第三十話 花束を捧ぐ(1)
幾重にも張り巡らせた、木の根や葉。人間ならば超えることのできない壁に見えるほどの刃の嵐に魔人と化したパール・ポラリスは、簡単に薙ぎ払い、トリア・リーフの元へ近づい来る。
その光景に、トリア・リーフは千年前に味わった絶望感が身体中を駆け巡るのを感じた。
千年前—————。
太陽は大地を照らし、海は波打ち、風は流れる。人間たちは、自身の主張を片手に争いを繰り広げていたが、それでもトリア・リーフたち……神族たちは平和だった。
「私くしたちは、地母神さまの住まいを美しくするのが仕事ですよ」
『はいっ!』
ニンフの中でも早く生まれた者が仕切り、遅く生まれた者たちに教育していく。そんな中で、トリア・リーフは、一番最後に生まれたニンフだった。
「お、お姉様……その」
まだ生まれて、間もないトリア・リーフにとってすべては、未知の体験。知っていたとしても、知っているだけでは、結果には結び付かなかった。
手を滑らせて割った花瓶。半泣きになるトリア・リーフ。
「仕方ないわね。この花瓶も人々が私たちに供えてくれた大切な物よ。私たちに与えれている記憶に頼るんじゃなくて、自分の感触を頼りに、落ち着いて行動しなさい」
「はい……」
厳しく、されど優しく。トリア・リーフは、名と力のある神々を支えるために、日々を過ごしていた。
たとえ、彼女に名はなくとも、この世界を廻すのに意味があると、そう思っていた。
——————直方体の型をしたナニかが顕れるまでは。
最初は誰もが首を傾げた。主神ですら心当たりがなかった。
そして、大空に何の前触れもなく顕れたその直方体は、赤い霧を纏いながら大地に転落する。そのあまりの衝撃に、周辺にあった人間の国々はすべて消滅した。
さらに、赤い霧は、周辺へと広がり、木を人を獣を変えていく。
「一体なにが……」
山の麓から変わっていく世界を見て、トリア・リーフは目を丸くしていた。
「貴女たちは、主神様のもとへ行きなさい。」
山の麓にあった地母神の神殿で、ニンフたちは、己の主の言葉を聞いた。誰もが足早に神殿を去る中、トリア・リーフは、山の麓に迫り来る赤い霧を見ている。
「貴女も。早く行きなさい」
「で、ですが……」
「ふふ、貴女は最後に生まれた子ね。大丈夫よ」
トリア・リーフは優しく頭を撫でられる。それでも足は動かなかった。ここを離れればもう二度と……。
「早く逃げるわよ。ほらっ!」
「う、うん」
そんな中、もっともトリア・リーフの面倒を見ていくれた、姉が彼女の手を取り走り出す。
手を引かれながら、地母神の姿を見続ける。それがトリア・リーフの記憶に残る最後の地母神の姿となった。
———獣は魔獣と化した。
———妖精は、魔物と化した。
そして、直方体から、人のカタチを歪にくっつけた化け物と赤い霧を纏った人間らしき者たちが出てきた。
———神々は知る。これは侵略だと。
神族たちは武器をとる。時には人間を星を巻き込む参事となった。
そして、決着はついた。
…………———神族の敗北。
「我々には、あまり時間が残されていないようだね」
雷を纏う主神の言葉から話し合いは、始まった。残された最後神域。神々のいる霊峰にて神族は集まっている。
十二柱いた神々は、今や五柱しかいない。その五柱も戦い向けの柱ではなく、酒や鍛冶、富、音楽と言った文明に関する柱だけあった。
トリア・リーフは、美の女神と豊穣の女神の席を兼務して、話し合いに参加させられている。他のニンフたちも、なんらかの役割にあてはめられ、参加していた。もはや数合わせである。
幼いトリア・リーフは、萎縮して小さくなっていた。
「さて、彼らの侵略はもはや、侵略というより、侵食だね。あの赤い靄に触れた者は、どんな存在も書き換えられる」
主神は、困ったように肩をすくめた。
「それで考えたんだけどね。時間稼ぎをしようかと思うんだ」
「時間稼ぎ……?」
トリア・リーフは首を傾げる。
「そうだよ。ニンフくん。もしかしたら人間の中から今の状況を変えてしまう英雄が誕生するかもしれない。もしかしたら、あの枠組みの外から来た侵略者のように、なんとかできる存在が来るかもしれない」
主神は語る。この星に壁を造り、原因となった侵略者たちを閉じ込めると。その壁は、今残った名のある五柱のすべてをかけることになると。
そして、残されたニンフたちで、壁の外の世界を廻すために十二神の空席を埋めるようにと。
「何か他に案はあるかな?」
誰もが黙る中。トリア・リーフは勇気を出した声をあげる。
「あ、あの」
「なにかな?」
「、そ、その、わ、私、私くしが、壁の内側で人間たちを観察します」
「……いいのかい? もっとも損な役回りだ。我々は消え。現れるかかどうかわかない英雄やあるかもわからない可能性を待つと?」
「……はい。……主神様が引く内と外の壁。その内側。閉じ込める内側には。私くしの生まれた神殿がございます」
「…………そうか、君は、地母神……彼女のニンフだったね。どうりで彼女の気配を感じるわけだ」
主神は、遠い目をして、トリア・リーフに向き直る。
「あの赤い霧は、我々には猛毒でしかない。君には少し我の力を分けよう。そうすれば、赤い霧でも大丈夫だろう……が、無理は禁物だよ」
「はい」
そして、トリア・リーフ以外に、あと二柱のニンフが内側に残ることになった。
美と豊穣の女神。海の女神。戦いの女神。
それぞれのニンフは、能力に釣り合わない役割を与えられることになる。そして……神族は、壁を造った。




