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ゼフィーロ子爵との婚約話が、父の「犬の匂いセンサー」によってあっけなく却下されてから数日。
私の心は、次の「犠牲者」は誰になるのだろうという、漠然とした不安でいっぱいだった。
父のレジナルドは、相変わらず朝の日向ぼっこを欠かさず、午後は商会の仕事と称して街へ繰り出す。その実態は、娘の婚約者候補を探し回る「見回り」であることは、私にはお見通しだった。
「リリアーナ! 今日は来客があるぞ!」
食事が終わり、私が書類を整理していると、父が店の奥から溌剌とした声で呼びかけてきた。
また新しい候補者だろうか。父の商会は、破竹の勢いで成長し貴族向けに販路を広げていることから、貴族との繋がりも深まっている。そのため、縁談の申し込みが絶えないのだ。
通された応接間にいたのは、背が高く、人好きのする笑顔が印象的な男性だった。
彼の名前は、グレン・エヴァンズ。伯爵家の三男で、若くして王立図書館の司書を務めているという。
「グレン様、ようこそお越しくださいました。娘のリリアーナです」
父が紹介すると、グレン様は朗らかに微笑み、私に会釈した。
「グレン・エヴァンズです。お嬢様とお会いする機会をいただけて、大変嬉しく思います。我が家の猫も、そちらの販売されている餌しか食べないくらい気に入っているんですよ」
その物腰は柔らかく、いかにも好青年といった印象だ。これなら、父も文句はないだろう――私がそう思ったのも束の間だった。
父は、グレン様の顔をしげしげと眺め、なぜか彼の周囲をゆっくりと歩き始めたのだ。まるで、獲物の匂いを嗅ぎつけるかのように。グレン様は戸惑ったように、その場で固まっている。
「お父様、何をなさって……」
私の制止を無視し、父は唐突にグレン様の背後に回り込んだ。そして、信じられない行動に出た。なんと、彼の背中を手で撫で始めたのだ。まるで、毛並みを確かめるかのように、丁寧に、入念に。
「フム……。」
父は真剣な表情でブツブツと呟いている。
グレン様は「え? あの……」と困惑しきった表情で、私と父を交互に見た。司書という職業柄、身なりは清潔に保っているだろうが、まさかこんな形で「毛並みチェック」を受けるとは想像もしていなかったに違いない。
「お父様! 大変失礼ですよ!」
私が慌てて父の手を引き戻そうとすると、父は不満げに手を払い除けた。
「何だ、リリアーナ。これは重要な確認作業だ。」
グレン様は苦笑いを浮かべているが、その表情には困惑の色が濃い。私は冷や汗が止まらなかった。父の奇行は、貴族社会では一発アウトだ。この縁談も、これで終わってしまうだろう。
しかし、父は気にすることなく、さらに畳みかけた。
「さて、グレン殿。一つ聞きたいことがある。猫を飼っていらっしゃるとのことだが、お宅ではどのような種類の猫をお飼いか?」
グレン様は、この質問を待っていたとばかりに、にこやかに答えた。
「 わたくしは昔から大の猫好きなのですが、特に、ふわふわの毛並みを持つ抱き心地のいい猫が好きでして。実家では、ペルシャ猫を数匹飼っておりまして、休日はいつも猫と戯れております」
彼は言葉を選びながら、いかに自分が猫好きであるかを熱弁し始めた。
その目は、父の顔色をうかがうように、わずかに泳いでいる。父は、グレン様の言葉に満足げに頷いていたが、鼻の先がピクリと動くのを、私は見逃さなかった。まるで、匂いを嗅ぎ分けるかのように。
「フム……。ペルシャ猫、か」
父の表情が、一瞬で凍り付いた。そして、鼻をピクピクと動かし、ゆっくりとグレン様に詰め寄る。
「……猫好き、だと?ならば、なぜその服に猫の毛が一本も付いていないのだ?それに猫の匂いもしない」
まずい。父の「猫センサー」が、最悪の反応を示している。私の婚活は、この先どうなってしまうのだろうか。私はただ、深いため息をつくことしかできなかった。
「それは……その……。申し訳ありません…わたくしは猫アレルギーで、もちろん猫は好きなのですが、触ることはできず! 」
「ほう。それはお気の毒なことだ。では、飼っている猫たちの名前は?彼らの1番好きなフードの味は?」
「あ、そ、それは……ジョゼフィーヌと、えーっとカトリーヌという猫で…あとは………フードの味…………。今は思い出せず、申し訳ありません……!ただ、御商会様の評判をお聞きし、ぜひリリアーナ様とのご縁を結ぶことができたらと……!」
父は鼻を鳴らし、ふんとそっぽを向いた。
「もう良い。帰って、二度と来るな。私の娘は、猫アレルギーで嘘つきな男には渡せん」
父の有無を言わさぬ声に、グレン様は足早に部屋を後にした。私は、またしても失敗に終わった縁談に溜息をつきながらも、父の鋭さに感心していた。
グレン様は
「お父様……相変わらず、容赦ないのですね」
私がそう言うと、父は腕を組み、不満げに鼻を鳴らした。
「当たり前だろう。娘を任せる男だぞ? 偽物の猫好きなど、論外だ。それに、お前を幸せにできるのは、私が認めた男だけだと思っている」
父の真剣な眼差しに、私の胸は温かくなった。
たしかに、彼が人間として私の父になったのは、私が幸せになるためだ。
そして、モチだった彼が私を愛してくれたように、私を深く理解し、愛してくれる男性を求めているのだろう。それは、血の繋がりを超えた、深い親子の愛情だった。
しかし、真に「父(猫)が認める男」など、この広大な異世界に本当に存在するのだろうか? 私の婚活の道のりは、やはり前途多難なようだ。