第一章 子供の悪戯
見慣れた天井。朝起きると必ず見る天井。
木の板で作られているような天井を見ながら、一人の老人は静かに呼吸をする。
昔は布団で大丈夫だったが、ある年齢を境に、ベッドに切り替えた。確かにベッドは楽だが、寝相が悪いと落ちてしまう。それに、ベッドの下が変に空間があると、正直に言えば怖い。
若い頃に見たホラー映画で、ベッドの下から髪の長い女性が現れたシーンを見てから、心の片隅に小さくトラウマが植え付けられた苦い思い出がある。
だが今となっては、そんなトラウマは些細な事だ。今は不要な心の傷でしかない。
「じいちゃん」
ベッドで横になっている老人に話しかける男性。五十代後半の男性にじいちゃん呼ばわりされる老人は、口元を小さく笑みにする。
「お前もじいちゃんだろう?」
「何言ってるんだよ。俺のじいちゃんなんだから、じいちゃんでいいだろ?」
男性の言葉に、老人は小さく笑う。小さい笑いを聞いて安心したのか、男性は笑みの表情で、一度だけ頷く。
「体は大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ。お前達を育てるために鞭を打ち続けたんだ。とっくの昔からボロボロだ」
愚痴を溢す老人。だが、それは昔から言っている口癖のようなもの。別段、男性は気にしてはいない。
「年齢の割にはよく喋るじいちゃんだよ。親父よりも長生きしてよ」
「好きで長生きしたわけじゃないよ。息子が先に空へ行くなんざ、親不孝者のする事だ」
「いやいや、親父は長く生きたと思うよ?むしろじいちゃんが生きすぎだって」
「もう一度言うが、好きで長生きしたわけじゃない。生きちまったんだからしょうがないだろ?」
2人はテンポよく会話をする。老人も年齢を感じさせない言葉の返しをし、その言葉にも男性は重ねて返す。このようなやりとりを、何回、繰り返しただろうか。
老人は会話の中で、その息子の事を思い出す。血の繋がった息子ではない、目の前にいる孫も当然、血の繋がりがあるわけではない。
ハッキリ言えば、結婚した事もないし、彼女もいなかったし、デートもした事がない。ずっと血の繋がりがない息子達、娘達のために生きてきた。
――ただ、そんなんでも幸せではあった。
「ほらほら、ちゃっちゃと帰んな。こんな碌でもない爺なんか放っておいて、孫の為に金を使いな」
「はいはい。それじゃ、明日また来るよ。孫が会いたがってるぞ? ひひじぃってな」
「あいあい。ほら、帰った帰った」
「じゃ、明日。お休み」
男性が部屋から出る。一分後には扉が開かれる音、次に聴こえるのは閉められる音。
昔と比べて不自由になってきたなと、心の中で小さく嘆く。まぁ、不思議と充実感はある。
今の家は一階建ての、小さな家屋。階段が上がれなくなった時は、自分の耄碌さに嫌気が差した。バリアフリーの偉大さに気付いたのもその時か。
段差がない構造で建てられた家は、孫と曾孫が建ててくれた。祖父孝行と曾祖父孝行かと、小さく涙を流した事を思い出す。
「……長く生きすぎだな」
いつかは過労死するなと思っていた昔が、今や懐かしい。だが、とうとう限界が近付いてきた。
瞼がゆっくりと閉じられる。そういえば、友達が言ってたっけ。自分が死ぬ瞬間が分かるって。
今から死ぬよぉって言った十秒後に、本当に死んじゃったっけ、アイツ。
「今なら……分かるかな」
瞼が完全に閉じると、最後の呼吸をする。向こうに行けば、子供に会えるかな……。
……会えたらいいなぁ。
▼
瞼を閉じて、どのくらい時間が経ったのだろうか。感覚としては十二分に睡眠をとり、まだまだ寝たいと思いながら瞼を開けるような感覚、と言えばいいのだろうか。
何時もなら、起きた時に襲い掛かる暑い太陽の光が、今は全く無い。カーテンで遮っても、熱だけは部屋に充満させる癖に、今日は穏やかな空気で起こすとは。太陽も光るのに疲れたのか、それとも地球が太陽から離れたのか。後者は後々が怖いから、考えから排除する。
だが、前者も考えられない。現実的に考えて、誰かが部屋の中を涼しくしてくれたのだろう。これが自然な答え。
「いつも悪いな」
誰かいようといまいと、言葉に出す。誰かいた場合は返事があるし、いなくても後でまた言えばいい。
目を開ければ、いつも見ている天井がある。一日の始まりだ。
「……天井がない」
目の前にある光景を、短絡的に口に出す。目の前にある光景は、赤い空と言うべきだろう。
「よいしょ、よいしょ」
体を動かそうにも動けない。いや、動けないわけじゃない。視点だけが起き上がり前を見た。ただ、これを動いたと表現するには尚早だろう。
「――何処だ」
人間、知らない内に知らない場所にいると、一言目が在り来たりな言葉になるなと、言葉に出してから思う。
目の前に広がるのは、川。丁度川の中央にいる。ゆらゆらと視界が縦に小さく揺れている。
「えっほ、えっほ」
視界を下に向けると木がある。正確に言えば、木の舟だ。縦に小さく揺れながら右へ進んでいる。これは右へと動いていると理解し、渡し舟だと結論付ける。
「肝が据わりすぎと家族に言われてきた理由が、今になって分かった」
現在進行形で起きている事態は、あり得ない事態だと考えるべきだ。先ずは、何故こんな事になっているのかを考えるべきだろう。
……情報を集めよう。情報がなければ、事態を把握する事は出来ない。
「うんしょ、こらしょ」
さっきから声がする。最初は幻聴かと思ったが、肉声のようだ。この事態を打破する手掛かりが近くにいる、それも人物として。
「突然ですまない。ここが何処か教えてくれないか」
視界だけを動かす。顔を動かす様にすれば視界を動かせるのかと、早い段階で操作方法を知れて良かったと、素直に喜ぶ。
「う?」
視界が捉えたのは、一人の子供。黒い布のローブを身に纏い、頭には髑髏のお面がある。お祭りで販売されているお面のようだ。紐はないが……。
丸っこい顔をしている子供が、縄を両手に持ちながらこちらを見ている。こちらが小さいのか、子供が大きく見える。だが、四歳か五歳くらいの……。
いや、やめよう。こんな小さな子供が、どうして舟を漕ぐ……もとい、縄を引っ張っているのかを考えよう。
「ごめんね、僕。ここが何処か教えてほしいけど、いいかな?」
「ざいにんしゃんはだまってて!」
小さい子に怒られてしまった。いや待って、今聞き捨てならない言葉を聞いたぞ。
「今、罪人と言ったのかい?」
「しゃべらないでくだしゃい!」
子供は再び前を見て縄を引っ張り始める。流石にこれは、唖然とする事態だ。まさか罪人と言われるとは。
視界を子供の背中から周りに向ける。向かっている方向とは逆の方向は岸となっている。向かっている方向を見ると、やはりと言うか、岸だ。
昨日の事を思い出す。最後は孫と喋り、孫が帰って暫くして寝た。つまりは夢か、あるいは――。
「死んだ……のか……」
力無げに言葉を出す。いや、寧ろ納得する答えだ。夢よりも死の方がしっくりくる。
つまり、ここはかの有名な三途の川というやつか。だとすれば大変だ、冥銭がない。
渡し船の先には、確か有名な夫婦がいたが、渡し賃がなければ衣類を取られてしまう。
昔から誰かが亡くなった時は、六文銭を持たせ見送っていた。だが、今は法律により厳しく定められているため、印刷した六文銭を使っている。
とうとうこの時が来たかと思った矢先に、肝心な冥銭がない。これでは、衣類を剥ぎ取られてしまう。老人の汚い裸何ぞ見たところで何も面白くない。
ただ、先程から疑問がある。何故、視線だけしか動かせないのか。何故、会話は出来たのだろうか。先ずは動けるか試してみよう。
考えている間に、先程よりも岸が近付いてきた。逃げるわけではないが、罪人だと言われたのだ。相手が子供でも抗議をする為に、最低限動けるようにしなければ。
視界を動かせば回り始めるのならば、前に持っていく感覚で行けば。
造作もなく前に進む。ただ、前に行き過ぎると川に落ちてしまいそうになる。落ちても泳げばいいだろうが……。
――いや、待てよ? 考えてみよう。何故、視界と会話しか成立していないのか。その疑問を晴らす手段があるじゃないか。
視界を舟のへりまで進め、下を見る。三途の川とおぼしき川の水面に、答えがあった。
「――人魂じゃん」
青白い火の玉を水面が写す。これじゃ、冥銭はおろか剥ぎ取りもされやしない。なんだ昔得た知識は全部無駄か。だったら六文銭返せこの野郎。信仰心が欠如される理由は科学の発展だけじゃなく、こうした間違いを正解のまま貫き通した、ガムと共に紙にくるんでゴミ箱に捨てるべき信念を貫き死んだアホの奴等のせいに違いない。
怒りの矛先があらぬ方向へ飛んでいるが、暫くして落ち着き始める。生きていたら、誰かが否定してくれたのだが……。死ぬと、理解してくれている人がいないから、会話すら成立しない。
いざ死んでみると、寂しい事だな……。いや、まて。
罪人扱いされている現状がまだ解決していないじゃないか。多分だが、この川の先には閻魔大王がいる筈。
地蔵の化身と伝えられたから、地蔵さまには毎日毎日お礼をして、おはぎも用意していたのに。汚れていたら洗っていたのに、いざ死んでみたらまさかの罪人。
……まぁ、悪い事をしてないのかと聞かれたら黙るが……。
ここで考えても仕方ない。この子供に案内してもらおう。閻魔大王か……最後の話し相手だとしても申し分無いな。
▼
「これより、しゃいばんをはじめましゅ」
人魂は、今はない手で頭を抱えるイメージを持って、視線を床に落とす。浮いていた筈の人魂が床に落ち、魂の火柱にしては萎えてしまいへたっている。
今いる場所は、間違いがなければ閻魔大王がいる場所の筈。だが実際は、生前まで住んでいた家くらいの広さを持つ、一階建ての一軒家。
川岸に到着し、黒いローブを来た子供の後を追いかけた。といっても、川岸に到着して僅か一分で一軒家に到着した。
その時点で、閻魔大王に対する評価は引き下げられた。赤い顔をして何を告げられても、何も言うまいと悟った。
一軒家に入れば、入り口には玄関があり、下駄箱がある。廊下を浮きながら進むと左手に障子があり、中をつい見てしまった。
丸いテーブルがあり、茶箪笥があり、黒電話があった。更に驚いたのは、白黒テレビがあったのだ。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。電化製品の三種の神器と言われたこの三つ。家族の為にと無理して購入した日を思い出す。
白黒テレビなんかは、近所の人が毎日来るもんだから、毎日が賑やかだった。今や懐かしい、遠い記憶。
懐かしさを思い出した部屋とは別れ、更に奥の部屋へ。その部屋は、畳が十畳ほどあり、中央よりやや奥に机が置かれていた。その奥には子供がおり、現在に至る。
赤色を基調とした道服姿。頭には王と書かれた冠。手には笏が持たれている。
まさに想像通りの閻魔大王が目の前にいる。女の子の子供として。
「えっと……閻魔様」
「はい!」
元気よく返事してくれた。先程の子供より話が出来そうだ。希望はないが……。
「罪人として連れて来られましたが、どのような罪なのでしょうか?」
子供に聴く内容じゃないし、閻魔大王なのかすら怪しいのだが、本物の閻魔大王かと質問したところで、本物だと回答されるだろう。
それに、これは夢の可能性すら出てきた。ならば付き合おうじゃないか、この裁判を。
「あなたのつみは、おしごとばかりして、こどもとあそんであげなかったことでしゅ!」
……核心を貫かれた。人魂だが、人の姿をしていたら目を見開いていただろう。
当時、子供達を養う為に毎日のように働いた。子供達は近所の友達や、おじいちゃんやおばあちゃんに遊んでいただいていたから、家にいる時間といえば、朝と夜だけ。
子供が多ければ多いほど、お金が必要となるし、食料も必要だ。休みはほぼ無かっただろう。
そのせいか、子供達と遊ぶ事はなかった。よく反抗期にも、駄々をこねる事もなかったと思う反面、我慢させてきたんだなと思う。
それから数十年くらいして、後々に三種の神器と呼ばれる電気製品が誕生した。
この三種の神器の話だが、三種の神器の一つを買うにも、そう簡単に買える代物ではなかった。電化製品を扱う友人に、分割払いで毎月支払うという契約書と誓約書を作成し無理に購入したのだ。それが原因で毎日のように働き、家族と旅行すら行かなかった。
息子、娘が払うのを協力すると言ってきた時は口論したっけ。新しい家庭があるんだから、そっちに専念しろって言って、叩いたなぁ……。
小さい頃は勉強が出来なかったから、子供達には勉学をしてほしかったし、幸せな将来を築いてほしかった想いからの行動だったが、想いに気付かなかったのはこちらだったと気付いた時は、還暦を迎えた時だったっけ。
そうか……それが罪か。十分すぎるほどの罪だ。
人魂はゆっくりと浮き上がり、女の子を見る。
「私がその罪を償うには、何をすればいいでしょう、閻魔様」
「ちゃんと、こどものきもちをかんがえてください!」
子供の気持ちを考える。確かに考えはしなかったな……。だが、その子供達は、殆どが先に亡くなっている。
今さら行動したくても、遅い。
「その子供がいない場合はどうすればいいでしょう、閻魔様」
「うーん」
女の子が悩み始める。難しい質問だなと分かっている。だが、この子の回答が知りたい。
「あ!」
突然、女の子が声を出す。不安よりも期待が高いのは何故だろう。
「こどもになればいいよ!」
――思考が停止する瞬間を久し振りに味わった。何故、子供にならなければならないのか。子供の気持ちになるために子供になれと?
どのように思考が廻ったのか教えてほしい。結果だけ教えないでくれ。
「えっと、つまりはですよ? 閻魔様。子供に戻れという事ですか?」
「うん!」
非常にいい笑顔をする女の子に、停止した思考を動かし始める。ただ、一つだけ確認したい事がある。
「閻魔様、聞きたいことがあります」
「はい!」
「先程の回答ですと、過去に戻りやり直せると解釈――いや、子供に戻れると聞こえるんですが……」
「出来るよー」
両手を上に上げて答える。その回答に、再び思考が停止する。
「えっとねぇーえっとねぇー」
女の子が机の下に入ると、ゴソゴソと音を立てる。思考が中々始まらないため、ただ現状を見守るしかない。
暫くして女の子が顔を上げると、机の上に登り、軽くジャンプしてこちらに来た。やや道服が大きいのか引き摺っている。思いの外近づいてくるのでやや下がると、女の子が何かを広げ始める。
広げたのは、紙。何か模様があるわけではない白紙。やや大きな白紙だなとは思うが……。
「これに乗って!」
「――あ、はい」
やや間抜けな声が出たが、言われた通りに乗る。いや、浮かんでいるから乗れてはいないが。
中央部分で止まると、女の子が両手で下りるよう指示してくる。
――夢であると確定した方が良さそうだ。ただ、夢でも気付かされたのは間違いない。起きたら、どこかに出掛けよう。
「えっとぉ」
女の子が違う紙を見ている。紙の上にゆっくりと下り、何をするか見守る。ちゃんと子供の事を考えれば、こんな風に遊んでいたかもしれないな。贖罪ではないが、これが終われば、変わるかもしれない。
「おなまえは?」
何かの遊びだろうか。だったら乗ってみようかね。
「白濱 純」
「えっと……ねんれいは?」
「……それはなんの年齢で?」
「えっとねぇ、なりたいねんれいだって」
なりたい年齢。つまり零歳児から生前の年齢まで選べるって事か。そうだな……過去に戻るなら……。
「二十五がいいな」
この年齢から、子供達とは遊ばなくなり始めた。ある種の分岐点でもある年齢。うん、戻るならこの年齢だ。
「それじゃ……」
次は何が来るんだろう。変な質問でも答えるぞ、限度はあるけど。
「ほしいのうりょくは?」
欲しい、能力? 漠然とした質問だ。これは分かりにくいな……。
「どこまでなら大丈夫ですか?」
「わかんない」
「基準がないのは答えにく――欲しい時に貰うで」
「うーん……いろいろ?」
「まぁ近いですね」
「わかったぁ」
何が分かっても、こちらは分からないままである。子供の考えは不思議だなと、再認識する。
「おなじでいいや」
「――何がでしょう?」
しまった、聞き逃した。違う、この子自己解決したぞ。何故だろう、娘が1人で買い物をするのを後から見守っていた時のドキドキ感がある、新鮮。
「とう!」
女の子が紙を捨て、笏を両手で持って上に掲げる。人魂がゆっくりと紙の上に下りる。
「てんしょーー!」
女の子が、今までの中で一番元気よく声を出す。直後、人魂が乗っている紙が光り出す。
夢であるに違いない、これが終わればベッドの上だ。が、拭えないドキドキと不安がある。これは逃げた方がいいかもしれない。即決断、行動開始。
人魂が後ろに移動し始めるが、何かに当たり、跳ね返る。
「ざいにんしゃんはにげちゃだめ!」
何かに当たった正体は、ここまで案内してくれた男の子だ。
「ちょ!?」
「こどもとあそばないおとなは、ばつをうけりゅのだー!」
「だー!」
光っている紙から、光の紐が出現、人魂を拘束する。
ヤバい気がする。生前老人でも若者と共に生きてきたから言わせてほしい。チョーヤバい気がする。夢の筈なのに、なんだこの、焼けるような感覚。
逃げたくても逃げれない状況に追い込まれている中、家の扉が開かれ、誰かが入り走る足音が響く。
「お前達! 今度の悪戯はなんだ!」
今いる部屋に、1人の男性が飛び込む。
「あ、パパ!」
「パパだパパだ!」
2人の子供が男性を見るや否や、パパと言い出した。イケメンなパパだなぁ。
パパの服装は、赤色を基調とした道服姿。頭には王と書かれた冠。右手には笏が持たれている。
いや、待て。待て待て。
「――閻魔大王?」
「げ!? 白濱さん!? お前ら何をしてるんだ!」
「パパ!」
「パパー!」
2人がパパに向かって走り、足に抱き付く。それと同時に、光が歪み始め、人魂が光と合わせて歪みだす。
視界が歪んでいるのを確認し、パパを見る。
「――夢だから大丈夫?」
「夢じゃないよ!? 白濱さん老衰による自然死、大往生したんですよ!」
あ、大往生したのか。老衰による自然死、家族も納得してくれる最後になっただろうな。つまり。
「罪人じゃなかったか。よかった」
人魂が納得するが、パパが笏を懐に入れて、子供2人を足に引っ付けながら人魂に両手を伸ばす。あ、これ助けるパターンというやつでは?
「白濱さん!」
パパが人魂に触れようとするが、その前に、人魂が光と共に弾ける。弾けた後に、人魂があった場所を両手が空を切る。
その結果に、パパは顔を青白くさせてしまう。やってはいけない事をさせてしまった。
▼▼▼
仲間が倒される。人間に、また倒される。単にそれは、私達種族が弱いから。
私達の存在は、多分だが、食物連鎖にも該当されないだろう。食べれるわけでもない、それ以前に美味しいわけでもない。人間の経験値を上げるだけの存在。
他の種族からも脆弱扱いされ戦力として数えられていない。ただ数が多いだけの種族。皮肉に言えば、人間の最初の練習相手でしかない。
「間違ってる」
力強く言葉にするのは、丸い物体。大きさ三十センチ程はある空色の丸い物体は、森の中を跳ね進んでいる。
舗装されておらず、獣道でもない。だが、昔から通っている私道だ。木々の間を通り、叢を飛び越え、時には叢に突っ込む。そうやって私達は、逃げるための知識と経験を積んできた。
「逃げるだけじゃ駄目だ!」
先程より強く発言し、力強く飛び上がる。一際大きな叢を飛び越すと、一つの大きな建物が見える。かつて人間が使っていた建物だが、今は私達が利用している家。
周りは木々や叢があり、廃屋となってしまっているが、私達にとってはありがたい家であり安らぎの場所だ。
何に使っていた建物なのか分からないが、人間に聞こうとしても、向こうからすれば私達は害、もしくは的でしかない。簡単に言えば敵である。
「お。お帰り」
丸い物体が建物の入り口である扉で止まる。扉は二つあり、左右どちらからでも開ける事が出来る構造。その左右に、四十センチ程はある空色の丸い物体が、番兵のように扉の前にいる。
「村長はいるか?」
「いつもの場所にいるよ。何かあったのか?」
「何かある前にするんだ」
「お前も諦めないなぁ」
「諦める? 私達の今後を左右する事だ。通る」
二つの丸い物体が、扉に向けて跳ねる。扉が開かれるのを確認すると、直ぐ様跳び跳ねる。
「毎日毎日、苦労してるよなぁ」
「言いたい事は分かるけど、俺達には到底叶わない夢だよ」
「そうだよな」
二つの丸い物体の声が聞こえたが、口出しせずに目的の場所へと向かう。
中は広々としており、殆どが朽ちたテーブルと椅子がある。同じ姿の物体がいるが、大きさはバラバラ。
皆同じに見えるが、雄と雌がちゃんとおり、子供もいる。人間や他の種族からすれば、どれも同じと見るだろう。だが、皆同じではない。性別も性格も違う、大きさも違うのだ。
「変わらなければならないのだ」
今いる部屋の一番端に入り口がある。そこを通過すると、長い廊下といくつもの扉がある。目指すのは一番奥の部屋、そこに村長がいる。
「村長!」
一番奥の部屋には扉はないため、跳び跳ねながら入室する。
「はぁ、また来たのか……」
入った部屋には、ベッドが一つだけ。ただ、この部屋にしかベッドがない。人間サイズだからか、私達からすれば巨大な寝床にしか見えない。
そのベッドの上に村長がいる。力強く飛び、ベッドの上に着地する。
村長は同じくらいの大きさだが、やや色が茶色く濁っている。話によると、過去に人間との大きな戦いがあったらしく、若い頃はその戦いに強制的に、戦禍に放り出されたらしい。
色が茶色く濁り始めたのは、洞窟の中での戦い。長くいたせいか、気づいたら濁っていたそうだ。
原因は分からないが、戦いの中で得た苦い思い出の痕、と村長がよく言っていた。
「村長、昨日の続きに来ました」
「何度も言うが、変化など求めてはならん。今のまま、平和に暮らせれば良い」
「いえ、村長。今のままでは、私達の境遇は変わりません! 他の種族には見下され、人間には的扱い。毎日のように仲間が倒されています。この現状を変えるには、変化が必要です!」
村長は、自分より若い者の話を聞く。この若者が言いたい事は分かる。今まで虐げられてきた自分達を変えようとしているのも分かる。
変われるのならば変わりたい。が、これだけは先に言わなければならない。
「一応聞くが、いいか?」
「はい、なんでしょう」
「自分達の種族は、なんだ?」
村長が軽く体を揺らしながら聞く。若者も軽く体を揺らす。
「スライムです」
分かりきった回答に村長は深いため息をする。
この世界には大きく分けて、二つの存在がいる。人間と人外。過去に何回も戦争をし、人間が討伐しに来たり、逆にこちらから攻めたりと、現在も勢力争いの戦いが起きている。
その戦いで最も恐ろしい人間がいる。それは、勇者と呼ばれる人間である。
勇者は聖なる魔法を駆使し、人外の王へ戦いを挑み勝利してきた。だが、人間側からみれば、人外の王こそ、最も恐ろしい存在である。
それぞれの種族には王がおり、王の名を持つものが、その種族最強とも言える。その王がこの世界に多数存在し、各領土を治めている。
人間にも、勇者以外にも強い人間がいる。魔法を扱う者、信仰を扱う者、あらゆる武器を使いこなす者。
この世界は、非常に微妙なバランスを保っているのだ。
その中で、人間にも人外にも低く見られている種族がある。それがスライムだ。
魔法が使えるわけでも、武器が使えるわけでもない、ただの経験値か練習台。そんな扱いをされ続けてきたスライム達は、その事実を受け止めている。
だが、中には反発するスライムがいる。この若者スライムのようなスライムが、主に反発グループに入る。
ただ止めはしない。無理だと分かっているからこそ、止めない。
スライムは寿命以外では死なない。そこだけが唯一、人間と人外の中で秀でている所だろう。ただ、それをいかせないのだ。
「変化などしない。自分が若い頃も変化を望んだ。だが、叶わなかった」
「やり方が違うのではないですか? 力を付ける方法が間違いなだけでは?」
「そうだと思いたいが、この体から脱しない限り、自分達に変化など起きない」
村長は若者を見ながら言う。過去に何度も試みた。当時共に生きたスライムも、違う地域に行き挑戦したが、代わりはしなかった。
ただ分かったのは、違う地域に行ったスライムは、体の色が変化するということだけ。他に特色した事はない。
「外は無理でも中はどうですか?」
「残念だが、中はより無理だ」
スライムの中身は、実は解明されていない。過去に解明しようとしたスライムがいたが、憶測の域を出なかった。
人間や人外は、スライムに興味すら持たない。いや、研究はしたのだろう。何せ寿命以外では死なないのだ、過去に研究されただろう。それでも、解明されなかったのだ。
「諦めるんだ。何をしても無駄なのだと割り切る、大事な事だ」
村長のこの言葉に、黙る。いや、この言葉は何度も聞いた。聞いたからこそ分かる。話は終わりだ、という事だと。
「……また来ます」
若者は軽く体をへこませ、元に戻す。振り返りベッドから下り、跳ねながら部屋から出ていく。
村長は小さきため息をする。
「気持ちは理解出来るが、無駄なことはすればする程、気持ちが崩れ始める……か」
自分もそうだった。何を言われてもへこたれずに頑張った時期があった。だが、結果は変わらない。変えたくても変えられない。
「崩れても、傍にいてやろう。それが自分に出来る事だ」
▼
若者は直ぐ様建物から出ていき、跳び跳ね進む。
「現状を変えたい意思が欠落しているからそうなるんだ! 私は諦めないぞ!」
今回の会話は短かった。当初は今よりも長かったのに、今では僅かな会話で切られてしまう。それは、諦めろという意思表示でもある。
頭の中で、何度も復唱する。変わらなければ、変わらなければ。
だが、当初よりも意思が欠落している事実はある。自分なりに頑張ってみたが、結果は変わらなかった。今では口だけのスライムになりつつある。
「もう、気持ちが限界なのか?」
ある叢を跳び跳ねると、広く空いた場所に出る。そこは、湖があった。この一帯では一番大きな湖。湖には空が反射し、水面に雲があるかのようき見える。
奥の湖岸には、こことは反対にある森林があり、水面がその森林を写す。ここには人間が滅多に来ないが、違う種族が近くに住んでいる。
ゴブリン。戦闘能力は高くないが、人間と同じように武器が使えるのが特徴。ただ、体格は細い。集団戦術を軸に戦う、人間からすれば、一人では相手にしたくないゴブリン種だ。
別の場所にゴブリンの王がいるが、ここにいるゴブリンは見回りのような者達だ。見回りでも、スライムが束になっても勝てない相手。いや、戦いにすらならない。
スライムはただ、平凡に暮らすのがいいのかも知れない。
若者スライムが湖岸まで跳び跳ね、止まる。明日を最後にしようかと考える。ふと、遠くの方で何かが聞こえ始める。だが、若者は無視をする。
何かが聞こえるのはしょっちゅうだ。今さら――。
「―――!?」
声が聞こえた。それも、何かに殺られたような声。若者は、声のする方向を見る。それは、今いる場所の斜め前。その場所を凝視する。
「―――!」
声が近づいてくる。ただ近づくだけではない、何かが打ち付けられる音と奇声が混じっている。
「―――!?」
近づいてきた、そして分かった。奇声を上げているのはゴブリンだ。そして打ち付けられているのも、ゴブリンだ。
奇声の後に打ち付けられ奇声が消える。誰かに殺されているんだ!
「こっちに来ている……」
すぐ傍まで来た。そこで、一つの音を聞く。
それは、骨が折れる音。それも太い骨が折れたような。
何が折れたのか考える前に、何かが叢を退かして、湖に現れた。
「ったく、あいつらしつけぇな。人の事を食おうとしやがって」
現れたのは――オーク? いや、オークにしては肌が白い。お腹が出ているからトロルか? いや、トロルでもない。ただ分かるのは、体に血が付着していることだけ。
「お、体洗えるじゃん、ラッキー」
現れたそれは雄であると判断出来る。着ているのは下半身に巻いている茶色い布のみ。まさかゴブリン?
「ここは何処なんですかパパさん。まぁ返事はないか……」
雄は両足が水に浸かる所まで来ると、その場で座る。そして体に付着した血を洗い流し始めた。
「冷てぇ」
雄が発する言葉に違和感がある。先程、らっきぃと言っていたが、どういう意味なのだろう。
若者のスライムは、好奇心からか、雄に近づく。雄は体を洗うのに夢中なのか、こちらに気づかない。攻撃をすれば倒せるだろうか……。いや、無理だ。きっとゴブリンを殺してきたのだろう。それも、集団相手に。
戦闘能力は高くないが、集団で戦うゴブリン。それは人間から見れば、一人で戦いたくはない相手だ。
そのゴブリンを集団相手に、しかも武器無しで倒してきたとなれば、勝てる保証などない。
若者のスライムは思いっきり跳び跳ね、雄の前に落ちる。
落ちる音と水飛沫が雄に届く。雄は驚く事なくこちらを見る。そして若者は雄の顔を見て、小さく驚く。細い目に肉が付いている顔に、黒の短髪。その雄は――。
「人間?」
「……スライム?」
▼
今から数刻前。白濱 純は、縄で両手両足を拘束されている状況を、分からないでいる。
現在いるこの場所は、何処かの洞窟の中だと推測する。推測する理由として、いる場所の湿度が高く感じられるのと、音の反響が普通じゃない。それ以前に、道を松明で照らしたり、広くなっている場所に篝火を使ってるから、中の構造が分かる。
弱音を吐くのならば、太っている自分のせいで、余計に汗が出る。ただ、太っている事実に驚いてはいる。
生前はガリガリで、汗なんて余り出なかった。だが、今は汗だく。脂肪が帰ってきたんだ、そっかぁ帰れ!
話を戻す。現在は洞窟の中で拘束されており、端に横向きで置かれている状態。そして前には数人の……なんか小さい怪物が六体。曾孫がやっていたゲームに、あんなのがいたなぁ。いや、息子もしていたか。確か……ゴブリンだ。リアルだと迫力あるなぁ。
「―――」
「―――」
多分、会話をしているのだろう。食べる相談か? 真上には人間の骨が幾つもあるから、多分食べるんだろうな。
食べるのはこの際いいとしよう。ただ、パンツだけは欲しい。その腰に巻いている布をくださいゴブリンさん。あ、衛生上悪そうだからいいや……。
などと考えていた、二体がこちらを見る。あ、これは食べられる。さっきは食べるのはいいって思ったけど訂正します。食べないで!
「まずは叩いて気絶させてから腹を裂く?」
「生きたまま吊るして裂く方が新鮮?」
「両方だ両方!」
「両方は無理だバカ」
「食べよう食べよう」
「腹へったった」
……なんだこいつら。想像していたゴブリンよりアホっぽいぞ。これゴブリンじゃない、うん、エセゴブリンだ。いや、そうじゃない。今のこの状況が何なのか説明してほしい。
手首と足首に縄が巻かれている状態。脱出は不可能――。
「――あれ?」
両手を軽く動かすだけで、縄が緩んだ。両足も、動かしたら簡単に緩む。まだエセゴブリンは気付いていない。とりあえず――。
「――」
純が宙を見て、疑問の顔をする。数秒後、何かを理解し、小さくため息をする。
「吊るせ吊るせ」
エセゴブリン一体が、純の足を拘束している紐を引っ張ると、スルスルと抜ける。
「き!?」
「はいよ」
驚いたエセゴブリンに向けて蹴りを放つ。が、蹴りはエセゴブリンの頭上を通り過ぎるが、踵をエセゴブリンの後ろ首に当てて、体を起こすと同時に足を引き、エセゴブリン一体を無理矢理前に倒す。
他のエセゴブリン五体は、突然の行動に驚き、動かない。そうしている間にも、純は蟹挟をエセゴブリンの首に仕掛ける。他のエセゴブリン達からは見えないが、純には見える。
両手でエセゴブリンの顔を掴み、顔を奥に捻る。
「ゴクァ――」
聞いたことのない声が、エセゴブリンの口から聞こえた。他のエセゴブリンは、動かない。
純はエセゴブリンの首を、百八十度回した。それだけ、それだけでエセゴブリン一体は死んだ。
「数十年ぶりにやったけど、上手くいくもんだな」
純は自分の声を聞く。簡単に考えよう、今は二十五歳の男であると、うん。そして今現在は殺されそうになっている、うん。つまりは――。
「殺られる前に殺れ。昔はそれが当然だったんだぞ?」
純がゆっくりと立ち上がり、体を動かし始める、エセゴブリン五体が下がり、振り返って武器が置いてある反対側の端まで走り出す。
エセゴブリンが武器を掴むが、掴んだエセゴブリンは四体。一体がいない。
「全員振り返ったら駄目だろ、ったく」
後ろから四体の足に何かが直撃し、後ろへと倒れる。倒れた四体のうち、一番端のエセゴブリンが前を、天井を見る。見た先には純がいた。右手に、足りなかった仲間の足を掴んでいる。その仲間の首が捻れている。先程の足払いは、仲間で思い切り払ったからだと――。
「よいしょっと」
純が右足をエセゴブリンの顔に乗せると同時に、踏み潰す。声はしなかったが、体が痙攣しているのが分かる。倒れたエセゴブリン達は動かない。いや、動けないでいる。
それもそうだ。数十秒前まで一緒にいた三人が、今は絶命している。それも、たった一人の人間に。いとも容易く殺される現実に、三体のゴブリンは震える。
そんな感情のゴブリン達とは対照的に、純は三体のゴブリン達を見ながらため息をする。先程の疑問の顔と小さいため息、この二つをした理由。
「このゲームをクリアするまで帰れないか。あの子達、やってくれる」
両手と両足の縄が緩んだ時、エセゴブリ達の頭の上に、平仮名で書かれていた。
げぇむをくりあしたら、つみはなくなります。
最初に疑問の顔をしたのは、横になりながら見たため。平仮名で横書きされたのを、そのまま縦で読んだから。
すまりなくなはみつ、らたしありくをむぇげ。うん、意味が分からない。すぐに逆から読んで正解だった。ただ、あの二人の子供は叱らなければならない。まぁ、パパが叱ってくれただろう。
だからすぐに分かった。これは、最大級の悪戯だと。ならば、このエセゴブリン達の説明が付く。子供が設定したんだアホっぽいモンスターになっても当然だ。
ただ、このエセゴブリンの首を捻った時の感触、駆け出した五体の内の一体のエセゴブリンの首を捻り、足払いの道具にした時の感触、そして踏み潰した時の感触が、凄いリアルだと感じた。そこは流石の閻魔大王の子供だと称賛しよう。クリアして戻ったら怒るけどな。
「悪趣味な悪戯だ」
右手で持っているゴブリンを適当に投げ捨て、踏んだ足を持ち上げ、壁際を見て歩く。三体のゴブリンはまだ動かない。
……十秒経っても、なにもしない。一体が確認をするため、起き上がる。
「せい!」
ゴブリンの起き上がりを、純は石斧で首に向けて水平に攻撃すると、ゴブリンの首が飛ぶ。流れで倒れているゴブリンの首に向けて振り落とし切断する。
奇声を出さなかったが、残り一体のゴブリンは、真横で殺された仲間を見ていた。横にいたゴブリンの顔がこちらを見る。
「――――――!!」
奇声を上げる。いや、仲間に知らせたのだ。仲間を殺した人間がここにいるぞと。誰かこの人間を殺してく――。
「煩い」
最後のゴブリンの顔が踏み潰される。純は、下を見ずに歩き始める。
「今のでエセゴブリン達が集まってくるな」
松明の光が道を教えてくれる。その道に、木のバケツと布を見つける。木のバケツには水が入っており、布は折り畳まれて地面に置かれている。
「近くに水があるのか? だとすれば、そこに向かおう。間違いなければ、今の姿は二十五歳の頃の筈だ」
布は比較的綺麗な布だが、やや小さい。四枚を一枚になるように結び腰に巻く。
水は汲んできたばかりなのか澄んでいた。まぁ、手と足の汚れを落としたら一気に汚染水になったが。
「さて、今はチュートリアルって所かな。次は洞窟からの脱出。そしてオープニングへ。初めてやったロールプレイングゲームはオープニングが長かったっけ」
汚れを落とし、木のバケツを持って捨てる。バケツが壊れる音と、水が溢れる音が響くと、ゴブリンと思われる集団の足音が近付いてくる。
「オープニングは、外の世界で」
▼
その後、ゴブリン達を力の限り壊しながら、湖へと到着。体を洗い流している最中にスライムと出会った。
「ゴブリンを素手で倒したのか!?」
「そう。あのエセゴブリン達はお陀仏だ。もう、天国行けねぇな……」
「ひ、一人でか?」
「一人。仲間はいないよ、まだ始まったばかりだし」
「……人間か?」
「スライムに言われると疑問になるな」
一人と一体は、湖岸に座って会話をしている。本来であれば、人間と人外は相容れない関係。殺すか殺されるかの関係だが、そんな世界の常識を知らぬ純には関係がない。スライムも、種族最弱と言われているからこそ、当てはまらない。相容れるのは必然だった。
「そうだ、名前を教えてほしい、人間!」
「……それ、変な契約的なの発生するか?」
「私は悪魔ではない!」
「だったら、先に名前を名乗ってくれ」
「な……名前は、ない」
先程まで興奮していたが、名前の事となると急に大人しくなる。
「名前を持つものは、王に選ばれた者だけだ」
「――王?」
そんな奴がいるのか。つまり、その王を倒せば、ゲームクリアって事か。
「私達には王がいない。だから、名前をつけてもらえないんだ」
「ちょっと待って。王って、複数いるのか?」
「知らないのか? 人間の世界でも常識だぞ?」
「いやぶっちゃけ、この世界の人間じゃないから、そんな常識知らない」
純の言葉に、スライムが縦に伸びる。多分驚いているんだろう。
「この世界の事を教えてくれ」
「――じゃ、じゃじゃじゃ、私の質問にも答えてくれるか!?」
元に戻ると、体を震わしながら近付いて――いや、上半身の半分辺りまでが飲み込まれる。意外と柔らかいんだな、スライムって。あとちょっとでかい
「情報交換だろ、いいよ」
この世界は、現在六割が人外達の住む領土、もしくは王が治めており、人間は三割を治めている。残り一割は不可侵地帯となっている。
人外の王の数は把握出来ていないが、少なくとも十の王がいるらしい。
魔王、竜王、天王、海王、獣王、蜂王、巨人王、闇王、光王、そして死王。この十の王は昔から存在する王らしい。
魔王は魔物の王様だから、竜も獣も魔物じゃないのかと聞いたら、どうやら微妙に違うらしい。所謂、素があるとか。
元素、これが世界の素の総称らしい。この素は、種族によって変化する。魔物が溜めれば魔素、魔力とも言う。竜が溜めれば竜素、獣が溜めれば獣素と変化する。
先程の魔物の意味だが、その魔素の塊が魔物というらしい。つまり、最初から個体で存在する人外は、魔物ではないという。産まれ方が個体か素の固体化かの違いらしい。
統治に話を戻すが、残り一割の不可侵地帯とは、人間、人外共に入る事が許されない場所らしい。
有り体に言えば、天使がいるんだとか。その天使はどちらの味方ではないらしい、中立の立場にある。その天使がいるとされる場所は、地球で言えば、北極あたりだそうだ。
天使だけは情報があまりないため、人間と人外の領土の説明に入る。
領土の分けられ方だが、結構ばらつきがあった。要は、人外同士でも、領土争いをしているかららしい。なぜ同じ種族同士が争うのか。それは、王を作るため。
王はある程度の領土を治め、他の王に認められれば、王を名乗れるらしい。ゴブリンにも王がいるらしいが、王を名乗る程なのかと聞いた。
答えは単純だった。その王とは、前の王の跡継ぎであるゴブリンだとか。非常に分り易い。更に副王という王の次に偉いのがいるらしい。ややこしい上に意味が分からない分け方をする。この副王も複数いるという話だから余計に意味が分からない。
……そういう世界なのだろうと理解する事にした。
次は人間だが、人間は比較的大人しいようだ。人間同士の争いもないらしい。
嘘臭いが、詳しくは聞かないことにする。そしてここで出るのが、戦える者達の話だ。
勇者は勿論、魔法使い、僧侶、そして肉体を駆使して戦う戦士や騎士といった者達だ。
魔法使いは様々な種類に分かれるらしいが、修行によって元素を取り込み、それぞれの素に変換させて扱う者達だ。それにより、人間でも魔法が使えるという。修行次第では、王クラスになるとか。現に、過去に戦った人間の中には、王に匹敵する者もいたらしい。
次に、僧侶。これは神具と呼ばれる武器に祈り、つまり信仰を注ぐことにより、治癒系統の力を使用出来るらしい。なぜ神具があるのか、それは分からないとの事。ただ確実なのは、僧侶の力は、天使の力と同じとの事。納得した。
信仰とはまさに、神に対する祈り。天使は神の使いとされているし、人間が信仰しても微笑む連中だろう。
次に肉体を駆使して戦う者達。これは聞かなくても分かる。兵や戦士、騎士、狩人といった、身体能力で戦う者達だろう。力任せもいるが、達人級ともなれば、魔法を技術で防ぐことも出来るだろう。
そして最後に、勇者。勇者の持つ力は、神託らしい。元素を取り込み、魔素にしたり竜素にしたりと、訓練次第によるが、あらゆる素を扱え、信仰を使い、神の武器や防具を使用する事が出来る、人外の天敵。
過去に勇者によって、多くの王が死んだらしい。ただ、勇者も死ぬことがあるため、勝てない相手ではないとの事。
この世界の簡単な勢力図だが、人外に関して言えば、一番大きいのは魔王の勢力らしい。個として最強なのは竜王だが、何分戦力に差があるとか。
あとは分からないとのこと。まぁ、ここは辺境らしいし、スライムとは縁がないのだろう、仕方ない。
「辺境といっても、人間が住む場所と、人外が住む場所の丁度中間あたりだ」
若者のスライムが、現在の場所の大まかな説明をしてくれた。つまり、あの洞窟の骨は、そういう意味だったのか。つまり、最前線か?
「いや、人間世界でもここは辺境。さっき説明した天使達のいる場所の丁度反対にある」
「あ、そうなの。ならなんでゴブリンがいるんだ?」
「いつここを攻め落とされるか分からないからな。少しでも対応したいんだろうね」
なるほどな。意外としっかりとした世界観だな。
「もう質問は終わったか?」
スライムがそわそわしている。余程聞きたかったのだろう。
「終わったよ。質問どうぞ」
「じぁあじぁあ、人間の元居た世界はどんな世界だ!?」
純自体、歴史を全て知っているわけではない。それに、年数が進むにつれ、歴史は変化している。だから答えられる範囲まで話した。
スライムは感心していた。多分、知識欲が強いのだろう。だが、スライムはある疑問を持つ。
「人間は、戦争には参加しなかったのか?」
「したよ。遠い過去だけど、参加した。いやさせられたって言えばいいかな」
徴兵令なぞがあった時代だが、該当はしなかった。当時、体格はよかったが精神的に適してはないと判断され、一度は免れた。
が、ある事が耳に入り、強制的に集められた。多分だが、当時の報告書や記録書には載っていない案件。
「人間には、何があったんだ?」
「まぁ簡単に言えば、戦う力があった。難しく言うなら、殺害に対しての躊躇いの無さと、相手に対する認識の違いから来る殺害。一度免れた部分は、ようは思考の違いだ」
白濱家の家訓は、自由であれ、どんな風に育ってもいい、元気ならそれでい、だ。どんなに歪んでも、犯罪者になろうとも構わない。元気でいるなら。
要約すれば放任、教育放棄。明らかに適当な家訓だ。けど、白濱家はそうやって生きてきたらしい。まぁ、年齢が八歳になって暫くしてから親は消え、一人で生活してたが。
「酷い両親だな」
「まぁな。けど気にしちゃいなかったよ、生きる術は叩き込まれたからな。そのおかげか、長生きさせてもらった」
「長生き? まだ若いじゃないか」
「一度死んで年齢設定されて蘇りしたんだよ。子供の悪戯でな」
「凄い経験じゃないか!」
「経験で済ますな」
スライムの体にチョップする。プルンと跳ね返された。柔らかい体なことで。
「それで人間は、戦争では功績を残したのか?」
「ねぇよ。行って戦争をちょいと参加して、やっぱり不要とされて帰されただけだ」
純がため息をする。あまり思い出したくないのかも知れないと、スライムは自分の心に楔を刺す。
「人間は、どうやってゴブリンを倒したんだ?」
一番聞きたい事を聞く。人間がゴブリンを倒す事は不可能ではない。だが、それは一対一の場合。基本ゴブリンは集団行動をとり、敵と遭遇した場合は連携で敵を撃破する。
弱いからこその集団行動、弱いからこその連携と援護。ゴブリン達の中にある戦いの根元でもある。故に、個人戦となると途端に弱くなる。集団行動と連携、援護があるからこそ戦いに勝てるのであり、一対一では、単体の実力になってしまうからだ。それでも、一対一で勝てる時は勝てる。相手が余程弱いか、地形をいかせるかだが。
ただ、目の前にいる人間は、仲間がいなければ武器、防具すら着用していない裸で対処したという。人外相手に丸腰で挑み勝利したなど、余程の実力者でなければ、集団ゴブリンを退かすのは難しい筈だ。それ以前に、死ぬ可能性が高い。なのに何故?
「長年戦ってきた経験からって言えばいいのかねぇ。色んな武術を参考に作られた独自の武術で倒したって言えばいいのかな」
「武術? 人間の中で、武器を使用せずに戦う者がいる。けど、その武術とやらで、ゴブリンを倒したのか?」
スライムの疑問の言葉に、純は小さな疑問が頭に浮かぶ。
「質問を質問で返すが、素手で戦う人間はいないのか?」
「戦う人間はいるが、その武術とやらで戦う人間はいないと思うぞ? 私は知識と話でしか知らないが、大抵は武器を使用する」
「手に武器を装備しての近接戦闘はないのか?」
「私達スライムやゴブリンといった比較的小さく弱いのならあるだろうが、人間でいう近接戦闘は、武器を使用しての近接戦闘だ」
……ゲーム知識だったか。翌々考えればそうだな。素手で怪物に勝てるなんてのは、本来は出来やしないのかも知れない。
ゲームだと武術家という職業があったし、他の職業でも、メリケンとかグローブを装備すれば戦える。だが、この世界では常識はずれの考えなのかも知れないな。
「人間の元居た世界は、素手で人外と戦えたのか?」
「人間同士でも武器は使用してた。ただ、護身術として武術を習うことはある」
「護身術?」
「身を護る為の術だ。つっても、逃げるための術だがな」
今は防犯グッズがあるからいいが、護身術を身に付けた方が、自分を護れる確率を上げれると思うんだが、と個人的に考える。
「逃げる事で生存率を上げるのか、成る程」
「さっきの質問に答えるよ。確かに俺は武術を使用してゴブリンを倒した。というか殺した」
「そうだそれだ! どんな武術? なんて名前だ?」
体をプルプル震わせながら質問してくる。
「白濱流」
「し、しらはま……りゅう?」
スライムの疑問。まぁそうなるだろうな。
「家の家系、白濱家に伝わる武術だってよ。それでゴブリンを殺したんだ」
「す、凄い武術なのか?」
「所謂、殺人術には違いないだろうが凄くはないな。こっちとしては、相手がモンスターでも通用してよかったって気持ちだよ」
「……モンスター?」
「あぁー、怪物って意味だ」
「ほうほう、怪物というのをモンスターと呼ぶのか」
「あとは、怪物の様な人間とかにも使うな」
スライムが体を揺らし続ける。犬よりも分かりやすい好奇心旺盛なスライムだな。そういえば、この人外と言われるモンスター達は喋れるんだな、と今になって疑問に感じる。
どんな言語かも分からない、そもそも人の言葉ではない可能性だってあった筈だ。だが、ゴブリン達も、このスライムも会話が出来ている。まぁ少なくとも、日本語ではないだろうが。
だとしたら、会話している言葉は日本語ではないという事になるが、ここはあの子供達の作った世界なのだろう。言語設定も適当に違いない。
閻魔パパも大変だなと思うが、育成は総じて大変なのは当たり前と思う。クリアしたら、怒りはしないが注意は言ってやろう。パパ成り立てだろうし
「ううむ。人間は他の人間と違う考えを持っているんだな」
「同じ人間なんていないよ。多少はいるかも知れないけど」
スライムが小刻みに揺れる。揺れる度に水が波打っている。考えているのだろうか。だとすれば、人間でいう貧乏揺すりってやつだなと思う。
「――そうだ! 私の家に来ないか? 人間の未知なる知識で、私の手伝いをしてほしい!」
揺れが収まったと同時のスライムの唐突な提案。だが、純は考えた。現在の状況は、多分だが非常に厄介な事なのでは、と。理由としては、見回りのゴブリン達を殺したことだ。数体ほど逃がしたか残したかは分からないが、洞窟から出て、真っ直ぐここまで来た。他のゴブリンなんかは気に留めなかったが、それなりにまずい事をした気がしてならない。
このスライムの話では、ゴブリンには王がおり、副王とやらがいるようだ。少し厄介な事になりそうだ。なら、少しでも情報がほしいところ。話は通じるし害はなさそうだ。それに、こんな会話が出来る相手なら、暇にはならないだろう
お喋り人間ではないが、砕けた会話は嫌いじゃない。むしろ、そういう会話しかしてこなかった。偉そうな奴とは基本的に仲が悪かったのは言うまでもない。
この世界の情報と、これからの事を考えなければならない。早く、このゲームをクリアしなければな。
「寝床はあるのか?」
「安心してくれ、私が住んでいる家は、昔人間が使ってた家なんだ。まぁ、使ってない部屋は掃除をしていないが……」
「寝床があり屋根があるならいいよ。後は服だな」
「ここに来た時は着てなかったのか?」
「残念ながら。まぁ、それは後でいいか。とりあえず君の家に行こう」
純が立ち上がり、体を伸ばす。スライムは純の足に引っ付くと、足から体に向けて這い登り始める。
「まだ人間の名前を聞いてなかった。なんて名前だ?」
あぁ、まだ言ってなかったな。これからちょいだけ厄介になるし、意地悪は無しだな。
「儂の名前は白濱 純だ」
「……わし?」
「そこをつつくな。儂が歩くから道を教えてくれ」
純が湖岸から離れ、スライムの言う通りに森の中へ歩き進む。
この一人と一体の出会いが後々に、世界で驚異の存在として表舞台に出るとは、本人達でさえ、また分からない。