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数日後の夕刻、我が家は年に一度開かれる子爵家主催の夜会へと招かれていた。
父の商会が扱う商品は、今や貴族の間でも評判となっており、我が家が社交界に顔を出す機会も増えている。煌びやかな会場には、ドレスをまとった淑女と、燕尾服の紳士たちがひしめき合っていた。
私は、父の腕に手を添え、会場の隅から隅まで見渡す。父もまた、周囲の男性たちを品定めするような目で観察していた。彼の鼻がピクピクと動いているのがわかる。
「リリアーナ、あの男はダメだ。足元が覚束ない。猫は足元が不安定な人間は信頼しない」
「あの騎士は論外だな。姿勢は良いが、どうも顔つきが堅すぎる。猫は柔軟な思考の持ち主を好む」
父の辛辣な評価が、私の耳元で囁かれる。はたして、父の厳しい「猫センサー」をクリアできる男性は現れるのだろうか。
その時だった。会場の片隅で、ひときわ目を引く男性の姿があった。彼は、周囲の華やかな会話には加わらず、静かに壁際に立っていた。深い森の色のような髪と、澄んだ青い瞳。この国の貴族とは異なる、どこか異国風の装いだ。
彼が視線を向けていたのは、会場の隅に置かれた大きな壺の影。よく見ると、そこに一匹の迷い込んだような小さな黒猫が、警戒したように身を潜めている。
人々は華やかな会話に夢中で、猫の存在に気づく者は誰もいない。しかし、その男性は、ゆっくりと猫の方へ足を踏み出した。
彼は、決して猫を驚かせないよう、細心の注意を払いながらゆっくりとしゃがみ込むと、静かに手を差し伸べた。猫は警戒していたが、彼の穏やかな手つきに安心したのか、やがてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。その音は、この距離からでも私に届くほど、はっきりと聞こえた。
父は、その光景をじっと見つめていた。彼の表情は、いつもの厳しい「猫センサー」を発動させている時とは異なり、どこか懐かしむような、柔らかなものだった。まるで、かつての自分を見ているかのように。
男性は、猫をそっと抱き上げ、会場の端にある控えめな出口へと向かっている。おそらく、人目のつかない場所で、猫を落ち着かせようとしているのだろう。
「……リリアーナ」
父が、まるで夢から覚めたかのように、静かな声で私の名を呼んだ。その声は、いつになく真剣な響きを帯びていた。
「今の方がどこの者か、調べてみよう」
父の瞳には、かつてないほどの確信の光が宿っていた。私は、父の言動に動揺しつつも、この出会いが、私の婚活に大きな転機をもたらす予感がした。もしかしたら、あの異邦人こそが、父の「猫センサー」を完全に突破する、真の「猫好きのいい人」なのかもしれない。