10②-③:そう呼ばれるのが一番嫌い。
「…まさか、本当に巻き込まれて死んじまったとか、ねえよなあ」
ロイは燃え盛る教会を前に呆然とつぶやいていた。祭りを警護していた兵たちが教会の前で、野次馬たちを傍へ近づかないように足止めしている。
「いやいやいや、きっとあいつもどっかで野次馬しているはずだ。だって、朝に礼拝は終わってるんだし、教会なんて夜に誰も入らないし」
確かに教会は夜中であってもいつでも自由に出入りできる。だが、レスターが年一度のお祭りのお楽しみを無視して、わざわざお祈りしに行くとも思えない。他のサーベルン人だって皆そうなのだから。
それに、レスターは一人になりたいと言っただけで、教会に行くなんて言っていない。
「……」
しかし、ロイは自身でもよくわかっている。自身が嫌な予感からあえて目をそらそうとしていることに。
「…ノルンに連絡するか…」
言わんこっちゃないと怒鳴られそうだが仕方がない。ロイはピアスに手をやろうとした。
その時、ざわっと野次馬が一様に声をあげる。ロイは「ん?」と顔を上げた。
「…」
燃え盛る教会の中から人影が現れる。それは2つあった。片方は何やら大荷物を肩に担いでいるようだった。
教会の人だろうか。こんな爆発の中、無事だったのは運が良かったのだろうと思う。
こちらへと近づくにつれ、人影の輪郭がはっきりとしてくる。その2人の体格は女の形をしていた。そして、彼らは修道女の服を着ていて…
片方は銀髪の女だった。
「……銀の悪魔…?!」
群衆が口々にざわめきだす。しかし、ロイが驚いたのはそれだけではない。その女が担いでいる、神父の服を着ている男の髪に目を見開く。
「は…?まさか…?」
ロイは唖然とする。
ポニーテールを熱気にたなびかせた銀髪の女が、肩に気を失ったレスターを担いでいた。
「まさかセレスティンがラングシェリン家に匿われていたなんてね。あちこち探し回っていたのに、敵国に、しかも宿敵の家にいたなんてとんだ盲点だったわ」
カーターの母親の姿をしたマンジュリカは、心底苦々しそうな顔をする。
「しかも、マンジュリカは武闘会で会ってたのに、忘れてたんだものね~あきれるぅ」
「仕方ないじゃない、こんなに目立たない顔、覚えている方がおかしいわよ」
「貴様!リトミナ王家の者か!そこで何をしている!」
兵達が剣を抜き、マンジュリカ達を取り囲む。しかし、彼女たちは周囲を気にした風もなく、呑気に会話を続けている。
「で、これからどうする?セシルがいる建物の上に行く?」
「そうね。だけど、もう私たちの存在に気づいて、逃げている頃だと思うわ」
「そうだね。じゃあ、ここら一体焼き尽くしてあぶりだす?」
「そんなことして、うっかり死んじゃったらどうするの。この男の時だって、ひやひやしたのよ。あんたがうっかり殺しちゃうんじゃないかって」
「そんなにボクのこと信用できないの~、ひど~い。ちゃんとホカクの名目は忘れてなかったんだから、わざわざこいつに氷の結界張って守ってあげたでしょ」
「それでも治癒魔法使わなきゃならない羽目になったじゃない」
「貴様らあああ!」
無視された兵たちは、一斉に2人に切りかかる。しかし、銀髪の女が魔力を放出し、吹き飛ばした。
「ザコはすっこんでろって」
女は続いて氷柱を兵たちに1人1本ずつ、丁寧に胸の真ん中にお見舞いした。それを見た野次馬たちが、悲鳴を上げて散り散りに逃げ出した。
「マンジュリカ。とりあえず野次馬みんな操ってよ。セシルをこいつらに探させれば楽じゃん」
「…そうね」
マンジュリカは頷くと、手から無数の桃色の糸を逃げる野次馬たちに投げかけた。その糸に触れた者から、がくんとのけぞり、倒れていく。
「…な…!」
ロイは人の群れを盾にしつつ、その糸から逃れた。それでもなお追ってくる糸を炎で焼き、間に合わないものは魔力をこめた剣で切っていく。しかし、それがいけなかったらしい。
「げ…」
ロイはマンジュリカ―ロイは手配書と顔が違っていたのでその手下か何かと思っていたが―と思いっきり目が合ってしまった。ロイは内心でぎゃああと叫び、全力疾走で駆け出す。
―一人じゃ分が悪い。ノルンを呼ばないと!
「ノルン!オレだ!」
ロイは走りつつ、ピアスに手をやった。しかし、ツンディアナまで王都から離れているため、中継ぎする音ばかりして、中々つながらない。
「リアン、あいつを追いなさい!」
マンジュリカはロイを指差し叫ぶ。
「え、なんであんなの追うの?」
リアンと呼ばれた女はめんどくさそうに言う。
「レスターの記憶で見たわ。あいつはこいつの従者よ。取り逃がしたらセレスティンを隠すかもしれない」
「わかった~」
女はレスターをマンジュリカに押し付けると、ぴょんと跳躍して人ごみを超えた。
「すみませ~ん、そこのおにいさあん。お尋ねしたいことがあるんですけどぉ」
「ひい!」
ロイはあっという間に自分の後ろに追いついた女に、爆炎をぶつけた。女は何を思ったか、顔面でそれを受け止めた。焼け焦げてひどい顔になった女は、しかしすみれ色の光を放った一瞬後には、元通りの顔になる。
「…なっ!」
「ひどいねえ、道を尋ねようとしただけの、かよわ~い女の子の顔に傷をつけるなんて。男のカザカミにも置けないよ」
女は仕返しと言わんばかりにロイに魔力の塊をぶつけた。ロイは20メートルほどぶっとばされ、建物の壁に激突した。咄嗟に体に魔力でプロテクトをしたはずだったが、すさまじい痛みと衝撃がロイの体を走る。
「ねえおにいさん、セシルたちと花火を見る場所は、あの建物の屋上で良かったよね?だけど、もう逃げてるだろうから、今いそうな場所を教えてほしいなあ?」
うめくロイに、女は小首を傾げて聞いた。
「…何のことだ!」
ロイは、セシルの事がばれてしまっている焦りを隠し、まっすぐ女を見つめ返す。どうやらレスターの思考を読まれてしまったらしい。こうなったら何が何でも自分がセシルを守るしかない。…と、
「…!」
ロイがはっと騒がしい声に見れば、先程まで野次馬していた者達が一斉に走り始めていた。皆一様に虚ろな目をして、どこかへと向かっている。その最後尾には、レスターを肩に担いだマンジュリカと呼ばれていた女がいた。向かう先はきっと…
―セシル…!
「ぐはっ…」
ロイがわずかに目をそらしたその間に、すさまじい速さで目の前まで来ていた女は、ロイの腹に思いっきり足を蹴りこんだ。
「おにいさん、セントウチュウによそ見はいけないよ?」
「…この野郎ッ!」
ロイは手を振った。女を風で吹き飛ばす。そして巻末いれず、剣を振るう。鎌鼬となった風が、女に襲い掛かる。しかし、女は避けるしぐさも見せず、切り刻まれる。切られた首、腕と落ち、最後に足を失った胴体が地面に落ちる。ロイはその胴体も風で細かく切り刻んでいく。
「さすがにこれで…」
「…ああ、かゆいかゆい」
「…な!」
切り刻まれた肉はドロドロと集まり、すみれ色の光を放つ不定形の肉の塊となり、その次には人型になっていく。
あんなにばらばらになっても、元通り再生するのか?ロイはゾッとした。
「何なんだよお前は…!」
ロイはひたすら剣を振るい、その肉の塊を風で切っていく。しかし、再生の方が早い。ロイは肉の塊の下に魔方陣を展開させる。
「発動!」
風にまき上げられた炎が勢いよく燃え上がる。炎の竜巻のなか、しかし肉体はゆっくりと再生を続ける。
「…何なんだよ」
わけのわからなさと恐怖に、その場を逃げ出したい心地に囚われながらも、ロイは意地になって焼き続ける。
「ああ、でもさすがにちょっと小腹が空いてきたかなあ」
けだるそうな声が、どこが口かもわからない肉から聞こえる。そして次の瞬間、
「…!」
青白い光が走ったかと思うと、一瞬にして炎が消えた。そして、素肌の女が、平然と立っていた。
「ふう、満腹。しかし、ひどいよねえ、女の子を裸にするなんてさ。さっきはわざわざ服を修道院の人に借りたのに。次はキミのを借りなきゃね」
「…お前…」
一体何者だという続きは、恐怖と緊張に乾いた喉からは出なかった。
「あ、血が付くのは嫌だから脱いでよ。その後で殺してあげるからさ」
女は小首を傾げてロイを見る。ロイは恐怖に後ずさる。
「ば、化け物…」
「黙れ」
女は急に殺気を増した。ふざけた調子を一切かき消した声に、ロイはうっかり相手の地雷を踏んだ事を悟る。
「ボク、そう呼ばれるのが一番嫌いなんだよね」
女は無表情で、しかし目だけは怒りに満ちていた。女は、手をロイに向かって突き出す。刹那、すさまじい炎がロイに襲い掛かる。
「…っ!」
ロイは風を周囲にまとわせ防御する。しかし、その炎を目隠しに女が氷の剣を手に、ロイに襲い掛かる。
「…っ」
それをすんでのところで、ロイは剣で受け止める。
「お前ら…レスターをどうするつもりだ」
ぎりぎりとつばぜり合いをしながら、ロイは女を睨む。すると、女はそれが当然とでもいうように口を開く。
「ペットにするんだよ」
「ペットだと…」
ロイは唸るかのように声を出した。親友をペット呼ばわりされるなどと、許せない事だ。
「まあ、まだどうやってかわいがるかは決めてないけど。だって、元からあいつ目当てで来たんじゃなくって、サーベルンのお祭りにおジャマしにきただけなんだもん。セシルの居場所がわかったのは幸いだったけどさ、とにかく後でゆっくり考えるよ」
そして、女は「それとさあ」と続ける。
「こういう戦いの場でのやり取りってさあ、相手がモサならともかく、ザコとするのは面倒くさいからもうお前死ね」
「…!!」
ロイの足元がぼうっと青白く光る。吸収魔法の魔法陣。ロイは咄嗟に相手に魔力をぶつけて、その場から逃れようとするが、間に合わない。伸びた蔓草がロイの体にすさまじいスピードで巻きついた。
「発動」
「…うあああああ!」
蔓草から生えた棘が、ロイの魔力を遠慮なく吸い上げる。
「やっぱり一般人の魔力の方が吸いやすいや」
ロイは悶え倒れ伏す。
「安心して、消し炭になるまで吸い取ってあげるから」
―しゅぱん…!
「あれれ?」
緑色の光が走った刹那、ロイの体を締め付けていた蔓草が、切断されて宙を舞う。そして、次の瞬間には、ロイはノルンの腕に抱き上げられて、建物の上にいた。
「レスターがあれ程言うから見張りを解いてやれば、すぐにこれですよ。甘い目はするもんじゃないですね」
「ノルン…!」
ロイは今にも泣きだしそうな顔でノルンを見上げる。
「いつかは、こんなことになる気がしていましたよ」
ノルンは心底呆れたという風に言うと、ため息をつく。
「ノルン!レスターがあいつらにやられちまった!セシルも狙われてんだ!」
感極まって自身の首に抱きついてきたロイを、ノルンはうっとうしそうに「わかったから、さっさと降りろ」と後ろへ放り投げる。屋根に尻をつき、ロイは「いで」と声をあげる。
女はノルンを見上げると、「へえ」と声をあげた。
「いきなり消えたと思えば、転送魔法ね。と言うことは、お前だね、あの時のネズミの使い手は」
「…そうですよ」
「ラングシェリン家に転送魔法の使い手がいることは聞いた事があったから、疑ったこともあったんだけどさ。だけど、リトミナ王家の宿敵に転送魔法の使い手の組み合わせなんて、誰から見ても怪しまれやすいから、やる訳ないかって疑うのやめちゃったんだよ。裏かかれちゃったね」
「……あなたは見た目は違えどあの時の者ですね。口調からしてそうではないかとは思っていましたが。でも、それはもうどうでもいいとして、私たちの主を返していただけませんか」
「やだよ。ぼくのペットにするんだから」
すると、ノルンの気配がおどろおどろしくなり、後ろで見ているロイですら総毛だった。
「主をペット呼ばわりする馬鹿を生かしてはおけませんね」
「へえ、生かしておけないなら、どうしてくれるのさ」
「お前を殺す」
ノルンは剣を抜くと、建物から飛び降りた。
「…ノルン!そいつ、不死身の化け物だ!切っても焼いても殺せねえ!」
ロイは慌てて叫ぶ。
「ええ、知ってますよ」
ノルンは着地するなり剣をふる。すると、緑色の光の粒子が無数に尾を引いて、女に向かう。女の体の各所にぶつかり、そこから緑色の魔法陣が無数に展開した。しかし、女はにやにやと笑ったまま、動じない。
「ロイ、通信機がつけっぱなしでしたよ。だから、あなたたちの声を聞いて、状況は推測してました」
ノルンは女の態度を気味悪く思いながらも、魔法を発動させた。すると、女は右手のひらだけを残して、そのほかの体の部分は皆どこかに消えた。
「…死なないなら、あちこちにばらばらにばらまけばどうです?」
しかし、その手のひらが、馬鹿にするかのようにグーチョキパーをする。ノルンは忌々しそうに舌打ちをする。
「化け物ですね。これは本物の」
まともに相手をするには手強すぎる。ノルンは再生する風はないものの、念のためその手のひらもどこかに転送した。
「ノルン~~!」
ロイは建物から飛び降りると駆け出し、安堵の涙と鼻水を流しながら、ノルンに抱きついた。ノルンはそれを「うるさい」と蹴りとばす。
「体の各所を遠方に飛ばしただけですから、時間稼ぎになっただけです。今の間にレスターを助けないと」
「レスターは、あっちの方にマンジュリカみたいな女が担いで連れて行った。セシルもさらいに行くつもりだ」
「そうですか…」
ノルンは考える。あいつらはセシルも攫ったら、レスターも連れて雲隠れするつもりに違いない。そうなる前にレスターを救出しないと。ノルンは魔方陣を張ると、ロイの腕を引っ張ってその中に連れ込む。
「こうなったら何としてでもレスターを救出しないと。思いっきり叱ってやらないと気がすみません」
そして、今後は自分に逆らわないようにレスターに念書を書かせるのだと、ノルンは魔法を発動させたのだった。
ロイをノルンがお姫様抱っこ♥