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「リリアーナ! その男はダメだ!」
けたたましい父の声が、朝食の静けさを破った。フォークを持つ手が止まる。商家として、娘の淑女教育には熱心なはずの私だが、この時ばかりは溜息をこらえきれなかった。
「お父様、今度はどなたのことでしょうか?」
目の前の父、レジナルドは、今日も完璧な身なりだ。彼はペット業界にて一代で成り上がった大商人である。
「Mon Ami Gourmet」という貴族向けの猫用ごはんを開発販売し、猫の食文化に革命を起こしたことは誰もが知るところだ。
しかし、その瞳の奥には、前世の面影が色濃く残っている。
実を言うと、私の最愛の父は、かつて私が飼っていた白いオス猫、モチが転生した姿なのだ。人間になっても日向ぼっこを好み、魚料理に目がなく、不機嫌な時には尻尾があるかのように腰のあたりをピクリとさせる。そして何より、妙に鼻が利く。
前世の思い出と、父がモチかもしれないと気付いたのは、幼い頃に熱を出して寝込んだ日のことだ。
うとうとと意識が朦朧とする中、枕元に座る父が、私の頭をそっと撫でた。その手のひらからは、柔らかな肉球の、温かくて、少し毛羽立ったような安心する匂いがした。
そして、ふと見上げると、父の口元が緩やかに、ゴロゴロと喉を鳴らすような微かな震えを帯びていたのだ。
あれは熱せん妄による夢だろうと思っていたが、ある日、父の丸まった背中を見てつい、その猫の名前を口にしてしまった。
「……モチ?」
その瞬間、父がピクリと反応し、ゆっくりと振り返ったのだ。その瞳は、紛れもなく、私の知っているモチのそれだった。思わず「モチ!」ともう一度呼ぶと、父は困ったように眉を下げ、それから私にしか聞こえないような小さな声で「シーッ」と指を立てた。それ以来、父の行動の一つ一つが、モチの愛らしい仕草と重なって見えるようになったのだ。
前世、とはいっても思い出したのはその猫のことくらいだ。記憶の中で私は、老衰で息絶える寸前のモチを抱きしめ、「生まれ変わっても絶対また家族になろうね」と嗚咽していた。
まさかこんな形で家族になろうとは。
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「違う! あれはもっと根本的なものだ。奴の奥底から立ち上る、犬の本能の匂いなのだ! 私の鼻がそう言っている!」
前世で猫だった父にとって、犬は永遠のライバルであり、理解不能な存在らしい。
婚活中の男性にまで「犬の匂い」でNGを出すとは、私も先が思いやられる。
「それに、あの者は先日、街中で野良猫を棒で追い払っているのをこの目で見た! 娘を任せるわけにはいかん!」
レジナルドは興奮気味に食卓のパンに前足を……いや、手を置いた。
そうか、父はそんなところまで見ているのか。私には決して言わないが、父はよく街を散策し、そのついでに怪しい男たちがいないかチェックしているらしい。娘の婚活が本格化するにつれて、父の「見回り」はエスカレートしていた。
「リリアーナ、よく聞け。お前が結婚する相手は、私のセンサーをクリアした者でなければならん。あのゼフィーロ子爵は、見るからに毛並みが粗そうだ。私の目が節穴だとでも言うのか!」
父は、自分の毛並みを整えるかのように、無意識に襟元をシュッと撫でつけた。その仕草に、私は思わず噴き出しそうになる。しかし、父は至って真剣だ。
「私の勘は、絶対なんだからな!」
そう言い放ち、レジナルドは優雅に椅子から立ち上がると、そのまま庭へ向かった。きっと、日当たりの良い場所を見つけて、満足そうに昼寝をするのだろう。そして、夕方にはまたどこかの男性貴族の情報を仕入れてくるに違いない。
ああ、私の婚活は一体どうなるのだろう? 前途多難な道のりを思い、私は深く、深く、溜息をついたのだった。