n. わたしもね
小さな墓標の前に娘が座っていた。
見晴らしのいい山の中腹、鬱蒼とした草を分ける細い道沿いに忽然と現れる墓。知らなければ通り過ぎてしまうような、目立たぬ墓に日が昇る。
「あっちの国では、わたしたちは空に昇って、太陽に溶けたことになってるらしいよ」
娘の白い肌が朱に照らされ、緩やかに跳ねる稲穂色の髪が陽光を含む。
もし通りがかる者がいたならば、まずその色の薄さに目を疑い、ついで左右で異なる瞳に肝をつぶすと思われた。夜間であれば、モノの怪の類と腰を抜かす者もあるだろう。
娘は膝の上の古びた帳簿をそっと指でなぞると、寄り添う誰かに聞かせるようにそっとつぶやいた。
「わたしもね、生きている間に、この三十年があって良かった」
娘は、高く見積もっても十七、八ぐらいにしか見えない。
しかし、これまでの時間をなぞるような細く長い吐息がある。
「そろそろ、行くよ」
膝の帳簿を旅行李にしっかりとしまい、傍らの大きな平笠を手に立ち上がって、右目から涙を拭う。
「右目殿も寂しいって。それとももう、聞こえてたりするのかな」
平笠をかぶり、行李の留め帯を締め、娘は別れの言葉を口にした。
「愛してるよ」
――27年前、娘は追われていた。