春フォーエバー
「聞いたか? 春が廃止になるってよ」
「ええっ!?」
私は思わず声が出て、振り返った。
後ろの席の男子2人はびっくりした顔で私を見て、
「あ、咲山。お前、名前に春がついたんだっけ?」
「うん。小春。咲山小春だもん」
私は男子2人の会話にお邪魔した。
「春がなくなるの? どういうこと?」
「詳しい話は知んねーけどな」
「四季が三季になっちゃうの? 困るよ、私三月生まれだから誕生日なくなっちゃうじゃん」
「俺に言われても知らねーよ。っていうか春って自然のもんだから、なくしようがなくね?」
「春っていう言葉が廃止になるらしいな。今ある季節の春に別の言葉をあてるんだって」
「私、名前変えないといけないの?」
「みたいだ。お前よりC組の山口春良ちゃんの名前、変わっちまうんだよなー。ショック。どんな言葉に変わるんだろ」
「いい言葉に変わればいいけどな。何にしろイメージ変わるのは間違いない」
「山口さん、学年のアイドルだもんね。由々しき問題だよ、これは」
口ではそう言いながら、私はカチンと来ていた。
私の名前が変わるのはどーでもいいっていうのかよ?
「でも、なんで? なんで急に、春がなくなっちゃうとか……」
「なんとかいうお偉いさんが決めたらしいよ。なんでも春って言葉が大嫌いなんだって。なんか自分に対する差別用語だって言って、激しく怒ってるらしいよ」
「勝手だなあ政治家って。勝手に決めんなよ民主主義じゃねーのかよ」
「ちょっとしたパニックになるんじゃね? 枕草子の書き出しとかも直されるのかな?」
「もう出版されて出回ってる本まで直してたら大変なことになるよ」
「野菜の春菊とかも改名すんのかな。あと麻婆春雨とか」
「春のセンバツ高校野球も大会名変わるよね」
「俺たちの青春時代もべつの言葉になるんだな」
「年賀状にも新春なんとかって書けなくなっちゃう」
「っていうか今6月だぜ? なんでまたこんな一番春から遠い時に……」
「なんかいろいろ準備がいるんじゃね?」
「わざわざ社会をパニックに陥れてどうすんだって話」
家に帰るとお母さんに聞いた。
「お母さん、春がなくなるって、聞いた?」
お母さんはスマホを弄りながら、言った。
「どーでもいーわよ」
「どうでもよくないよ。あたしの名前、変わっちゃうんでしょ?」
「あたしの名前は変わんないもん」
お母さんは心底どうでもよさそうに言った。
「どーでもいーわよ」
「ちょっと……? 娘の不幸をどうでもいいとか、信じらんない! 小春が小春じゃなくなっちゃうんだよ?」
「どうせお洒落な別の言葉に変わるだけでしょ」
お母さんは皮肉を顔に浮かべて言った。
「何に変わったってあんたはあんたよ」
そして9月にそれは施行された。
『春』に変わる一文字をTVに映った文部大臣が色紙に掲げた。
私たち国民はそれを目に焼きつけた。
その一文字は既に他の意味で使われている言葉だった。
『豚』
かくして春に行われていた高校野球大会は豚のセンバツ高校野球と名前を変え、私たちは改めて青豚時代を送ることになり、懐メロのあの歌は♪豚色の汽車に乗って~と歌い出されるようになり、枕草子の冒頭は新しく出版されるものはすべて訂正され、豚はあけぼのになった。
すきやきには豚菊を入れ、牛ミンチで作っても麻婆豚雨と呼ばれるようになった。正月には新豚あけましておめでとうとか初豚のおよろこび申し上げますとか挨拶するようになり、有名なお笑い芸人の近藤さんは豚菜に名前が変わり、季節風の豚一番が吹き荒れる頃、私は高校を卒業することになった。
卒業証書授与で校長先生が私の名前を読み上げる。
「咲山小豚さん」
「はい」
あたしは堂々と胸を張り、みんなの前を颯爽と歩いて壇上へ向かう。
みんなの視線が気持ちよかった。
小豚と呼ばれるようになってから、私の人気はうなぎ登りに上がった。どうやら顔と名前のバランスが絶妙に素晴らしいことになり、魅力がぐんとアップしたらしい。「かわいいね」とよく言われるようになった。
暫くして彼女の名前が呼ばれた。
「山口豚良さん」
「……はい」
山口さんは恥ずかしそうに小さな声を出し、立ち上がった。
彼女は私とは正反対に人気がガタ落ちした。
名前が変わっただけ。あとは何も変わってないのに、彼女は急に自信なさそうになり、私から見ても魅力がなくなってしまった。
元学年1のアイドルは没落し、その座は私にとって変わられた。
正直気持ちよかったが、同じぐらい居心地は悪かった。
なんで? あんなに可愛い子なんだよ? 名前が変わったぐらいで? 確かに『ブタラ』って……ぶさいくな怪獣の名前みたいだけど。
山口さんをいたわる私の態度が「優しい」とみんなを感動させ、私の人気にさらに拍車をかけた。
最後の学校を後にする時、後輩の男の子たちから「三ヶ月ぐらい前からずっと好きでした」とか色々告白を受け、ちょっと芸能人になったみたいな気分の思い出が残った。
家に帰るとお母さんは相変わらず機嫌がよさそうだった。
「聞いて聞いて、小豚ちゃん」
スマホ弄りも最近はあまりやっていない。
今日もダンス教室に出かけてモテモテだったようだ。
お母さんは何も変わってはないというのに。
「春が豚に変わって本当によかったわー」
お母さんは元々美魔女だったその容姿に磨きをかけて、光っていた。
「豚って言葉がかわいくなっちゃって、お母さん、生まれ変わったみたいな気分よ」
ニコニコだ。
元々咲山豚子という名前だったお母さんは、何も変わってはないというのに。