのがある。今回はその限界に近付いてきた最後であろうなと戦力から見て判断する。数だが、コボルト達が二百に対し人間は千、五倍の戦力が人間側にいる。それに対してコボルト。非戦闘員が五十いるため、実質百五十の戦闘員である。それでいて元素が扱えるのは三十。つまり百二十が扱えない戦闘員。少ない人数で戦えたのも正に地の利があるからこそ。ただ、人間側も本来より人が多いとか。
「一気にケリを着けるつもりか。まぁ、そうだよな」
「どうする、純」
「……いや、儂には関係ないだろ」
そう。確かに戦いはあるだろう、それも人間との。コボルト達は自分達の地を必死に守ろうとしている。犠牲となった者達も多いだろう、人間との戦いとは……いや戦争とはそんなものだ。昔なんてそれが当たり前だった、非日常が日常だった時代からすれば普通の出来事、運が悪いで済んでしまう。
「それが、純殿のこれからの生活には必要不可欠なんですよ」
「……何処かだ。戦争中のコボルトがこの地に入れば人間が追い掛けてくる。結果、儂の生活の邪魔になる未来しかないじゃないか。必要不可欠とは考えにくい」
両手を広げ、同情はするが手出しはしないとハッキリ答えようと決意する。
「彼らコボルト族の領土、人間との戦いになっている領土の近くに、米があるんです」
「――」
トレントの王は純の顔の変化に、内心ガッツポーズをとる。純の今の顔はやや驚きだがすぐに手書きの地図を見て眉をひそめて思考を開始。トレントの王は純のいう家族、共存にはコボルトの存在は不可欠であると考えている。
第一に、コボルトとは本来は表に出て生活するのではなく地下で生活する種族であった。地下で生活し必要な物資は外から調達、外は遊びと訓練のみで安心な寝床にするべき場所ではなかった。それは人外になる前に、コボルトの元となった魔物が地上での生活に、無理矢理外での生活に発展した。
ロスト。彼女がコボルトの元となった魔物を外に連れ出し共に生活したのが原因だ。いや今に思えば、これは進化であると考えるべきだろう。ただ、進化は進化なのだが、やはりというべきか進化の過程を経ても体は地下に合ってしまう。ロストには悪い気持ちはない、ただ小さな個人の善意と、大きな我儘が働いただけなのだ。その結果、コボルトは外で生活するのが当たり前になっている。
第二に、純の考えた地下農園。結果から言えば、地下での開墾は成功する。理由は、この土地の地質にある。この辺境の地の地質は他の領土に比べ微生物、酸性、柔らかさが畑に最適である。それは純と共に開墾作業をしたから分かったことだが。そしてスライムが考えた魔石、光が込められた魔石を設置することにより人工の光を作り出す。それも太陽の光を吸収した太陽光石というべき魔石の光。この二つの条件が揃った今では地下農園は、理屈上出来る。
ただ、これまた結果を先に言うと、地下農園で働く者達の存在だ。トレント族には地下での暮らしは、光を失うのと同等、極力避けたい。ならばスライムは? 現実問題、手足がない。作業向きではない。彼らは何も出来ない……と切り捨てたくはない。ただ、農園作業は無理だろう。
ならば純殿の彼女達は? 彼女らには辺境の地という名の森林を見てくれている者達。ドリアードよりも行動が早いのが驚きだ。いや、私達トレントよりも早いと言えばいいのだろう。それに分からないのは、彼女達が普段どこにいるのか分からないところ。いや、詮索はよそう。純殿と違い彼女達は過激派だ。
最後は純殿自身だが、純殿には大まかな説明と要望のみに絞り他の作業へ取りかかってほしい、彼には共存を成し遂げてほしいという、その気持ちが強い。それに彼は、私達と共存し戦いたいのではなく、私達と共存し力を合わせて暮らしたいと願っているのだ。
だが残念な事に、それを叶えるには……人間が邪魔なのだ。人外も邪魔はするだろうが、例えば私という人外が間に入り話しをすれば戦いの前に話し合いが出来る。だが人間はどうだ? 純殿を敵と認識し私達と共に殺しに来る。純殿は"邪魔すれば人間であろうと排除"と言っているが、それが起これば純殿はこれからの生活が苦になってしまう。そうなれば怖い事が起きる。過激派たる彼女らの暴走の可能性が。
「それにです、純殿。彼らは元々地下で生活をしていた種族。地下農園を作った時に活躍するのは、彼らコボルト族だと考えます」
「……犬だよな?」
「犬ですが、昔は地下で生活していたんです」
純殿が頷きながらも左手で地図をなぞり始める。きっと、いや必ずコボルト達を助けるために行動をとるだろう。そう、ロスト様のように手を差しのべるだろう。
「よし、決めた」
純殿が顔をあげ、表情を笑みにする。ついこちらも笑みになってしまう。
「コボルト助けるぞ」
「はい」
純殿は優しい方だ。ただこちらとしては利用しているようで悪い気持ちになる。だから極力、純殿の願いは叶えようと努力する所存。
「とりあえず、この戦力の差は埋められないから、必要な物資だけを回収するとして、その間の時間稼ぎだが……」
確かに、コボルト達を助けるだけでは解決はしない。純殿が求めている物資はあくまでも米のみ、コボルト達には悪いが、米のみの情報ならば純殿にとってはオマケ程度でしかない。だが、地下農園の役に立つと情報を入れればどうなるか? 答えはさっきの純殿の言葉通り、コボルト達を助けるという発言と戦局を見てどう対処するかの発言の二つである。頭の切り替えが早い方である。
「よし、決めた」
純殿が地図のとある箇所に指差す。その箇所とは、人間達の拠点だ。何ヵ所か中継拠点があるが純殿が指したのは本陣である拠点。
「儂がここをド派手に攻めて他の拠点の連中を誘い出すから、コボルト達には逃げるように言ってくれ」
「? 逃げるように? 必要な物を持って逃げるようにですか?」
「いや物はいいよ。だって逃げる時に余計な物はいらないでしょ。必要な物は……」
純殿は地図に手のひらを付け、握り潰す。
「ここの人間達を潰してから回収する」
▼▼▼
ある施設、といえばいいだろうか。暗く狭い空間には裸姿の男性が一人、椅子に拘束されている。拘束されている男性の前にはカメラが一台と、マイクとスピーカー。顔は見えず僅かな人の形しか見えないその姿は、痩せ細い老人にしか見えない。
[貴方はかつて、自分が作り出した武術をもって人を殺め続けたと言われていますが、それは本当ですか?]
スピーカーから若い男性の声が響く。誰かが離れた位置で、痩せ細い老人相手に尋問に近い形で質問を投げ掛ける。老人は顔を上げる動作をする。
「確かに、嘗てそんな事もしたもんだ。だって戦争だぞ? 戦いだぞ? 自分の力が試せる絶好の場所だ。自分の作り出した武を披露するには最高の場所だ」
老人は言葉こそ嬉しそうに喋るが、過去の栄光を語るように目を瞑っていそうな口調。老人が体を拘束されているのは、危険人物だからとか全身が凶器だとかの理由ではない。いや、昔はそれに等しい人物であったとされていた。
「散歩気分で戦場へ行き、ジュースを飲むように相手の血をこの体が飲んでいた。戦場だけでは止まらず日常に手を出した」
[貴方に殺害された人物は百人とも言われていますが、本当ですか?]
「……分からない」
[分からない? 貴方は今まで殺した無実の人間の数を覚えていないと?]
質問する声に力が入るのがスピーカーからして分かる。が、老人は首を小さく横へと振る。
「殺した人数はお前の言う通り、無実の人数を百人は殺したのは覚えている」
[では、何故分からないと言ったんですか?]
「ならば逆に問うぞ。確かに百人は殺した、それは記憶している、頭の中で今も思い出せる。自分が編み出した武術、竜柳掌。竜のように力強くそれでいて柳のようにしなやかを併せ持つ武術。その武術をもってして人間を殺してきた。だがその武術をもってしても傷を付けることはおろか、両腕を壊され体に恐怖を植え付けられ、体が今までの殺害を否定し始め相手に頭を下げ泣きながら謝った自分の体が、半世紀経とうとしても今もなお否定している。無実の人間を殺してはいないと、殺してはいないと今もなお、今もなお!」
老人が体を持ち上げようと立ち上がるが拘束されているために立ち上がれない。だが、体は何かを恐れているのか必死に逃げようとしている。
[落ち着いてください]
「自分は落ち着いている、落ち着いていないのは体だ! 拘束されなければ震え続ける体を止められない自分の体に言ってくれ!」
老人、いや彼は、自らの体を制御出来ずにいる。彼の両腕はとっくの昔に完治されているが、恐怖が甦ると逃れようと自ら編み出した武術、竜柳掌を使い逃避に走る。それは、体に恐怖を植え付けられたあの日から続く――情けない行動だ。
[……貴方がやってきた無実の人間を殺害してきた罰だとは考えませんか?]
「もしこれがその罰ならば軽い。だがな、自分はこれでも戦争でも殺してきた、殺してきたんだ。一対一の殺し合いも一対多数でも勝てた、例え武器を使われようが勝利してきた! だが奴は違う、奴は自分のような雑味がある奴じゃなかった!」
[……雑味?]
彼の体が震え、彼の言葉にも震えが伝わる。だが彼は止めない、震えが来ても言葉を止めない。
「殺しに対する姿勢では雑味がある。だが、奴の姿勢はあまりにも単純で、あまりにも眩しい……。結果、奴は自分から武術を奪い、その武術をもって自分の両腕は壊された。あれこそ、あれこそ! 奴こそ罰するべきだ! 自分なんかよりも罪人は奴だ!」
彼の体の震えが止まらない。それどころか彼の口から泡が出始めている。
彼がいる狭い空間の外で警報が鳴り、音声が響く。何か異常が出たのか、それとも起きているのか分からない。
[―――! ―――!! ―――! ―――!?]
スピーカーから声と思いし音が聞こえるが、彼には聞こえない。そして彼の声も、マイクが拾えない程に周りの音が大きい。唯一分かるのは、カメラに映る彼の口の動きだけ。
彼は、この世界との別れに、一言口にする。それは本当にそう言ったのか分からない。分からないが、口にしたのだ。
「二度と、奴と同じ世界で生きたくはない……」