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夜会の帰り道、馬車の中で私は興奮を抑えきれずにいた。
隣でゆったりと座る父は、すでに満足げな顔で微睡んでいる。私はというと、あの謎の男性の存在が、気になって仕方がなかった。
「お父様、先ほどの男性について、どうお思いですか?」
私が尋ねると、父は薄っすらと目を開けた。
「ふむ……。あの男。匂いは悪くなかったな。それに、猫の抱き方……あれは本物だ」
父の言葉に、私はドキリとした。父が「本物」と評することは滅多にない。彼の「猫センサー」は、偽りの猫好きを瞬時に見抜くからだ。
「あの猫の抱き方……とは、具体的にどのような?」
「猫はな、無理に抱き上げようとすると嫌がる。だが、あの男は、猫の重心を理解し、体のどこを支えれば猫が安心するか、本能的に知っている。無駄な力が入っておらず、猫の体に寄り添うような自然な手つきだった」
父は身振り手振りを交えながら、まるで自分が猫であるかのように解説した。
その言葉は、モチが私の腕の中にいた頃の記憶と重なる。あの男性の手つきは、まるで昔の私がモチを大切に抱えるときのように、猫に寄り添っていたのだ。
「それに、あの男からは、ごちゃごちゃした欲の匂いがしなかった。ただ、猫を助けたいという純粋な思いが匂っただけだ」
父の言葉に、私は静かに頷いた。グレン様の露骨な下心とは違い、あの男性からは清廉な雰囲気が漂っていた。
翌日から、父はさっそくあの男性について情報を集め始めた。父の商会の情報網は、国内の貴族社会だけでなく、外国の交易ルートにも及んでいる。
すぐに判明したのは、彼の身元だった。
彼の名は、アレン・ウッドランド。隣国ヴァンデル王国の貴族であり、植物学の研究のため、この国を訪れている学者だという。彼は、王立図書館の特別閲覧室で、古文書の解読に没頭しているらしい。
王立図書館といえば、グレン様も司書を務めていた場所だ。なんという奇遇だろう。
私は、アレン様と接触する機会を伺っていた。
しかし、彼は研究に没頭しているため、社交界にはほとんど顔を出さないと聞く。
そこで私は、父の商会のツテを頼り、王立図書館の書物について相談があるという名目で、アレン様を訪ねることにした。
数日後、私は王立図書館の廊下で、アレン様と向かい合っていた。彼は、夜会で見た時と同じ、深森の色の髪と澄んだ青い瞳をしていた。近くで見ると、その佇まいはさらに絵になる。
「リリアーナ様ですね。お噂はかねがね。植物学の書物についてご興味がおありとのこと、光栄です」
アレン様は穏やかな声でそう言った。彼の声は、涼やかで、心地よい。
ふと、彼の服の袖口に、わずかに黒い毛が付着しているのが見えた。よく見ると、彼の肩にも、ごく細い毛が数本。それは、短毛の猫の毛のように見えた。
「アレン様は、猫がお好きだと伺いました」
私がそう切り出すと、アレン様の表情がふわりと和らいだ。
「ええ。この国に来てから、道に迷っていた子猫を保護しまして。彼は今、私の研究室で私の癒しになっています」
彼の言葉には、偽りのない愛情がにじみ出ていた。そして、その表情は、まるで昔の私のような、心からの喜びを湛えている。
「あの、もし差し支えなければ……その猫ちゃんについて、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
私は、父の言葉を思い出し、その猫について質問をしてみた。アレン様は、少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐににこやかに答えた。
「ええ、もちろんです。」
私は、この出会いが、ただの偶然ではないことを確信した。父の「猫センサー」は、きっと、この男性を「本物」だと見抜いている。私の婚活は、ついに本命と巡り会うのかもしれない。