無知の知
・鶴舞麟太郎さん著:「学校の授業に歴史はいらない!」「古典を消せ!」だと!? 俺にも言わせろ! 「英語をなくせ!!」
・ジャガイモ探偵さん著:教科を「無意味」に感じる瞬間
※タイトル変更しました
・幻邏さん著:「授業に○○はいらない!」ではなく、時が経ったら「○○はいらなかった」と言えるように。
↑のエッセイを読んだ上で、持論を書いてみました。批判か擁護かでいうと、擁護派です!
こんにちは。食指が動いたので流行に乗ってみました、浦島です。
前書きでご紹介した作品の主論を書いてみますと……
仮にも学び尽くした専門家でもなければ「無意味」だなんて判断はできないだろう。
原因を追究せず、暗記勉強に落ちてしまえば時として無意味になるだろう。
無意味だと感じてしまうのは、教員の質が悪いからでは?
と、この様な内容で……皆さん非常にまともで正道な意見だと思いましたし、完全に同意って感じですね(笑)
じゃー何話すんだってことですが、まずは「無意味」だと、なぜ感じてしまうのかについて深堀りしていきましょう!
無意味論を唱える方々の意見は、恐らくですが「そんなこと覚えても使えない」「仕事でも役に立たない」という意識から来ているのでしょう。
「役に立つか」を判断基準に、悲観的な想像をしちゃってる感じですかね……
皆さんも、この意識を持つこと自体は、「自分もそう思った事がある、実際そういう側面もある」と、諦めと共に肯定の気持ちが多少なりともあると思います。
ですが、私はこの「実際、役に立たない事も多い」という肯定を含んだ意見すら、否定されるべきだ!と強く感じてます。
無意味論を展開する子供を、大人の誰もが諭すぐらいの社会になればいいのに……それぐらいの意識改革が必要だと……
では、なぜそこまで思うのか……少し私の身の上話をしますね……
私は研究者であった経歴から、一般の人からすると「賢いんだな」という印象を持たれるんですが……実際はそんなことは無く、一部専門分野が好きなだけの人です。
(;'∀')
おいおい。こいつ学歴自慢してきた、気持ち悪っ……
そう思われたかもしれませんが、ほんとに違うのでしばしお付き合いくだいさいm(__)m
どれくらい普通かというと、高校時代は赤点とりまくってましたし、大学も3流大学に進学しましたし、いわゆる学歴ロンダで研究の道に入った、言ってしまえば成り上がり研究者だったわけです。(笑)
この経験から私が何を学んだかと言いますと、「役に立たないと思う思考こそ、無知である事の証明なんだ」という事です。
何に繋がるか教えられずに暗記させられ、暗記が苦手な私は点数がとれず学問への興味も薄れました。なんとか進学した大学で4年かけて興味をもてる分野を知り、暗記から開放された学びを5年続け、初めて学問の楽しさを知りました。
そんな私だから言える事は、
「学問とは見識を広げて初めて楽しさに気が付けるんだという事」
「何がわかっていないかを見つけるのが始まりである事」
「この世の摂理を解き明かす為に学ぶんだという事」
つまり、役に立つかなんて「そもそも考える事が愚かしい」のです。
何が役に立つかなんて考えずに探求し、膨大な発見をしたあと、その中のほんの一部、社会で使えるものだけ、我々は活用しているのです。
ちょっと堅くなってしまいましたが、まとめると、学問とは「役に立つ→学ぶ」のではなく、「学ぶ→役に立つ」であるという話でした!!
次の話は、「役に立つ」に支配された日本についてです。