遅刻だね
昼下がりの光が、薄くかすれたカーテン越しに部屋へ差し込んでいた。
蝉の声はすでに弱々しく、窓の外の街路樹は夏の名残を抱えながらも、秋へと引き渡す準備をしているように見えた。
彼はソファに横たわり、目を覚ましたばかりの頭を抱えていた。
つい先ほどまで夢を見ていたことだけは覚えている。
それがどんな夢だったのか、なかなかはっきりとは思い出せない。
ただ胸の奥にじんわりと温かい感触が残っていて、その感触をたぐるたびに、どうしようもなく懐かしい顔が脳裏をかすめる。
彼女のことだ。
昔、自分にとって世界のすべてだった少女。
まだ大学に通っていた頃、一緒に笑い、一緒にくだらない話をして、そして何より自分を正直にさせてくれた唯一の存在。
彼女が突然この世からいなくなった日から、もう何年も経つ。
それでも時折、夢の中では当たり前のように彼女がそこにいて、声をかけてくれる。
まるで失われた時間なんて存在しなかったみたいに。
目覚めた後、その余韻はすぐに霧散してしまう。
今日もそうだった。
起き上がって冷たい水を口に含むまで、夢の内容すら曖昧になっていた。
けれど、たしかに彼女と「話していた」という感覚だけは残っている。
言葉は思い出せない。
けれど、その一瞬が幸せであったことだけは間違いないのだ。
彼は苦笑しながら天井を仰いだ。
なぜこんなにも遅いのだろう、と。
お盆の期間が過ぎ、世間が日常へと戻っていく中で、ようやく彼女の影が夢に現れる。
いつもそうだ。
季節の区切りを過ぎた頃、取り残された自分の心に、彼女はひょいと顔を覗かせる。
まるで「忘れていないか」と確かめるように。
彼は窓を開け放ち、じっと外を見つめた。
どこか遠くから、子どもたちの遊ぶ声が聞こえてくる。
その声は彼に、かつて二人で過ごした夏の午後を思い出させた。
くだらないやりとり、どうでもいい絵文字、眠気混じりのやさしい声。
全てが失われ、もう二度と戻らないのに、夢の中ではあまりにも自然に彼女がそこにいて、彼を迎えてくれる。
それは幸せだ。
けれど同時に、目覚めてからの喪失感が、容赦なく胸を締めつける。
彼は深く息を吐き、掌で顔を覆った。
──君はいつも遅い。
そう心の中でつぶやきながら、彼は夢の残り香に縋るように、ただ静かにまぶたを閉じた。
彼女の声は、まだそこにいる気がしてならなかった。