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11-⑥:「生きる」

「セシル…」

 レスターは自室で椅子に座り、ぼうっと虚空を見ていた。かつてセシルだった砂が入った瓶を抱えながら。だから、部屋がノックされたのにも気づかなかった。



「レスター」

「母上…来ていたのですか」

 レスターは、部屋を訪れていたユリナに笑いかける。


 安心させようとしてくれているのだろう。しかし、幽鬼のように笑いかけられても、安心するどころか、ユリナはますます心配になる。


「また今日も朝食を食べなかったと聞いたけれど」

「大丈夫ですよ。水はちゃんと飲みましたから」

 それは大丈夫とは言わない。ユリナは持ってきた麦粥をテーブルにことりと置く。


「食べて。気持ちはわかるけれど、食べないと本当に死んでしまうわよ」

「それは困りますね。なら食べましょうか…」

 レスターはテーブルに瓶を置くと、匙を手に取る。機械的に口に粥を運んでいくレスターを見ながら、ユリナは先の見えない不安に内心でため息をつく。



 セシルがこの世からいなくなって、1週間がたった。


「………」

―懸念していたことが現実になってしまった

 ユリナは内心で小さく息をつく。


 もし今後レスターの前に本気で大切にしたいと思う人が現れた時に、イルマへの思いがその人への思いの足枷になってしまうのではないか。そして、その人をないがしろにして失った後で我に返ってまた傷つき、後悔するのではないか。


 ユリナは、あの時レスターに忠告しつつも、本当にそれが現実になることは無いだろうと思っていた。現実となってしまった今、もっとしっかりと言っておくべきだったと、ユリナは後悔する。しかし、今更もう遅い。



「…落ち着いたら、セシルさんのお葬式をしないと…」

 ユリナは詫びるかのように、瓶の表面を撫でた。


「…そうですね」

 レスターは匙の動きを止め、じっと瓶の中の砂を見つめた。


「……」

 ユリナは黙ってそんなレスターの顔を見る。目の前を見ているのに、どこか遠くを眺めているかのような目線。



 今の息子は、「生きる」という架せられた義務に動かされて生きているだけだろう。そして、希望のない毎日に、廃人までとはいかずとも、もう空っぽになりかかっている。


「……」

 これから私は、どうしてあげればよいのか。

 イルマの時は、酒を飲んで荒れる息子を、毎日傍で根気よく支え励ましていた。しかし、今は荒れるどころか、生きる気力すら無い。


「……」

 もうどうすれば良いのか、ユリナにはわからなかった。





「大変なことになりましたよ…」

 執務室。精神を病んだレスターに変わり、執務全般を受け持っていたノルンは、机の上で頭を抱えていた。


「これ以上大変な事ってなんだよ」

 丁度大量の書類を持って部屋に入ってきたロイは、クマを飼った目をノルンに向ける。ロイは事後処理の忙しさと、セシルを失ったショックに見るからにやつれていた。


「王都のお祭りでの一件が、リトミナ王家の仕業になっているんです。それで、民衆たちが、報復しろと大騒ぎになっているんです。神聖なる教会を破壊した者を、神を冒涜した者に罰を与えよと」

「なんで…」

 一体何がどうなって、リトミナ王家のせいになっているのだ?ロイは呆然とつぶやく。


「"銀色の悪魔"ですよ、教会の中から出てきた。それを祭りの客たちが目撃していたでしょう?」

 そう言えば、とロイは思い出す。あの訳の分からない女のことを。

 彼女もセシルと同じ銀髪に水色の目だった。彼女のことを見て、リトミナ王家との関係を疑わない者はいないだろう。


「だから、彼らが教会の爆発はリトミナ王家が謀った事だと触れまわったんです。うっかりしていました…彼らもちゃんと口止めしておくべきでした」

 ノルンは自分の額を叩いて、ため息をつく。



 お祭りの日の翌日、ノルンはマンジュリカに操られていた祭りの観客たちを山から戻して、半ば廃人状態のレスターを引っ張り出して精神操作魔法を解かせた。しかし、ノルンはレスターの様子にばかり気を取られていたため、彼らの口止めの必要性にまで気が回っていなかった。


「……」

 まあ、口止めしたところで、熱心な信者の彼らを抑えきれる訳もなかったと、ノルンは思う。目撃人数も、あまりにも多すぎた。彼らを全員、ばれないようにこの世から消すにしても、あれほどの人数を消したら、大規模失踪として大事になるだろう。


「じゃあ、ヤバいんじゃないのか?もし、セシルのことを見た道具屋の店主が、それがセシルのことだと勘違いして言いふらしたら、オレたちも関わりを疑われるんじゃ…」

 確かに、とノルンは頷く。


 あの店主が誰かに口を割れば、街を守ったセシルはあの女だと見なされ、この事件の首謀者にされてしまう。あの時、店主にセシルはリートン家の次男だと名乗ったが、格好は女だったから女装でもして、襲撃しにきたと思われるだろう。


 そして、ラングシェリン家はこの事件の協力者だと疑われ、リトミナに心を売った売国奴として裁かれることになるやもしれない。


「…今の所、あの店主は、怖気づいて口外はしていないようです。それに、薬の代金を支払う際に、しっかりと握らせるものは握らせておきましたから。だけどそれも時間の問題です。騒ぎが大きくなればいつかは口を開くでしょう」


 だから、ノルンはあの店主をすぐにでも消さねばならないと思う。自分たちが勝手に巻き込んでしまった上で悪いのだが、消えてもらおうこの後すぐに。



「こりゃ、一戦(ひといくさ)起こりそうだな…」

「ええ…」


 ここのところ20年ほどは、リトミナとの関係は小康状態だった。しかし、こうなった以上、陛下は民衆や家臣たちの進言を無視など出来ない。リトミナの方はといえば、自国に攻め入る大義名分づくりの、サーベルンの自作自演だと非難する声明を送ってきていた。


「……」

 ノルンは思う。全ては、マンジュリカ事件を公にしていないことが、問題をややこしくしているのではないかと。


 約10年前のマンジュリカ事件の時は、各国はその存在について公表していた。なのに、今なぜ隠しているのかというと、民衆の混乱を避けるため。…というのもあるが、それは聞こえの良い言い訳であって、8年前に各国揃って何をしていたと、民衆たちから責められるだろうからだ。


 そして現在、マンジュリカの被害国の中には、反社会的組織の活動を常に警戒している国もあった。そのような国にとっては、国の無能さを口実にされれば、そんな組織に国家を転覆される恐れもあった。実際、過去にはマンジュリカの起こした混乱のせいで、国の政権が代わった国がいくつかある。


 そうでなくとも、マンジュリカ達への対策が全くない現状、いつ奴らに襲撃を受けるかわからないという緊迫した状況が続けば、何時までも事態が改善しないことに民衆たちが業を煮やし、彼らの中に国家を転覆させようと思う輩が出てくる可能性もある。だから、サーベルンとリトミナそしてその周辺国は、仲の良い国ともそうでない国とも、マンジュリカの件だけに関しては協力しあい、そして国民たちに秘匿してきた。


 ただ、現実問題、完全な呉越同舟と言う訳ではない。サーベルンも協力すると見せかけて隠すべきところは隠しているし、マンジュリカ事件についての情報を取引に使えないかとあれこれ考えている国だってある。やたらとプライドの高いリトミナも、武闘会の件を未だにマンジュリカ事件の数に入れていない。その上、王宮の爆破事件もひた隠ししようとしていたらしいが、目撃していた者の数が多すぎて、仕方なく認めたといった有様だ。



「もうそんなことをしている場合じゃないでしょうに…」


 ノルンは忌々しげにつぶやく。いつまでもそんなことをしていては、倒せる敵も倒せなくなる。それにどのみち各国各地で謎の爆破事件が続けば、国民たちだって誰かの陰謀だと疑い始めるだろう。

 かといって、誰かが「何もかも公表しましょう。そして、みんなで仲よく敵を倒しましょう」などと説得しても、誰も聞く耳を持つ訳がないし、自身だってその場にいたら聞くつもりなど毛頭もない。


 一筋縄ではいかないのが国家というもの。これがしがらみというものかと、ノルンはため息をつく。


「…今後のリトミナとの関係は気にはなりますが、我々にできることなど何もありません。戦になれば戦に出て戦うだけです。我々は国家の決定に従うことしかできませんから」

「そうだな…」

 ロイは寂しげに頷くと、ノルンに書類を渡し、部屋を出て行った。その後ろ姿がドアの向こうに消えたのを見ると、ノルンはふうと息をつく。


「あいつも、セシルのことが好きだったんですね…」


 今回の件ではっきりと明らかになった事実ではあるが、実はノルンは少し前から、レスターとロイの2人がセシルに気があることに勘付いていた。その頃はセシルの何がいいのだろうと不可解に思い、彼女に2人して誑かされているのではないかとまで疑っていたが、今となっては理解できる気がした。


 具体的に、と問われればうまく説明できる気はしないが、彼女には人を引きつける何かがあった。明るい、お茶目、面白いという万人受けする性格のこともあるだろう。しかしそれよりも、誰かのことを思って行動できるところ、誰かのために懸命になれるところが、周囲の人間の信頼を集めていたのだろうと思う。



「……」

 あの時、レスターを山へ転送する前の事。セシルは魔力がほとんどないノルンに魔力を与え、人里離れた山へレスターと自身を転送させたのだ。もしレスターがあのまま街で暴れ死人がでていたとしたら、国王といくら仲が良いとは言え、今回の自分たちの事件への関わりを内密にしてくれることはなかっただろうし、この家もただでは済まなかった。本当にセシルにはありがたいとしか言えない。


 ノルンは頭を下げてお礼を言いたいが、彼女はもう既にいない。


「彼女は本当にレスターを愛していたんですね…」

 あの日のセシルを思い出しながら、感慨深げにノルンは言う。レスターに告白している時に、自分の気持ちがよくわからないと言っていたが、どう見ても心の底からレスターのことを愛しているようだった。


「……」

 こんなことになるなら、もっと早く信頼してあげればよかった。もう少し優しくしてあげればよかった。


「……仕事、しますか」

 それ以上考えると後悔が止まらなくなる気がした。だから、ノルンは気分を切り替え、立ち上がる。そして、剣を腰につけ部屋から出て行った。

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