おかえり
私が小学生の時の話だ。
家と小学校の通学路の途中にお化け屋敷があった。
遊園地にあるお化け屋敷ではなく、人が住んでいるのかも怪しいぐらいボロボロでお化けが住んでいると友達の間では有名だった。
ブロック塀と錆びた鉄の門扉からのぞく庭は雑草が生い茂り、家は古臭くて汚かった。木の表札には滲んで読みにくかったが『大和』と書かれていた。
夜にはお化けが現れるとか、昼はお化けが覗いているとか、とにかく怖い噂がたくさんあった。
大人から見れば管理されていない空き家なのだが、子どもから見ればそこは日常から切り離された異空間なのだ。
私はそこで幽霊を見たことがある。
それは、夏休みを前にした暑い日だった。
いつも一緒に帰っていた友達がお休みだったから、帰り道は一人だった。一人と言っても前後にはまばらだが同じ小学生がいたし、すれ違う大人もいた。
その家の庭には木が植っているせいか、通りかかるたびに蝉の声がうるさかった。
その日は、その家に近づいた時にふっと音が消えたのだ。下を向いて歩いていた私は不自然さに顔を上げた。
前方にいたはずの上級生はいなくなっていて、周囲を見回しても誰もいなかった。
変だな。
そう思っても帰る以外の選択肢など浮かばない。急いで帰ろうと歩き始めた時、あのお化け屋敷に人影が見えた。どうやって入ったのか、閉まっているはずの門の内側に人が立っている。
背の高い男の人だった。枯れた葉っぱのような色の服を着て、気をつけの見本のような立ち姿をしていた。
お化け屋敷にいる人を警戒した私は、足を止めて電柱の陰からジッとその様子を見ていた。
いつでも走って逃げられるように、ランドセルの肩ベルトをギュッと握りしめる。
ジリジリと差す暑い日差しに頭から汗が伝い落ちた。
男の人は家を見上げ、警官のように敬礼をした。
すると、カラカラと玄関ドアが開く音が聞こえた。空き家だと思っていたけど、人が住んでいたことに驚いて口が開いたが幸い声は出なかった。
私がいた場所からは玄関は見えなかったが、男の人よりも背の低い誰かが抱きしめているのが分かった。男の人の背中を労るようにぽんぽんと優しく叩いていた。
あの人は帰ってきたんだ。
なんとなく、そう感じた。と同時に二人の姿が煙のようにすぅっと空に上るようにして消えていった。
空を見上げた私の耳に大音量の蝉の声が届いた。お化け屋敷を見れば、いつもと変わらず不気味な様子をしていたが、誰もいない。
狐につままれたような私の横を小学生が追い越していく。
周りはすでに変わらない日常だった。
なんだかぞわぞわとした気持ちになり、走って家に帰った。
後で知ったが、その日は戦争で亡くなった日本兵の遺骨がソ連から戻ってきた日だった。
思い起こせば、あの男の人が着ていたのは日本兵の軍服によく似ていた気がする。
母や近所の大人に聞いたところによると、あの家は数年前におばあさんが亡くなってからずっと空き家らしい。
男の人はおばあさんの家族で、抱きしめていたのはおばあさんだったのかもしれない。
本当のことは分からない。ただ、男の人を抱きしめていたあの手は確かに慈愛に溢れていたと思う。
あの日以来、あの家で幽霊を見ることはなかった。
小学校を卒業した私は、あの家の前を通ることは減ってしまい、気がつけば更地になっていた。
恐ろしげだった古い家はなくなり、生い茂っていた草木もなくなり、お化け屋敷と呼ばれた片鱗はどこにもなかった。
そして、今では新しい家が建ち新しい誰かが住んでいる。