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化け猫おちる  作者: 帆多 丁
27年前
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1. 化け猫狩り

 密集した木立をかき分けて逃げる。左に琥珀色の人の目、右に金色の猫の目をもつ娘が、白い肌を傷だらけにし、稲穂色の髪を泥に汚して。

 猟犬の吠え声が迫り、矢と(かぶら)()が飛び交う。

 陽光も緑に染まる密林で、そこかしこに仕掛けられた罠をかいくぐりながらの逃避行も丸一日を過ぎ、追撃の手はなお緩まない。

 突如、娘は転倒した。

 吊し罠だ。荒縄に右足が捕らわれ、樹上へとさかさまに吊り上げられる。

「猫の爪は、鋭い!」

 腹筋しなやかに身を起こして右腕を振るえば、猫の魔法が発動してその爪鋭く束縛を断つ。

 転がるようにして着地し、娘が呪詛を吐いた。

「しつっこい……!」

 鏑矢が耳をかすめ、不快な高音で眩暈がする。右目が射手いての姿をとらえたが、身を隠されてしまった。別の矢がまた飛んできて、ユエは逃げざるを得ない。

 右目が振動し、その震えが頭蓋を通って言葉になる。

(ユエ、あと半刻だ! 半刻で呪符の効力が切れる!)



 仕組まれていたと、気づいた時には遅かった。

 依頼されたモノの怪退治は偽物だった。猫の右目を持つ(まじな)い師、西から来た化け猫、ユエを狩るための。

 密林に案内されるなり不意をつかれ「蛇ノ目の呪符」を貼られた。「お前を見ているぞ」という(まじな)いがユエを追い詰める。

 土地勘のない場所で、視界も利かず、もはや出口がわからない。愛用の平笠ならば仕込んだ術で道を示せただろうが、逃走中に落としてしまった。

 加えて、密林に張られた結界がモノの怪を遠ざけて、魔法も(まじな)いも拠り所に乏しい。

 必死に逃げながら、時折ユエは下腹の辺りを気にする。耐え難い焦燥感がある。腹に宿る居候が、いよいよ飢えてきている。


 ──我慢してよ。逃げ切ったらお腹いっぱいにするから!

 

 祈るような気持ちで下腹の居候に語りかけた。

 あと半刻。呪符さえ切れれば魔法で逃げ切れる。

 「猫はいつの間にかいなくなる」でこの場から消え去り「猫はどこにでも現れる」で別の場所へ降り立つことができる。

 ユエには、会いたい人がいた。

 しがない行商人で、お人好しで、唄が好きなクォン。


(水音だ。沢がある!)


 右目からの声。左へ反転。目の高さに張られた鋼糸をすんでのところでかわし、額に血をにじませて沢へと転がり出た。

 水の流れに沿う、邪魔な木立のない開けた道。

「リールー、踏ん張りどころ!!」

 相棒に呼びかけて深呼吸。遍在する魔力を吸って右目(リールー)から魔法を引き出す。


 猫纏(ねこまと)い。

 ユエの肩から上を真珠色の毛が覆い、口が裂けるように広がって牙が伸び、頭に三角の耳が立つ。輝く毛に稲穂色の一房ひとふさを残して、娘の頭は猫の頭に変化する。


 体の芯に熱がこもる。魔法に体力を奪われて脚がふらつく。それを気力で従えて、化け猫が脚力を解放した。


 獣の疾駆に沢の水が跳ねて煌めく。

 追っ手が慌てて沢に飛び降り、進路をふさぐ。浅黒い肌を革の胴鎧で覆い、短弓を構えた者が数名、太く短い段平(だんびら)を抜いた者が数名。

 藪から飛び出してきた猟犬を爪で斬り捨て、ユエは水辺を駆ける。

 矢が腕を、頬を掠めて傷をつける。


 ──ちゃんと帰るよ、クォン。


「猫は」

 段平が突き出され、振り下ろされるさらにその下。

「すり抜ける!」

 うねる影のように追手の足元を潜り抜け、ツバメにも追いつこうかという勢いでユエが加速する。さえぎる物はない。このまま引き離せば逃げ切れると思えた。希望がユエの両脚に力を与えたその時に


 ぱきん


 痛みを伴う耳鳴り。

 内側から解かれる魔法。

 水しぶきを上げて弾むように沢を転がり、倒れ伏した身を浸食する悪寒。


 ──だめ! 今は、まだ、だめ! お願い!


 この十年で、下腹の居候に言葉が届いたことはない。

 内側から臓腑を削るような痛みが起こり、喉を衝いた絶叫に密林の鳥が逃げていく。

 ユエの魂を、飢えに耐えかねた下腹の居候が、かじった。



 矢が刺さる。追っ手の矢が左腿に。

 次の矢は背中から脾臓を貫き、次の矢が肺を刺す。


 そのあとはよくわからない。痛みで滲む視界に足の数がどんどん増えて、矢が刺さるたびに体が引きつり、喉から音が出る。

 下腹から全身へ、熱が広がる。

(ユエ、ユエ、大丈夫だ。何をなくしても、私が覚えているから)

 リールーが必死に勇気づけてくれる、その声だけははっきりと聞こえる。

 なくす。居候が魂をかじったから。そして、居候が宿主の生命だけは守ろうとするから。ユエは、なくす。

 髪をつかまれて、顎をあげさせられている。喉に刃が添えられている。

「生白いモノの怪風情が手こずらせおって。王太子殿下を殺めた罪、その身によく刻みこんでやろうぞ」

 目が霞んで、声の主はよく見えない。王太子など知らない。町の片隅で、穏やかに暮らしていたはずなのに。

「ちが、う」

 声を絞り出す。呼吸に血の泡が混じる。

「わたしは、殺さ、ない」

 それも、ここまでの事だと思った。間もなく居候が動き出す。子宮に宿る魔女の魂が目を覚ます。


 ユエの喉を掻っ切るはずの刃が沢に落ちて、とぷん、と間の抜けた水音をたてた。

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