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2-③:散らばるとはこういう事

「…次はセシルとカーター・ウェスタインか」


 午前中最後の試合となった。午後の部は1時から。お昼ぐらいは一緒にとロイがごねたために、近所の店で3人で落ちあって一緒に食べる約束をしている。今やレスターはそちらの方をうきうきと心待ちにしていた。なぜかと言えば、


「東、第一騎士団所属。セシル・フィランツィル=リートン!」

「西、第三騎士団所属。カーター・ウェスタイン!」


 主審が礼をした二人が剣を構えるのを見つつ、試合開始の合図のタイミングを見計らっている。快進撃を進めるカーターとレスター達のターゲット―セシルの対戦は、とても見どころのある試合になるだろう。

 ただ、レスターはもう疲れていて、当初ほどのわくわく感はみじんともわかなかった。座り過ぎてお尻が痛いのもあるが、と思うよりも先に試合開始の合図が放たれ客席がわあっと湧く。


「さあ行けカーター!俺のセシルたんを倒してくれええ!」

「さあ、やられちまえ!屈服しろセシルたああぁぁん!」

 左隣の席に座るおっさん二人組が、大衆の声援に紛れて気持ち悪いことを言っている。


 右隣にそれとなく体を詰めれば、

「ああセシルたん。あたしの麗しのセシルたん…頑張って♡…」

「ああ、かわいいかわいい触りたい飼いたい飼いたいハアハア」

 どちらも30代くらいだろうか、女の二人組が血眼になっている。


―うう


 今回も真ん中で小さくなっておこう。セシルが登場するたびに毎度こんな調子だ。もう疲れた。


―くそぅ、ノルン。お前わざとこの席にしただろう


 お隣の席のことなど事前に知れるわけがないので、そうじゃないとは分かっていても恨まざるを得ない。とにかく今は、昼飯を楽しみ……にしたらノルンに怒られそうなので、試合だけに集中しよう。何とか両隣の存在を頭から打ち消そうとしつつ、レスターはグラウンドに目をやった。





―さあ、始まった


 試合開始の合図を受けてからも、セシルは剣を構えたままで動かなかった。

 目の前のカーターはと言えば、にやにやと待ち構えている。しかし、30秒、60秒と時間が経つにつれていらいらとし始めたカーターは、ふんと鼻を鳴らすと嘲るような視線を送り、一気に切りかかってきた。


「…」

 セシルはその初撃を受けると見せかけ、ひらりとかわす。力任せの斬撃はびゅんと風を切った。その空振りで多少はバランスを崩したはずのカーターに切り付けようとするが、すかさず無理な体制から掬いあげるような剣がセシルの喉元をかすった。


―あぶねえ


 危うく、一瞬で勝敗がつくところだった。

 セシルが背後に跳躍し体制を立て直すが早いか、追いついたカーターが頭上から剣を振り落した。

 早い。セシルはすかさず受け止めるが、その重い一撃に手がじいんとしびれる。そんなセシルの顔を見て、カーターは気持ち悪く歯を出して笑った。

「遅くなったね君、ネズミどころかドブ川亀太郎にでもなったの?」

「るせえええ!」

 セシルは渾身の力を籠め、相手を押し切った。すかさず相手の胴を狙い一撃を放つ。しかし、相手はにやにやとした顔を崩さずに躱し、巻末いれずすさまじい突きをセシルの顔面向けて繰り出した。


「…っ」

 咄嗟に頭をずらすが、直に耳介に響く空気を斬る音が背筋を冷やす。すかさず足で思いっきりカーターの腹を蹴りとばし、できるはずのその隙に攻撃を仕掛けようとするが、咄嗟に無理だと判断し頭を下げた。


 しかし、わずかに遅かった。カーターが体勢を崩しながらも苦し紛れにはなった斬撃が、セシルの頭上を通過する。剣が兜のでっぱりに引っかかり、兜はすさまじい金属音を立てて吹っ飛ばされる。


―ひい!!


 模擬剣のはずなのに、即死する威力だと思う。兜をかぶっていても、当たったらただじゃすまない気がする。というか、もう兜ないんですけど!


 セシルは思わず恐怖に顔をゆがめた。それに反応したカーターは、にやにやとした笑いをゆがんだ劣情の宿る妖しい笑みに変え、剣を握りこんた。


 ガキッ!

「…ッ!」


 セシルは、頭上から降ってきた重い斬撃を受け流す。しかし、もう次の斬撃が待っている。

 ガキン、ガキ、ガキ、カキン、カキ、カキ……!

「ほらほらネズミネズミ、ドブネズミいいいいい!!ほらああ!遅いぞドブネズミ!遅い遅い遅い遅いいいい!」


 あのセシルに自分を恐れさせることができた。そのことで火がついたカーターは狂喜の声をあげながら、雨のように斬撃をセシルに振り落とす。もっともっとその顔を、恐怖のどん底に突き落としてやると思いながら。


「…っ、…っ、…!…、ぅ!…」

 セシルは、必死で相手の攻撃を避け、流しながら考える。

 速いし、力がある。正面から向かえばこっちが負ける。かといって、突ける隙がない。予想どうり、技術は大したことは無いし、剣を勢いよく振り過ぎて隙だらけである。ただ、それらを十分補えるぐらいの驚異的なスピードのせいで、弱点がなくなっているのだ。


「ちょろちょろ避けてても、僕には勝てないぞネズミ!さっさとかかってこい!」

 安い挑発に乗るほど子供ではないセシルは、しかしこのまま躱して避けるばかりでは勝てないと冷静に理解している。セシルの必死な顔を見たカーターはさらに、気味の悪い狂気の喜びを顔に浮かべ、剣のスピードを速める。


―底なしかよ、このスピード!


 あまりにも熾烈な攻撃に、セシルは、腕がしびれてだるくなり始めている。


―どうすれば


 セシルはなんとか考えようとする。しかし、余裕がないどころか、酸素が足りず疲労も出てきた頭では、うまく考えられない。しかも、一撃ごとにネズミネズミ叫んでるので、うるさくて集中できない。さらに、カイゼルの仇を何としてでも討たなければという焦りもあって冷静さを欠いていく。


「ドブネズミに、尻をふった、売女の、息子があああ!」

 ガッキーン!


―ぶちっ


 相手の振り下ろされた剣を受け止めた瞬間、セシルの脳内で血管が切れる音がする。


 それは事実だ。否定はしない。だが、


―お前にとやかく言われたくない


 セシルの頭の中が、怒りですうっと落ち着いていく。





―ああ…たぶん可哀想だけど、あの子この試合で終わりかな


 レスターはグラウンドを見ながら思う。温存でもしていたのか、先程までの試合よりもさらに速さを増したカーターが容赦なく徹底的に斬撃を浴びせかけ、セシルは防戦一方である。それに次第に疲れが出始めているのか、動きも最初の頃のキレがなくなってきている。


 ただ、下の値段の高い座席にいる客たちが、何故だかブーイングを始めている。雰囲気的にカーターが受けているようだが、よくわからない。カーターは斬撃のたびに何かを叫んでいるようだが、それが原因だろうか。

審判も何やら止めに行こうとしている様子だが、カーターの動きがあまりに苛烈すぎてタイミングを計れないようであった。後で、あのあたりにいるはずのノルンに聞いてみようと思う。と、


「うあああああ!」


 大きな吠えるような声。一瞬誰の声だと思った。それがセシルから発せられたのだと知るやいなや、セシルは相手がわずかにひるんだすきに押し切った。そして、剣の先でグラウンドの土を弾き、カーターの目にぶっかけた。

さらに、巻末いれずカーターの顎を思いっきり蹴りあげる。あの小さな体のどこにそんな力が、とレスターは驚愕する。


 そして、セシルは背後に大きく跳躍して、目をこするカーターから距離をとった。


「……!」

 セシルは剣を地面に突き立て、すかさず鎧も脱ぎすてた。他の観客もざわざわとざわつきだす。レスターはまさか降伏かと思う。


「………。…………」


セシルが戸惑いを見せたカーターに手をひらひらさせて何かを言ったようだが、はっきり聞こえない。

しかし、カーターの背に殺気が出たところを見ると、何か挑発したようだった。レスターの周辺ではカーターを応援している者たちはなんだよあれと眉をひそめ、セシルを応援している者たちは頭をかかえはじめる。

しかし、なぜか先程までブーイングをしていた客席は打って変わってわあっと沸く。やっとタイミングを得たのだろう主審が、あわてて何かを言いつつセシルに駆け寄っていったが、危うくカーターに切られそうになり、あわててすっ転んで後ずさった。


 そして、剣を持たないセシルに、不穏な空気をまとったカーターが襲い掛かった。





「この状況でお前に勝ってやる。それともどうした?この方が怖いってか?」


 セシルはひらひらと両手をふり、カーターに鎧も何もつけていないことをアピールする。武闘会は自分の武を誇示する所だから拳ひとつで乗り込んでくる奴もいるぐらい(それでも鉄甲を付けているが)だし、まあ鎧に関してはルール違反ではないはず。


―あれ?


 途端、「いけいけ~!やっちまえセシル!」、「セシルちゃん頑張れ~!」と近い方の座席から何故だか応援の歓声が上がる。

 挑発って嫌われるものじゃないの?とセシルは拍子抜けるが、まあいいやと身構える。


「ちょっと、君落ち着きなさい!そっちの君もこれ以上相手を罵るつもりなら退場させるぞ!」

 主審がかけ寄ってきた。しかし、制止も聞かず突撃してきたカーターにあわや殺されかけ、すっ転んであわてて離れた。


「死ねいいい!」

 力任せにカーターは剣を振り下ろす。セシルはすかさず跳んだ。ざくっとグラウンドに剣が刺さり、前のめりになったカーターの頭に蹴りを入れるついでに踏み台にし、背後へ跳びこえる。


「こんの!」

 着地したばかりのセシルに、ぶんと、剣を棍棒のように横なぎにふるう。セシルは背後に跳躍して避けると、思いっきり剣を振りぬいたせいで体勢が崩れたままのカーターへ向けて、すかさず地面を蹴って跳んだ。そのまま側頭部に蹴りを食らわす。


「……っ!」

 血走った目が、着地したセシルに向けられる。しかし、セシルは意に介さず、にやにやと笑って見せた。

「あれえ、君急に弱くなったんじゃない?もしかして、丸腰の奴に負けたらどうしようって、急に怖気づいたんじゃないの?」

「貴様あああ!汚らわしい、売女の息子の分際でえええ!」

 どどどという勢いで突っ込んできたカーターに、セシルはひるむことなく直前まで引きつけた後、さっと脇によけて足を引っかけた。

 前のめりに転ぶカーターの後頭部に、セシルはかかとを落そうとおもうが、やめた。まだ時間はある。それに万一苦し紛れに切り付けられたら、こちらの詰みだ。セシルは瞬時にそう判断し、さっと飛びのいた。それが早いかカーターは案の定、体を無理にひねって斬撃を繰り出した。


「この、ごみだめの、うすぎたないネズミがあああ!」

 カーターはすかさず立ち上がって、切りかかってくる。前後左右にめっくらぼうに振り回し、最早棍棒と化した剣の動きにセシルは全神経を集中し、かわしつづける。


―それにしても動きやすい


 はっきり言って鎧、重かったからなあ。戦いではなく試合だから軽くて脱ぎやすい簡易式の鎧を着ていたのだが、熱がこもって熱いのに変わりはないし、細かな体の動きが制約されるし、疲れてくるとやっぱり重いし。


「ネズミ、てんめえ」

 顔を横から狙ってきたので、頭だけ後ろに向けると前髪が2.3本ちりと音を立てて吹っ飛んだ。そのまま後ろに倒れる勢いで足を出し、セシルはカーターの顎を蹴り上げる。まともに入り、後ろにふらついてよろけるカーターから跳んで距離を取る。そしてセシルは口を開く。


「きみ~ダメだよ、ちゃんとセシル様って呼ばなきゃ?王族を馬鹿にするなんて、一体君、どんな教育うけてるのぉ?」

 馬鹿にするニュアンスで言い切る。


「下賤な血の分際で僕を愚弄するかああ!」

 一段と速度を増したカーターの斬撃にセシルはにやりと笑う。思ったとおり、騎士のくせに精神的な鍛錬も積んでいないのか、カーターは挑発に乗りやすいあほだった。狙い通り、カーターは次第に動きが乱雑になってきている。そして、やっと疲れが出てきたのか、肩が絶えず上下に動き始めていた。


―そろそろ、か


 セシルはさらなる挑発ついでに突きを躱すついでに、カーターの鎧の腕の飾りを引きちぎる。距離をとると、公爵家の家紋が描かれたそれを投げ捨てた。本当は「公爵家の()()()が聞いてあきれる」と付け加えて投げたかったが、実際にそれをしたら後で家同士で相当もめると思ったのでやめておいた。これで一件見は、ただ飾りをとって見せただけという挑発のはずだ。


 だが、余計なところで勘のいいカーターは、それだけで殺気がおどろおどろしくなったのがわかった。

「ぎぃ、さ、まあ…!」

 もう血塗られたコイツの目に周囲を見るだけの余裕はないだろう。それを確認し、セシルはちらと先程の位置を確認する。


「殺してやるううう!」

 カーターは顔を般若のように歪め叫ぶと、一直線にセシルに向かって突進した。さらに苛烈を増した剣に、さすがのセシルもその前に立ちはだかりながらも後退を始めた。力で押せていると思ったカーターは、もっと追い詰めてやると後先を考えず剣の速度を速めた。次の瞬間、セシルは足を取られたのか、がくんとバランスを崩した。


―今だ!


 カーターは全身の力を剣に乗せ、セシルの頭に振り落した。試合であることも最早忘れている。主審が制止の声をあげるもまるで聞いていない。すさまじい音を立てて、


びゅううん!


 空気だけが切れる。

「……!?」


―今から言う事、ちゃんと覚えておけよ、お坊ちゃん


 盛大に空ぶったカーターはバランスを崩し、前につんのめる。後ろか!苦し紛れに剣を後ろへふるうが誰もいない。かわりにあったのは、先程までそばになかったはずのセシルの鎧。そして剣は…ない。


「布団は、」

―…上!


 気づくのが一拍遅かった。カーターの視界に最後に入ったのは、金の太陽を背に増した銀の輝き。目がくらんだカーターに剣が振り落される。

「撫でんだぁ!!」


がぎいいいん!!


 兜と剣がぶつかり、盛大な金属音をあげた



 会場に響きわったった音に、群衆が皆同時にはっと息を飲む。


 自分の制止が遅かったせいで選手が死ぬかもしれなかった主審は、冷や汗をぬぐうのも忘れ興奮に叫んだ。

「勝者はセシル・フィランツィル=リートン!」





「………………セシルが勝った…?」


 レスターがおもわず、といった風につぶやいたのと同時に、周囲で微妙な歓声が沸き始める。勝ったのはいいけれど試合中に何度か挑発しているみたいだし、さすがにちょっと小賢しい勝ち方だもんなあ、とレスターは気持ちよく勝利を喜べない。


 しかし、さっきまでブーイングしていた下の方の座席では勝利の感動が大きいようで、思わず立ち上がって抱き合って喜びあっている客もいれば、腕で涙を拭いている客までいる。


 そして、試合の緊張から解かれた観客たちの間を、情報がざわざわと波のように伝わり始める。


「お兄さん聞いてよ、セシルが挑発した理由!いくら勝ったとはいえ、ちょっと騎士道に背くんじゃないって思ってたんだけど、実はあのカーターって最低なこと言ってたんだって!挑発どころか、何度もドブネズミとか売女の息子って呼んでけなしてたんだって!後ろじゃ全然聞こえなかったわ!」

「そ、そうなんですか」


 さっきまでセシルに「ちょっとあれはねえ」と眉をひそめていたはずの前の座席の若い女性が、そのまた前の席の人から聞いたのだろう。さっそく振り返り、自分のことのように「許せない!」と恐ろしい剣幕でレスターに語りかけた。その変わり身の早さに、レスターは若干引いた。


「サイテーだな、騎士失格じゃん。そりゃセシルも怒るはずだ」

「ああ、こんな騒ぎに乗り遅れるなんてもったいない事したわ。奮発して前の席のチケット買っておけばよかったわあ」

 周囲の騒ぎがより大きくなる。先程までは、奇跡の新星のように現れて快進撃を繰り広げるカーターを、応援する者が増えつつあった。しかし、元々は毎年初戦で消えていたために、顔の知れていないカーターである。卑劣な素性が明らかとなった以上、そんな彼を擁護するほど思い入れが強い者など誰もいない。観客は完全にセシルの味方となっていく。


「ああ、俺も前で見たかったな…」

 無理にでも、ノルンから前の座席のチケットを奪えばよかったと思う。前の座席のチケットはすぐに完売になるため、手に入れられたのはラスト一枚。ごねたロイがゲットできた観客から高値で買いとればいいと案を出したが、「私が彼らの戦い方を分析しておきます。あなたたちは役立たずなんですから、呑気に後ろで観戦でもしておいてください」とノルンにバッサリと切られ、「後ろでも見やすい所を買っておきますから」の言葉にしぶしぶと了承したのだ。


 その結果、今回のセシルの試合を楽しみ切れなかった上に、

「俺もドブネズミって呼んで、キレさせてみてえ。それでも屈服させるけどな、げはは」

「ネズミちゃんかあ。ますます飼いたくなったわあ、うふふふふ」

 両隣がコレなのだから。垂れてきたよだれがつかないようにレスターは肩身を狭くする。





―はあ


 位が高い者のための特設の座席で、ラウルと団長は誰にもわからない程度にため息をついた。しかし、あまりのシンクロぶりのため息に、お互いに気づく。ラウルが後ろの席を振り返るなり、目の死んだ団長と目が合う。


『…団長殿』

『…ラウル君』


 もはや声に出さずとも、心に思っていることははっきりとわかる。


『この後の予定は?何なら一緒に昼飯でも』

『大賛成です、団長殿。終わったら、即座に行きましょう。というよりも、さっさと逃げましょう』


 そして、ラウルは顔を前に戻す。自分の周りの空気は先程から薄くなったみたいで、息苦しくて死にそうだった。団長も然りである。だが、周りの汚物を見るかのような目線は、彼らに向けられている訳ではない。それらのすべてを向けられているウェスタイン公爵は半ば卒倒しそうになっていて、第一夫人に支えられている。そして、その隣で第二婦人は、射殺さんばかりの視線をラウルたちに向けていた。


『いやいや、どう考えたってあなたの息子さんが悪いでしょう?』


 日頃から彼がセシル達を蔑んで陰口をたたいていることは知っている。そして、カイゼルを倒したことで明らかに調子づいたカーターは、試合中でも露骨にセシルをけなし始めた。

 しょっぱなから斬撃のたびに大声でセシルをドブネズミ呼ばわりし、挑発どころか私情めいてきた言葉に、観客どころか他の貴族たちからもひんしゅくを買っている。確かに、それに乗って挑発を仕返したセシルも礼を欠いたかもしれないが、あれほど馬鹿にされたら誰だって黙ってはいないと思う。


『しかし、公爵の息子相手にあんな挑発を堂々とやり返すなんて…ひやひやしたよ。一応王族とはいえ、セシルは立場が弱いから責められる懸念もあったが……ああ、よかった』


 子供から見ても分かりやすく、カーターが悪者を終始貫徹してくれたために、セシルを擁護する雰囲気なのがせめてもの救いだ。


『しかし、これ相当いらついているんじゃ』

 ラウルは、ちらりと国王の座っている座席を見る。一番前の座席のため後ろからでは表情は見えないが、きっとかなりご立腹のはず。なんと言ったって、近隣諸国の来賓も招いているため、恥をさらしたと思っているに違いない。実際、来賓たちがひそひそと眉をひそめて話している。


『ああ、公爵さん、ご愁傷様』

 例え愚王であったとしても、責めるべきは公爵とその息子だとわかるだろう。カーターをさらに煽り立てたところはセシルに責があるが、国民たる観客たちは完全にセシルの味方で、万一セシルが責められることがあれば黙ってはいないだろうから。いくら馬鹿でも王たる存在、国民の評価が下がるようなことはしないはず。まあ、謹慎ぐらいは食らうだろうが。





「僕が負けた…?この公爵家の長男たるこの僕が…?」

 カーターはグラウンドの土に手を着いたまま、茫然とつぶやいていた。


「君、いつまでも座っていないで立ちなさい」

 主審はカーターの肩をつかむ。その言葉にとげがあるのは、過ぎた言動が原因であろう。

 しかし、その手をカーターは勢いよく払い、ゆらりと立ち上がる。すさまじい形相で、セシルを睨みつけた。


「卑怯だぞ、ネズミ!剣は使わないって言ったくせに使ったんだ!おかしいだろ!」

「…カーター殿、私はこの状況で君に勝つとしか言っていない。剣を使わないなどとは一言も言っていないが」


 顔に平静な仮面を張り、業務口調で返す。確かにそう勘違いさせるように挑発したが、後から責められても堂々と言い返せるように一字一句気を付けた。見事に引っかかったなカーター。本当だったらそう言いたいが審判にとがめられるのは嫌なので、内心でにししと笑う。


「うるさい!もう一回試合をしろ!審判、さっきのはただの肩慣らしだ!」

「こら、君。何を言っているんだ。試合はもう終わりだ。さっさとグラウンドから…ッ」

 カーターは主審の喉笛に掴み掛る。

「僕が負けるわけない!負けるわけがないんだ!」

「…き、君、やめなさい!」


 異常な事態に、周りにいた他の審判たちがあわてて止めにやってくる。

 観客席がざわめきだす。「なにあれ、何かもめてるみたい」、「やだあ、潔く負けを認めなさいよ」と観客は口々に言い、しまいには一部で「さっさと帰れ」コールが始まる。


「……お前、せめて最後は騎士らしくしろよ」

 セシルは呆れてものも言えない。まあ自分も騎士らしくなかったかもしれないが、礼節のないやつに礼節なく応じただけだと、棚に上げておく。



「なっさけな…」

 カーターは再戦がかなわないと知るやいなや、暴れ出して4.5人の審判に取り押さえられた。セシルはそんなカーターからうへえと目をそらすと、こりゃひと騒動起こりそうだし先にグラウンドから出ていこうと背を向けた。


「待て、ネズミ! 僕と戦え!もしかして怖気づいたのか!」


―あー、知らん知らん


 あんなやつと同じ騎士団のやつは可哀想だな。選手用の観覧席もグラウンドの壁にあるのだが、ちらりと見ると第三の面々はみんな頭を抱えたり、あきれたりしている。オレも知り合いと思われるのも恥ずかしいから、絶対に後ろを振り向かないでおこう。ぎゃあぎゃあ審判と言い合う声にセシルは知らん顔したまま、ふっ飛ばされていた兜と脱ぎ捨てていた鎧を拾い上げる。


「うあああああ………!!」

 今や盛大となった帰れコールをBGMに、カーターの叫び声が上がる。ありがたいことにグラウンド上に結界があるおかげで物は飛んでこないが、カンカンカンカン上で甲高い衝突音が上がっている。結界がドーム状になっているおかげで、投擲物はグラウンドの壁際にたまる一方で、宙にゴミが浮いているなんて見苦しい状態にはならないが、結界を解いた後掃除が大変そうだと思う。


「ネズミいいいいいい貴様あああ!!」

 おい、公衆の面前で、恥も衒いもなく叫ぶとかお前ほんとに年幾つだ。ちらりと振り返ってみると、カーターは鬼の形相でこちらを睨んでいる。ああ夢に出てきそう、くわばらくわばらとセシルはすぐに顔を戻す。



「セシル!早くはいれ!」

 見ていられなくなったのか、カイゼルがグラウンドへ走り出てきた。セシルの頭にタオルをかけるなり、いそいそとバックルームへと促す。


「…なんだあれ、前代未聞だろ。もうアイツ終わりだな、社会的に。まあ勝手に自滅してくれただけだし清々するけど」

 前を向いたままのカイゼルの口元が小気味よく笑ったのをみて、セシルも少しうれしくなった。布団叩きを馬鹿にされた屈辱は、布団叩きで返したぞ、カイゼル、アメリー。あれ、なんか違うような気がするけど、まあいっか。


「さあ、次は去年の優勝者だぞ!昼飯食って、気分切り替えていこう!」

 バックヤードの通路に入ると、カイゼルは肩を組んできてそれはもう楽しみといった感じで、汗を拭いてくれるついでにがしがしとタオル越しに頭をなでてくる。

「ええ…もうオレ疲れた、さっきのでスタミナほとんど切れたし…」

 セシルはカイゼルに頭をぐたーっと預ける。絶対に負けたくないと張り切り過ぎたおかげで、手足と肩の筋肉がじんじんとしている。一人を相手にここまで疲れるとは。有事の時は魔法も使って戦うから、ここまで筋肉を使うことは無い。もしオレが魔法をつかえなかったら、とても戦場になど行けないなあと実感する。


「大丈夫だって!もうお昼休みだし、たっぷり休める時間があるじゃないか。カイゼルちゃん特製マッサージも施してやる」

「ああ、あれ気持ち良すぎて寝るからなあ…やっぱパス」

 カイゼルはマッサージが得意で騎士団で有名だ。セシルもやられると、20分もしないうちに寝息を立てるしかない。


「大丈夫、起こしてやるって!」

「いや、寝起きのぼけっとした頭でやるってのも負ける気がするし、どの道負けるんだしいいよ別に」

「いいやそんなの駄目だって、もったいない!」

 こうなったら無理にでもしてやると、カイゼルは控室に着くなり、備え付けの簡易ベッドにセシルを押し倒した。この構図は誰が見たって勘違いされるぞ、カイゼル。今はみんなカーター事変(笑)の野次に行ってて誰もいないけど。


「きゃあ、誰か助けてえ!犯される~!」

 ちょっとふざけて見たくなって、セシルは部屋の外には聞こえない程度に女の声をまねて言ってみる。くすくす笑う声が混ざって危機感が全然ないから、聞こえても大丈夫だろうけど。

「なにふざけてんだ、さっさとうつぶせになる!」

 はいはいと背を向けると、体重を掛けて上に乗っかられた。うげえ、重い。お前ふざけんなとぎゃあぎゃあベッドの上で、マッサージも忘れカイゼルとふざけあい始めた時、


「うぎゃあああああ!!」

「「……?」」

 本当の悲鳴どころか、断末魔の叫びが聞こえた。





「…?!」


 目の前で繰り広げられた惨状を理解できず静まった会場。

 その一瞬後に響いた女性の悲鳴で、レスターは我に返る。同じく我に返った観客のそこかしこから悲鳴があがり、すり鉢状の会場の中でこだまする。


 カーター・ウェスタインを中心に、彼を捕らえていたはずの審判たちが周囲に散らばっていた。


 文字通り、散らばっていた


 レスターが耳が痛くなるような帰れコールの嵐に気を取られている間に、目の端で太陽に反射して瞬いた斬撃。それにレスターが振り返ったのは、審判たちが血しぶきと肉片をばらばらと蒔いた瞬間だった。


「は……?」

 状況を理解できないうちに、客席でどっと人が動き出す。パニックに陥った観客や、子連れの親たちが抱えた子供の目を袖で覆いながら、出口目指して走り始めたのだ。


「嘘だろ、だって」

 試合には人を斬れない模擬剣しか持ち込めない。だから、あいつが握っている血の滴る剣も、さっきまでつかっていた模擬剣のはず。まさか、たたき切っているとでもいうのか? そんなの、人間業じゃない。

「化け物じゃないか……」





 頭から血をかぶり真っ赤になっているカーターは、ぜぇぜえと肩で息をしながらうつむいて立っていたが、やがてくっくとこぼれるような笑いをもらした。

「そうだよ…僕は強いんだよ…」

「だってほら、こんな剣でも人を砕けるくらい」

 カーターはつぶやいた後、殺気に満ちた目をあげ、狂ったように笑い始めた。

「ははは!ふははは!」





「なんだよあれ…」

 グラウンドの端に出てきたセシルとカイゼルは、その血みどろの光景をみて絶句する。


「おい、カーター!やめろ!」

 唖然としていた第三騎士団の者たちが、セシル達が出てきたのに我に返ると3人止めに走った。手近に武器がないため、試合用の模擬剣を持って。だが、

「ぎゃあ!!」

 彼を落ち着かせようとしたのだろうか、武器を向けることなく肩をつかんだ一人目は、腹をえぐられ宙を舞う。二人目はそれを見てがたがたと震えながらも切りかかったが、剣ごと砕かれ、肩から袈裟懸けに真っ二つになった。残り一人はそれ以上前にも後にも進むことができずに、血の海の中に腰を抜かしてへたり込んだ。


「は…?!」

 セシルとカイゼルはそれを見て、目の前にいる者が乱心したという事の次第を理解した。だが、目の前にいるのがカーターだとは、信じられなかった。


「あれ、模擬剣だよな……」

「ああ…」


 唖然とつぶやくカイゼルに、セシルも呆然と頷く。見たところ、人間を腕力まかせにたたき切っているのだ。それは2人とも理解できた。しかし、人間にそんな腕力が備わっている訳がない。

「アイツ、化け物か…?」


 カーターはあははと狂ったように笑いながら、がたがたと震える騎士に近づいていく。

「やめろ!」

 セシルは咄嗟に走りだそうとしたが、カイゼルがあわてて止める。「やめろお前死ぬぞ」と言い合っているうちに、カーターは恐怖で最早動けない騎士の頭をわしづかみ、片手で持ち上げた。そんな力がどこにと思う間もなく、騎士の首に横薙ぎの剣が振るわれる。

「……!」

 ぶしゃああと血が痙攣した体から吹き出し、地面に落ちた。カーターの腕に残るのは、騎士の頭。


「………」

 これ、かなり状況がヤバいやつだ。


「お前ら!死にたくなかったらさっさと会場から出ろ!腕に自信のある奴はさっさと武器持って返ってこい!」

 野次馬をしていた時のままの位置で固まっていた出場者にむけ、セシルは叫ぶ。それで我に返った出場者たちが動き始めたのは良かったが、それがいけなかったらしい。


「ああそこにいたのか」

 ゾッとする声は、自分に向けられているのだろう。恐る恐る振り返ると、血で張り付いた前髪の隙間から見える、ぎらぎらと血走った瞳と目が合った。セシル達が後ずさったのに、カーターはひひひと心底嬉しそうな狂気じみた笑い声をあげる。


「見たか、ドブネズミ」

 持っていた頭を地面に転がすと、ぐしゃりと足で踏みつぶした。その頭蓋から口に出すのもはばかられるような物体がぶちゅうと飛び散る。マジかよ、頭蓋骨ってカボチャと一緒の堅さだろ。片足で潰す力なんて計り知れない。

「……っ」

 セシルは後悔に唇を噛む。ああ自分の馬鹿。せめて武器を取りに帰ってから叫べばよかった。


「僕はさっきまでの僕とは違う!だから勝負しろおドブネズミ!」

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